第5話 ランセル家と形見の剣
俺とマルコスそれにセレナは、それぞれシラスから渡された契約の指輪を指にはめた。
「では皆さま、これからランセル家の幹部の方の元へご案内しますね」
シラスがそう言って玄関のドアを開けた。
一歩踏み出した──その瞬間。
「……うわ」
目の前に広がる光景に思わず息をのんだ。石畳の道、煙を上げる煙突。人々の喧騒に混ざる馬車の音。木造の建物が並ぶ町並みは、まるでゲームやアニメの中でしか見たことがないような、ファンタジーの世界そのものだった。
──ここがザリアナか。
異世界に来て初めて町と呼べる場所に立っている。胸の奥がじんわりと熱くなる感覚があった。まるで冒険の始まりを告げる鐘の音が、どこかで鳴っているような気がした。
町を歩いていると絵本の中に入り込んだ感覚になる。それに通りを歩いている人の顔ぶれが違う。耳の長いエルフ、角のある亜人、背の低いドワーフ、大柄な獣人。人間だけじゃない、多種多様な種族が当たり前のように同じ通りを行き交っていた。
「……うわ、マジで凄い」
通りには露店が並び、果物、雑貨、布製品、香辛料。異国の空気が肌に絡みつく。町の中心を歩いていると、ふと視界の端に飛び込んできたものがある。
──『ラーメン』『寿司』
「えっ!? ラーメンに寿司??」
この異世界で、まさかラーメンと寿司に出会うとは思ってもみなかったな
「なぁ、マルコス。あれって寿司って書いてあるよね?」
「ああ? なんかの魚料理じゃねぇか?」
「……いや、それで合ってるけど」
言葉は通じても文化のズレは避けられない。それでも「知ってるもの」が目に入るのは安心感がある。
「あれは転移者たちが広めた食文化ですよ」
「えっ、この世界って転移者いるんですか?」
「はい、少ないですが珍しいって訳でもありません。転移者二世も三世の方もいますよ」
「二世? 三世?」
「はい。二世、三世の方は両親や祖父母が転移者というだけで本人たちは、この世界で生まれ育ったんです。もう立派な地元民ですね」
「……そっか、転移者って特別な存在じゃないんだ」
なんだか少し肩の力が抜けた気がする。
「さあ、着きましたよ」
シラスが立ち止まり視線の先を指さす。
「ここは【ランセル商会】といって物資の売り買いを行っている施設です。町の流通の大半はここを通ってるんですよ。そして、こちらの責任者の方がランセル家の幹部のひとりです」
見上げると立派な石造りの建物がそびえていた。木造の民家ばかりが並ぶこの町の中で明らかに浮いてる。重厚な扉にきらびやかな紋章のプレートまで飾られている。
……なんか急に緊張してきたな
深呼吸をしてから俺たちは商会に足を踏み入れた。中は思った以上に広く、棚には薬草や鉱石、布や魔道具らしきものまで所狭しと陳列され、奥では職員らしき人と商人が商談していた。世界が動いている。そんな雰囲気が確かにこの空間にはあった。
商人たちの様子を観察していると視界に何かが映った。
──その瞬間、息を呑んだ。
視線の先にいたのは信じられないほど綺麗な女性。
ふわりと肩にかかるブロンドベージュの髪、落ち着いた目元には知性と理性が宿っているように見えた。
ただそこに立っているだけで、まるで周囲の空気が彼女に合わせて整列していくような、そんな静けさと気品をまとっている。
そして彼女がふっと微笑んだ瞬間。何かが決定的に変わった気がした。名前も声も、まだ何も知らない。だけど、この出会いは何か取り返しのつかない意味を持つ気がした。
「こんにちは、シラスさん。本日はどうなさいましたか?」
受付にいた彼女は、やわらかな口調で問いかけてきた。
「本日は、マルセラ様にお願いがあって参りました」
「私に? お願いですか?」
「はい、こちらの三名がランセル家との家族契約を希望しております。身元につきましては私が責任を持って保証いたします。引き受けて頂けないでしょうか?」
「なるほど」
その瞬間、彼女の視線が俺達に向く。たったそれだけの事なのに思わず息が詰まってしまう。
彼女がランセル家の幹部? てっきり、ゴツい甲冑を着たおっさんが出てくると思ってた。なんだよ、全然ちがうじゃん。
「シラスさんの紹介なら問題ありません。私で良ければ引き受けますよ」
その微笑みが胸の奥に染み込むように焼きついていった。
そして俺たち三人は、マルセラの指示に従い静かに膝をついた。マルセラは一歩前に出ると左手をそっと掲げる。すると指にはめた契約の指輪が淡い光を帯び始めた。
「汝が魂を捧げ、我が声に応じよ。いついかなる時も、我らは絆で結ばれる。ならば、永遠の絆をその魂に刻め。いま誓いの名のもとに、家族の理を顕現せん」
す、すごい……。これが魔法。異世界に来て、初めて見た。まるで物語の中に入り込んだみたいだな……なんか感動する。格好いいとか、そんな言葉じゃ足りない。本物の異世界に俺はいるんだ……。
その詠唱は、まるで祈りのように静かで力強かった。詠唱の終わりと同時に、マルセラの指輪が神秘的な光を放ち、空気ごと震わせるように広がっていく。その輝きはまるで──“祝福”のようだった。そして、マルコスとセレナが同時に声を重ねる。
「この魂、ランセル家に預けます」
その言葉に光が応えるように弾ける。すると二人の契約の指輪にランセル家の家紋が刻まれた。
「……この魂、ランセル家に預けます」
俺も二人に倣って言葉を紡いだ。自分の声が空気の中で震えてるようだ。そして俺の契約の指輪にも光が宿りランセル家の家紋が刻まれた。
これで俺もこの世界の住人になったんだ。そんな実感が胸の奥で静かに芽吹いた気がする。
マルコスに“川島”の名を出すなと言われていたので、俺は「翼」とだけ名乗った。自己紹介がひと通り終わると、マルセラが優しく微笑みながら説明を始めた。
「では皆さま、明日からのお仕事についてですがランセル商会に出勤していただく通常勤務のほかに、外部での採取業務という選択もございます。採取は完全歩合制となっておりますので自由な行動をご希望の場合は、そちらをご検討くださいませ」
その説明を聞いた瞬間「採取でお願いします」とシラスが即答した。
きっと、マルコスとセレナのことを気遣ったんだな。商会での通常勤務より外に出る方が性に合ってると踏んだのかもしれない。
「分かりました。では、これから頑張って下さいね!」
マルセラは笑顔で手を差し出してきた。
握手する文化はこっちの世界にもあるんだな。
俺もそっと手を伸ばしマルセラの細くて華奢な手を握った。その瞬間、マルセラの瞳が動揺しているように揺れ始めた。見間違いでは済まないくらいはっきりと。
「……っ」
ほんの一瞬だけ彼女の表情に焦りが見える。けどすぐに何事もなかったかのように笑みを取り戻し、完璧な受付嬢の顔に戻っていた。
なんだ今の……?
握った手の温もりが、まだ残っている。ただの握手なのに胸の奥が妙にざわついた。
「……いえ、すみません。少し……その、手が冷たくて驚いてしまって」
え、俺の手が? いや、でも今のは絶対それだけじゃないだろ。なんか変だったよな? なんだろう、よく分からないけど。少しだけ胸の奥がチクッとした。嫌われたのか? だとしたら、ちょっと、いや、かなりショックかも。
***
帰り道、セレナが黙りこみ足取りが急にふらふらし始めた。何度もまばたきして目を開けたまま止まっている。
どうやら眠いらしい。気づけば俺の袖をくいくい引っ張ってきた。
「……おんぶ……して……若様ぁ……」
「俺、片腕なんだけどね」
マジでバランス取るの難しいんだけど……
「おい、セレナ。町中で若様って呼ぶなって。誰が聞いてるかわかんねぇだろ!」
後ろからマルコスが低めの声で突っ込んでくる。
「うるさいなぁ、マルコス生意気!」
セレナはむすっとしながらも、俺の背中によじ登ってきた。
いや、片腕でおんぶってどうすんだよ……誰かベビーカーくれ。
昼過ぎ、シラスの家に戻ってきた俺たちは遅めの昼食をとることにした。暖炉の上では、シラスお手製の野菜スープがことことと煮込まれていて、パンと干し肉を添えたシンプルな献立だったけど妙にホッとする味だった。
なんか、ようやく落ち着いた気がする。セレナはすっかりお昼寝モードで、食べ終えるとすぐにソファで丸くなって寝息を立てていた。静かな午後が流れている。
「翼様、指輪の具合はいかがですか?」
「うん、特に問題ないみたいだけど……これって、つけてるだけで家族契約って成立してるってことでいいの?」
「はい。先ほどマルセラ様が執り行った儀式で正式に契約は完了しております」
「……じゃあ俺たちは、ランセル家の一員になったってこと?」
「そうですが少しだけ補足をさせていただくと、翼様たちは【ランセル家】のモニカ派という立場になります」
「モニカ派……?」
「はい、マルセラ・モニカ様ですから」
「へぇ、モニカって名前なんだ」
なんか、しっくりくるというかモニカって響き、どこか気品があるし、彼女にぴったりな感じがする。
シラスの話によると家族とは【ランセル家】全体の事で、派閥とはグループみたいなものらしい。きっと会社みたいな感じなんだろうな。
──つまり、俺たちはあの美人受付嬢の身内ポジションってことになるわけか。
うん、悪くない。いや、むしろちょっと嬉しいくらいだ。
***
ふとマルコスを見ると、なにやら真剣な顔をしている。
「……どうした、マルコス?」
問いかけると彼は無言のまま立ち上がり、部屋の奥へと消えていく。そして数秒後、手に何かを抱えて戻ってきた。テーブルの上にそれを静かに置く。
──脇差?
全体が真っ白で、鞘も鍔も無駄がない。装飾なんて一切ないのに、どこか品がある。ぱっと見ただけで、ただの武器じゃないってことだけは伝わってきた。
「……これは?」
思わず息を呑む俺に、マルコスが言う。
「流石に丸腰は危なすぎるからな。これは、お前に返す」
……返す?
「え、ちょ、ちょっと待て! 俺、剣なんて握ったことないぞ!」
「使い方は明日教えてやるよ」
困惑していると、マルコスはさらりと衝撃発言を放り込んできた。
「この魔剣は、お前の母親。宮胡様の形見だ」
「……はい?」
母親の形見、この剣が? てか、母親の名前を初めて聞いたんだけど。情報が衝撃的過ぎて、どう整理すればいいのか分からん。
すると胸の奥が、かすかに震え始める。まるで何かが目を覚ましたかのように。その震えは次第に輪郭を持ち始め、明確な疼きへと変わっていった。
──黒い蕾だ。
わかる。これは絶対にあいつだ。異世界に来た時に姿を見せてから今まで、黙っていたくせに今は暴れてやがる。まるで、マルコスの話に反応するみたいに。心臓が早鐘を打ち、鼓動のたびに耳の奥でざわざわとした囁きが響いてくる。
「……っ……!」
息が詰まりそうになったその瞬間、マルコスの声が落ち着いた調子で響いた。
「翼、落ち着け。深呼吸しろ」
「……お、おう、ありがとう....もう大丈夫だよ」
マルコスの声は不思議と冷静だった。
「菜那が全部を話さなかったのは、こうなるからだ」
「……それって、どういうこと?」
「本当のことを全部話したら、お前の中の黒いやつが暴れるかもしれなかった。だから、ずっと話せなかったんだ」
「……っ……知ってるのか、黒い蕾のこと?」
「お前よりは……だけどな。俺や菜那だって黒いやつを全部説明出来るってわけじゃねぇ」
真剣な顔だ。どこまでも本気の目をしている。
「なんだよ、情報量多すぎだろ……」