第11話 触れた肌に想いを乗せて
──翌朝
目覚めてからしばらく、俺はベッドの上で天井を見つめていた。
頭の中は、昨日聞いた衝撃の事実でいっぱいだ
綾川水麗凪。
かつて俺が命懸けで追いかけていた推しのアイドル。
その彼女が異世界にいるかもしれない。
名前が同じって可能性もあるし、似てるってだけかもしれない。
でも、マルコスのあの真剣な目を見る限り
冗談でも見間違いでもなさそうな気がする
うーん……なくはない……のか?
芸能界を突然引退した理由が異世界転移だったのなら、あの不可解なフェードアウトにも納得がいくような……
いや、そんなバカな
でも、そんなバカみたいな話の世界に
俺は今いるんだよな……
そしてシルヴァ・ランベール。
マルコスが言ってた、俺の両親を殺した仇。
正直、両親の顔も思い出せないんだ
記憶にも、感情にも、ぽっかりと空いた空白がある。
復讐? 敵?
なんか、他人事みたいに思えてしまう
あと、川島家のゼルト派とかいうのも、なんか出てきたけど……
めんどくさい匂いしかしない
組織? 派閥? 争い?
そういうのはいらないんだよな
俺は静かに暮らしたいだけなんだよ……
でも、マルコスも、セレナも、シラスも
誰もはっきり言葉にはしないけど……
きっと、俺に川島家の名を継いでほしいって、そう思ってるんだろうな
もちろん、ゼルト派の川島家と合流しろって意味では無いと思うけど
一緒に過ごしていれば、嫌でも伝わってくる
俺の何気ない言葉に、ちょっとだけ過敏に反応するとことか
別にプレッシャーかけられてるわけじゃない
むしろ、誰よりも優しい人たちだ
俺を最優先に考えてる
でも、それが逆にプレッシャーを感じる時がある
俺はただ、川島翼って名前で生きてきただけなんだけど
この世界では、その名前に意味があるらしい
その名が誰かの希望になってるなら、
俺は、どうすればいいんだろう
冥歌という力を持って生まれた意味は?
どちらにしろ選ぶ未来が、誰かを傷つけるものでないといいな
そんなことを願いながら、俺はベッドからゆっくりと体を起こした。
***
リビングに行くとシラスが忙しそうに家を出て行った。
「シラスさん、どうしたんだ?」
「なんか、きな臭くなってきたとか言ってたぞ」
「何それ、こわ」
「一応念の為に、冥歌の練習は休みにしよう」
「念の為? まあ、分かったよ」
森に行かないとなるとまずい。
今日も商会に売る素材がない。
マルセラに会いに行く口実がないのだ。
「なあ、マルコス。こないだセレナが倒した、S級の魔物の素材売っちゃダメか?」
「ダメだ」
ちっ……
朝食のあと、マルコスと軽く雑談した後、暇なので散歩する事にした。
「ちょっと散歩してくるな」
町の空気が澄んでいて、歩いているだけで少し気持ちが晴れる気がした。
ザリアナという町は、ほどよい田舎な感じで居心地は悪くない。
たまには、こういう時間もいいかもな
そんなことを考えながら、俺は町の中心通りにある小さな日用品店に入った。
「へぇ、けっこう何でも売ってるんだな」
木造の棚には石鹸とか布とか鍋みたいな生活感たっぷりのアイテムが並んでる。
ちょっとしたショッピングを楽しんでいると。
「……お?」
俺の視線が、ある一点で止まった。
それは、おんぶ紐だった。
つまり、子供とかを背負うときに使う、いわゆるあれだ。
シンプルなただの紐っぽいけど、セレナ用には良いな。
「よし、買いだ」
そう思った俺は迷わず購入。
これで、だいぶ楽になるはずだ。
上機嫌で店を出て歩き始めたその時、
「……ん?」
ちょっと先の路地裏に、見覚えのある後ろ姿が見えた。
えっ、え、マルセラ?
こんなとこで偶然って……めっちゃラッキーじゃん!
ただ、すぐに浮かれた気分はしぼんだ。
彼女の前には見知らぬ男が立っていた。
二人は並んで話している。
なんか距離、近くない?
あの男誰だよ?
てか、なんかマルセラの顔、いつもと違う気がする
それは、笑っているようで笑っていない、目元はどこか硬く不自然な笑みだった。
俺は物陰に身を隠しながら、そっと様子をうかがう。
あの男、一般人じゃないな感じがする
上質なコートに整えられた髪。
立ち居振る舞いにも隙がない。
どう見ても幹部クラスだ。
ランセル家の人間だろうか?
何を話してるんだろう……
距離があるせいで声は聞こえない。
ただ、マルセラがときどき視線を逸らしながら、何かを押し殺すように頷いていた。
それだけで、胸の奥にどうしようもない不安がゆっくりと広がっていく気がした。
……これ、見ちゃいけないやつか?
そう思いながらも足は動かなかった。
男が、唐突にマルセラの腕を掴んだ。
おい!
なに、してやがる……!
胸の奥が、一瞬で沸騰した。
頭に血が上って、視界の端が真っ赤に染まる気がした。
ふざけんな、気安く触ってんじゃねぇ!
反射的に、マルセラの表情を確認する。
驚きと、苦しげな顔。
嫌がってるよな?
よし、行くぞ
「……おい、離せ」
割って入ると、男が俺の顔をちらっと見て鼻で笑った。
「はァ? 誰に口聞いてんだ……糞ガキ」
その瞬間、マルセラが喉を詰まらせるように息を飲んだ。
「はっ……はぁ……つ、翼さん……?」
マルセラの声は震えていた。
呼吸が浅く、苦しげに肩が上下している。
……なんかマルセラの様子が変だぞ
「おい、いいから彼女を離せ。今すぐだ!」
マルセラは首を横に振り、今にも消えそうな声で呟いた。
「……ガ、ガルシアン……離して、くだ……さい……」
「ちっ……それが答えか」
男は舌打ちし、マルセラの腕を乱暴に放した。
「いいんだな、後悔するぞ」
捨て台詞を残して男は人混みに紛れて去っていく。
「マルセラさん、大丈夫ですか?」
だが、マルセラは膝をつき、そのまま崩れ落ちた。
「……だ、大丈夫……で…す」
彼女の肌が赤くただれ、まるで火傷でも負ったように腫れている。
呼吸も浅く、喉の奥でゼェゼェと音を立て始めていた。
「マルセラさん? おい、マルセラさん!」
目が虚ろになっていく。
このままだと危ない気がする。
「……っ、ちょっと、失礼します!」
マルセラの肩に片腕を回し、俺はぎこちなく体勢を支えた。
左腕がないせいで、思うようにバランスが取れない。
けど、立ち止まってなんかいられない。
「……そうだ、おんぶ紐……!」
咄嗟におんぶ紐を出し、口を使いながらなんとか広げる。
「まさか、こんな形で使うことになるとはな……!」
マルセラの体をそっと背負い、紐を胸元に引っ張って回し、片手と口と膝を使って必死に固定する。
額には汗が滲んでいた。
よし……これで、なんとか
「もう少しだけ頑張ってください、マルセラさん……」
俺はそのまま人混みをかき分けて走り出した。
家に戻ると、マルコスが真っ先に俺の背中を見て、眉をひそめた。
「おいおい、ずいぶんでけぇ子どもおぶってるじゃねぇか」
「冗談言ってる場合じゃない! マルセラさんの様子がおかしいんだ。回復魔法、使えないか?」
「バカ言え。俺が使えるわけねーだろ」
「じゃあ、回復薬は!? 俺の腕の時に使ったって言ってたろ!」
「あれで最後だ。そもそも回復薬は高級品だぞ? 庶民が気軽に使えるもんじゃねぇんだよ」
くそっ……!
俺は背中のマルセラをそっと降ろし、自分のベッドに寝かせた。
彼女はうわごとのように何か呟いているけど、言葉になっていない。
「マルセラさん……もう少しだけ耐えてください。すぐ戻りますから」
立ち上がり、マルコスに声をかける。
「マルコス、頼む。マルセラさんを見ててくれ。俺が回復薬を買ってくる!」
「おう、だったら金貨三十枚くらい持ってけ」
「三十万もするのかよ!」
財布を握り締め、俺は玄関を飛び出した。
***
俺は、これまで商会で稼いだ金を全部つぎ込み、ようやく回復薬を手に入れた。
正直、もう財布の中はすっからかんだ。
だけど、それでも構わない。
回復薬が売っている店が分からず、だいぶ時間が掛かってしまった。
「マルコス、マルセラさんは……?」
「さっきよりはマシだけどな。なんか苦しそうだぞ」
ベッドに近づくと、マルセラの呼吸は浅く、顔色も優れなかった。
「マルセラさん、今から薬を飲ませます。少しだけ頑張ってください」
俺は優しく声をかけながら、回復薬の瓶を開けた。
ゆっくりとマルセラの口に薬を流し込む。
喉がわずかに動き、薬が体の中に落ちていった。
それを確認した直後、マルセラはふっと力を抜いて眠りについた。
安堵の息が漏れる。
俺はそのまま、彼女の横に腰を下ろして見守っていた。
こんな時に思う事じゃないけど、
……寝顔、めっちゃ可愛いな
頬の赤みも腕のただれも少しずつ薄れていく。
薬が効いている証拠だ。
マルセラの肌は、もとの透き通るような白さを取り戻しつつあった。
時間は流れ、部屋の窓から差し込む光が夜の色へと変わっていき、
そして、
「……翼さん……?」
微かに開いた瞳。
俺の名前を呼ぶその声に思わず体が反応した。
「マルセラさん……!」
気づけば俺は、ベッドに横たわる彼女の体をそっと抱きしめていた。
衝動的だったけど抱きしめたかった。
心臓がうるさく暴れていたが、どうでもいい。
今だけは、この温もりを、マルセラを、離したくなかった。
「翼さんが……助けてくれたんですね。ありがとうございます」
マルセラの腕が俺の背に回る。
それだけで胸がいっぱいだ。
「マルセラさん、体調……崩してたんですか?」
ベッドに腰掛けたまま俺はそっと声をかけた。
マルセラは体を起こして小さく頷いた後、言葉を探すように沈黙した。
「……あっ、すみません。無理に話さなくても大丈夫ですから。配慮が足りませんでした……」
慌てて謝る俺に彼女は小さく首を振った。
「いえ、大丈夫です。……話しますね」
少しだけ躊躇ったあと、マルセラは静かに口を開いた。
「……私、男性に触れられないんです」
「えっ……?」
思っていたのとはまったく違う言葉に声を漏らしてしまった。
「少しくらいなら、肌が少し赤くなって痒みが出る程度なんですが……さっきのように強く腕を掴まれたり、抱きしめられたりすると……」
そこで言葉を切った彼女は少しだけ苦笑して見せた。
「今みたいになってしまうんです」
確かに、あの時の苦しそうな呼吸と肌のただれは尋常じゃなかった。
でも、そうだとしたら。
「俺、さっきめちゃくちゃ抱きついちゃいましたけど」
「はい。でも、それが不思議なんです」
マルセラは俺の目をまっすぐ見つめた。
「初めて翼さんと商会でお会いした時、握手をしても何の反応もなくて……。それが、驚きで。そして……えっと…すごく……嬉しかったんです」
その瞳が少し潤んでいるように見えたのは、気のせいじゃないと思う。
「不思議でした……翼さんの手、温かくて、心地よくて……初めて、誰かの肌に触れて“怖くない”と思えたんです。だから……出会えたと思ったんです。私の、“運命の人”に」
「……」
「あ……っ、ご、ごめんなさい。今の、忘れてください!」
慌てて視線を逸らすマルセラに、俺はただ黙ってしまった。
え、それって……
ほとんど告白じゃないか……?
いやいや、落ち着け俺。舞い上がるな。早まるな
けど、あの言い方、目の潤み方、声の震え
さすがに、あれを“勘違い”って言う方が無理があるだろう
でも、どうして俺だけが平気なんだ?
まさか、半分人間じゃないから……とか、そういう理由じゃないよな?
なんて、冗談で済ませたいのに、ちょっと笑えない自分がいる。
そして、マルセラは、まっすぐに俺の目を見つめてきた。
「翼さん、大事な話があります」
その真剣な声に、思わず背筋が伸びた。
「はい、なんでしょう」
なんだ、もしかして。え、まさか付き合ってください的な?
「ランセル家で、近々内戦が起こる可能性があります」
「…………」
……内戦。
いや、今の俺には正直どうでもいい
マルセラの話の方がよっぽど大事だ
それにまだ、この甘い余韻に浸っていたいんだけど
「昼間、話してた男とその話をしてたんですか?」
マルセラは苦しそうに頷いた。
「彼が、今回の内戦を仕掛けようとしている張本人です」
「じゃあ、そいつを捕まえて牢に放り込むとか、できないんですか?」
「彼は、ガルシアンというのですが、ランセル家の中では、彼の派閥を支持してる者の方が多いのです。だから私にも……」
「ガルシアンに従えって?」
マルセラはわずかに目を逸らした。
「……ええ。それだけじゃなく……"妻になれ"って言われました」
……は?
ちょ、待て待て待て
おい、ガルシアン、お前、ふざけんな!
「マルセラさん」
自然と声が低くなった。
「マルセラさんが誰かの妻になるなんて、そんなの俺には、絶対に受け入れられない。内戦の事よりも、俺にとって一番大事なのは、マルセラさん、あなたです」
マルセラの顔がふわりと赤く染まっていく。
潤んだ瞳がまっすぐこちらを見つめていて、吸い込まれそうになる。
──ああ、もう無理だ。可愛すぎる
そっと手を伸ばし、もう一度マルセラを抱きしめようとした。
その瞬間。
マルセラの視線が、俺の後ろに逸れた。
「……ん?」
なんだこの感覚。魔物か? 敵襲か?
いや、もっとタチの悪い“何か”だ
おそるおそる後ろを振り返った。
──いた。
マルコス。
シラス。
イドナ先輩。
なんでフルメンバー揃ってんの!?
しかも全員、腕を組んでニヤニヤしてる
やめろ! その表情やめろ!!
お願いだから空気読んでくれ!!
「……お熱いこった、なぁ、シラス?」
「はい。もう一声でキスでしたね」
「うふふ、初恋って素敵ねぇ」
マルセラは顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えている。
俺も思わず両手を上げて後ずさった。
「い、いやこれは! その! 違くて」
「うんうん、抱きしめたかったんだよね? 翼君」
「見事な流れだったぞ。感動した」
マルコスとイドナ先輩のツッコミが痛い……!