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第1話 約束の時間は、あと15分



 ──九月二十九日


「異世界に還る。それが今年の誕生日プレゼントでいいや」


 あと十五分で俺の二十一歳の誕生日。誰に祝ってもらえるわけでもない。けどそれでいい、何もいらない。だって今日は全てを終わらせて、始める日なんだから。


 俺は川島翼(かわしまつばさ)。家族はいない。どこにも居場所なんてなかった。

 ただ、そんな俺には、ずっと寄り添ってくれる存在がいた。それは、まるで花を咲かせる前の蕾のようだった。咲くことを拒むかのように閉じて、俺の中で静かに息づいていた。物心ついた時からいる不思議な存在。その黒い蕾はずっと俺を見ていて、俺が忘れていた何かを教えようとしてくれていた。

 ──黒い(つぼみ)

 名前なんてない。俺が勝手にそう呼んでるだけだ。


***


 もし、あと十五分で世界が終わるとしたら何を捨てればいいだろうか?

 

 俺は思い切って全てを捨ててみた。異世界に還る準備は、もう整っている。リュックには最低限の荷物だけ。スマホも捨てた。仕事も辞めたし、水道も電気も止めた。


「……あと十五分か」

 これが正しい選択だったなんて分からない。だけど俺は決めたんだ。

 机の上のアナログ時計が秒針を刻んでいる。約束の刻が迫っていた。


 ──23:45


 俺の中にある黒い蕾は『約束の日、24:00に迎えが来るぞ』と頭の中に直接、囁いてくる不思議な存在だ。

 最初は心の奥で影のように、ひっそりと生えている黒い芽だった。それは歳を重ねるうちに、少しずつ輪郭を帯びていき、今では黒い蕾として心の中でしっかりと存在している。


 その存在が黒い蕾の形になってからは、夢なのか記憶なのか分からない光景を毎晩のように流し込んでくるようになった。


 炎に包まれる街。知らない人々。血に染まった地面。映画のように鮮やかなのに、どこか現実とは違って見える。明らかに俺の知っている世界のものじゃなかった。

 不思議なことに夢が始まる直前には、決まって胸の奥が疼いていた。痛みというほどじゃない。ただ心臓の奥で何かが小さく脈打つような感覚。

 この黒い存在が蕾という形を持ち始めてから俺は、普通の夢を一度も見たことがない。夢の全てが黒い蕾が見せる記憶なっていた。


 黒い蕾が見せる記憶によれば。俺は一歳の時に家族を殺されたらしい。俺の知らない街で知らない誰かに。ただ記憶を見る限り、俺は守られていたという印象は受けた。


 きっと誰に話しても信じてもらえない。むしろ笑われるか、病院を勧められるだろう。

 それでも俺は信じたいって思った。いや、信じてしまった。だって俺にはその世界の事を、少しだけ教えてくれる存在がいたから。


 児童養護施設の職員の森野菜那(もりのなな)さん。

 施設で育った俺にとって菜那さんは母親代わりだった。血は繋がっていなくても菜那さんは俺にとって本当に大切な人だった。


 でも、それだけじゃない。菜那さんは俺を違う世界から連れてきた張本人であり、菜那さんは、なにやら異世界人だったらしい。まあ、他人に話しても絶対に信じてもらえないだろう。だけど彼女の話を嘘だと言い切るには、あまりにも生々しく、リアルすぎる話だった。それに小さい頃から菜那さんに何度も聞かされていたせいか、俺にはそんなに不思議な話だとは思えなかった。


 菜那さんが話してくれた異世界の話は、黒い蕾が夢に流してくる記憶と、ひとつ残らず一致していた。炎に包まれる街も、知らない人々も、血に染まった地面も。見た事もない景色なのに、どこか知っている感覚だけが妙にリアルだった。

 それに菜那さんが話し始めると、決まって胸がざわついて頭の奥がズキンと痛んだ。その奇妙な感覚が、これは本当の話なんだと証明してくれているように感じていた。

 

 ──だから、俺は信じた。

 そんな、ある日。俺は、とんでもないことを聞いてしまった。

「──菜那さん、辞めるらしいよ」

 何を聞いたのか最初は理解できなかった。けれど言葉がじわじわと胸に染み込んできた瞬間、心の奥が音を立てて崩れていくような気がした。頭が真っ白になって息がうまくできなくて気づいたときには、その場で声をあげて泣いていた。

 誰かに寄りかかりたくても俺の周りには誰もいない。手を伸ばしても掴めるものなんてない、声をあげて泣いても返ってくる声はなかった。

 たった一人だけの「家族」みたいな大切な存在がいなくなる。

 胸にぽっかり穴が空いたような寂しさを知ったのは、多分この時が初めてだった。


 ──そして最後の日。

「十年後、二十一歳の誕生日の日に必ず迎えに行きます。それまで、どうか生きていてください」

 それだけを俺に伝えて菜那さんは背を向けたまま立ち尽くしていた。泣きそうな顔を見せたくなかったのだろう。あの時の菜那さんの背中は何よりも優しくて、そして遠かった。


***


 ──23:48


 自分が、まともじゃないのは分かってる。信じてるのは黒い蕾が見せる記憶と菜那さんが話してくれた異世界の話だけ。他人から見れば、現実に背を向けた狂った男に見えるに違いない。


 ──23:50


「やばい、緊張してきた……」

 部屋の中も外も静かだ。机の上に置いた小さなアナログ時計。針の音だけが妙に大きく聞こえる。

 ──カチ、カチ、カチ。

 秒針が動くたび何かが削れていく気がした。思い出なのか自分自身なのかは、よく分からないけど。


 ──23:56


「頼む、頼む……迎えに来てくれ……」

 指先がじわりと震えていた。寒さじゃない。明らかに身体の奥からくる震えだった。呼吸は浅くて、うまく吸えない。心臓の音だけが遠慮なく鳴り響いている。

 来なかったら、どうしよう。逃げ道は残していない。この日に人生を賭けてしまった。これで何も起きなかったら、ただのやばい奴だ。いや既にやばい奴か……


 ──23:58


 何の前触れもなく部屋の空気が変わり始めているよう気がする。胸がギュッと詰まる感じがして息が変なとこに引っかかった。たぶん今、血圧も心拍数も人生最高記録を更新中だろう。手汗がやばい。

「マジで来い……今さら何も起こりませんでしたとかやめろよ……!」


 ──23:59


 俺の頭の中で黒い蕾が急に囁き始めた。


 『──還るぞ、俺達の始まりへ』


 そして黒い蕾が毎晩、俺に見せてきた記憶の映像が頭に入ってきた。人が殺し合っている。男も女も子供も関係ない、大勢の人が死んでいて辺りは血の海のようになっている。


 なんだ、この記憶……倒れている人達は誰なんだろう?

 それは黒い蕾が今まで見せてきた記憶よりも鮮明で見ているというよりは、その場にいる感覚の方が近い。まるで凄くリアルなVRゲームでもしているようだった。


 そして黒い蕾が、また囁いた。こんなにも何度も囁いてくるのは今日が初めてだ。まるで何かが近づいているのを感じ取っているかのようだ。胸の奥で黒い蕾が脈打つ感覚が、はっきりとしている。還ることで目覚めさせているのだろうか?


『──裏切られ奪われた。だから俺たちが全部壊し復讐をする。それだけ、それだけが俺たちの生きる理由だ』


 壊せって何を壊すつもりだよ? そんなの冗談じゃない。復讐だの破壊だの、そんな大層な役が俺に務まるわけがない。


 ──じゃあ、俺は何のために還るのか。

 分かってる。目的なんて、どこにもない。ただ夢に流れていた記憶の光景が本当に俺の始まりなら、この目で見て肌で感じて確かめたい。そして生まれた世界で生きてみたい。それだけなんだ。

 

 時計の針が最後の一分を告げた瞬間だった。室内の空気が張り詰め、まるで酸素そのものが薄くなったような息苦しさ。耳の奥に「コォォ……」という圧のような音が鳴りはじめる。窓は閉まっているのに、カーテンが異様に暴れだした。普通じゃない何かが確実に起こる。


 ──24:00


 秒針が音を立てずに、ひとつ進んだ瞬間。足元には淡く神秘的な光が滲み出した。そして金色の魔法陣が床に浮かび上がり広がっていく。

「……来た、ほんとに来た……!!」

 魔法陣のようなものが浮かび終わり完成した時だった。あの声が聞こえた。優しくて懐かしい十年ぶりの声が。


「声をあげて泣いていた、あの日を私は忘れない。この手を離すことが、どれほど怖かったか。あなたを十年もの間、一人にしてごめんなさい。この祈りが、あなたを連れていけますように。あなたが自分の生まれた場所で生きて笑えますように。聖律第7章─祈りの音─」

『──断界召式(だんかいしょうしき)


 その声が届いた瞬間、足元の魔法陣が静かに光を放ち始めた。風が舞うように空気が震えて眩しすぎない光が、ゆっくりと輪郭を広げていく。

 世界が静かに境界を失っていき全てが曖昧になる。まるで透明な水の中へ沈んでいくような感覚に包まれて、意識が深く沈んで重さも感覚も遠ざかっていく。


 そして黒い蕾が俺の中で動き出した。胸の奥から這い出すように熱が全身を駆け巡る。それは俺の血と肉を喰らいながら花を咲かせようとしているかのようだった。

「こいつ、俺の血を吸収したのか?」

 黒い蕾は本当の姿を取り戻すように、心臓の奥で鼓動に合わせてゆっくりと黒く咲き誇った。

 俺の身体は、だんだんと内側が変わっていき、自分の中に黒い血のような液体が入ってくるのがはっきりと分かった。


 だけど……怖くはない、二十年も一緒にいるんだから。正体は最後まで分からなかったけど。その答えは、きっと異世界にある。そんな気がする。


 もう二度と、この世界には来れないだろう。

「さようなら、この世界」

 もう届かない声でも、最後くらいはこの世界の人間みたいな言葉を言っておきたかった。

 

 ──そして俺は、生まれた場所へと還った。



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