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6 或るエルフと問い

──クロノヴ歴2035年10月──


 サンが10歳になった年、村は秋の収穫を祝う準備で賑わっていた。

畑には黄金色の穂が揺れ、子供たちが笑いながら走り回る中、サンは家の庭で静かに木の枝を手にしていた。

時折、思い詰めたように枝を振るうその姿を、ミラは軒下で布を縫いながらそっと見守っていた。


 サンは背が伸び、かつての丸い顔立ちは少し引き締まり、瞳には鋭い光が宿り始めていた。

金髪は太陽の下で輝き、村の子供たちの中でもひときわ目立つ少年に成長していた。

一方で、10年という月日はエルフの容姿にほとんど影響を与えなかった。

だが、サンの成長は彼女にとって目に見える時間の流れだった。

彼が歩き、話し、笑う姿は、ミラに喜びと同時にほのかな寂しさをもたらしていた。


 その日、サンはいつものようにミラと一緒に過ごしていたが、どこか様子が違った。

普段は明るくおしゃべりな彼が、口数が少なく、考え込むように空を見上げていた。

ミラはそれに気づきながらも、そっと見守っていた。

やがて、サンは木の枝を手に持ったまま、ミラの隣に腰を下ろした。

そして、意を決したように口を開いた。


「母さん。僕は本当の息子じゃないんでしょうか?」


 その言葉は静かに、しかし重くミラの耳に届いた。

彼女の手が止まり、針を持ったままサンの顔を見た。

サンの瞳は真剣で、そこには10歳の少年らしい純粋さと、何かを知りたいという強い意志が混じっていた。

ミラは息を呑み、言葉を探した。

彼女はいつかこの問いが来るかもしれないと、心のどこかで覚悟していた。

だが、いざその時が来ると、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


 サンはミラの沈黙に耐えきれず、さらに続けた。


「お母さんは年を取らないし、耳も違う。一緒に遊んだ子が言ったんだ。『お前の母さんは偽物だ』って。僕……本当はどこから来たの?」


 ミラはサンの言葉を聞きながら、真実を告げるべきか、思案した。

ミラが人間でないことを。彼が他の子供たちと異なる出自を持つことを──。


 10年間、ミラはサンに愛情を注ぎ、彼を我が子として育ててきた。

だが、真実を明かせばこの絆が壊れるのではないか——そんな恐れが、10年の歳月とともに彼女の中で膨らんでいた。

今、その恐怖と向き合う時が来たのだと、ミラは悟った。


 ミラは針を置き、サンの手から木の枝をそっと取り上げた。

そして、彼の手を両手で包み込み、静かに目を合わせた。


「サン……君は私の大切な子だよ。それは本当だ。でも、君が言った通り、私は君を生んだ母親じゃない」


 サンの瞳が揺れた。

ミラは言葉を続けながら、10年前の森での出来事を思い出した。


「君を森で見つけたんだ。まだ赤ちゃんだった君が、ひとりで捨てられていた。私はその時、君を放っておけなくて……連れて帰った。それから、君を育てると決めたの。」


 サンはミラの手をじっと見つめ、唇を噛んだ。


「じゃあ…本当のお母さんはどこにいるの? 僕を捨てたの?」


 その声には怒りと悲しみが混じっていた。ミラは首を振った。


「分からないんだ、サン。私も知りたいよ。でも、君を見つけた時、そこには誰もいなかった。ただ君だけがいた」


 しばらくの沈黙が流れた。サンはミラの手を握り返し、やがて小さな声で言った。


「……でも、母さんは僕を捨てないよね?」


 ミラの目に涙が浮かんだ。

彼女はサンを強く抱きしめ、震える声で答えた。


「捨てるなんて絶対にしない。君は私の子だよ、サン。ずっと、ずっとそうなんだから」


 サンはミラの胸に顔を埋め、静かに泣いた。

10歳の少年にとって、真実を知ることは重く、複雑だった。

だが、ミラの温かさと愛情は、彼の心に確かな安心を与えた。

その夜、二人は寄り添いながら、初めて本当の家族として向き合った。


 ──数日後


 サンとミラが真実を共有した夜から、数日が経った。

秋の風が村を吹き抜け、収穫の準備が終わろうとしていた。

サンはミラの家で過ごす時間が多くなり、二人の間には新たな絆が生まれていた。

サンは自分の出自を知った後も、ミラを「母さん」と呼び続け、ミラはその呼び声に毎回心が温かくなるのを感じていた。


 その夕方、ミラは家の前で弓の弦を張り直していた。

サンはその様子をじっと見つめ、近くに座って膝を抱えていた。

やがて、彼は思い切ったように口を開いた。


「僕、剣士になって母さんを守りたい」


 ミラの手が一瞬止まり、彼女はサンの顔を見た。10歳の少年の瞳は真剣で、そこには純粋な決意が宿っていた。

ミラは弓を膝に置き、柔らかく笑った。


「ふふっ…頼もしいね。でも私は剣術はからっきしなんだよね。代わりに弓術を教えてあげようか?」


ミラは太腿の上に置いた弓を指で示しながら言った。


 その言葉に、サンは少し首をかしげた。


「剣士って剣だけでいいんじゃないの?」


 ミラはくすりと笑い、サンの金髪を軽く撫でた。


「剣士だって弓が使えたほうがいい時もあるよ。私が森にいた頃は、弓で遠くにいる魔獣を倒すことが多かったんだ。剣は……近づかないと使えないから、私にはちょっと怖くてね」


 サンはミラの言葉を聞き、興味津々に目を輝かせた。


「弓ってそんなにすごいの? 僕にも教えてよ!」


 彼は立ち上がり、ミラの手を引っ張った。

ミラは少し驚きながらも、サンの勢いに押されて笑顔になった。


「分かったよ。でも、弓は我慢と集中が必要だよ。サンにできるかな?」


「できる! 僕、頑張るから!」


 サンは胸を張り、ミラはその頼もしさに心が軽くなった。


 その日から、ミラはサンに弓術を教え始めた。


「いい? 弦を引くときは心を落ち着けることが一番大切なの。見ていてね。」


ミラが弓を構え、的を狙う。

引き絞られた弓から矢が解き放たれ、矢は風を切り裂く。

放たれた矢は一直線に宙を駆け、見事、的の中心を貫いた。


「わぁ!すごい!」


サンは思わず感嘆の声をあげた。


それから、家の裏の小さな空き地で、彼女は古い弓を手にサンの姿勢を直し、弦を引くコツを丁寧に伝えた。

サンは最初、弦を引く力加減に苦労したが、ミラの指導のもと少しずつ上達していった。

矢が的に当たるたびに、サンは歓声を上げ、ミラはそっと拍手をした。


「僕、これで母さんを守れるよね?」


 ある日、サンが矢を放った後にそう言った。ミラはサンの横に座り、穏やかに答えた。


「守ってくれるなんて嬉しいよ。でも、私だってサンを守りたいんだから。これから2人で一緒に強くなろうね」


 サンは頷き、ミラの手を握った。

剣士になるという夢は、彼の中で少し形を変え始めた。

ミラから学ぶ弓術は、ただ強くなるためだけでなく、彼女とのつながりを深めるものだった。

ミラもまた、サンの成長を見ながら、自分がこの子にどれほど守られているのかを実感していた。


 夕陽が空を赤く染める中、二人は弓を手に笑い合った。

サンの夢とミラの教えが、未来への小さな一歩を刻んでいた。

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