5 或るエルフと影
──クロノヴ歴2030年4月──
人間の村は、ミラが初めて足を踏み入れた頃とは異なる穏やかな息づかいを感じさせた。
畑は豊かに実り、屋根は新しく葺き替えられ、村人たちの暮らしに静かな活気が宿っていた。
ミラの存在もまた、村に溶け込み、異邦人ではなく一員として受け入れられていた。
銀髪と尖った耳は今なお目を引くが、かつての冷たい視線の代わりに、親しみや感謝の眼差しが向けられることが多かった。
ミラは村の端に小さな家を構えていた。村の大工が建ててもらったものだ。
そこで彼女はサン——今や5歳になった少年——を育てていた。
サンは明るい金髪と、ミラとは異なる丸い瞳を持ち、村の子供たちの中でもひときわ目立つ存在だった。
それでも、その笑顔と無邪気さは誰の心をも温めた。
その日、ミラは家の前でサンと草を編んでいた。
細い指が器用に動き、小さな籠を形作っていく。
サンは隣で真似しようと奮闘し、草を絡ませては楽しげに笑った。
「母ちゃん! 見て見て、できたよ!」
サンはぎこちなく編んだ草の塊を掲げ、得意げに目を輝かせた。
ミラはそれを見つめ、柔らかく言った。
「上手だね、サン。ほら、もう少しこうやって……」
彼女はサンの小さな手に自分の手を添え、編み方をそっと教えた。
サンは「うん!」と元気に頷き、真剣な顔で再び挑んだ。
──5年間、ミラはサンとともに生きてきた。
最初は赤子に乳をやる術さえ知らなかった彼女だが、リアや村人たちの支えを得て、少しずつ母としての役割を身につけた。
サンが初めて歩いた日、初めて言葉を発した日——その一つ一つがミラの心に深く刻まれていた。
エルフの時間感覚では、5年など一瞬に過ぎないはずなのに、サンと過ごす毎日は濃密で、彼女にとってかけがえのない宝物だった。
村人との絆も深まっていた。
ミラは畑仕事に加え、森の知識を活かして薬草を調合したり、怪我の手当てをしたりしていた。
そのおかげで、彼女は「森の癒し手」として村に欠かせない存在となっていた。
リアは今も変わらず良き友人で、彼女の娘──セリカとサンは兄弟のようにじゃれ合って遊んでいた。
「ふふっ……サンとセリカちゃん、仲良いね」
「もしかしたら将来結婚……しちゃったりして」
「……そんな日が来たらきっと泣いちゃうなあ」
そんな独り言を呟きながら、ミラは子供たちを見て微笑んだ。
ある日、リアがミラの家を訪ねてきた。
焼きたてのパンを籠に詰めて持参し、サンを見つけると明るく手を振った。
「サン、大きくなったねえ。ミラ、あんたがちゃんと育てた証だよ」
ミラは照れくさそうに笑い、「リアや皆のおかげだよ」と返した。
サンはパンを手に跳ね回り、「リア、美味しい!」と叫んで彼女に抱きついた。
その夜、ミラはサンが眠る姿を眺めながら静かに思いを巡らせた。
5年前、森で拾った小さな命は、今や彼女の全てとなっていた。
サンという名前の通り、彼は明るく、村に光をもたらす存在に育っていた。
「大きくなったね……サン」
だが、ミラの心には小さな影が差していた。
ミラはこの5年間で人間の尺度を知った。
5年もあれば村の様相は変わり、人が産まれ、去る──。
サンもやがて成長し、年を重ね、ミラを追い抜く日が来る。
その時、自分はどうすればいいのだろう。
窓の外、月が木々を静かに照らしていた。
ミラはサンの金髪をそっと撫で、その日が来るまで彼を守り続けようと心に誓った。