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4 或るエルフと成長

──クロノヴ歴2025年8月──

 月日が流れ、サンの授乳期が終わりを迎えた。

サンは小さな体にしっかりとした力を蓄え、ミラの腕の中で日々成長していた。

離乳が始まり、村の女たちに教わった穀物の粥や潰した果物を口にするようになった。


「ふふっ……好き嫌いのない、いい子だね。」


サンの丸い頬が動くたび、ミラはそっと微笑んだ。

縁側で銀髪が陽光に揺れる中、サンは這い回り、時折小さな手を伸ばしてミラの指を掴んだ。

その力強さに、彼女の胸に温かな疼きが広がった。


「サン、もっと食べなさい。大きくなれるよ」


ミラは小さく笑いながら、サンに粥を差し出した。

サンは「あー」と声を上げ、口を大きく開けて受け入れた。


 村での暮らしは、ミラにとって新たな輪郭を帯びていた。

畑の雑草を抜く姿や、弓を手に害獣を仕留める軽やかな動きは、今や村の日常に溶け込み、頼もしい存在として受け入れられつつあった。


「ミラちゃん、いつもありがとな」


農家の男が言った。


「感謝なんて……部外者の私が出来ることはこれくらいしか無いので……」


ミラの言葉には謙遜と疎外感が滲んでいた。


「おいおい、感謝は素直に受け取っておくのが吉だぜ。それに、俺たちはとっくにお前さんを村の住人だと認めてるぞ」


「…っ!ありがとうございます!」


自然とミラの目には涙が溜まっていた。


「あ、あれ…?私…なんで……」


ポロポロと涙が零れる。

その様子を見た村人たちが集まってきた。


「ボルドーさん!なんでミラちゃん泣かせてるんですか!」


「い、いや…俺は何も──」


「ミラ姉ちゃんかわいそー、なでなでしてあげるね」


いつの間にか老若男女、村中の人間が集まっていた。

ミラは頬を染め、顔を隠しながら言う。


「は、恥ずかしいので……あまり見ないでください……!」


その姿は神秘的で冷淡なエルフのイメージとは掛け離れており、村人達からは笑い声が漏れだした。

もちろん、嘲笑ではなく、人間に向けられるそれと同じく、暖かなものであった。


 この出来事を境に、冷ややかな視線は無くなり、「ミラ」と呼ぶ声に親しみが滲むようになっていた。

子供たちは彼女を「お姉さん」と慕い、サンを小さな仲間のように可愛がった。


「お姉さん! サンにこれあげていい?」


一人の女の子が、手に持った野花を見せながら近づいてきた。ミラは頷き、「ありがとうね、サンも喜ぶよ」と答えた。

サンは花を受け取ると、ぎゅっと握り笑った。


 ある晴れた午後、ミラはサンをつれて広場へ出かけた。

サンは這うのをやめ、よろよろと立ち上がるようになっていた。

ミラが手を差し伸べると、サンは小さな足を踏み出し、初めての一歩を彼女へと進んだ。

その瞬間、ミラの目が見開かれ、息が止まった。サンにつけた名前——「太陽」のように明るく温かい願いが、この一歩に宿っているかのようだった。


「サン、歩いた…! ほら、リア、見てて!」


 ミラは思わず声を上げ、サンを抱き上げて頬を寄せた。

近くにいたリアが顔を上げ、「おお、ほんとだ! サン、すごいね!」と笑った。

サンはきゃあと笑い、小さな手でミラの銀髪をつかんだ。

その無邪気な仕草に、ミラの心は喜びで満たされた。

森を出てから初めて味わう、純粋で揺るぎない幸福だった。


 「もう一回歩いてみて、サン。私がここで待ってるから」

ミラはサンを地面に下ろし、少し離れて手を広げた。

サンは「うー」と言いながら再び足を動かし、よろよろと進んだ。

広場にいた村人の一人が「おお、歩いたぞ! エルフの子の子育ては見事だな!」と声を上げ、他の者たちも目を細めて笑った。


 その夜、リアの家でミラはサンにそっと語りかけた。


「サン、大きくなったね。もう自分で歩けるなんて……」


 膝に座らせたサンは、ミラの声に反応するように小さく首を動かした。

彼女はその頬に手を当て、柔らかな温もりを感じた。

捨てられていたあの小さな命が、今ではこんなにも力強く育っている。

それはミラにとって奇跡そのものだった。


 リアがそばで編み物をしながら穏やかに言った。


「サン、ほんとにいい子に育ってるよ。ミラ、あなたがしっかり守ってきたからだね」


 ミラは照れくさそうに目を伏せた。


「私だけでできたことじゃないです。リアや村のみんなのおかげで……」


 リアはくすりと笑い、手を止めてミラを見た。


「そうかもしれないけど、サンがこんなに元気なのは、やっぱりあなたがそばにいたからだよ。お母さんとして、立派にやってる」


「お母さん……」


 ミラはその言葉を呟き、胸にじんわりと広がる温かさを感じた。

森のエルフとしての過去と、村での新たな役割——その二つが、サンを通じて結ばれていると、彼女は改めて実感した。


 夜が更け、サンが眠りに落ちると、ミラはそっとその額に唇を寄せた。窓から差し込む月光がサンの小さな顔を照らし、彼女はその寝顔を見つめながら思った。


「サン、ずっと笑っていてね。あなたが笑うたび、私も強くなれるから」


 サンの成長は彼女にとって喜びであり、村にとっても小さな希望の灯となっていた。


 ──クロノヴ歴2025年12月──


 さらに数ヵ月が過ぎ、村は冬の静寂に包まれていた。

ミラはリアの家の囲炉裏端で、サンを膝に抱いて暖を取っていた。

外では雪がしんしんと降り、地面が白く染まっていた。ふと、ミラはサンの頭に目をやった。

産毛が薄れ、代わりに柔らかな金髪が少しずつ生え始めていた。

その色は、ミラの銀髪とはまるで異なり、陽光のような明るさを持っていた。


「サンの髪……金色なんだね」


 ミラは小さく呟き、指先でその細い髪を撫でた。森で拾ったこの子が、自分の血を引いていないことを改めて感じ、胸にほろ苦い疼きが広がった。

彼女は目を伏せ、サンの温もりを抱きしめるように腕に力を込めた。

それでも、この子は自分にとって全てだと、心の底で確かに思っていた。


 サンはその時、小さな手をミラの銀髪に伸ばし、戯れるように引っ張った。


「サン、冷たいね。もっとこっちおいで」


 ミラが優しく声をかけると、サンは突然顔を上げ、澄んだ目で彼女を見つめた。そして、小さな口からぽつりとこぼれた。


「マ……マ」


 ミラの手が止まり、息が詰まった。

一瞬、囲炉裏の火の揺らめきだけが聞こえる静寂が訪れた。

彼女の目が潤み、震える声で呟いた。


「サン……今、ママって……?」


 サンはもう一度、「ママ!」と明るく叫び、ミラの胸に顔を埋めた。

ミラはサンを強く抱きしめ、頬を濡らす涙を隠せなかった。

血の繋がりがないことへの一瞬の寂しさは、サンの声によって熱く溶け、冬の寒さの中で彼女の心は満たされていた。

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