見た目は幼女、中身はオバサン 9
魔法の講師……なんて名前だったっけ?
俺は子爵家の人間なんだって偉そうにしていた二十代前半の坊やよ。
子供みたいな顔をして、態度はえらい大きかった性格の悪い男よ。
「アシュビー先生に……」
そうだった。アシュビー子爵家の五男だったはず。
考えずに勢いで口を開いたほうが、八歳児の記憶が自然に出やすいわ。
「全属性を使えるのは普通じゃないから、話したら気持ち悪いと嫌われる、両親の迷惑にもなるから黙っていろと言われたんです。でもお父様とお母様には話していると思っていました」
「あの男! アシュビー子爵がたのんでくるから、仕方なく雇ってやったというのに」
「だから、やめましょうって言ったじゃないの。子爵家は次女を嫁入りさせる支度金もなくて、借金をしたって聞いたわよ」
なんだ。立場はうちのほうが上だったんだ。
爵位だけじゃなくて、経済力や人脈、後ろ盾も視野に入れて相手に対する態度を決めなくちゃいけないって礼儀作法の先生が言っていた。
敵に回したら駄目だと相手に思わせるような力をつけるのが大事なのよね。
だからうちはワディンガム公爵家の傘下に入っているのだし、王族からの招待状が水戸黄門の印籠のような力を持つんだわ。
「でもそれがどうして殿下のお耳に届いたんだろう?」
「アシュビー先生が、全属性の魔法が使える子供が自分の生徒にいる。ただ変わった子なので自分がいないと人と話せない。その子を連れてくるから、魔法省か王宮魔道士団で働かせてくれと魔道士団の人に売り込んだんですって」
「……馬鹿すぎる」
「そんなのシェリルだけスカウトされて、彼は相手にされないでしょう」
実際、そうなった。
報告を聞いた魔道士団団長と魔道省のおえらいさんが、国王陛下と王弟殿下に報告しつつ並行して私のことを調べて、ワディンガム公爵家の一族に連なる男爵家の娘だと突き止めたのよ。
「それで王弟殿下から、私がどういう子供か見極めてくれとワディンガム公爵家に打診があったんだそうです」
ヒロインをそっとしておきたい王族は焦ったらしいわ。
なにしろゲームの主人公だから、鍛えれば魔法も物理攻撃も超一流になってしまうかもしれないでしょ?
平和な国に、突然そんな人間兵器みたいな子供が現れたら困るのよ。
「……そんな話は公爵から聞いていないよ」
「ジョシュア様が私と話してみて、この子は駄目だという話になったらこの招待状は破棄し、この話はなかったことにする予定だったんだそうですよ。それでお父様には話せなかったんです」
「それであんなに積極的にシェリルとローズマリー様を親しくさせようとしていたのか」
「私と仲良くなるのは、ワディンガム公爵家のプラスになるので、無条件で味方になってくれるんだそうです。その招待状にはそれだけの威力があるっておっしゃっていました」
王族はヒロインを国に留めておきたいんだそうだ。
人間兵器が他国に渡ってしまったら自国が脅かされる危険があるから。
王族が囲うだけの価値がある女の子なのか。
問題を起こすようなヒロインなのか。
それを見極めるように言われていたジョシュア様が、私に招待状を渡したということは、もうその時点で、私は王族という味方を手に入れたのと同じなんですって。
ジョシュア様やコーニリアス様のサインがあるあの誓約書で、私ひとりが不利なんかじゃないの。
彼らが誓約を破った場合、王族が彼らを王都から追放してくれるのよ。
でもワディンガム公爵家といえば、貴族の中でも三本の指に入る重要な公爵家だ。
ノースモア侯爵家だって、由緒正しい大貴族よ。
それぞれ他と事を荒立てたら、内戦になりかねない大問題になってしまうので、互いに誓約を破れない状態になっているの。
その代わり、他家は知らない秘密を共有しているために結束が強くなって、王族派の信頼関係が強固になるわけよ。
むしろ招待状と一緒にあの誓約書をもらったことに大きな意味があるんだって、ジョシュア様が説明してくれたわ。
こんなにいろいろと説明してくれるなんて、ジョシュア様ってかなり優しいわよね?
ローズマリー様の味方になった途端、態度が急に変わるあたり、わかりやすくて笑いたくなっちゃうほどだけど、説明を聞かないとどういうことか私にはわからなかったわよ。
王族ってすごいわね。
カード一枚にそんな威力があるの?
「王族がシェリルを守ってくれるということか」
カードと誓約書を見つめながら、しばらく黙っていたお父様がゆっくりと言った。
すごい。
説明しなくても、どういうことか理解できているんだ。
「ジョシュア様が手渡してくれたということは、日程の調節もしていただけるんでしょうね」
お母様も理解しているっぽい。
マジ? カード一枚でここまで考えないと貴族はやっていられないの?
「しかし、なぜジョシュア様なんだい? こう言ってはなんだが、いくらしっかりしていても彼はまだ十二歳だ。彼に判断させるより、ワディンガム公爵が自分で判断したほうがいいだろう?」
「それも試験なんだそうです。ジョシュア様が私に対して判断したことを王弟殿下に説明し、その後に王弟殿下が私と面会する。そしてジョシュア様の判断が正しいかどうか確認するんだそうです」
「なるほど。彼は優秀だからな」
「はい。試験に合格した場合、国王陛下の上級補佐官の元で修業をすることが決まるそうです」
この国で補佐官というのは側近のことだ。
王宮の組織の中でも特別枠の王族の執務室で上級補佐官を務めるのは、エリート中のエリートよ。
いずれは大臣になるコースが待っているんだそうだ。
「素晴らしいわ。ワディンガム公爵家はこれで安泰ね」
「変態のことも王弟殿下が力を貸してくださるんですって」
「変態!?」
「あ、ポロック伯爵」
気を抜くと庶民のおばさんが顔を出してしまう。
私は御令嬢。
上品で聡明な美幼女よ。
「間違ってはいないけど、確かに変態だけど!」
「シェリル、そんな言葉を使っては駄目よ」
「はい」
よかった。
強力な布陣が味方に付いてくれたということを、ちゃんと両親はわかってくれた。
これなら大丈夫だと安堵した様子の両親を見て、私も肩の荷が下りた気分よ。
いやあ、大変だった。
記憶が戻ってから今まで、怒涛の如く情報が押し寄せ時間が過ぎ去っていったわ。
出来れば少し眠りたい。
記憶を整理したい。
「それで魔力の話はどうなったんだい? まさか魔道士団に入団なんて話にはなっていないよね?」
「大丈夫です、お父様。王弟殿下は私の意思を尊重してくださるそうです。それもあって話を聞きたいということで招待状をくださったんです」
「ありがたい」
「よかったわ。本当によかった」
八歳の私は、両親を心配させたくなくて魔法のことを話せなかった。
傷ついても悲しくても、ひとりでどうにかしようと抱え込んでいた。
それは子供らしい感情で、特に親の迷惑になる、嫌われるなんてワードが出たら話せなくなってしまうよね。
どれも前世の記憶が戻る前に、知識や才能ばかりが先に開花してしまった影響だ。
他の子と違うって、不安だったと思うのよ。
でも何も相談してもらえないって、親にとってはつらいことだ。
「黙っていてごめんなさい」
「もういいんだよ。あんな男を講師に雇ってしまった私が悪い」
「これからはなんでも話してね。私たちがあなたを嫌いになることなんてありえないわ」
なんでもは話せないんだ。ごめんなさい。
でも私は家族が大切だし、大好きだ。
だから、みんなを守りたい。
「でも私、他の子と違って……いつも迷惑をかけてばかりで」
「何を言っているの!? あなたは特別な子なのよ。私たちの自慢の子なの」
馬車の中だというのにお母様が立ち上がって抱きしめてきた。
「誰かに何か言われたのかい? 迷惑をかけられたことなんて一度もないよ。むしろ、幸運を運んで来てくれているじゃないか。この誓約書と招待状が我が家にとってどれだけの武器になるか。いや、これはシェリルのためだけに使うべきだな。きみが幸せになるためだけに使おう」
「お父様」
「ほら、泣かないの。さっきの明るいあなたはどうしたの?」
「ふふ、お父様もお母様も大好きです」
これで、今日のうちにクリアしなくてはいけない問題はなくなったはずよ。
あとは家でゆっくりすればいいだけだ。
「お嬢様!? これはいかがなさったのですか!?」
「まあ! いつのまに?」
ゆっくりは出来なかった。
着替えをしている時に、侍女が誓約の紋様を見つけて騒ぎになってしまった。
「……ローズマリー様とお友達になる誓約をしたのよ」
紋様の形はあちらでやり直したときと同じ、桜の花をアレンジして図案化したような形だ。
それがおへその上にファッションタトゥーのように現れていた。
モデルがこういうタトゥーをしているのを見たことがあるけど、まさか自分がすることになるとは。
「誓約って……大丈夫なんですか?」
「奥様に報告したほうがいいわよね」
あれ? そんな深刻な雰囲気になることだったの?
子供用のおままごとの誓約書もあるって、ジョシュア様が……。
「わー、なつかしい。私も子供の頃に友達と誓約をやりました」
侍女のひとり、たしかドナだったわね。
くりっと大きな目の十九歳の女の子が楽しそうな声をあげた。
「子供用は一年で自然消滅するんで忘れていました」
「誓約なんて、私の周りでしている人なんていなかったわよ」
「あー、うちは父が騎士だから、お友達に貴族の子供がいたの」
「そうなの!? 知らなかったわ」
私をそっちのけで侍女たちが話している内容からすると、平民の子は誓約書に関わることはないようだ。
そもそも貴族の子と平民の子では魔力量が違うんですって。
たまに魔力量が多い子もいるけど、そういう子は貴族や大きな商会に引き取られることが多いのだそうよ。
「じゃあこれもそうなんですか?」
「そうなの。お友達になった記念なんですって。仲良くしましょうという約束よ。それにもう両親には馬車の中で話したわ」
私の返事に侍女たちは安心したようだ。
両親にも紋様が見つかったら教えてくれと言われているのよね。
「では、話し相手として公爵家に行かれるんですね。よかったです」
「侍女をひとり連れていけるはずですわ」
侍女を?
「だったらきっとドナが選ばれるわね。警護も出来るのはあなただけだもの」
「ドナは強いの?」
それは初めて聞いたわ。
「少しだけですよ。父と兄が騎士なので、私も少しだけ一緒に習ったことがあるんです」
騎士爵の娘で、本人も武芸に秀でている?
王弟殿下が私にも警護をつけているって話は、彼女のこと?
守ってもらえているのはありがたいけど、もしそうなら彼女の主は王弟殿下ってことでしょう?
いろんな情報が、あちらに筒抜けになっているってことよ。
それは……複雑な気分ね。
「お嬢様、湯浴みの準備が整いました」
「はーい」
浴室に行こうと全身が移る姿見の前を通り過ぎて、そのまますぐに引き返した。
鏡に映っているこの美幼女が私!?
さすがヒロイン。ここまで可愛かったとは。
豊かで艶やかなミルクティーベージュの髪が、綺麗な線を描く顔とほっそりとした首筋を守るように背中まで流れ、同じ色の睫毛に縁どられた大きな目には、マリーゴールドの瞳が輝いている。
光の加減で茶色に見える時もあれば金色に見える時もあるとても珍しい色合いで、お母様の家系の色なんですって。
派手な色合いではないかもしれないけど、私はとても気に入っている。
……気に入っている?
そうよ、これは私の顔よ。
さっきまで違和感があったのに、今はもう何も感じない。
小さな鼻と形のいい口に大きくてつぶらな瞳。
八歳の少女としては理想的な可愛さじゃない?
透明感がすごいわ。神秘的だという人がいるのもわからなくはない。
でも……ごめんなさいね。
謎めいた美少女は今日で消えてしまったの。
今の私では、そんな雰囲気を醸し出すのは不可能よ。
「お嬢様?」
「よかった。おでこはなんともないわ」
「ああ、そうでしたね。もう痛みはないんですか?」
「ええ」
今までのシェリルは無口で、あまり感情を顔に出さない女の子だった。
自分は周りの子と違うから。
異様に頭がいいから。
全属性の魔法を使えるから。
変だと周りに何度も言われて、親に迷惑をかけないようにおとなしくしなくてはと思っていた。
それに比べてローズマリー様は、行動力があって明るくてひたむきな女の子だ。
溺愛する兄と婚約者が彼女を守っている。
悪役令嬢が主役の小説で、主人公になる女の子がそのまま現れたみたいよ。
ローズマリー様は私と友人になりたいと一生懸命だったけど、むしろ私のほうが彼女を味方につけないといけない立場だった。
変態親父より、ヒロインを警戒する人達のほうがよっぽど怖い。
いえ、どちらもこわいわ。
ああ、早くひとりになりたい。
あまり泣いたら目が腫れるから駄目だけど、少しくらいは娘達との別れを惜しみたい。
明日からはシェリルとして生きていくから、今夜くらいは平凡なオバサンでいさせてほしい。




