オバサンは食事会を開催する 1
試食会から二か月半。
明後日に授与式と祝賀会を控えた日に、私は再びマガリッジ領を訪れている。
今日まで本当に予定がびっしりだった。
王宮での仕事にローズマリー様との勉強会、自宅で講師に来てもらっての勉強もある。
でも何より大変だったのは、祝賀会で初めて社交の場に顔を出すための準備よ。
普通は成人する時に学ぶことを十歳で学ぶことになってしまった。
そんな忙しい時になんでマガリッジ領に来ているのかというと、今日は転生者仲間をお招きしての食事会をするからなの。
ようやく約束を果たせるのよ。
それに今日はなんと、私が開催した市場が町の広場で開催されているのだ。
転生者仲間の予定が合う日を聞いて、全員が参加できる日を選んで、その日に合わせてマガリッジで初の市場を広場で開催するって言ったときには、そんな差し迫った時期に無茶をするなって言われたけど、こんな時期に私の準備が終わってなかったら大問題でしょ?
もうばっちり準備は整えてあるから大丈夫。
今日は今まで頑張った分、美味しいものを食べて、仲間とおしゃべりして、英気を養わなくちゃ。
約束通り懐かしいと思ってもらえる料理を作るために、今日は早朝からきて準備したのよ。
殿下やレイフ様は試食会に参加しているけど、ローズマリー様とノアは転生して初めての和食だもの。力も入るってものよ。
試食会では指示を出すばかりで自分は料理できなかったから、転生して初めて包丁を握ったので最初は緊張したけど、実際にやってみたらすぐに要領を思い出した。
固有名詞や人の顔は覚えていないのに、知識や技術はすぐに思い出せるって不思議ね。
主婦だった頃は、毎日献立を考えて料理を作るのはけっこう大変で、仕事が忙しい時には嫌になることもあったもんよ。
でも料理は好きだったし、美味しいって娘たちが喜んで食べてくれるのが嬉しかったから、どんなに疲れていても頑張って準備したのも懐かしい思い出だわ。
「アレクシア、そろそろ料理は完成だから市場の様子を見てきたら?」
「シェリルにだけ働かせては悪いわよ」
「準備はほとんど終わったし、ついでに殿下たちを呼んできて欲しいのよ。そろそろクリスタルがローズマリー様たちを連れてくる時間よ」
「もうそんな時間!? じゃあ急いで行ってくるわ」
「エプロンを外していくのを忘れないで」
「はーい」
今日のアレクシアは髪を編み込みにして後ろで結わいて、首元に透かし模様の入ったブラウスにロングスカート姿だ。
飾り気のない白いブラウスに膨らませていないロングスカートは、平民の女性がよくする服装よ。
子供は平民でもスカートが短い時もあるけど、それはお出かけ用。
仕事をするときに足に怪我をしないように、ロングスカートを履いている子も多いの。
だったらパンツルックにすれば動きやすくていいのにね。
なんで貴族の服装は現代風の要素を足したのに、平民の服装は中世のままなのかしら。
主要キャラ以外のファッションを考えるのが面倒だったとか?
膝の黒ずみや切り傷が全くない綺麗な足を保っていられるのは、お金のある家の子供たちだけよ。
私たちがいくら平民に近い服装にしても、髪の艶や綺麗な肌、姿勢や言葉遣いで目立ってしまう。
特にここは新しい商品が手に入りにくい環境だったから、王都の女性たちは使えている質のいい石鹸やシャンプーが、今までは滅多に手に入らなかったの。
若い子が見た目を気にする年頃になっても、おしゃれなんて出来なかったのよ。
でも見てなさい。
きっとこの領地の女性たちはこれからどんどん綺麗になるから。
お母様が
「市場に行くための洋服も必要でしょう?」
って言って、各村に女性向けのアクセサリーや洋服を扱う露店を出してくれたの。
買い物難民だった村の人達は、収入がそんなに高いわけではないけど、使う機会がほとんどなかったせいでけっこう貯えがあったみたいで、完売したそうよ。
市場にも店を出すから、その時も買い物を楽しんでってアナウンスしたからよかったけど、そうじゃなかったら取り合いになっていたかも。
「いってきます」
今日のアレクシアは、いつもよりさらに可愛い。
本当はもっと早く行きたかったんじゃない?
この国では市場で音楽をかけるみたいで、開けたままの窓から賑やかな音や人々の笑い声が聞こえてきていたせいで、ずっとそわそわしていたのに気付いていたわよ?
とんとんと包丁がまな板に当たる音がリズミカルにキッチンに響いて、油の中では衣をつけた鶏もも肉がこんがりといい色に揚がっている。
ひさしぶりの料理が楽しい。
醤油をもっと納得のできる形にしたくて、あらゆる香辛料を取り寄せてもらって、あらゆる組み合わせを試した今の私は、この世界の香辛料のプロよ。
出汁はなくても、みんなを満足させる料理は作れるんだから。
「なんだ、ひとりなのか?」
こんがり揚がったチキンを油から取り出していたら、ふらっと殿下がキッチンにはいってきた。
「アレクシアにみんなを呼びに行ってもらったところです。殿下のほうこそひとりなんですか?」
「レイフはノアに付き合って射的をやっていたから、先に戻ってきた」
王弟殿下って言っちゃ駄目だったわね。
イーデン・ダウニング子爵令息がここにいるのは当然よ。
なにしろこの屋敷は彼の持ち物だから。
信じられる?
転生者仲間が集まって懐かしい料理を食べられるように、広場に面した空き家を買って内装をリフォームしてしまったの。
表はまだ汚いままなので、中がこんなに豪華になっているなんて町の人は想像もしていないと思うわ。
「眼鏡は意味ないな。地味な服装にしたつもりだったんだが、レイフたちと歩いていると注目されて駄目だ」
そりゃあそうでしょうよ。
王宮内でも目立ちまくっているラスボス美形殿下が、一般庶民の中に混じって目立たないわけがない。
眼鏡も髪をおろしているのも、たぶんこっちの殿下のほうが好みだって女性も多いわよ。
「すっかり広場は綺麗になったな。街道の整備も進んでいるのか?」
しかもイケボだしね。
ゲームでは有名な声優の声なんでしょ?
あれ? でも私もローズマリー様もアレクシアもアニ声じゃないわね。
「まだぜんぜんですよ。村の入口を変えたので、道を平らにして通行出来るようにするだけで精一杯です」
「どうせ運搬は魔法陣を使っているんだろう?」
「そうですけど、他のふたつの町との移動は馬車になりますから」
それでもただ広いだけの空き地だった広場が、今ではしっかりと整備され花壇の配置された憩いの場になっているし、がたがただった道を平らに整えられたんだから、工事関係者の人達は、ものすごく頑張ってくれたと思うわ。
それに、これだけの工事が行われるということは、作業をする人たちが滞在するってことだからホテルや食堂をフル回転させなくちゃならなくて、仕事がなくて困っていた人たちに雇用が出来たというのも大きいわね。
「マガリッジ風料理も人気だったそうですよ。枝豆と餃子は安くて美味しいと評判だし、タルタルソースが大人気なんだとか」
「この匂いで刺激されているところに食べ物の話を聞くと、余計に腹が減ってくるな」
「そこのポテトフライを食べます? 揚げたてですよ」
「ポテトか……」
鍋の蓋を開けようとしないでくださいよ。
お行儀が悪いなあ。
「いらないなら……」
「食べる!」
「警護の方たちの食事はどうするんですか?」
「屋台でいろいろ買い込んで下に置いてきた」
元は店舗だった一階が警護の人達の控室になっている。
今日は転生者仲間だけじゃなくて、事情を知っていて協力してくれているジョシュア様とコーニリアス様も参加するから、九人分も料理を作ったのよ。
「おい、このポテト、ほらあの名前は忘れたけどハンバーガーチェーン店のフライドポテトの味がするぞ」
どうよ。
まったく同じ味ではないだろうけど、記憶の味にはだいぶ近付けたでしょ。
「ふふふ。香辛料の組み合わせをさんざん試した私は、料理人としても成功できるかもしれませんよ」
「うまっ」
話を聞いていないわね。
「もう終わり。そんなに食べたらみんなの分がなくなっちゃいます」
「ううう……。その量じゃ絶対に足りないぞ」
「他の料理もあるから大丈夫です。向こうに行っててください」
「いや、手伝う」
「じゃあサラダを盛り付けてください。お皿はこれです」
「俺はそんなにはいらな……」
「子供じゃないんですから、我儘を言わない! ピーマンも人参もちゃんと食べてください」
「普通に食うし」
だいたいの準備が終わったので、リビングの窓から広場の様子を眺めてみた。
予想以上に人が多くてびっくり。
あら? 工事関係者の人もいるわ。家族で遊びに来ているのかも。
屋台で餃子を買っているから、家族にも食べさせたいと思ったのかもしれないわね。
この広場は当然領主の土地なので、普段はここで勝手に商売は出来ないのよ。
今日だってテーブル一個でいくらとスペースの値段を決めて、三つの町にバリークレアを足したそれぞれの町の人が売りたい物を持ち寄って並べているの。
ただ今日くらいは町の人達にのんびりと買い物を楽しんでもらいたいじゃない?
だから若者たちにその日だけは町に帰ってきてくれと声をかけてもらって、売り子のバイトをしてもらっているのよ。
町によって色の違うお揃いのユニフォームを着て、ひさしぶりに会う町の人達と笑顔で話をしている若者たちも楽しそう。
町同士は馬車で移動して二時間近くかかるのに、予想以上に大勢の人たちが来てくれたのは、食べ物の屋台や前世の縁日で見かけたようなゲームの出来る屋台も出したおかげね。
せっかくだからお祭り気分で楽しんでもらいたいじゃない?
もちろんお母様の女性向けのお店も、赤緑兄弟の日用雑貨品のお店も大盛況よ。
たとえ安い石のアクセサリーであっても、おしゃれをして楽しんでいる女性や、しっかり髪を整えて、ぴしっと決めている男性がたくさんいて、それだけでも嬉しくなってしまう。
「うん? あっちの壁に人が集まっているのはなんだ?」
隣の窓から外を見ていた殿下が指さした場所を確認するために、近付いて窓の外に目をやった。
「ああ、求人票を貼ってあるんです。せっかく人が集まるんですから、町に戻る気がある若者にアピールしないと」
「……有能だな」
「ええ? 今頃気づいたんですか?」
からかうように言って窓の外に再び目を向ける。
女性用のアクセサリーが並んでいる屋台の前に、カップルが何組もいるのがほほえましいわ。
「やっぱり大公領に来ないか? 補佐官として高賃金で雇うぞ」
「国家公務員がいいんです」
「専用のキッチンも作る」
「殿下が食べたいだけでしょう?」
「屋敷と領地の運営を一任してもいい」
「それ、女主人の仕事でしょう」
思わぬところから突っ込みが入ったので振り返ったら、部屋の入口に呆れた顔でクリスタルとローズマリー様が立っていた。
その後ろにジョシュア様とコーニリアス様もいるわね。
「こんなところで、何を口説いているんですか」
「シェリルを連れて行く気? 絶対に駄目よ。私もシェリルの料理が食べたいんだから」
ローズマリー様が結婚する頃には、マガリッジ風料理がメジャーになって、どこでも食べられるくらいに広まっていないと困るんですけど。