本気になったオバサンは時間と金を惜しまない 6
あ、そうだった。私以外の転生者は、十代や二十代で亡くなった人ばかりだったわ。
その年齢ならまだ学生。働いていたとしても両親と同居していたら、特に男の子は料理しないわね。
ひとり住まいでも、仕事で疲れて帰って毎日料理を作る気力なんてわかないんじゃないかしら。
「だから醤油の話題がでなかったのね」
前世の料理が食べたいという話が出た時に誰も気にしていないようだったから、てっきり醤油は店で売っているのかと思ったのよ。
でもこの世界に醤油は存在しないし、私は作り方を知らない。
「あ! 醤油」
レイフ様はマヨネーズを思いついたのに醤油は忘れてたの?
前世の家族や友人の名前や地名等を思い出せないのはもう慣れたけど、この分だと思っていた以上に私達の記憶って曖昧なのかもしれないわ。
「そうか。醤油がいるんだった。ケチャップやデミグラスソースはあるのに醤油はないんだよな」
顎に手をやって真剣な顔で王弟殿下が考えているのは、国の政策や外交問題じゃなくて、いかにして日本食を再現するのかっていうところが平和だわ。
私は、実はそこまで日本食を忠実に再現しようとは思っていなかった。
塩と胡椒、それに生姜でも使えば、それっぽく出来るんじゃない?
「シェリルは醤油の作り方は」
「知りません」
「だよな」
「でもアレクシアの話を聞いて挑戦するつもりではいました」
夕べ、いろんな話をした時に醤油の話も出たのよ。
そうしたらアレクシアが自信満々に、
「ここは異世界よ? 私が読んだ小説や漫画には、醤油の味のする作物や木の実が存在する世界があったわよ」
って、言い出したの。
醤油の実? 便利すぎるでしょうって思ったけど、存在してくれたらこんなに助かることはないわ。
「いくらこの世界がゲームの影響を受けている世界だとしても、他の小説やアニメは関係ないだろう。ラノベの読みすぎじゃないか?」
うーん。やっぱりそういう反応なのね。
殿下だけじゃなくて、クリスタルもレイフ様もそれはありえないって考えのようだわ。
「そんなのやってみないとわからないじゃない」
でもアレクシアは負けていなかった。
「それに領地で食べる料理は、たまに懐かしい味を感じることがあったのよ」
「へえ。もしかして世話焼きの神様が用意してくれているかもしれないね」
何度も頷きながらクリスタルが言った。
「さっきのコアの件もあるし、神がヒロインの行動を面白がっているって話もあるし、もしかするともしかするかもしれないよ?」
「神様もたいへんね」
ちょっと甘すぎな気もするわよ?
巻き込まれたとはいえ、全員が恵まれた環境に転生できたんだし、もうそろそろ放置しても誰も文句は言わないと思うわ。
私たちの世話をしてくれている神様は、喧嘩してやらかした神様ではないんだし、責任は果たしているんじゃない?
「シェリルの場合は、ゲームが始まってから苦労が増えるだろうから、もう助けがいらないなんて言わないほうがいいぞ」
「え……」
「あと二年もしたら、男が放っておかないだろう」
十二歳でもうそんな心配をしなくちゃいけないのは頭が痛いわね。
でも会話したら、可愛げのない変人だってすぐにバレるんじゃないかしら。
それに私を口説くことは、王宮で働かせたいという陛下の意向に背くことになるでしょ?
「ともかく、この地方で使われている調味料や香辛料を片っ端から試してみます。それで、うまく醤油に近い調味料が出来た場合なんですけど、私がここで醤油を作ってアレクシアと共同経営で事業を始めるのは目立ちすぎますか」
「目立ちすぎだ。クロウリー商会でやるのなら……それも、クロウリー男爵家の領地になるバリークレアでやるのなら大丈夫だろう」
やっぱりそうなのね。
バリークレアなら、自分の領地になるので土地を訪れたら珍しい調味料を見つけたから、商品にして村を発展させようとしているって話に出来るもの。
でもそれではアレクシアの功績にはならないのよ。
「わかった。じゃあ、醤油はバリークレアで作って、ここではレイフ様とアレクシアでマヨネーズの商品化を共同経営でやってもらいましょう」
「え?」
「レイフ様? なんで驚くんですか? マヨを持ってきたということは、そのつもりだったんじゃないんですか?」
「いや、レシピごとあげる気だった」
何を言っているんですかね、この子は。
そんなやり方ではアレクシアが受け取らないでしょう。
「だめよ、そんなの」
「俺も反対だ。この地域とアレクシアは注目の的になっているんだぞ。そこで村の復興に成功して、アレクシアが裕福になってみろ」
殿下の言葉にレイフ様は眉を寄せてため息をついた。
「……財産や領地を狙う輩が出てきますね。そうか。私が関わったほうがアレクシアを守れるんですね」
「そんな……迷惑をかけたくないわ」
「迷惑ではないですよ。私はマヨネーズがいつでも手軽に手に入るようになればそれでいいと思っていたので、事業をやることまでは考えていなかっただけです。でも悪い話ではありませんね。王弟殿下の側近としては新しい人脈が出来るのはいいことですし、実業家という肩書がつくのもプラスになるでしょう」
共同経営者としてやっていくのは大丈夫そうね。
「共同経営者なら、ここに頻繁に通っても誰もおかしいとは思わないですから、レイフ様も殿下も顔を出しやすくなりますね。転生者が集まるのに便利です」
「それはいいな」
「なるほど」
「僕も来てもいい?」
三人とも食いつきがいいわね。
殿下だけじゃなくてクリスタルも、王宮から出る機会が少ないのかしら。
「でもまだ弱いと思いません?」
ではここでもう一押し。
「弱いってなんだ?」
「アレクシアはもう十六歳です。男爵になり領地経営が軌道に乗れば、国中の貴族が縁談を持ち込んでくるでしょう。ギルモアからもそういう話がくるのは間違いありません」
「それはそうだろうな」
普通なら喜ぶべき話なのよ。
特にギルモアからの縁談話なんて、ぜひお願いしますとたのんでくるお嬢さんだっているくらいよ。
でも前世の記憶のあるアレクシアに、よく知らない人と政略結婚しろっていうのは気の毒でしょ。
あいにく彼女は男爵という貴族の中では弱い立場で、伯爵より上のクラスの人から強く結婚を求められた時に断れないのよ。
「さっき、父になぜレイフ様たちがここにいるのかと聞かれた時に、アレクシアとレイフ様は学園では先輩後輩で王宮で同僚だったこともあるので仲がいいんだと説明しましたよね。そしてアレクシアが心配なレイフ様が復興に役に立つものを持ってきてくれたんだって」
「ああ、そんなことを言っていたな」
「でもそれで勘違いされてしまって」
「勘違い?」
「レイフ様はアレクシアが好きなんだって」
「……」
あれ? 殿下が真顔で沈黙してしまった。まずかった?
クリスタルも口元を手で覆って、目を丸くして私を見ている。
レイフ様なんて固まってしまっているけど、まあそれは急にそんな話をされたら驚くからしょうがないわね。
「シェリル、そんな……ちゃんと説明しないと」
アレクシアも慌ててる?
やっぱりこの世界では、恋愛問題って家が絡むから話題にしにくいのかしら。
「そう? 私はいい手だと思ったんだけど。この際だから、レイフ様とアレクシアで契約婚約をするのはどう?」
「ええっ!?」
「はあ!?」
「ふたりともうるさい縁談が来なくなるし、共同経営もしやすくなるでしょ? なんといってもアレクシアの屋敷を訪問しても誰もおかしいと思わなくなるのよ」
「シェリル」
殿下が小声で呼ぶのでちらっと視線を向けたら、無言で首を横に振っていた。
それは、このアイデアは駄目ってことよね?
「あ、もしかして他に好きな人がいるとか?」
「それはないです」
「ないわ」
おお、ふたりの返事が早い。
だったら問題は……。
「婚約破棄をしたら経歴に傷がつくのかしら」
「婚約破棄……」
「契約ですものね……」
「じゃあ恋人ってことにするのはどう? ああ、いいことを思いついた。両片想いってことにしましょう! それなら」
「シェリル、それは当事者が決めることだ」
ぐるりとテーブルを回って、殿下がすごい勢いで近付いてきた。
「とてもいいアイデアだとは思うが、あとは当人たちで話し合って決めるべきだとは思わないか?」
「それはまあ」
「俺たちは先に調理場に行こう。やらなくてはいけないことがたくさんあるだろう?」
「でもさきに屋敷の人達に説明を……きゃあ」
ひょいっと荷物を持つように私を抱えて、殿下は扉のほうにずんずん歩いていく。
先回りしていたクリスタルがタイミングよく扉を開けて、あっという間に私は部屋の外に連れ出されて、背後で扉が閉じられた。
「え? え?」
「シェリル、話ながら新しいことを思いついた時には、一度喋るのをやめて考えるようにするんだ」
私を床にそっとおろしながら、殿下は顔を覗き込み視線を合わせてきた。
「思考と同時に話すのはやめろ。周りが追い付けなくて止められなくなる。今のは知っていてわざと話したのか? それとも気付いていなかったのか?」
「何がですか?」
「シェリルちゃん、あのふたりは本当に両片想いなんだよ」
クリスタルがニコニコしながら言うのを聞いて、私は両手で顔を覆ってしゃがみこんだ。
「うそおお」
まずいまずい。
まったく気付いてなかった。
ふたりの関係がぎくしゃくしたらどうしよう。
「おばちゃん、鈍感?」
クリスタルが隣にしゃがんで、人差し指で頬を突いてきた。
鈍感かって? ええそうですよ。
自分の娘に恋人が出来た時にも気付かないくらいに鈍感ですよ。
「どうしよう。やらかした」
「そんな落ち込まなくても大丈夫だろう。確かに、あのふたりが共同経営者になるのはいい考えだし、婚約するのも悪くない。反対する人間はいないはずだ」
「でも殿下……本人たちは片思いだと思っているんですよね」
「レイフは相手にされていないと思っているし、アレクシアは自分の問題に巻き込むのは申し訳ないと思ってる。だから一緒にいる時間を増やしたほうがいいだろう」
そうなのか……でももう少し、好きだってことを態度に出せばいいのに。
そうしたら私だって気付けたし、いつまでもぐだぐだやっていたら、邪魔者が束になってやってくるわよ。
「もしかして、私がふたりの縁結びを」
「やめろ」
「はい」
そんな怖い顔をしなくても、本気じゃないわよ。
私はマガリッジ風料理と醤油づくりを頑張るほうが、結果的にふたりの役に立つもんね。