これでもオバサンは遠慮しているつもりだった 3
グレアム伯爵に家まで送り届けてもらって、馬車が門を出て行くのを見送っているうちに更に疲労を感じて、その場にしゃがみ込みたくなった。
グレアム伯爵だって身分も年齢もずっと上の人なので、失礼になってはいけないでしょ?
馬車の中でも仕事モードのままにだったから、ようやく家に帰れて緊張の糸が緩んじゃったみたい。
やっぱり子供の体には、今日のような長時間の拘束はきついわ。
普段は財務省か王弟殿下の執務室で、顔見知りの人達とやり慣れた仕事をすればよくて、残業もなくやらせてもらっているおかげで問題がなかったけど、さすがに今日のように緊張する場面が続くのは無理よ。
「姉上、おかえりなさい」
だから玄関ホールでギルバートが出迎えてくれた時には、ほっとして抱きしめたくなったわ。
「イールが来てるよ」
「呼び捨て?」
「いいって言われたからね。姉上だって呼び捨てじゃないか」
「兄上って呼んでって言われてなかった?」
「やだ」
そんなに嫌がられると、イールが気の毒になってくるわね。
「謁見室から出て法務省に行く前に、ギルモアの大叔父上が側近に、何が起こったかギルモアとクロウリーに知らせるように命じてくださったんだよ。それで話を聞いたイールが、その側近と一緒にうちに来てくれたんだ」
「対応が早くて助かるわね」
これから家族に説明をしなくちゃいけないって、けっこうな労力だもの。
それをしなくて済むって大きいわ。
「さっそく貴族たちが動き出しているし、事実と違う噂が耳に届いて心配しないようにって考えてくれたみたいだ。それに姉上の話は、たまによくわからないし」
疲れ切った姉に、なんてことを言うのよ。
八歳になったギルバートを見ていると、記憶が戻った時に子供らしくしなくちゃって頑張っていたのが馬鹿らしくなる時があるわ。
大人に囲まれて仕事をしている子供に、子供らしさなんて求めちゃ駄目よ。
ギルバートは顔つきがきりっとしているから、私より大人びて見えるかもしれないけど、背は私のほうが少し高いのよ。
私だって、ちゃんと成長しているんだから。
本当は自分の部屋に行って部屋着に着替えて、ひと休みしてから家族のいる部屋に行こうと思っていたんだけど、わざわざイールに来てもらったのにそれはまずいでしょ。
しかたなくそのまま顔を出すことにして、ギルバートと一緒に家族用の居間に向かった。
「よお、遅かったじゃないか」
居間ではお母様とイールが何やら楽しげに話をしていた。
ロゼッタ様の名前が聞こえていたから、お母様が先日、茶会に招待された時の話をしていたのかもしれないわ。
以前は苦手だと話していたお母様も、今はロゼッタ様と仲良しなのよ。
「おお、正装のドレスが似合っているな。王宮でもかわいいって話題になっていたって聞いたよ」
普段着のまま家族の居間でイールが寛いでいても、もうおかしいって思わなくなっている。
何度も遊びに来ているから、すっかり親戚のお兄さんポジションになっているのよ。
侯爵夫妻ともいい関係を築いてはいるけど、うちのアットホームな雰囲気もたまに摂取したくなるんですって。
「王弟殿下と執務室で仕事の話をしてきたの。アレクシアが男爵になったら、今までと同じようにはいかないでしょ?」
嘘をついてごめんなさい。
さすがに国王陛下と王弟殿下と私の三人で、王族の部屋でお茶してきましたとは言えないもの。
「シェリル、だいぶ疲れているみたいよ? 何か飲む?」
椅子に腰を下ろしながら無意識にため息をついてしまって、お母様を心配させてしまった。
「疲れてはいるけど大丈夫。家に帰ってきて気が抜けちゃったみたい。国王陛下や宰相、大臣まで揃っていたのよ」
「そうなんですってね。謁見は中止になったんですって?」
「そうなの。でも陛下にもお目にかかれたし、謁見したようなもんじゃないのかしら」
「姉上はそういうところはわかってないよね」
頬杖をついたギルバートに呆れ顔で言われてしまった。
「王族側から招待状を受けて謁見をすると、格が上がるんだよ」
「かく?」
「貴族年鑑で同じ爵位でも前のほうのページに名前が出るようになるんだ」
「貴族年鑑って何?」
「まじか。それも知らないのか」
イールにまで言われてショックだわ。
知っていて当たり前のことなの?
「姉上は興味のあることしか学ばないんだ」
「あー、なるほど。今までは必要なかったんだな」
「うちは王宮に招待されるような家じゃなかったものね」
周りがフォローしてくれるのがつらい。
子供なんだから、知らないことは学べばいいのよ。
「貴族年鑑というのは、毎年王宮で作られる国の貴族全部の情報が載った本だよ。爵位や派閥や家族構成、領地の場所や広さと経済状況、その他いろんな情報がそれを見ればわかるんだ」
個人情報の取り扱いが昭和の感覚だということはわかった。
それを説明しているギルバートも、母もイールも当たり前のことだと思っているのね。
「それは誰でも見られるの?」
「王宮図書館での閲覧許可をとればね」
ああ、いちおうは見るのに制限があるのね。
「同じ爵位の中でも上下はあるだろ?」
……あるんだ。
「公式行事に呼ばれやすくなるし、その場での座席の位置もよくなる」
「はあ」
「姉上、興味ないだろ」
だってねえ、公式行事に呼ばれるようになるといろいろ面倒だし、座る席なんてどうでもいいじゃない?
「謁見中止はよかったかもしれないよ」
私とギルバートの会話を面白そうに眺めていたイールが、真面目な顔で言いだした。
「謁見はなくなっても祝賀会はやるんだろ? クロウリー男爵は妬まれる要素が多いからさ」
殿下と同じことを言うのね。
「そう? 成金って馬鹿にされていたのに?」
「領地経営も商会もうまくいって金持ちで、奥さんは美人でギルモア侯爵の姪。娘は天才少女で息子も商会で活躍している。しかもイケメン」
「ああ……なるほど」
見た目のことまでは考えていなかったわ。
「それにさ、問題が起こったおかげで宰相や大臣たちと話をする機会が持てたんだろ? クロウリー男爵自身も優秀だと思われれば、社交界で動きやすくなる」
「それは問題ないよ。父上は優秀な商人なんだ。初対面の人に信用されなくちゃ商売は出来ないだろ? それに互いの利益になる取引に持ち込めるのが、優秀な商人だって祖父も言ってた」
「ふたりが優秀だってことはギルモアの人間はみんな知っているさ。クロウリー男爵は領地経営や商売で悩んでいる人の相談に乗ってくれるだろ。それがすごい助かっていると侯爵も言っていたよ」
ギルバートはお爺様やお父様のことを尊敬していて、自分も領地を豊かにしたいって普段から言っているから、イールのこの言葉は嬉しかったと思うわ。
お父様がお母様や私のおかげで子爵になれるんだなんて言われていると知って怒っていたもの。
それにしてもお父様はマメね。ギルモアでも相談に乗っているのね。
ワディンガム公爵家の派閥にいた頃もやっていた……あれ?
「ねえ、お母様。ワディンガム公爵家の派閥にいた頃にお父様に相談していた人たちは、今はどうしているのかしら。まだ相談に乗ってあげているの?」
「さあ? 忙しくてそこまでは手が回らないし、勝手なことをしたらワディンガム公爵が怒るんじゃない?」
ということは、その人たちはそのまま放置? え? 大丈夫?
そのせいで商売が駄目になった人もいるんじゃない?
「そういえばさ、ワディンガム公爵ってあまり王宮で見かけないよな?」
イールがぼそっと言った。
「息子のほうはよく見かけるのに」
「それは、ジョシュア様は陛下の上級補佐官の元で修業をしているから」
「そうか。息子は陛下の側近になるのか。……ワディンガム公爵は陛下に呼ばれないんだな」
言われてみれば、中立派の代表のギルモア侯爵家のほうが、王宮によくいるわね。
大臣たちとも親しくしているみたいだし……。
あれ? ワディンガム公爵って実はあまり陛下に頼りにされてない?
親しいと思っているのはワディンガム公爵だけ?
「失礼します。旦那様がお帰りになりました」
「え? もう?」
知らせに来てくれた侍女に聞き返してしまった。
だって、早くない?
「領地関係の手続きって、そんなに簡単に終わるもの?」
聞いてはみたけど、そんなことを知っている人間はここにいるはずもなかった。
でも早すぎでしょ。
アレクシアと待ち合わせて事情を説明するだけでも、結構時間がかかるはずよ。
「ただいま。ああ、イールくん、来てくれていたのか」
部屋にはいってきたお父様も、お疲れのようだった。
王宮に行くのは二回目だっけ?
しかも今回はおえらいさんがずらっと揃っていたもんね。緊張したんだろうなあ。
「早かったですね」
「それがね、アレクシアが爵位や領地を継ぐのを断ってね」
「ええ!?」
「今のまま、シェリルの執事兼護衛を続けたいそうだ」
「それはありがたいけど、せっかくのお話なのに断ってしまって大丈夫なんですの?」
お母様の疑問はもっともよ。
陛下からのありがたい提案を断るって、いろいろとまずくない?
アレクシアの代わりに引き受けたギルモア侯爵も、嫌な気持ちになったかもしれないわ。
「いやそれが、むしろその場にいる全員がアレクシアに怒られてしまって」
お父様は意外と明るい笑顔で言いながら頭をかいた。
「あなたたちはシェリルがまだ十歳の子供だということが本当にわかっているのかって。身長が低いせいで視界の高さがみんなと違って、出勤の時間帯は廊下を歩くのにも苦労しているし、体に合わない机や椅子で一生懸命仕事をしているんだって」
それはまあ確かに。
私がまっすぐ前を向くと、大人の顔じゃなくて股間が目に入るもんね。
見ていないわよ。見たくもないわ。
「今回のことでさらに注目を浴びて、これからシェリルに近付こうとする人間はどんどん増えていく。どうにかして手に入れようとする者も出てくるかもしれない。その時に気心知れていて魔法が使える同性の護衛が傍にいるということが、シェリルにとってどれほど心強いか考えろって」
「アレクシア……」
なんて嬉しいことを言ってくれるの?
ものすごくありがたいし嬉しい。
でもだからこそ、彼女にはもっと活躍できる場があるんじゃないかって思ってしまうのよ。
私の執事兼護衛にしておいてはもったいないわ。
「学園が始まったら送り迎えをして、昼間のあいている時間に勉強をする。シェリルはもっとこれから活躍するから、置いていかれないようにするんだって言ってくれたんだ。それでギルモア侯爵もフェネリー伯爵もシェリルをそんなに大事に思ってくれているのかと感動して、心配するな。護衛は続けられるようにするって。ひとまず保留ということで帰ってきた」
ああああ、大伯父様コンビが私の傍にアレクシアを置いておきたいと思っちゃったのかあ。
どうしようこれ。
「でも陛下に逆らうことになりませんか?」
「大丈夫だとギルモア侯爵はおっしゃっていたけど、どうなんだろう」
「私、アレクシアと話してきます。夕飯も彼女と食べることにします」
「そうだね。きみたちふたりの気持ちが大事だ」
うちに来るようになってからアレクシアの生活は安定していたから、深刻になりそうな話は一度もしてこなかった。
これはいい機会かもしれないわ。
アレクシアが何をどう考えているか、ちゃんと聞いてみよう。