これでもオバサンは遠慮しているつもりだった 2
「それに彼女は社交の場で会う令嬢たちとは違って、部下なんですよ」
「転生者仲間は保護対象だと言っていなかったか?」
「以前は……そう考えていましたが、記憶の戻った者はそれぞれの家族や職場ですでに安定した生活が出来ています。中身は大人の者達ですし、これからは相談されたり助けを求められたりした時だけ手を貸そうかと思っています」
「ほお」
「今の忙しさはどうにかしなくてはいけませんし」
うんうん。そのほうがいいと思うわ。
って、なんで陛下は私のほうを見ているのかしら。
「おまえがそう決めたのなら、それでいい。ゴールディングの件も片が付いたんだ。しばらく王宮での仕事を減らして領地に行ったり、ゆっくり休んだり、十六歳らしく過ごすのもいいだろう」
「十六歳らしく……難しいですね」
そうよね。
思春期真っただ中の十六歳ってどんな風に過ごしていたか、私ももう覚えていないわ。
たぶん、異性のことと将来のことと、友達と遊ぶことしか考えていなかったような気がする。
「さて、そろそろ時間だ。公務に戻らなくては」
陛下はふらりと立ち上がり、口元に笑みを残したまま私を見下ろした。
「レオンをそろそろ大公にしようと思っている」
大公はこの国では公爵より上で、元王族でなくてはなれない地位だったわよね。
公爵じゃなくて、新たに大公家を作るの?
それより、なんでそれを私に言うんですか。
「兄上、せめて公爵にしてくれと言ったはずです」
「レイモンドに少しは危機感を持ってもらわないとな」
大公は、王族よりは下だとしても特別な待遇だと考えればいいのかしら。
王位継承権は放棄するって本人は言っていても、大公ならばもしやと考える人もいるんじゃない?
「きみはどう思う?」
だから、なんでそこで私に意見を求めるんですか。
これはなんの試験? 下手なことを言ったら投獄されたりしないでしょうね。
「私は、政に関してはまったく無知ですのでわかりかねます」
「そんな難しく考えることはない。何を言っても罰したりしないと約束するよ」
これは何か言わんといかんやつですわ。
「先代のギルモア侯爵、私のひいお爺様くらいのお年になるまで、陛下に国王でいていただけるのが我が国にとっては最善かと思われます」
ギルモアみたいに、子供が駄目だったら孫から跡継ぎを探せばいいでしょう?
「ははは、きみは人使いの荒い子だな」
どうやら答えを気に入ってもらえたみたい。
よかった。会話するたびに寿命が縮みそうよ。
「それでも万が一ということはあるから、継承者は決めなくてはいけない。ローレンスはレイモンドより二歳年下の七歳でなかなかに優秀なんだが、レイモンドもまだ九歳。これからいくらでも変わる可能性もある」
ローレンスっていうのは第二王子だったわよね。
ローズマリー様と仲良しの第一王女が私よりひとつ年上で、末っ子の第二王女が四歳だったはず。
「レイモンドから側近をやめさせられた優秀な者達が、ローレンスの側近になっているようですね」
「親たちとしては、息子を王族の傍に置いておきたいからな」
それってまずいんじゃないの?
息子が側近をしている王子を次期国王にしたい貴族もいるでしょう。
「いっそ、レイモンドが成人するまでおまえが王太子に……」
「兄上、滅多なことを言わないでください」
「わかったわかった。ではまた近いうちに」
笑顔で言われて、顔が引き攣りそうになった。
男爵令嬢ごときが、そんなしょっちゅう国王陛下に会ったらおかしいでしょう。
国王陛下が退室する間、立ち上がり右手を胸に当て左手でドレスを摘まんで床に視線を落とした。
これでやっと陛下との面会が終わると思ったら、気が抜けて急に疲れを自覚したわ。
どれだけ大人びていたって十歳の子供に、こんな長時間も姿勢よく大人たちの話を聞いていろって、だいぶひどいわよ。
ここにひとりでも女性がいてくれたら、休ませてあげてくれって言ってくれたかもしれない。
でも、子育てなんてやる必要のまったくない高位貴族の男ばかりしかいなかったら、誰もそんなこと気に留めやしない。
馬車に乗ったら寝そう。
明日は家でゆっくりしたいなあ。
「面会は終わったんですね」
レイフ様の声がしたので顔をあげたら、陛下と入れ違いで部屋に入ってくるところだった。
なんでレイフ様がここに?
殿下と女の子がふたりきりはまずいってこと?
だったら女性を呼ぶべきでしょう。
そうか。今まではアレクシアがいてくれたからこういう時に助かったのよ。
転生者として話をしたい時に、他の人では困るものね。
でも今頃、彼女もたいへんなことになっているんだろうなあ。
もう話すことはないわよね。
そろそろエネルギーが切れそうだし、部屋の外でグレアム伯爵が待っていてくれるから、もう帰ろう。
「では私もこれで……」
「シェリル、今日はすまなかった」
突然、殿下が頭を下げた。
王族がそんな簡単に頭を下げていいのかしら。
「それは、なにに対しての謝罪ですか?」
「全てに対してだ」
全てって何さ。
謁見が中止になってしまったこと?
ゴールディングをおびき出す囮に使ったこと?
それを前もって私に知らせなかったこと?
それとも、私の意思も確かめず陛下との面会を勝手に決めたこと?
謝るくらいなら、やらなきゃいいじゃない?
やったなら、王族として必要だったんだって胸を張りなさいよ。
……って、言うわけにはいかないわよね。
「謝ってはいけない時もあるんじゃない?」
「え?」
殿下にもどうしようもなかったというのは、私にだってわかるわ。
だからさっきまでは全く殿下に思うところはなかったのに、謝られたせいで胸がもやもやする。
「いえ、なんでもありませんわ。王族として必要なことをなさっただけの殿下が、臣下の私に頭を下げる必要はないですし、さげてはいけないんじゃありません?」
疲れて、眠くて、しかも殿下が謝るから苛々してきた。
殿下が何かと私を気にかけて助けてくれたように、私だって役に立つときは手助けするわよ。
……もしかして、ヒロインの私が機嫌を損ねないように謝ったのかしら。
陛下も私の魔法の実力を気にかけていたじゃない。
天才だからとか、いろんな人に好かれているからとかだけじゃなく、鍛えたら人間兵器になれるヒロインを国のために上手く使いたいのよね。
王弟殿下も……。
ああ、やだやだ。疲れているとろくなことを考えないわ。
こういう時は帰って美味しいものを食べて、ゆっくりお風呂にはいろう。
「では私はこれで失礼します」
「だいぶ怒っているな」
「私が? いいえ、とんでもありませんわ」
「待て」
歩き出した私の前に、殿下が急いで駆けつけて扉の前に立ち塞がった。
「謁見を中止にしたのは、クロウリー男爵のためでもあったんだ」
「へ?」
「彼を妬む声が大きくなっていた。中にはひどいことを言うやつもいて」
「私のおかげで子爵になれるって?」
「……ああ。夫人がギルモアで子供が天才。うまくやったなと。それで大臣たちも彼がどういう人間か知りたがった」
もしかして、お父様は財務大臣や法務大臣と初対面だったりする? 宰相も?
私は仕事で何度も顔を合わせているから、お父様もすでに顔見知りだと思っちゃっていたわ。
え? 大丈夫? 今、大臣たちに囲まれているのよね。
ギルモアとフェネリーの大伯父様コンビがいるから、たぶんちゃんと紹介してくれるとは思うけど。
「そんな心配しなくても大丈夫だ。クロウリー男爵は優秀で人当りもいい。大臣たちに気に入られるだろう」
「私たちを囮にするために謁見をすることにして、中止になったら、お父様のためでもあったと言い出す」
「それは……」
「あまり余計なことは、お互いに言わないほうがいいのではありませんか?」
何か言おうと口を開きかけて、殿下はそのまま視線をそらした。
「殿下、転生者だからと言って気を使っていただく必要はありません。もう少し距離感をお互いに考えましょう。そうじゃないと、いずれ王族という立場と転生者との板挟みになってしまいますよ」
「距離感ってどうするつもりだ」
「殿下が大公になったら、私は部署を移動するのはどうです?」
「そんな必要はない」
うーん。ヒロインを見張っていなくちゃ駄目なのかしら。
なにも企んでなんかいないのに。
「今回のことは本当に悪かったと思っているんだ。もう二度とこんなことが起こらないようにする。だから……」
うわあ、そんなぐいぐいこられても。
「殿下、落ち着いてください。女の子にそんなふうに迫っては駄目ですよ」
「迫ってなんていない」
レイフ様に注意されて、少しだけ殿下が離れてくれた。
「今のおふたりの会話は、カップルの痴話喧嘩みたいでしたよ」
どこがよ。
「何を言っているんだ。今日はシェリルとクロウリー男爵に我々王族は大きな借りが出来たんだぞ」
あら? 借りだと思ってくれるの?
だったらいいんじゃない?
謝罪よりその言葉のほうが数倍嬉しいわ。
「うふ、今の言葉を忘れないでくださいね」
「え?」
「シェリル嬢、殿下はまだ十六歳だということをお忘れなく。あまり責めないであげてください」
「私、十歳ですけど」
「そうなんですけどね、ええ、わかっているんですけども」
「でも確かに。見た感じで二十三歳くらいの人と話している気分にはなってしまいますね」
「そんな老けてないだろう」
初対面の時からこの二年でまったく変化がない感じがするから、たぶんそのうち実年齢が追い付くのね。
美少年の時期がないって、だいぶ損をしている気がするわ。
「十歳に見えるのに、それすら忘れさせる威力のある人のほうが問題な気が……」
「レイフ様、何かおっしゃいました?」
「いえいえ、何も言っていませんよ」
胡散臭い笑顔ね。
でももう疲れのせいで緊張感が保てなくなってきたから、相手にするのはやめよう。
「長時間だったので疲れてしまいました。本当にこれで失礼します」
「送る」
「けっこうです」
今の私は注目の的なんだから、王弟殿下に送ってもらうなんてまずいでしょう。
「殿下、しばらくは周りの目を気にしてください」
「気にしなくちゃいけないことなんてしていないぞ」
「当たり前です。相手はいちおう十歳の女の子なんですよ」
「おまえはいったい俺が何をすると思っているんだ?」
殿下がレイフ様と揉めている今がチャンスだわ。
「では失礼します!」
「おい!」
さっと殿下の横を駆け抜けて、扉を開けて外に出た。
この扉がまた重くて、体重をかけて押し開けたわよ。
それにしても王宮の中の世界のことがわかってくるたびに、身分制度ってめんどくさいと思うわ。
複雑なしきたりや礼儀作法があって、所作や歩き方までチェックされ、それを完ぺきにこなすとやっと仲間として受け入れられて、特権階級の一員として生活出来る。
私はそんなことにまったく魅力を感じない。
ああ、前世が懐かしいわ。
緑茶とおせんべいを用意して、ワイドショーを見ながらまったりしたい。