オバサンは国王陛下と謁見する 5
大きく開かれた扉の厚さに驚きながら謁見室に足を踏み入れ、室内の豪華さに思わず口が半開きになってしまった。
天井が高い……それに想像していたよりずっと広いわ。
ここでライブでもやるの? それともサッカー? 野球だってやれそうな広さよ。
豪華な内装はもう見慣れた気でいたけれど、こんなにも重厚な雰囲気の部屋は初めてだわ。
全体的に落ち着いた色彩で、床は大理石で複雑な模様が描かれている。
でもせっかくお金をかけて模様貼りしたのに、扉から最奥の陛下のいらっしゃる場所まで、緋色の絨毯を敷いちゃっているのがちょっともったいない気もするわ。
その絨毯がまた高そうなのよ。
「きみたちの謁見の前に、彼らを片付けなければ……いや、彼らの問題を片付けなければいけなくなった。しばらくここで待機していてくれ」
王弟殿下、その言い間違えはこわいです。
それに、わざわざ王弟殿下が私たちを案内しなくてもいいんじゃないですかね。
王族なのに腰が低くてマメだなあ。
「きみたちもこの辺に座っていてくれ」
大伯父様コンビに言って、殿下は部屋の奥に歩いていく。
玉座は階段を上った高い位置にあり、近衛騎士が背後と階段の下に控えている様子が映画で観たとおりなので現実味がないわ。
特等席で観劇している気分よ。
謁見って要は公式の大事な面会なのよね?
話がしたいだけなら執務室に呼びつければいいんだから。
それで陛下も殿下も略式だとは思うけど、ちゃんとマントをつけた正装をしているの。
殿下が濃い紫のマントを翻して颯爽と歩く姿が格好良くて、拍手したくなっちゃうくらいよ。
「きみはこの席に座りなさい」
殿下に見惚れていたらフェネリーの大伯父様が、殿下が指定した席よりずっと玉座に近い席を指し示した。
「あそこじゃ声が聞こえないだろう?」
確かに。
マイクを持って話してくれるわけじゃないもんね。
フェネリーの大伯父様が私の隣で一番出入り口近くに座って、その横に私、お父様、ギルモアの大伯父様の順番で腰を下ろした。
映画で観た謁見室ってみんな立っていたイメージなんだけど、ここは左右に大きなひとり掛けの椅子がずらっと並んでいるの。
その後ろにはもう少しあっさりした造りの椅子が並べられていて、玉座の近くの大きな机で書記官がずっと筆を動かしているのが……格好いいわ。
出来る人たちって感じよ。
「んしょ」
仕方ないけど、いつもの如く座面が高い。
背もたれに寄りかかれるように深く腰掛けたら、足がぶらぶらしてしまうわね。
スカートを気にしながら浅く腰掛けて、つま先だけ床につけて足を揃えて腰かけることにした。
「フェネリーの大伯父様、あそこにいらっしゃるのはどなたです?」
左右に並ぶ椅子の一番玉座に近い場所に宰相がいるのは、なんとなくわかる。
一緒に来客と会うこともあるだろうし、謁見の時間の合間に陛下と打ち合わせることもたくさんありそうだもんね。
でもローブ姿の、黒い髪に眼鏡をかけた男性は誰だろう。
「グリーンハウ伯爵。魔道省がまだ魔道具制作室だった頃の室長だ。最近は国境警備の軍に配属されていたはずだ」
あの人がマガリッジ子爵と派閥争いしている人か。
わあ、このタイミングでここにいるなんて偶然……なわけないでしょ!
もしかして、最初から仕組まれてた!?
「グリーンハウ……まさか、あの話はきさまの差し金か!」
今にも血管がぶち切れそうな怒りの形相で叫ぶマガリッジ子爵に、グリーンハウ伯爵は余裕の笑みを浮かべた。
「陛下の御前だというのにその態度はいかがなものかね。それに私は伯爵だぞ。礼儀をわきまえたまえ」
なるほどねえ。あんな場所で問題を起こすなんて、いくらなんでも馬鹿すぎると思ったのよね。
私のしたことは法律違反だから大勢の前で問題提起すれば、私を推薦している貴族たちや王弟殿下の評判が落ちるとか、クロウリーが目障りだから協力すれば罪を軽減してやるとか、美味しい話につられたんじゃない?
どちらにしても、だいぶ追い詰められていたのね。
あれだけのギャラリーがいたんだもん。
あっという間に噂が拡散されて、魔道省長官もマガリッジ子爵も好感度がた落ちよ?
まともな人なら、あんなことしないわよ。
「私は騙されたんだ! こいつが……うっ」
兵士に力任せに座らされ、土下座状態から顎が床につくほど頭を押さえられて、マガリッジ子爵は苦痛に呻いた。
体が硬い人は、あの体勢はきついだろうな。
いやそれより、ゴールディング魔道省長官まで正座させられているけどいいの?
王族なのよね? 国王陛下の叔父様よね?
「許可が出た時以外の発言を禁じる。そもそもきみは二年前に魔道省内の女性、特に自分の娘に嫌がらせをしろと部下に命じたことにより、全ての役職を剥奪されたはずだ。なぜ、たった二年で上級補佐官に戻っているんだ?」
質問したのは法務省の取調官なのかな?
椅子が玉座のほうではなくて、中央の通路を挟んで反対側に座る財務大臣や法務大臣のほうを向いているせいで、お父様の体と衛兵や近衛騎士が邪魔で、どうにかマガリッジ子爵のお尻と背中の一部が見えるだけなのよ。
しょうがないから、膝に手をついて上体を屈めて覗き込んだら、国王陛下と目が合ってしまった。
いえ、距離があるからはっきりとはわからないのよ。
でもそんな気がする。たぶんそう。
だって国王陛下がにやって笑ったもん。
「ゴールディング魔道省長官が任命してくださったんです」
「え? 私は知らないよ? 二年前って何? 女性に嫌がらせ?」
本当に何にも知らないの? やばくない?
それに、それを平気で言っちゃうところがもっとやばくない?
この国の重鎮たちの顔がどんどん冷ややかになっていくわよ。
衛兵や近衛騎士、侍従たちも呆れ顔だ。
「つまり、俺の報告書を確認していないのか?」
ふらっと立ち上がった王弟殿下の声は、怒りを抑えているのかかすかに震えていた。
「あ……いや、読んだかな」
「あなたのサインと魔道省長官の印が押されて返ってきたんだが? 読んでいないのにサインをしたのか?」
「書類の整理は補佐官に任せているんだ。重要な書類だけ私が……」
「俺の書類は重要ではなかったと?」
「い、いや。なんで私の元にこなかったのかな?」
「では」
殿下は魔道省長官のすぐ前に片膝をついて座り、顔を覗き込んだ。
「一番最近、サインしたのはなんの書類だ?」
「あ……えーっと」
「そもそも、他の者が長官や大臣のサインと印鑑を使用するのは、たとえ本人が許可していたとしても文書偽造罪だ。代わりの者がサインしていい書類の場合は、代筆者の欄にサインを書かなくてはいけない。そうだろう?」
立ち上がりながら振り返った王弟殿下に、取り調べをしていた人も法務大臣もしっかりと頷いた。
「魔道省の上級補佐官はマガリッジ子爵を含めて三人です。ああ、ちょうどあちらにいますね」
取調官が示した先には、兵士に拘束されたマガリッジ子爵の息子と中年の男性がふたり、青い顔で項垂れていた。
「魔道省長官。いつまでも王族の気分でいてもらっては困りますな。あなたはすでに臣下のひとりであり爵位さえ持っていない。あなた自身が領地経営はしたくないから爵位はいらないと言ったのをよもや忘れてはおりますまい」
「……わかってる」
「それならば殿下に対して敬語すら使わないというのは不敬罪ですぞ」
宰相にも冷たく言われ、ようやく彼はここには自分の味方がいないということを理解したみたいだ。
「魔道省長官、もう一度聞く。一番最近、サインしたのはなんの書類だ?」
そこに、今度は立ったまま叔父である魔道省長官を見下ろして殿下が聞いた。
「まさか、今まで一度もまともに長官の仕事をしていなかったわけではないだろうな。補佐官からどんな書類がきていたかの報告も受けていなかったのか? 定例会は? そういえば公式会議もいつも欠席だったな。つまり給料だけ受け取って遊んでいたということか?」
「研究をしていたんだ……していたんです。様々な文献を紐解いて、魔道を系統だてて」
「ではなぜ成果を発表しない?」
声がしたので陛下のほうに顔を向けたら、いつの間にか陛下は音もなく立ち上がっていた。
うは。陛下のほうがラスボスみたい。
金髪美形がうっすらと笑みを浮かべている姿が、こんなにもこわく感じることがあるんだ。
一部の性癖の人に、熱狂的に喜ばれそうな冷ややかな微笑よ。
「好きな本を読んでいるだけで、なにも成果があげられないのであれば、それは趣味でしかない」
そりゃそうよ。民間企業だったら倒産しているわ。
王族のままでいれば毎月決まった金額を受け取れるはずなのに、公式行事に参列するのが嫌で王族から外れると言い出したっていうのは有名な話よ。
だから、せめて大好きな魔道に関わる仕事を頑張ってくれと、魔道省長官という役職が与えられたのに、それもしないで本ばかり読んでたの?
「陛下、まずはマガリッジを片付けましょう。長官に関しては、屋敷を封鎖し、執事と侍女長を連行させております」
「そうだったな。だがマガリッジは爵位剥奪のうえ投獄すると決まっている。ああ、息子は死ぬまで沿岸工事の重労働につかせればいい」
ひいっと弱々しい声がした。
甘やかされた貴族の子息に、土木工事の仕事はつらいでしょうね。
「目障りだ。連れていけ」
「ま、待って……父上……」
陛下の指示により、さっさと兵士に引きずられて息子と上級補佐官ふたりが退場した。
長官の文章偽造って、かなり重い罪になるんじゃないかしら。
仕事だからやるしかなかったのなら気の毒だけど、誰かに相談するとか、例えば王弟殿下のところに駆け込んで暴露するとかすればよかったのに。
その勇気もなかったか、それとも上級補佐官ってお給料がいいからやめたくなかったか。
取り調べでちゃんと話して、少しでも罪を軽くしてもらえるといいわね。
でも、この世界は命が軽いから無理かしら。
マガリッジ子爵に関しては、証拠が全てそろっているので罪状を読み上げられるだけで、すぐに刑が確定するみたい。
この世界は国王が死刑だって言えば、どんな軽い罪でも死刑なの。
態度が悪いから不敬罪だって、この場で切り捨てられることもあり得るのよ。
二年前に上級補佐官の任を外されておとなしくしていたのは半年くらい。
賠償金を支払ったからお金が無くなったので、また賄賂を受け取って試験なしで貴族の子息を魔道省で勤務させ、更に架空の人間を雇ったことにして、その分の給料を自分の懐に入れていたんですって。
「急いで現金を集め、それを手に国外逃亡する計画があったが、口座が差し押さえられ、どこに行く時も監視されていることに気付いて動けなかったんだろう?」
取調官の説明によると、マガリッジ子爵の屋敷にも魔道省にも密偵が複数いたそうで、彼の動向はすべて把握されていたみたい。
彼だけじゃない。
魔道省長官が全く仕事をしていなかった証拠も山ほどあるんですって。
それで追い詰められて、法律を犯しているくせに準男爵になろうとしている子供の悪事を暴けば、無事に国外に逃がしてやるという誘いに乗ったんだそうだ。
「由緒正しい魔道の家系もこれで終わりだな。先代、先々代は優秀な者達だったというのに」
「まったくです。特に先々代は素晴らしい方でした」
宰相と陛下がしみじみと言っているけど、それよりアレクシアはどうなるの?
まさかとは思うけど、アレクシアまで罰を受けたりはしないわよね。 むしろ被害者よ。
「陛下よろしいでしょうか」
殿下が立ち上がった。
「どうした」
「マガリッジ子爵家にはアレクシアという娘がおります。今回の件では被害者のひとりで、とても優秀な魔道士です」
「知っているぞ。最近、よく名前を耳にする」
「彼女は賄賂のおかげで魔道省に勤務するようになった者達の仕事を押し付けられ、健康を崩すほどに働いておりました。魔道省を退職する際、爵位を返上しております」
おお、さすが王弟殿下。信じていたわよ。
話をもっとちゃんと聞きたくて前のめりになったら、椅子の背もたれ側の足が浮いて座面が斜めになった。
「あ」
このままだと椅子ごとひっくり返る。それはまずい。
急いで椅子から降りたけど、前に体重が行き過ぎていたからそのままだとひっくり返ってしまうので、一歩二歩と両手を広げてバランスをとりながら、波乗りしているような体勢で歩いた。
よかった。転ばなかった。
ふうっと息を吐きだしながらふと気付いた。
やけに静かじゃない?
「何をしているんだ?」
陛下に聞かれて慌てて振り返ってびっくり。
その場にいる人みんなに注目されていた。