オバサン、引き篭もり少年と会う 2
「じゃあもう、これからの人生について考えているの?」
いけない。普通の男の子だと思ったらつい、子供相手の口調になってしまった。
「まあ……割り切れたって言ったら嘘になるけどさ、考えると精神的にやばいんだよ。彼女にとっては俺の記憶がないほうが幸せだって思うしさ」
「そうなの?」
「だってさ、結婚前に婚約者が失踪したんだぜ? 自分を責めたり周りに何か言われて追い詰められて、最悪の状況になる可能性だってあるだろう?」
「こんな事態になってショックだったのに、ちゃんと彼女さんのことも考えていたんだ。彼女さんは幸せだったんだろうね」
「やめろよ。泣かせに来たのかよ。つーか、俺は二十六だったんだよ。ガキ扱いすんなよ」
「今は七歳だよ?」
「あんただって十歳だろうが」
「うん、三歳もお姉さんだよ」
「はあああ?」
真っ赤な顔で叫ぶな青少年。
たぶん彼は、落ち込んでいた時のことや、日本での幸せだった頃の記憶には触れられたくはないんじゃないかな?
男の人の中には、彼女とのことを他人に話したくないって人がいるみたいだから。
「まあいいや。それに、もう記憶がだいぶ曖昧になっているんだ。忘れたくないのに忘れてしまっていることに気付くと……」
「わかるわかる。私はそれで何度か吐いた」
口調は明るい分、内容に驚いて全員がアレクシアをぱっと注目してしまった。
「アレクシア?」
「やあね、シェリルってばそんな顔しないで。こうやって話せるってことはもう平気だってことよ。私は前世の家族のほうが恵まれていたのよ。だから忘れたくないのに思い出せないことが増えてきた時に、絶望してもがいて吐いていたわ」
「みんなもそうなのか。……もう帰れないんだから忘れたほうが楽ではあるんだよな」
俯いて話すノアの顔は、その時期を乗り越えて新しい自分として生きているアレクシアとの対比もあって、気の毒なくらいに暗かった。
「そうかな。私も記憶が薄れていくのを感じて、忘れたくなくて縋り付きたくなる時もあるわよ。でも顔や声が思い出せなくても、娘たちと過ごした時間があったから今の私があるんだって思うことにしたわ。そういう時間があったということしかわからなくなっても、私は娘たちを愛していくし、オバサンだったことだけは忘れたくない」
「……強いな」
「開き直った女は強いのよ。それに母親は強いの」
「おふくろが最強なのは間違いない」
ノアと笑い合って、
「じゃあこれからのことだけど」
「切り替えはやっ!!」
次の話題に移ろうとしたら驚かれた。
でも過去を懐かしむのはいつでもできるのよ。
記憶が戻ってずいぶん経っている殿下やローズマリー様たちが、今でも前世のことをある程度は覚えているんだから、ノアも私もそんなに急に忘れないから大丈夫よ。
「ここに来る途中で多少の情報は聞いたわよ。妹が生まれたんですって?」
「らしいな」
「妹でよかったわね。弟だったら話が余計にややこしくなるところよ。フォースター伯爵家って由緒正しい家柄で貴族派。王族の中では王弟殿下を一番支持している人たちなんですってね」
王弟殿下が支持されているのは、王位継承権を放棄したのに国のために貢献していて、いずれは大公か公爵になって臣下に下るかららしいわ。
甘やかされた王子たちに国を任せるよりは、高位貴族が議会を開いて補佐したほうがいいのではと考えているそうよ。
でもそれも次の世代の話なのよ。
今の国王に異議を唱える度胸はないの。
「嫡男が家出して引き篭もっている間に弟が生まれ、その子は親元で成長した場合、親としては次男にあとを継がせたくなるんじゃない? それからあなたが家に帰るって言い出したら、継続争いが起きるのが目に見えているでしょ?」
「おいシェリル。もう少し穏やかに話せないか?」
「二十六にもなっている男には、はっきり言ったほうがいいでしょう?」
「だが、あいつの中にも七歳の男の子がいるんだ」
「確かにそれは無視してはいけませんね。そうじゃないと私の時のように寝込むことになるかもしれません」
王弟殿下に言われてちょっとだけ考えて、でもそれはそれこれはこれ。
ふたつの人格の折り合いのつけ方は本人に任せるしかないのよ。
「あなたの中の少年は両親に会いたいと思っていないの?」
「え? いや俺、二重人格じゃないし」
若干引きながら両手を振るノアは、周りにいる転生者たちを見ながら怯えた表情になった。
「なに? もうひとつの人格が話しかけてきたりすんのか? これは俺の体だって言われたり?」
「しないわよ」
「はあ? だって今」
「夜中に突然泣きたくなったり、家族が恋しくなったり、甘えたくなったりしたことはないの? あとは感情を押さえられなかったり」
「あ、ああ、そういうことか。子供みたいに泣きわめきたくなったことはあるよ」
そんな気の毒そうな顔でノアを見るのなら、レイフ様や殿下も話に加わればいいじゃない。
こんなふうに私の言葉でいちいち動揺するのは、きっとまだ精神的に安定出来ていないからよ。
「私もね、子供だってことを忘れて無理をして、感情が爆発して殿下の前で号泣したことがあるの」
「うへ」
「で、そのあと熱を出して何日も寝込んだわ」
今度はノアが気の毒そうに殿下を見た。
男たち全員で互いを労わるような目をしないでよ。
レイフ様が会ってくれって言うから、私たちはここに来たのよ。
「シェリルってこういう時はずけずけ言うのよね」
「オバサンの遠慮のなさを前面に押し出してくるとこうなるのかしら」
ええ? ローズマリー様やアレクシアにまでそう思えるようなことを言っていた?
「いいのよ。誰かが言わなくちゃいけないことなの。それをシェリルが言ってくれたのよ」
「そうそう。ノアだっていつまでもここにいるわけにはいかないでしょ」
そうでしょ?
それに今日だって無限に時間があるわけじゃないんだから、必要な話が出来ないままタイムアウトになったら困るじゃない。
「それにさっきも言ったとおり弟が生まれたら、本当にあなたはもういなくても平気って思われてしまうかもしれない。帰るなら、早く帰ったほうがしんどくないわよ」
「それはわかっているんだ。でも両親にどんな顔をして会えばいいかわからないんだよ。きっと嫌われている。いないほうがいいと思われているかもしれない」
「そんなことはありませんよ」
レイフがやさしい声で言った。
「どうもみなさん誤解しているみたいですけど、ノアの生活費はフォースター伯爵が支払っているんですよ」
「え?」
「それも毎月、伯爵本人が私の元まで届けに来るんです。そして、まだ息子に会える状況ではないんだろうか。妻が息子に会いたがっているんだって話すんですよ。だから僕は毎月ノアに、そろそろ両親に会ってみないかいって聞いていたでしょう?」
「そんな話、初めて聞いたよ」
驚いて立ち上がったノアは、七歳の子供の顔をしていた。
期待と不安と、親を思う気持ちが溢れて、どうしていいかわからない男の子だ。
「負担を掛けたくないから言わないでくれって伯爵に言われていたんです。きみは記憶を取り戻す前から他の子とは違っていたんだそうです。あまり泣かないし、言葉を覚えるのも早くて、あの子はおかしいって陰口を叩く親戚や使用人がいたんですよ」
「私と同じね。いえ、たぶんみんなそうよね」
「うちはお兄様がいたから平気だったわ」
「うちも兄上のほうがひどかったかもしれない」
ジョシュア様と陛下は特別すぎなのよ。
「私は普通の子供でしたよ」
いやいや、レイフ様は胡散臭い子供だったと思うわ。
「ともかく、あなたの両親はあなたに会える日を待っていますよ。まだ帰れなくても、ほんの何分かでもいいから話がしたいと言っています。今までは両親の話をするのもまずそうな様子で、どうにか落ち着いてきたと思ったら、両親に会うのがこわいと言い出したので、どうしたらいいかわからなかったんですよ」
それで私に白羽の矢がたったのね。
「何がこわいの?」
立ち上がったままのノアを見上げて聞くと、彼はもじもじしながら視線を彷徨わせてからようやく口を開いた。
「なんで魔法攻撃したんだって聞かれるだろ? まさか転生前の記憶を思い出して混乱したとか、あんたたちなんて両親じゃないってかんしゃくを起こしたとか言えるわけがない」
「言わなきゃいいじゃない」
「そういうわけには」
「大丈夫よ。記憶を取り戻したのが三歳よね? 四年も経ったら三歳の時の記憶なんてほとんどなくて当たり前でしょ」
「あ……」
あ、じゃないわよ。
「よく覚えていない。でもこわかったとか嫌なことがあったとかは覚えてる。魔法を使ってしまって怪我をさせてしまって、嫌われたと思った。レイフ様は会ってみたらどうだと何回も言ってくれたけど、怪我をさせるような悪い子はうちにはいらないって言われるのがこわかった……で言い訳は充分でしょ」
「……そうなのか?」
「彼女、詐欺師の素質があるんだ」
「殿下、どういう意味でしょう?」
「ローズマリーの誕生日でジョシュアに一目置かれ、両親を納得させられる説明を出来るやつはそうはいない」
それはそうかもしれないけど、詐欺師の才能ってひどくない?
「シェリルって自覚ないみたいだけど、頭と舌の回転が速いのよね」
「だからこそ、ギルモア一族と財務大臣とバークリー侯爵まで味方に出来たんだろう」
「私の話はいいんですよ。よくはないけど、今はひとまずいいんです。それよりノアの問題……」
ノアが突然駆け寄ってきて、両手でがしっと私の手を握りしめた。
「うちの両親と話してくれないか?」
「はあ?」
「今、シェリルが言ったことは俺の気持ちを代弁している内容だった。でも俺はうまく説明できそうにない。よく覚えていない。混乱していた。だから申し訳なくて嫌われたと思って会えなかったくらいしか言えない」
「じゅうぶんよ」
「そんなわけないよ。四年も会っていないんだ。会って、両親だと思えるようになるまでにだって時間がかかるかもしれない」
「いいじゃない。そんなもんよ」
「シェリルさーーん。お姉さーーん」
泣いて縋り付かないでよ。
なんで突然子供になっているのよ。
「それはいいアイデアかもしれません」
「はあ!?」
レイフ様はゆっくりと一回手を叩いて嬉しそうに話し始めた。
「この短時間でこんなにノアが素直に話をするようになるとは思いませんでした。核になる部分は言葉にしてしまえば短い内容かもしれないですけど、そこに辿り着くまでにいろんな葛藤や悩みがあって、どこまで踏み込んでいいか迷って、僕は周りをぐるぐるしていただけでした」
「男同士だとな、よっぽど付き合いの長い相手じゃないと、なかなか踏み込めないよな。中身は二十六だって知っているしさ。そこをシェリルは、どストレートに最短距離で突っ切ったな」
これは褒められてはいないわよね。
遠慮がなさすぎると言われているのよね?
「そうか。忘れていて当たり前か。本当の三歳児がどうかなんてわからないから、憶えていないで終わらせるなんて考えもつかなかった」
「あれだけで説明が充分だなんて……目からうろこです」
「女性経験が乏しいだけじゃなくて、子供と接する機会もなかったなんて。このふたり、仕事以外は全く駄目ね」
ローズマリー様に言われて殿下とレイフは苦笑いするしかないようだった。
彼らの考える三歳児って、どんな子だったんだろう。