オバサンは運命を変える? 4
騎士が老人たちを連れ出し静けさの戻ったホールに残された人たちは、それぞれに今の一連の出来事を消化するのに精いっぱいだ。
ただお伯父様とひいお爺様の指示する声だけが聞こえてくる。
「ブラッド。ゴダード伯爵領はおまえに譲る。すぐに書類を整えろ。その時にロゼッタに渡す分の書類も用意してくれ。父上、あとはたのみます」
「早く行ってこい」
ああ、領主はこの場から転移してもいいのね。
それで魔道士が待機していたのか。
大伯父様を中心に騎士たちが集まるとすぐに魔道士が転移魔法を使い、彼らの姿は一瞬で消えて見えなくなった。
これぞファンタジー。
科学的にどういう理屈なのか考えると、いろいろとこわくなるのでやめておきましょう。
残された人たちはしばらく動けずに、転移して行った人たちを見送ったままぼうっとしていた。
ときおり外から甲高い声が聞こえてくるのは、まだ老人の誰かが抵抗しているんだろうな。
お元気で何よりですわ。
「まったくなんてことだ。すまないな。せっかくめでたい知らせに来てくれたというのに」
「いえ、我々のことはお気になさらないでください」
クロウリーは親戚とはいえ、この騒ぎとは無関係なのに巻き込まれた形だもんね。
でも私としては、次々と騒ぎが起こるのが私のせいじゃないかと思えて、むしろこちらが謝りたいくらいよ。
疲労感が顔に出ているひいお婆様をお母様とセアラ様がソファーに座らせて、侍女に指示を出してテーブルの上を片付けさせた。
毎日居座る図々しい人達は、遠慮なくお茶を飲んでお菓子まで食べていた。
ああいう老人にはなりたくないわ。
「ギルモアはこれくらいのことでは揺らぎはしない。今回のことはドイルの家族内の問題だ。とはいえ政略結婚で嫁いできてくれたロゼッタが、つらい目に合わされていたことに気付かなかったのはわしにも責任がある。ふたりの離婚は全てドイルのだらしのない女性関係が原因で、噂はアクトンが悪意を持って広めたものだ。ロゼッタには何も非がないとわしのほうからも一族に通達しよう」
「それは助かりますわ」
ロゼッタ様は微笑んで答えたけど、なんとなくこの人は油断できない。
強い人だと思うし、有能な人だとも思う。
だからこそ、今まで蓄積されてきた怒りや恨みが尋常じゃない気がする。
目が笑っていないもの。
「ブラッド、ロゼッタから領地の状況を聞き、引継ぎを早めに済ますんだぞ」
「……その件ですが、今は父上も冷静に判断出来ていないかもしれません。今後のことは改めて話をしてはいかがでしょう。私は独立して商会の仕事をしていましたし……」
「伯爵にならないって言うんですか!?」
戸惑っている様子のブラッド様に、エディが駆け寄り腕を掴んだ。
「ようやく爵位を得られるんですよ。今までデイルやロゼッタ様のひどい言葉に、母や僕がどれだけ傷ついてきたかわかっているじゃないですか。もう我慢するのはうんざりです!」
ここにも怒りと恨みを蓄積させている人がいたか。
表向き仲良くしていたのは、家族のことを考えてだったのかな。
「エディ、俺は……」
「話しかけるな! 結婚して反省しただって? そんなの僕には関係ない!」
そりゃ、傷つけられた側からしたらそうよ。
たとえデイルがひいお爺様の元で成長していっぱしの男になったとしても、吐き出した言葉は戻らない。やられた人たちの恨みも消えないよね。
「あら、大丈夫よ。どうせデイルはもうギルモアにはいられないから」
うふふっと楽しそうに笑いながらロゼッタ様が言った。
今は本当に笑っている。楽しそう。
その声に何かを感じて、男性陣がはっとした顔で注目した。
「私だって伯爵達の会合では、今のシェリルのように赤ん坊の頃から可愛がられていたのよ。だからこそギルモア侯爵家ならと婚姻が決められたの。それをあの男が裏切って、息子が私にどんなひどいことを言ったのか、全て父や親しい伯爵家の当主には話したって言ったでしょ? 後継者に私の息子を選んだら、いくつもの伯爵家が動くことをお忘れなく。醜聞も一気に広がるわよ」
自分の子供にも復讐するの?
それだけの恨みがあるの?
ちょっとこれはギルバートに聞かせていい話ではないでしょう。
ここまで負の連鎖が広がっている関係に巻き込まれたら大変よ。
私たちは失礼させてもらって、フェネリー伯爵家でのんびりお茶でも飲みながら嬉しい報告をしましょうよ。
「母上、いくらなんでもひどいじゃないですか!」
「私はもうあなたの母親じゃないわよ。離婚して自由になるの」
食って掛かってきたデイルを横目でちらりと見て、ロゼッタ様はすぐに顔をそむけた。
「あの老人たちとドイルの話を鵜呑みにして、さんざんくそ女と罵っていたくせに被害者ぶらないでちょうだい。突き飛ばされて怪我をした時のことだって、一生忘れはしないわ」
「あれは怪我をさせる気なんてなかった」
「そんなことをしていたの? それをドイルは叱らなかったの!? なんてこと。女性に、しかも母親に怪我を負わせる男が騎士になるなんてありえないわ」
大伯母様はもう完全にロゼッタ様の味方だわ。
嫁いできた女性陣からしたらドイル様のやってきたことは許せないし、子供までそんな態度だったらって考えたら、私だってデイルをぶっ飛ばしたい。
「これからは犯罪者の子供として、騎士爵から自力で這い上がりなさいな。いつもご立派なことを言っていたんだから、そのくらいは出来るんでしょう?」
「犯罪者?」
ひいお爺様が眉を寄せた。
「ベネディクトが向かったんだ。クーデターは未遂に終わる」
「あの馬鹿がクーデター? うふふ。普通の人間は準備もなくクーデターを起こすなんて出来ないでしょう? お義爺様やお義父様ならするかもしれませんけど」
そうよね。よかった。クーデターってそんな簡単に起こっていいものじゃないわよね?
ギルモア内で軍事衝突なんてやめてよ?
「強い人には弱い人の気持ちはわからないのでしょうね? じゃあ、十歳で準男爵になるような天才少女はどうかしら?」
え? 私?
「若い女にのぼせて家族を捨てるような男は、この状況で何を考えると思う?」
「十歳の女の子に何を聞いているんだ」
ひいお爺様が呆れているけど、私としてはドイル様じゃなくてロゼッタ様の気持ちなら、多少はわかるのよね。
子供まで憎むような経験はしていないから、それは理解できないけど。
「ロゼッタ様、子供にこんな話は……」
「相手の女の人が」
お母様が心配して私の肩を抱きながら言ったのと同時に話し始めてしまった。
「この子供は答えられるみたいよ?」
「シェリル」
「よくわからないですけどそんなにその女の人が好きなら、相手も自分を好きなのか、それとも騙していたのかが気になるんじゃないですか?」
「くだらん。そんな……」
「八十点」
ひいお爺様の言葉を遮ってロゼッタ様が言った。
「もうひと声よ」
ああ、嫌な想像をしてはいたけど、やっぱりそうなのかな。
「……では、彼女の子供が本当に自分の子供かどうか、知りたいのではないでしょうか」
「なんだと!」
今度はひいお爺様も顔色を変えて立ち上がった。
「満点よ。本当にあなた、十歳なの?」
「実は六十歳です」
「若作りね。その女の産んだ子供の瞳は、淡いブルーなの。愛人の侍従の瞳とそっくりなのよ」
うはーーい。ロゼッタ様はそこまで調べていたの?
待って。だったらなんで、さっき侯爵に話さなかったの?
「アクトンはそれを承知でギルモアを継がせようとしていたのか!?」
「でしょうね」
「さっきのやつら全員が知っていたのか?」
「さあ? でも疑ってはいたでしょう? それにお義母様の友人だというのなら、真っ先に知らせるべきなんじゃない?」
「なんてこと……」
大伯母様が気の毒だわ。
嫁いできた頃からの友人が、グルになってギルモアを乗っ取ろうとしていたんでしょ?
大伯母様の殺害計画まであったかもしれない。
それに、その侍従って平民かもしれないわよね。
路頭に迷うところを救ってもらった相手の奥さんにW不倫を持ちかけて断られたら逆恨みして、権力とお金欲しさにここまでやる?
これが日本の話だったら民事案件だけど、ここは身分制度が根付いている格差社会よ?
侯爵家乗っ取り。
しかも血の繋がらない自分の孫をギルモアの跡取りにしようとしたなんて、たぶん死罪。
彼だけじゃなくて、奥さんもその孫娘も家族全員がよ。
「まずい。本当に他人の子だったら、兄は殺すぞ」
「アクトン伯爵に孫娘の居場所を聞こう!」
ブラッド様とお父様が駆けだし、慌ててデイルが後を追った。
「ロゼッタ様、なんで……」
「だいぶ時間が経ったのに間に合うかしら? もう魔道士はいないでしょ?」
それでか。
正式な手順を踏んで死罪にするのと、女子供を殺害するのとでは心証が違う。
目撃者がいたら国中の噂になって、ドイル様は貴族社会に居場所がなくなるわ。
それにギルモアだって大ダメージよ。
「アレクシア!」
今日も私の優秀な執事兼護衛は、他の護衛と一緒に外で待っている。
彼女は転移魔法が使えるわ。
こういう時はヒロインでよかった。
身体能力が高いから走るのも速いわよ。
綺麗なフォームで屋敷を飛び出して玄関の外を見回したけど、いない?
「姉上、馬車のほうだよ。僕が行く」
追いかけてきたギルバートが、足を止めずに走っていく。
あいつも速いわね。それに持久力がある。
こっちはこの短距離でも息切れしているっていうのに。
やっぱり日ごろの運動は大切だわ。
最近忙しいし、御令嬢は全力疾走なんてさせてもらえないのよ。
でも庭を何周か走るくらいはしなくちゃ駄目ね。
「お父様、居場所がわかりましたか?」
地面に座り込んでいるアクトン伯爵は、孫娘が殺されるかもしれないと聞いたからか真っ青だ。
いや、悪事が全てバレたせいかもしれないわ。
「アレクシアに知らせて、転移してもらいましょう」
「彼女は転移魔法が使えるのか。何人か騎士を連れて行こう」
こういう時に冷静だってだけでもブラッド様は優秀よ。
だからギルモアは大丈夫。
問題はその次の世代よね。
「シェリル、何が起こっているの?」
ギルバートと一緒に駆け寄ってきたアレクシアも息切れしていない。
やだ。私だけ体力がないのね。
「アレクシア、うちから見えるアパートメントがわかるかい? 屋根の色が派手な建物だ」
「はい」
アパートメントって日本のアパートとは違うわよ。
地方から出てきた若い貴族が王都で生活する時に借りる、超豪華な集合住宅よ。
ワンフロアに一世帯だけの贅沢な造りになっているらしいわ。
王都に大きな屋敷を建てられるのは、うちのような成金か高位貴族くらいのものよ。
「そこにブラッド様と騎士を連れて転移してほしいんだ」
「いいですよ」
事情を知らないとはいえ、父からの頼みにあっさりと軽く答えたわね。
ブラッド様やギルモアの騎士が、天使を見つけたようなまなざしでアレクシアを見ているわ。
「アレクシア、向こうにドイル様がいたら凍らせるかなんかして、その辺に転がしておいて。すぐに大伯父様が駆けつけるから」
ブラッド様にまで斬りかかったらやばいわ。
先手必勝。姿を見たら即瞬間冷凍よ。
「やっちゃっていいの?」
「多少怪我をさせるくらいはかまわないわ」
「わかったわ」
嬉しそうね。
最近、魔法を使う機会が少ないからって、アパートメントごと凍らせないでよ?
「私も行きます」
「いや、きみは駄目だ。兄を助けそうで信用できない」
デイルの言葉にブラッド様は厳しい口調で答えた。
「これはギルモア全体に関わる問題で、きみは当事者だ。これ以上立場が悪くならないようにおとなしく待っていなさい」
冷たく突き放されて、デイルはその場に立ち尽くした。
アレクシアがブラッド様とふたりの騎士を連れて転移しても、俯いたまま動かない。
彼は今後、どういう扱いになるのだろう。
父は除籍、母は離婚でギルモアを離れ、後継者になる道は閉ざされた。
彼の奥さんの実家は、彼が嫡男だから嫁がせたんでしょう?
「あなたの護衛は転移魔法が使えたの?」
うわ、びっくりした。
「さすが王族の仕事を手伝っている子ね。甘く見過ぎていたわ」
ロゼッタ様がいつの間にか後ろに立っていた。
子供まで殺されたかもしれないのよと文句を言おうかとも思ったんだけど、ロゼッタ様の顔を見てやめた。
だって、ほっとした顔をしていたから。
そんな顔をするくらいなら、最初から素直に話しておけばよかったのに。
その性格のせいで敵を作って、アクトン伯爵の罠にはまったんでしょう。
「他にやり方はなかったんですか?」
「さあ、どうかしら。でもしつこいようだけど、あなた本当に十歳なの?」
「実は七十歳です」
「ふふ。ああ、私も娘がほしかったわ。素敵な旦那様に守られて、可愛い娘がふたりもいて、息子だって家族を守ろうとしている。羨ましくて妬ましいわ。だからアマンダが嫌いなの」
そういうロゼッタ様は泣きそうな顔をしていた。
けど、駄目よ。
あなたの旦那や息子がやったことが一生許されないのと同じように、あなたが相手を傷つけるために吐き出した言葉も許されない。
「母に何かしようなんて考えないでくださいね」
「あらこわい。大丈夫よ。あなたを敵に回したりはしないわ。ある意味、ギルモアよりこわそう」
ええ、そうですとも。
王族を巻き込んで大騒ぎしますからね。