オバサンはちょっとやりすぎがち 2
それから領地は大騒ぎだった。
そろばんの生産が今でも忙しいのに、まさかこんなすぐにまた大きな仕事が舞い込むなんて思ってもいなかったわよね。
でも実は、そろばんで安定した収入を得られると考えて職人を始める若者が増えていたので、新人の職人でも出来る簡単な仕事がほしいと思っていたんですって。
家具職人として一人で稼げるようになるにはかなりの修行が必要だから、その間、副業として木炭筆製作をするつもりみたいよ。
副業かあ……あまり期待されていないみたいね。
「学生には売れるかもしれないから、いちおう在庫は確保しておこうか」
父も売れるとは思っていないんだろうな。
確かに社会人になると鉛筆を使う場面は激減するけど、子供の頃は必要な道具よね?
メモや下書きにも使えて消せるって便利だから、仕事でも使えると思うんだけどなあ。
「なんだこれは」
領地から帰って王宮に顔を出したときに、二十本ほど王弟殿下に献上したら嫌そうな顔をされた。
「木炭筆です」
「……シェリル」
「誤解されたくないので初めに断っておきます。発案も制作も私は関わっていません」
「……誰が作ったんだ?」
「画家が使う木炭をご存知ですか?」
王弟殿下の執務室の本丸であるこの部屋には、レイフ様の他にふたりの側近の方もいて仕事の手を止めて、今度は何を持ってきたのかと注目しているので前世の話は出来ない。
彼らにも木炭筆を渡しながら聞くと、全員が頷いた。
「その木炭を芯にして、廃材を活用して職人たちが試行錯誤して作ったんです。貴族はペンを愛用しているようだから売り物にはならないだろうと、自分たちだけで使用していた物なんですよ」
「廃材活用か。値段も安く出来るんだろうな」
「箱単位で手軽に買える値段にする予定です。ちゃんと消しジルーも持ってきましたから、セットで使ってくださいね」
「消し汁?」
見た目は多少くすんだ色はしているけど、前世で見慣れた消しゴムよ。
ただだいぶ柔らかいので改良中なの。
練って使えるのがいい人はこのままでいいけど、私はもっと固くしてほしいって頼んであるわ。
「これはジールの樹液を固めた物ではないですか?」
「あ、そうそうジールでした。レイフ様は博識ですね」
「知り合いの画家が似たようなものを持っていましたから、見たことがあるんです」
すでに使っている人もいて、一部では出回っている商品なのよね。
だから木炭筆も消しジールも、そろばんの時のようなインパクトはないんじゃない?
「消せるのはいいですね。いただいていいんですか?」
「どうぞ。でも公式文書に使っちゃ駄目ですよ。消せたら偽造されてしまいます」
「おお、書きやすいぞ」
側近のふたりがさっそく使っている様子を見ると、好評って言っていいんじゃないかしら。
「鉛筆って名前で売れよ」
「別にかまいませんけど、王弟殿下が命名したって言っていいですか?」
「駄目だ」
殿下、いらない紙に試し書きをするのに、ひらがなを書かないでください。
誰かに見られたらどうするんですか。
「鉛筆削りは?」
「これ以上私が新しい物を作っては問題になるでしょう? ナイフで削ってください」
「職人にたのめばいいだろう」
「たのんではあります。木工家具の職人たちばかり仕事が増えて儲かって、金物系の職人たちとの差が大きくなってしまいますから、削る道具とホッチキスの製作を続けてもらっています」
でもホッチキスのように図面を渡すのはしないことにしたのよ。
これ以上いろんな物を発明してはさすがにまずいわ。
職人たちにとっては身近な道具なので、きっとすぐに鉛筆削りを作ってくれるでしょ。
「クロウリー男爵は娘の願いを聞きすぎではないか?」
「ホッチキスも木炭筆も、私個人で投資しているので大丈夫ですよ」
「……九歳で投資って」
そんな呆れた顔をしないでほしいわ。
うちはもともと成金で、父の金銭感覚がおかしいから小遣いの額がすごいのよ。
そこにそろばんの売り上げの一部や王宮での仕事の給金が加わったので、九歳ですでに前世の私より桁違いのお金持ちになってしまっているんだもの。使わないと勿体ないじゃない?
「これは学園と王宮に売り込むべきだな。……よし。一箱十本なら三箱買う」
「三箱も!? 見本じゃなくてお買い上げ?」
「一箱は陛下に渡して、もう一箱はクリスタルに渡す。屋敷の者達が重宝するだろう。そして残りはここで使う」
「今日持ってきたのがあるじゃないですか」
「それはグレアム伯爵に渡して配ってもらえ」
王宮内で営業していいってこと?
他の商会に怒られないのかしら。
「殿下、執務室には十本じゃ足りませんよ。私に五本ください」
「自分で買えよ」
「名前入りも出来ますよ?」
レイフ様に言ったら嫌そうな顔をされた。
気持ちはわかるわ。
名前入りの鉛筆が嬉しいのは、小学校の入学祝くらいよね。
王宮で働くようになって一年。私は十歳の誕生日を迎えた。
私がアレクシアとグレアム伯爵と一緒に、そろばんをカチャカチャいわせながら廊下を歩く姿は、王宮の人達にとってすでに日常の風景になっている。
今更子供が王宮にいるからと驚く人はいないし、それがおかしな風景だということも感じなくなっているみたいだ。
変わったことと言えば私の身長が伸びたことと、前はマスコットのようにかわいがられていたのに、今では話しかけてくるのに多少遠慮されるようになったことくらいかしら。
ホッチキスは完成していないけど、鉛筆と消しジールが爆売れしてしまって、カルキュールはすっかり誰もが知るブランドになって、それが全部私の功績だと思っている人がいるのよ。
鉛筆は私が考えたんじゃないし、他の地域の職人たちも似たようなものを作っているところもあったので、自由に売り出してねって話もしているのに、あの子は特別な才能のある子供だって思われているみたい。
私は中身がオバサンなだけで、本当に頭がいいのはジョシュア様なのになあ。
彼は国王陛下の執務室で国を動かす仕事に携わっているわけだから、天才という称号は彼こそがふさわしいんだけど、ブツが目の前にあるってインパクトが大きいのよね。
そろばんと鉛筆のおかげで仕事がやりやすくなったと実感する人が多いのと、いろんな部署のお手伝いをしているせいで目立ちやすいんでしょうね。
ホッチキスの生産が遅れているのは、むしろラッキーかもしれないわね。
このタイミングでまた新しい道具を売り出したら、私の評判が人外になってしまいそうよ。
あと最低でも一年は完成しても発売しないほうがいいかもしれないわ。
仕事のほうでは、私が提案した伝票を使用するようになって一年が過ぎ、財務省はその結果どれだけミスが減ったのか、どこの部署のミスが減ったのかを会議の席で発表することになった。
私もいちおう関係者なので財務大臣に手伝ってくれと頼まれて、お手伝いとして参加することになったのよ。
王弟殿下やレイフ様は国王陛下の近くの王族の席に座っているので、お手伝いのために末席に座っている私とはだいぶ距離がある。
そもそも王弟殿下の執務室で働いているはずの私が、財務省のメンバーに混じって座っているのに誰も気にしていないんだから、この国の人っておおらかと言うか大雑把と言うか。
いえ、たぶんおかしいと思っていても、王弟殿下やキリンガム公爵に意見を言える人がいないのね。
会議にはギルモアの大伯父様も出席しているし、バークリー侯爵もいたわ。
あの変態親父の件で負い目を感じていたせいか何かと気にかけていただいて、お礼に鉛筆を殿下にあげた翌日に渡したら大変喜んでくれて、すっかり保護者の仲間入りよ。
ああ、廊下で気軽に声をかけてくる人が減って、礼儀正しく接してくれる人が増えたのは、私の周りに保護者の高位貴族がうじゃうじゃいるせいだわ。
私が男爵令嬢だってことを忘れている人もいるかもしれない。
「それでは会議を始めます」
今日の会議はいろんな部署が一年分の成果や問題点を報告する場なので、財務省の番が回ってくるまでは暇なのよ。
それに十歳の子供が、大人でも眠くなるような難しい話をずっと聞いていられたらおかしいでしょ。
だからぼんやりと室内にいる人を眺めていたら、一瞬、国王陛下と目が合ったような気がした。
実は陛下に会うのは今回が初めてなの。
男爵令嬢ごときが会えるようなお方じゃないもの。
王弟殿下もいかにも王子様って容姿をしているけど、国王陛下は品の良さや国王としての威厳がプラスされて、我こそが王族だぞという雰囲気を醸し出していた。
金色の髪や濃紺の瞳は兄弟同じ。
違いといえば、国王陛下のやさしげで穏やかな表情が非常に怖いということくらいかしら。
気にするのはやめよう。今のところ嫌われるようなことはしていないはずよ。
王弟殿下がちゃんと報告してくれているそうだし、触らぬ神に祟りなしっていうじゃない。
「それでは財務省の報告を始めます」
それより私はお仕事をしなくては。
「明かりを弱めてくれ」
キリンガム公爵の言葉と共に部屋中の明かりが弱められた。
今日はフェネリー伯爵にプレゼントされた魔道具を持ってきたから、インパクトのあるプレゼンをお届けするわよ。
魔道具のスイッチを押すと、白い壁に財務省が発表する内容を簡潔にまとめた文字が映し出された。
「おお、これは初めて見る魔道具ですな」
「写し絵の本を応用した物か?」
王弟殿下が頭を抱えているのは気付かなかったことにしよう。
意外と出席者の驚きが小さいのも残念だけど、魔道具でたいていのことが出来てしまうこの世界ではこんなものなのかもしれない。
そう、私が作ってもらったのはプロジェクターよ。
魔道具に映像を記憶させるのはこの世界では普通のことで、貴族は人生の節目節目に記念の映像を記憶させて保存している。
ただ魔道具って魔力が必要でしょ?
記憶した物を美しく保つのにも魔力が必要なので、管理がめんどうなのよ。
でもプロジェクターは紙に書いてある二次元のものを取り込むだけだし、原本を保存しておけばいいので管理も簡単で、大きく引き伸ばしても美しく見える解像度で保存が出来るのよ。
普段は商会で、お客に商品説明をする時に使っているプロジェクターが、今日は財務省のために大活躍よ。
「おお!? これは、なんですか?」
ん? 急に賑やかになったわね。
プロジェクターにはあまり驚いてくれなかったのに、いったい何を騒いでいるの?
「縦がミスのあった伝票の枚数で、横に何月かを表示しています。徐々に線が下がっているでしょう? これだけミスが減っているんですよ。各部署を色分けしてあるので、どの部署のミスが減っているか一目瞭然です」
「おお、これはわかりやすい。初めて見ました」
「キリンガム公爵、この図面は誰が考えたんですか?」
嘘でしょ。
もしかしてこの世界には折れ線グラフがなかったの!?
「そちらにいるシェリル・クロウリー男爵令嬢ですよ。折れ線グラフというのだそうです」
やばいやばいやばい。
どうしよう、王弟殿下……って、机に突っ伏してしまっている。
レイフ様、笑っていないで何とかしてよ。
「またあの子か」
「本当に天才ですな」
ううう……、国王陛下がこちらを見ている。
これはやりすぎてしまったかもしれない。
「アレクシア、この世界にはグラフはないって教えてよ」
「あると思っていたのよ。王弟殿下やレイフがとっくに使っていると思っていたわ」
そうよね。
今まで使っていなかった彼らが悪いわよね。




