見た目は幼女、中身はオバサン 4
「じゃあ行こうか」
ジョシュア様が差し出した手を、ポカンと眺めてしまった。
これはつまりエスコートしてくれるっていうことよね。
いや違うわ。さっきまでの様子からすると、逃がさないように捕まえておく気だ。
なんでそんなに警戒されているんだろう。
「シェリル嬢?」
ここで断れないのが身分の低い立場の悲しさ。
にっこり微笑んでジョシュア様の手に自分の手を重ねた。
待って。今、ざわりとこの場の空気が動いたわよ。
空気を読める子供なんだ、私は。
ああああ、まずい。
自分の子供を友達にしたい両親がここにはたくさんいるっていうのに、よりによってジョシュア様と手を繋いで歩く女の子って、いろいろと誤解されるんじゃないの?
どこの子よ! って睨まれている。
「お父様、お母様、行ってきます」
それでも嬉しそうに行くしかないんだよー。
私の立場も誰か察してよ。
「楽しんでおいで」
「いってらっしゃい」
何も知らないふたりの笑顔が眩しい。
ちゃんとまた会えるよね?
この子、こわいんだもの。
そういえば私、男性と手を繋ぐのって何十年ぶりかしら。
十二歳とはいえ美少年と手を繋ぐなんて、ドキドキの展開よ。
でもちっとも嬉しくはないんだけどね。
「さあ行こうか。ロージーもおいで」
「はい」
ジョシュア様に手を引かれて歩き出すと、ふたりの従者が私たちの前と後ろを歩き出した。
しっかりと手を握られた私はジョシュア様について行くしかない。
私たちの後ろを少し遅れてローズマリー様が歩いているのが気になって、ついちらちらと後ろを見ていたら、青い髪の男の子が駆け寄ってきた。
「コーニリアス」
お、ローズマリー様の笑顔を初めてみたわ。
笑うと年相応で可愛いじゃない。
彼がコーニリアスって子なのね。
「前を見ないと転ぶよ」
「あ、はい」
ジョシュア様に注意されて慌てて前を向く。
ローズマリー様が独りぼっちじゃないのならいいのよ。
「意外としたたかなんだね」
隣にいる私にしか聞こえない声で言われて、思わずきょとんとした顔で首を傾げてしまった。
したたか? 誰が?
「……」
眉を寄せて目を細めて私の様子を黙って見ていたジョシュア様は、不意に興味を失くしたように前を向いて、それからは部屋につくまでずっと無言だった。
「どうぞ」
部屋までけっこう歩いたわよ。
誕生日会の会場からすっかり離れてしまったので、廊下も部屋もとても静かだ。
たぶんここは子供たちがお友達と過ごすための部屋なんだな。
私の部屋と同じく、ここもサイズだけはコンパクトな一流の家具が並んでいた。
「さがってくれ」
無駄のない動きでアフタヌーンティーの準備を終えた侍従と侍女にジョシュア様が命じると、すぐに彼らは部屋を出て行った。
中庭でローズマリー様と一緒にいた侍女だけはちょっと心配そうだったけど、逆らうだけの理由がないものね。
全員が外に出て扉が閉じても誰も口を開かずにじっとしている。
みじろぎも出来ずにテーブルに置かれた小さなフォークを見ていたら、ジョシュア様が片手をあげてぱちんと指を鳴らした。
その瞬間、気温が少しだけ下がり、窓から見える景色が心なしか色褪せ、太陽の光が屈折したように見えた。
「これで話を聞かれる心配はない」
これも魔法なのかな。
声が外に漏れないようにしたのよね?
閉じ込められたわけじゃないわよね?
「シェリルさん、彼はコーニリアス・ノースモア侯爵令息。私の婚約者よ」
侯爵令息だったー。
この兄妹だけでも身分が違いすぎてやばいのに、また高位貴族が増えたー。
「はじめまして」
「挨拶はいいよ」
立ち上がって挨拶しようとしたら、ジョシュア様に止められた。
言い方が冷たい。
本当の八歳だったら、怖くて泣くかもしれないわよ、
いえ、本当に八歳なんだけども。
「時間が惜しい。話をしよう」
「よろしくね、クロウリー令嬢」
「シェリルで結構ですわ」
ジョシュア様を無視するような形になってしまったけど、こういう挨拶は大事でしょう。
「じゃあ僕もコーニリアスって呼んで」
「はい」
この子もまた綺麗な顔をしているのよ。
青い髪に藍色の瞳で、彫りが深いきりっとした顔つきをしている。
「さっきは本当にごめんなさい。こんなに早くあなたに会うことになるなんて思っていなかったから慌ててしまったの。あなたも驚いたでしょう?」
「ロージー、誓約書を取り交わすまでは待つんだ。シェリル嬢にはここでの会話を他言しないことを約束する契約書にサインをしてもらう」
はいはい。
私は拒否できる立場じゃないんで、お好きにどうぞ。
「もちろん我々全員が同じように誓約する。この場では身分は気にしなくていい。この場で発言したことで今後、きみやその家族が不利益を生じることはないということも誓約書に記しておく」
「……はあ」
無礼講は信じてはいけない。
これは社会人の常識よ。
「そしてこの誓約は、この場にいる四人全員が了承した時にのみ解約出来る」
つまりあなたたちは好きな時に解約出来るってことじゃない。
何度も言うけど、私は拒否できる立場じゃ……。
「そんなの駄目よ!」
「ロージー、今は僕に任せてくれ」
「いいえ。こんなやり方では、私は本当に悪役になってしまうわ。解約はシェリルさんが望んだ時にだけできる。私たちにはその権利はないってことにして」
「どうせあとでもっとちゃんとした誓約を結ぶんだ。これは今だけの仮契約だよ。ほら、子供も遊びで使う簡易契約書を使うんだ」
「お兄様、お願い」
「……しかたないな」
妹には弱いんだなあ。
そしてローズマリー様は、ずいぶんと私の立場を考えてくれているのね。
「はい。ちゃんと内容を読んでサインして」
他の三人が先にサインした誓約書が私の前に置かれた。
綺麗な字だなあ。
なにより、この世界の文字をちゃんと読めて安心したわ。
難しい言い回しもあるのに、ここにいる子はみんな、これを理解しているのよね。
こんな文章を作れるなんて、貴族の子供の教育ってどれだけ厳しいんだろう。
三人とも姿勢も歩き方も綺麗で、なんていうの? そう、所作が美しいの。
「よし、全員のサインが揃った。誓約を有効化するよ」
ジョシュア様が両手で誓約書を持ち、小さな声で何事か呟く。
紙は淡い光に包まれ、人数分の小さな光の塊が浮き上がり、それぞれに向かって飛んでいった。
すぐに光は消え、用紙に茨のような透かし模様が出来ていた。
「ええ!? こんな紋様は初めてよ」
「うーん。あまり見て気分のいい紋様じゃないね」
ローズマリー様が右手首を見ていたので私も自分の手首を見ると、茨が鎖のように手首を一周する紋様が浮かび上がっていた。
なにこれ。目立ちすぎでしょ。
両親がびっくりしちゃうわよ。
「すまない。僕の魔力が大きすぎるせいだろう。でも今回はすぐに破棄する誓約だから、今は我慢してくれ。シェリル嬢、だいぶ驚いているようだが誓約を見るのは初めてかい?」
「そりゃそうだよ。僕はロージーと婚約の誓約をしたから知っているけど、普通の八歳の子供は、親に誓約書を触らせてもらえないよ。簡易誓約書も本当は十二歳以上じゃないと使用してはいけないんだよ」
どうせ私の立ち場では断れないからと安易に考えていたけど、これって子供に触らせてはいけないものじゃないの?
この世界には身分差があるのだから、弱い立場の子供が無理矢理従属の誓約を結ばれてしまったら大変なことになるわ。
なにしろ、誓約を守らなかった場合の罰則まで、自由に指定できるのよ。
「シェリルさん、子供用は重要な誓約は出来ないようになっているの。それに一年もしないうちに自然と破棄されてしまうのよ。たいていは友情の証に誓約を結んだり、将来婚約しましょうって子供同士で誓約を結んだりする時に使われるんだけど、成長するうちに子供時代の約束は忘れられてしまうもんでしょう? 学園に通うようになったら付き合う友人も変わるしね」
「おままごとの誓約なんですね?」
「そうよ。相手を傷つけたり、一方的に支配したりするような誓約は出来ないの」
それを聞いて安心したわ。
子供に手軽に与えるには危険なものだもの。
「大人でもいろんな規制がある。王宮には誓約省という役所があって、自分が望まない誓約をされた場合はそちらで解除してもらえるんだ。逆に誓約省の認証をもらうと、さらに強固な誓約にもできる」
ローズマリー様が納得しないからかもしれないけど、ジョシュア様もきちんと説明をしてくれるのだから誠実よ。
彼らなら有無を言わさずに誓約を交わすことだって出来るんだから。
だって、公共機関で誓約書を解除してもらうということは、内容を知られるということでしょう。
平民や下位貴族がやばい誓約書を持ち込んで解除なんてしたら、報復がこわすぎるわよ。
上位貴族を本気で怒らせたら、この国では生きていけないんじゃない?
「クロウリー男爵夫妻だって結婚の誓約を交わしているはずだから、文様を見たことはあるんじゃないか?」
「あ!」
そうだ。ジョシュア様に言われて思い出した。
両親の左の薬指に細いリングのような痣があったわ。
「確かにありますわ。あれは誓約を交わした証だったんですね」
「貴族の婚約や結婚の誓約は、教会と誓約省の認可が必要なんだよ」
「そうなんですね。丁寧な説明をありがとうございます」
「きみの話し方は、とても八歳だとは思えないね」
誓約を交わしたからといって、まだ彼らを信用できない。
特にジョシュア様は危険だし、コーニリアス様も妙に大人びているから注意しなくちゃ。
「……」
余計なことはしゃべらない。
黙っていれば、相手が多く喋ってくれるって誰かが言ってた。
「転生しているならしかたないわよ。シェリルさん、あの紙を見たのよね? だったら私が日本語を書いていたのを知っているんでしょ? ローズマリーが転生者だっていうのは、あなたにとっては不本意でしょうけど、私はあなたの邪魔をする気はないのよ」
「……へ?」
待って。何を言っているのかよくわからない。
「だからね、ヒロインのあなたとしては、私がストーリー通りに動いていないのは不満かもしれないけど、誤解しないでほしいの。私はあなたの邪魔をする気なんてないのよ」
あ……これってもしかして、小説やゲームの世界に転生したってパターンなんじゃない?
本当にそんなことがあるの!?
そして私がヒロインだって話なのよね?
「待てロージー」
一生懸命に説明しているローズマリー様を止めて、ジョシュア様が私を睨んだ。
「なんで黙っているんだい? 誓約書を交わしたのに黙っているのは、僕たちを信用できないってことなのかな」
まずい。機嫌が悪くなっている。
でも無茶を言わないでよ。
こっちは展開が早すぎてついて行けないのよ。
「お兄様、そんなふうに言ったらシェリルさんが怖がってしまうわ。話したくても話せなくなっちゃう」
「……べつに脅す気はない。だが、この状況を有利に利用しようと考えているかもしれないだろう。彼女の返事を聞くまで、これ以上情報を渡しては駄目だ」
信じられます? これが十二歳の男の子のセリフですよ?
日本でこんなことを言っている子がいたら、厨二病だって笑われますよ。