オバサン、お茶の席に誘われる 2
男爵令嬢という立場を考えれば、ここは何もわかっていない振りをして笑顔でお菓子でも食べて、違う話題を考えたほうが無難だってわかってる。
でもさすがに、家族をコケにされたらムカつくわけよ。
公爵夫人からしたら、私なんて下々の人間のひとりでしかないんだろうけど、強力なバックがついてくれちゃったわけだし、虎の威を借る狐ってやつをやってもいいんじゃない?
実際、ここでどんな対応をされたか報告しなさいって、うちの家族とギルモアのお爺様たちと王弟殿下に言われているんだから、素直でいい子の私としては、ワディンガムでいじめられましたって言いつける気満々よ。
このまま好き勝手言われたままでいたら、次はジョシュア様がいない場を作って、もっときついことを言ってくるに決まっているわ。
「王宮内は今、シェリルの噂で持ち切りなんですよ。母上が知らないとは驚きだなあ。ああ、あんなことがあったからワディンガムにはクロウリー男爵家の話をするのはやめようって人が多いのかな」
「……」
「それにしてもフェネリー伯爵家のことだけ知らせないなんて、悪意があるとしか思えないな」
「そう……かもしれないわね」
ほんの少しだけ声が低くなって、ほんの少しだけ眉が寄せられた。
誰か今、思い浮かべているのよね。
女の戦いはこわいわよ。
「じゃあ、このことも母上は知らないのかな。シェリル、つい先日、王宮でギルモア侯爵家の人たちと会ったんだろう?」
私が反撃の機会をうかがう必要もないくらいに、ジョシュア様が楽しそうに自分の母親を追い詰めている。
ちらっと横を見たら、ローズマリー様は平然とケーキを食べていたから、これはよくある光景なの?
「はい。除籍されていた祖母をギルモア侯爵家の籍に戻して、祖父が婿養子になったことになりました」
「婿養子?」
夫人が初めて驚いた顔を見せた。
「祖母にギルモア姓を与えたかったんだそうです。それと大伯父様が母を自分の娘として、私たちを自分の孫として接したいからと」
「それで次期当主がきみを抱いて歩いてたのか。次期当主夫妻が声をあげて笑いながら歩いていたって聞いたよ。ギルモア侯爵夫妻もクロウリー男爵夫妻と親しげだったと噂になっている」
「みなさん背が高いので、私と足の長さが違うんですよ。それで私が歩くと遅くなるので、恥ずかしいけど抱っこしてもらったんです」
「ふーん。でも、あの恐ろしいと有名なギルモア侯爵と次期当主が、でれでれだったって聞いたんだけどな」
やっぱり目立っていたかあ。恥ずかしいなあ。
って、のんびりしている場合じゃない。
「実はこの後も大伯父様と商会で会う約束をしているんです。ワディンガム公爵家にお出かけすると言ったら、なぜか来てくださることになってしまって。明日は王宮で王弟殿下に会う約束になっていますし」
全部言いつけちゃうぞーとは言わないけど、夫人の顔色が悪くなっているのでわかっているみたい。
ギルモア侯爵家ってそんなに恐れられているの?
「商会で会う? そろばんの話かい?」
ジョシュア様が意外な方向で食いついてきた。
「そろばんを知っているんですか?」
「当たり前だろう。きみが有名になったのはそろばんのせいだよ。そこにギルモア侯爵家と親戚だとわかって親しくしているということが加わって、大注目なんだ」
「はあ」
「そろばんはいつから考えていたこと? うちにいる時にはもう商品化していたの?」
うっ。これはジョシュア様に話さなかったことを怒っているな。
「考えてはいましたけど、私の周りの人たちは反応がいまいちだったんで、商会のほうで試作品だけでも作って私が使おうって考えていたんです」
「そうなのか? ロージーは? そろばんをもらった?」
「いいえ。そんな話題になるようなものなんですか? 計算する道具は他にもありますよね?」
「王弟殿下も同じような反応でした」
「くそ。その時に話を聞いていれば」
ええ? そんな悔しがるような話?
王宮で何が起きているの?
「じゃあ商品化はどうして?」
「私が寝込んでいる時に大伯父様が、クロウリーの領地まで祖父に会いに来てくださったんです。そこでそろばんの話が出て、私が考えた物なら大々的に売りだそうって意気投合したそうです」
便利な物かどうかより、孫が作ったものだということのほうが彼らには重要なのよ。
それが本当に売れそうだから、すっかりお祭り状態よ。
「ああ、なるほど。孫可愛さに暴走したのが成功してしまったのか。ギルモアの販売経路が使えるのは大きいね」
「そうなんです。それにそろばんにはケースが必要じゃないですか」
「知らないよ。見たことがないんだから」
「まあ、いけない。アレクシア、まだ預けてあるそろばんがあるわよね」
「はい」
「ジョシュア様、気に入った物があればどうぞ」
アレクシアが空間魔法で取り出したそろばんは、試作品のケースに入っている。
ギルモアは革製品を扱っているし、フェネリーは麻や綿の栽培が盛んな地域だ。
どちらもそろばんを入れるケースや袋を作るのに使えるのよ。
「なるほど。持ち運びしやすいように持ち手のある入れ物にいれるんだね。よく考えているなあ」
革のケースに入っていたそろばんをテーブルに置いて、ジョシュア様は爪の先でしゃーっと上の珠を揃えてみせた。
「使い方をご存知なんですか?」
「マクレイ第一級事務官が財務省の人に説明しているのをちらっと見ていたんだ」
おお。マクレイ様、頑張っているのね。
「そろばんの数が十個くらいしかないせいで、陛下も執務室にいる人たちも、実物を見たことがないんだよ。こっちのそろばんも持っていっちゃ駄目かな」
新しい教室で、まだ出回り始めでなかなか手に入らない商品を持って来て、注目されている生徒みたいなことをやりたいのね。
そろばんの関係者と親しいってことも、自慢できる話になっていたりして。
「ローズマリー様が私と友達だから、特別にもらえたって話してくれるのでしたらどうぞ」
「え?」
突然自分の名前が出て、ローズマリー様がびっくりしている。
「こういうところで少しずつ名前を売っておくと、あとあと社交界でプラスになるかもしれません」
「いいとも。ロージーの人脈の広さを印象付けるのは大賛成だ」
よし、意見が一致したので、そろばんを二個あげよう。
でもこれ、計算をたくさんする人には役立つけど、それ以外の人には全く必要ない物よ?
「王宮で毎月、どれだけの人数の給与計算がされていると思っているんだい? 財務省はもちろん、それぞれの執務室に経理がいて伝票整理に追われているんだ。そろばんのおかげで事務官ひとりの計算がほんのちょっと早くなって、計算間違いがほんのちょっと減ったとする。それが積み重なって経理に携わる事務官全員の数になったら?」
あれ? スケールの大きい話になってきたわよ。
「……今までも計算の道具はあったんですよね?」
「すぐ壊れるやつや、ちょっと揺らすとどこまで計算したかわからなくなるやつはあったね」
この世界の人達の計算に対する認識は低すぎよ。
買い物でいくら使ったか気にもしないし、割り勘なんてしないで店の人全員に奢れちゃう貴族たちなんて、給料明細も見たことがない人もいるんじゃない?
だから計算の大変さと、重要さがわかっていないのよ。
わからないと後回しにされるから、便利な道具が今まで出来なかったのね。
「事務官の仕事は大変で大切なんですよ」
「どの仕事も大変で大切だよ」
「たしかに。そろばんをきっかけに王宮の方たちが目を向けてくださるのなら、作った甲斐があるというものです。でも王宮でそんなに話題になっているとは知りませんでした。それで今後私が王宮で活動する時に、陛下が相談役をつけてくださったんですね」
「相談役?」
「はい。王弟殿下の執務室だけじゃなく、他所のお手伝いに行くこともありそうですので、相談役の人が一緒に行ってくれるんです。グレアム伯爵という方です」
「グレアム!?」
「まあ」
ジョシュア様も夫人もかなり驚いたようで、動きを止めてまじまじと私を見ている。
そんな有名な人なの?
「あの方は引退したのではなくて?」
「はい。半年前に王宮を去ったと聞いています。陛下がシェリルのために呼び戻したんでしょう」
え? なになに?
引退したおじいちゃんでも私のお守りだったら簡単だから、それでお願いしたんだと思っていたわ。
もしかしてすごい人なの?
「グレアム伯爵は、前国王の頃から国王陛下の執務室で上級補佐官をしていた人だ。自分は王宮で陛下に仕えたいからと実家は弟に継がせて、功績をあげて実家より爵位が上になってしまった人だよ」
「そんなすごい人がシェリルの相談役なの!? すごいじゃない」
ローズマリー様に腕を掴んで揺すられるまま、抵抗する気力もなくしてしまった。
そんな重要人物を陛下が私の相談役にしたとワディンガム公爵が知ったら、私も王弟陛下のように敵対視されそう。
「あなたは本当に天才少女と呼ばれるのにふさわしい子だったのね」
急に優しい声と微笑み付きで夫人が話しかけてきた。
「そんな子がロージーのお友達になってくれたのは幸運だわ。先程は失礼な態度でごめんなさいね。でもわかってほしいの。大事な娘の初めてのお友達になる子がどんな子なのか、母親としては心配なのよ」
すっごい見事な掌返しがきたー!
でも夫人は謝るのね。
「これからもローズマリー様と勉強したいと思っていたので、そうおっしゃっていただけるのはありがたいですわ」
「勉強……」
ローズマリー様、そこで嫌な顔をしないで。
今日は私専用に父が用意してくれた新しい馬車で王宮に向かう。
当然、身分証明書をチェックされたけど、他の人と同じようにそうやって王宮にはいるのも嬉しいものよ。
お仕事に行くのだからと濃紺と黒のストライプの上着と、膨らませてはいるけどレースのないスカートを着ている。
裾から黒いパニエが見えているのが私は気になるのだけど、隣にゴスロリメイド服のアレクシアがいるから、たぶんあまり目立たない。
「おはようございます」
筆記用具と大事なそろばんを抱えて、アレクシアの魔法で馬車から降りていたら、燕尾服風の黒いスーツ姿の白髪の紳士が声をかけてきた。
背が高くて姿勢がよくて、鼻の下に少しだけある白い髭がチャーミングよ。
これぞ執事というイメージのままの彼が、おそらく私の相談役ね。
「はじめまして。国王陛下よりお嬢様の相談役を仰せつかりましたグレアムと申します。よろしくお願いします」
「はじめまして。シェリル・クロウリーです。シェリルって呼んでください。こちらは護衛兼侍女のアレクシアです。お世話になります」
「よろしくお願いします」
アレクシアとふたりでお辞儀をしたら、グレアム伯爵はさっと手を差し出してきた。
「お荷物をお持ちしましょう」
「ありがとうございます。でもけっこうです。これは私の仕事道具ですから、自分で持っていきたいんです」
「おお、それは失礼しました。ではまずは王弟殿下の執務室にまいりましょう」
「はい」
グレアム伯爵の後ろをついて、胸を張って歩いていく。
私の歩く速さを考慮して、ゆっくり歩いてくれるのがありがたい。
歩くと自然にそろばんが揺れて、ケースの中から音がする。
これからずっと王宮の中を私が歩くたびにこの音がして、離れていても私が来たってわかるようになるのかしら。
それともみんながそろばんを持つようになって、この音はあちらこちらから聞こえるようになるのかも。
どちらにしても王宮での日々が楽しみで、どきどきわくわくよ。
これにて第一章は終了です。
第二章は「オバサンの地味で平和な王宮改革」です。




