オバサン、お茶の席に誘われる 1
私が何かしたわけでもないのに、ワディンガム公爵家の門をくぐるのは正直言って気が重かった。
ローズマリー様がいなければ、二度とここには来ることもなかったかもしれない。
ジェフに元の勤め先に行くのは嫌じゃないかと聞いたところ、別れを言えなかった知り合いの騎士が何人かいるそうで、会えるのなら話をしたいからと彼が馬車を動かしてくれている。
護衛兼侍女としてアレクシアも同行してくれているので、警備は万全。
王宮に顔を出すようになったら毎回この顔ぶれになるので、今から少しでも慣れておきたいわ。
ドナは今でも私の侍女として働いてくれているけど、自分では私を守れなかったし王宮にも行けないということで、今後は侍女としてのみ働きたいんだそうだ。
あの事件と、その後に王族や公爵、そして侯爵家の団体が屋敷に来たことで、使用人たちはかなり動揺していた。
王族はもう来ないだろうけど、ギルモア侯爵家の人たちはたびたび顔を出しそうな勢いなのよ。
使用人が平民ばかりだという男爵家の状況は理解してくれてはいるけど、失礼がないように教育をしないといけなくて、お母様が忙しそうにしていた。
「到着したわ。気を付けてね」
「アレクシア、敵地に来たんじゃないのよ。あまり露骨に警戒しないでよ?」
「わかってる。でも嫌がらせはされるかもしれないじゃない」
ワディンガム公爵の悪い噂がたったのは、ちゃんと仕事をしなかった執事のせいでしょ。 私を恨むのはお門違いよ。
それでも念のためにドレスはお母様に選んでもらって、質のいい一流品だけを揃えた。
夫人と夫人の侍女たちが私をどう思っているかわからない以上、問題になりそうな要素はなくしておきたいじゃない?
お母様の店で作った最新のドレスは、王宮に通う時にも着られるように濃紺でレースも少なめにして、襟や袖だけが白で胸元にリボンがついている。
ちょっと制服っぽさもあるところが気に入っているけど、スカートは膨らませないと駄目なのが残念よ。
アレクシアは今日もぶれずにゴスロリ侍女服姿だ。
戦闘メイドっていう職業があるの?
それを目指しているんですって。
「シェリル様、おひさしぶりです。よかった。お元気そうで安心しました」
玄関ホールまで出迎えてくれたのは、侍女長とローズマリー様の侍女のひとりだ。
屋敷に滞在していた時からよくしてくれていた人たちなので、自然と笑顔になれた。
「五日間もお世話になったのに、ご挨拶も出来ずに荷物だけ引き上げる形になっていたので、みなさんにもお礼を言いたかったんです」
「そのようなことはお気になさらないでください。あの男は捕まったそうですね。本当によかった。さ、どうぞこちらに。お嬢様が……」
「シェリル!」
今回もまたローズマリー様は、スカートを翻してバタバタと廊下を走ってきた。
白いドレス姿が可憐で、笑顔も以前と変わらないように見える。
あれからどうしているのかずっと心配だったから、元気そうで安心したわ。
「会いたかったわ!」
走ってきた勢いのままローズマリー様が抱き着いたので、倒れそうになった私を背後からアレクシアが支えてくれた。
「来るのが遅くなってしまってすみません」
「忙しかったんでしょ? さ、私の部屋で話しましょう」
今日は走ったことを叱らずに、私と手を繋いで歩きだしたローズマリー様を侍女長は微笑んで見つめている。
実はやっぱり、いろいろあったのよね?
そうよね、ないはずがない。
「今日はお母様が一緒にお茶をしようって言っているの。すぐに声がかかるはずよ」
ローズマリー様の部屋に到着して、侍女長と侍女が入らないで扉が閉められたので、何かあるのかと思ったら、そういうことなのね。
「あれからご両親に何か言われたりはしませんでしたか?」
「いろいろあったようななかったような。侍女長たちが少し時間を稼いでくれるけど、すぐに呼びに来るだろうから手短に話すわね。私が帰ってきた時には、お兄様とコーニリアスが屋敷にいたの。レイフが連絡してくれたのよ」
うちに来て、ワディンガム公爵がいると知ってから私の部屋に来るまでの短時間で、お母様に指示を出して、ジョシュア様とコーニリアス様にもある程度の事情がわかるようにして使いを送ったの?
「王弟殿下もレイフ様もすごいですね。有能というか、マメというか。本当に前世で実業家と議員秘書のコンビなんですか? 実はホストクラブの経営者とナンバーワンホストだったりしません?」
「ホストクラブなんて行ったことないからわからないわよ」
「私だって、あんなお金のかかるところに行ったことありません」
「今だったら店ごと買うお金があるのにね」
「男は面倒だから行く気になんてなりません」
「ふたりともやめて。顔を見ないようにしても声が子供だから違和感がひどいわ」
アレクシアに怒られて、私たちは顔を見合わせた。
転生者同士でそんなことを気にしてもねえ。
「アレクシアって最近お姉さんぶっているわよね」
「お姉さんなの。六歳も年上なの」
「そうですよ、ローズマリー様。アレクシアは王弟殿下と同じ年なんですから」
「そうだった。それは確かにお姉さんだわ」
「……あの方を基準にされるのは嫌」
やっぱり王弟殿下は老けているっていうのは、彼女たちも思っていたのね。
それにしても、あんなに美形でラスボスなのに、扱われ方が雑な気がするわ。
ワディンガム公爵にもひどい扱われ方をしていたし、もしかして不憫キャラなのかしら。
「そんなことより、時間がないんでしょ?」
「ああそうだったわ。それでね、私が帰る前にお兄様とお父様が言い争って、お父様は書斎に閉じ籠っていたの。お兄様が言うには、いくら古い付き合いだからと無能な執事をいつまでも庇うな。王弟殿下と張り合うのもやめろ。陛下と王弟殿下は朝まで飲み明かすこともあるくらいに仲のいい兄弟で、お父様が王弟殿下を軽んじたせいで会議中に怒られたんだ。シェリルは関係ないって話したそうよ」
容赦のない見事な正論だけども、それを子供に言われる父親の心境を想像すると気の毒になってくる。
ましてや公爵家の当主よ。プライドもあれば立場もある。
でもだからってジョシュア様を責める気にもなれない。
公爵家の当主なら、もっと冷静に考えて行動しろよって私でも思うわ。
特にローズマリー様を悲しませるような行動をとったことが許せなかったんだろうな。
「それでその日はお兄様とコーニリアスと三人で夕食を食べて、朝はひとりで部屋で食べたの。ひとりで食べるのは初めてだったけど、特に朝は楽でいいわね。両親と一緒の時はしっかり身だしなみを整えて、髪もセットして、食堂まで行かなくちゃいけなかったじゃない。部屋着のまま窓辺の席で食べる朝食は最高よ」
「わかるー」
アレクシアが同意して、ふたりで頷き合っている。
ローズマリー様が本当に八歳だったら、家族に冷たくされるのが嫌で親の言う通りに動こうとしていたかもしれないけど、中身は十九歳だもの。親より友達といるほうが楽しい年齢なのよ。
「じゃあ、あれ以来ずっと別々に食事をしているの?」
「まさか。お兄様はそのあたりはそつなく行動できる人だもの。補佐官の元で修業する話が決定したことを伝えて、自分の態度の悪さを謝罪したの。お父様もそれで機嫌を直して和解したけど……お兄様が優秀なのは自慢でもあり脅威でもあって、前から微妙な距離感はあるのよ」
「ワディンガム公爵からの謝罪は?」
「あの人は謝ったら死ぬ病気なんでしょ。私とはまったくその話はなしよ。まるで何もなかったみたいにいつものように話しかけてきたわ。だから私もいつものように答えて終わり」
私はローズマリー様の誕生日会の時の御家族の姿しか見ていなかったから、仲のいい理想的な家族なのかと思っていたけど、実は以前からいろいろあって、それらにきっちり答えを出さないで終わらせてきたしこりが積み重なって、家族の間の壁になっている気がする。
「ゲームのローズマリーの性格が悪かったのには、ちゃんと理由があったのかなって最近考えているわ」
「夫人のほうはどうなの? 全く話に出て来ないじゃない」
アレクシアに聞かれてローズマリー様は肩をすくめてみせた。
「あの人は仲のいい理想的な公爵家の家族を大事にしていて、そういういざこざは見ない振り聞かない振りを貫くのよ。お母様はまだあなたへの態度を決めあぐねているみたい。ギルモア侯爵家との関係が良好なら、あなたと私が親しくしたほうがいいと考えていて、今日はそのあたりを確かめるつもりなのよ」
「任せてください。私のほうが夫人より年上ですから」
この何日かで私の周りの状況は激変していて、今ではお付き合いしておいたほうがお得な相手になっているはずよ。
「ただ問題は、お茶の席に御呼ばれってしたことがないので、どうしたらいいのかよくわかっていないことです」
「お菓子を食べながらお茶を飲んで、お話すればいいのよ」
それはね、さすがに私もわかるのよ?
そうじゃなくて、私がローズマリー様に聞きたいのは礼儀作法のほうなの。
「そんなの気にしなくていいわ。私の隣に座って適当に話をしてくれればいいのよ」
「シェリル、ぶっつけ本番で臨機応変に」
ふたりとも他人事だと思ってない?
それからすぐに侍女長が呼びに来てくれて、私たちは季節の花が咲き誇る庭の中央にあるガゼボに案内された
ローズマリー様が言うには、季節ごとに使用する庭が用意されているので、いつでも季節の花を楽しむことが出来るんですって。
いったい何人の庭師がいるんだろう。
「いらっしゃい。どうぞお座りになって」
青いドレス姿のワディンガム公爵夫人の隣に、当然だという顔でジョシュア様が座っていた。
味方が増えたと喜んでいいのかしら。
「お誘いいただけて光栄です。大変お世話になりましたのに退去のおりに御挨拶が出来ず、心苦しく感じておりました」
「まあ、本当にしっかりとしたお嬢さんなのね」
しっかりと挨拶をして、ローズマリー様に手を引かれるままにテーブルに近付き、指定された場所に腰を下ろす。
夫人が意外そうな顔をしたから、いつもだったらローズマリー様はジョシュア様の隣に座るのかもしれない。
「最近、クロウリー男爵家の噂をよく聞くのよ。アマンダはギルモア侯爵のお孫さんだったんですってね」
さっそくその話?
子供相手だから、サクッと必要な情報だけ集めようってことなのかしら。
「あなたにとっては祖母に当たる方が、駆け落ちしたギルモア侯爵のお嬢さんだったのでしょう? これは……聞いていいのかしら」
「なんでしょう」
「あなたの祖母は、どんな方と駆け落ちなさったの?」
質問に答えようとして、場の空気がぴりついたのを感じた。
そういえばさっき私が席に着くときに、この屋敷の侍女は椅子を引かなかったしお茶も淹れてくれなかったので、アレクシアが全部やってくれたのよ。
ローズマリー様がテーブルを睨みつけながら膝の上で拳を握りしめたのも、侍女たちの私への態度が悪いのも、夫人が私の祖父は平民上がりの騎士だと思っていて、それをわざわざ私の口から言わせようとしているからでしょう?
そのくらいのことは予想していたから平気だけど、いくら子供相手だからってあからさますぎない?
「母上、御存じないんですか?」
意外なことに、ジョシュア様が呆れた口調で話し始めた。
「ギルモア侯爵のお嬢さんが駆け落ちした相手は、フェネリー伯爵の弟さんですよ」
「……え?」
「それより、役に立たない侍女を傍に置くと母上の品格が疑われますよ」
ジョシュア様が私の斜め後ろに立つ侍女を睨みながら言った。
振り返って顔を見る勇気はないので、知らん顔でお茶をいただいたけど、味が全くわからないわ。
「さがりなさい。そして荷物をまとめて出て行きなさい」
「……はい」
え? クビ?
私の椅子を引き、お茶を淹れる役目だったはずの侍女は、無言のまま一礼して足早に立ち去った。
お母様が、ギルモア侯爵家とフェネリー伯爵家という力のある由緒正しい家柄の両親から生まれたと知って、この場所での私の待遇がたった今、劇的に変化したんだわ。
これが貴族社会。これが身分社会だ。
社交界はだから関わりたくないのよ。




