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オバサン、そろばんの生みの親になる   5

 レイフ様も近寄ってきてケースからそろばんを取り出して眺めているので、書類は大丈夫なのかとギルモア侯爵家の方々が座っているテーブルを見たら、みんなが私を見ていたらしくて、うちの両親以外はさっと視線をそらして書類を見ている振りを始めた。

 なんだろう。

 じっと見ていたら私がこわがると思ったんかな。


 本当の子供なら初対面の巨大な男性や、厳しそうな雰囲気の年配の女性を怖がるだろうから、少しは怖がったほうがよかったのかしら。

 でも優しい人達なのに怖がったら申し訳ないし、おかげで好感度が爆上がりしているみたい。


 私たちが来る前に、すでにギルモア侯爵家側の書類はほとんど書き終えていたようで、事務官らしき人が次々と部屋に入ってきて、両親に説明したり書類を手に部屋を出て行ったりと慌ただしい。

 普通は手続き完了まで何日か待つものじゃない?

 王弟殿下の事務官が対応してくれているおかげで、優先順位が一番になっていそう。


 事務官の制服は、黒のインバネスコートの布地を薄くした感じのデザインだ。

 探偵ホームズが着ているようなやつね。

 女性は丈が短くて、ふわりとしたスカートにも対応できるようになっている。


「制服、素敵ですね」


 思わず王弟殿下のほうをくるりと振り返って言ったら、そろばんの説明を待っていた彼は疲れた顔でため息をついた。


「子供用のサイズはない」

「……」


 しかたない。

 ここは母親の店にたのんで……。


「目立たない服は着るなよ。ただでさえ小さくて視界に入らないんだ。昼休みなどの人の多い時間帯に踏まれるぞ」

「そんなには小さくありません」

「いいから、これの使い方を教えてくれ。知っていると思われるのはまずい」

「はい」


 知っているのか。よかった。

 どうせ王族がそろばんを使う機会なんてないだろうから、足し算と引き算を簡単に説明すればいいよね。


「マクレイ、ちょっと来い。人手は足りているだろう?」

「はい」


 茶色の髪と目の真面目そうな眼鏡の男性が駆け寄ってきた。


「シェリルにそろばんの使い方を教わりマスターしてくれ。他の部署に聞かれた時の説明係に任命する」

「は? この道具のですか?」


 王弟殿下にそろばんを押し付けられて、マクレイと呼ばれた事務官はとまどった様子だ。


「シェリル、彼はマクレイ第一級事務官だ」

「ではこの方が王宮のそろばん先生になるんですね」


 子供の私が教えるより、彼が生徒を集めて一度に教えてくれたほうが効率がいいし、教わるほうも素直に話を聞くでしょう。

 立ち上がって胸に手を当てて会釈する簡易の挨拶をした。


「シェリル・クロウリーです。よろしくお願いしますわ」

「ギルモア侯爵のひ孫だ。失礼のないようにな」

「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」


 ギルモア侯爵家の力はワディンガム公爵家と大差ないんじゃない?

 男爵令嬢への対応じゃないのよ。


「では、説明をさせていただきます」


 基本の説明はそれほど時間はかからないけど、そろばん教室があるくらいだから、この道具を完璧に使いこなすのはけっこう大変よ。

 ポチポチやっているだけなら、いらない紙に数式を書いたほうが楽だって話になりかねない。


「という感じです」

「なるほど。よく考えられている道具ですね」


 そりゃ前世では、世界中で何百年も愛用されている道具だからね。


「私もまだ練習途中ですが、慣れるとこんなふうに使えるというところを実演しますね。アレクシア、あの紙を」

「はい。こちらをどうぞ」


 紙にはずらりと数字が書かれていて、全部足すと一番下の数字になる。

 アレクシアが私と同じ物をマクレイ様にも渡したので、私が何をしているのか紙と照らし合わせて見ることが出来る。


「では始めますね」


 小さな定規を紙の一番上に描かれた数字の下に添えて左手で押さえ、これを徐々に下に移動しながら、右手でそろばんを使うのよ。 

 ギルバートと競って練習したからけっこう早いわよ。


「出来ました。数字、あってますね」


 計算を終えて顔をあげたら、マクレイ様が私の手元を真剣な表情で見ていた。


「早い! これはすごい。みんながこれを使えるようになれば、月末のしめ作業がはかどります」

「三個持ってきたので」

「これは私のですよ」


 レイフ様がケースとそろばんを抱えた。


「仕事で使うのでしたら、商会のほうにちゃんと注文して買いましょう」

「そうだな。十個くらい買ってみようか」

「でも今回、こんなにもいろいろとご尽力いただいたのですから、そのくらいのお返しはさせていただけませんか?」

「いいや。これはきみを危険な目に合わせたこちらの不手際の罪滅ぼしだ。このような特別扱いは今後はしないからそのつもりでいてくれ」

「それを聞いて安心しました」


 今後もこんな待遇だったら、働くのを辞退しようかと思っていたわよ。

 それにしても王弟殿下って責任感が強いわね。

 変態親父の件は巻き込まれただけなのに、ワディンガム公爵との対応の差にびっくりよ。

 いつもこんなに責任感を発揮していたら大変じゃない? 

 レイフ様も気配りの人で、さりげなく手を貸してくれちゃうし。


「今後は部下として、他の人と同じように仕事をくださいね」

「きみにはきみにしか出来ない仕事が待っているから心配するな」


 これからは仕事場にも行くんだから、年長者として手助けできることもあるかもしれないわ。

 彼らが無理をしないように、ちゃんと食事や睡眠をとるようにしてもらおう。


 一時間くらいで手続きが終わり、私のほうのそろばん教室も終了した。

 マクレイ様は覚えが早いし、そろばんの便利さもちゃんと理解してくれたわ。

 やっても無駄だって思ったら、どんなに優秀な人も覚えてくれないもんね。


「馬車まで歩くのは大変だろう。私が抱っこしてあげよう」


 大伯父様が私を抱き上げたら、両親と王弟殿下、レイフ様が慌てて止めようとした。


「この間、落とされたばかりだからこわいんじゃないか? 大丈夫か?」


 硬い街道の磁器タイルの上に頭から落とされそうになった私より、助けた王弟殿下のほうが顔色が悪くなっている。

 もしかしてトラウマになってる?

 私が思っている以上に危ない状況だったのかしら。


「シェリル」


 両親も心配そうなのを見て、大伯父様はまずいことをしたと思ったんだろう。

 降ろそうか、このまま抱いていていいのか迷って困ってしまっている。


「こうやって掴まれば大丈夫です」


 中身が図太いオバサンなので、全く平気よ。

 鈍いオバサンでもあるので、自分がどういう状況で落ちそうになったのかよくわかっていないし、あの時は暴れたからね、そりゃ落ちるよね。

 だから心配かけないように、笑顔で大伯父の首にギュッとしがみついてから、これはまずいかもと気が付いた。


「あ、苦しいですか?」

「はははは、きみの力くらいじゃまったく問題ない。落としたりしないから大丈夫だぞ」

「はい!」


 視界が高いわよ。

 みんなを上から見下ろせるっていいわね。

 大伯父様にしがみついたままきょろきょろしていたら、大叔母様がやさしい表情で近付いてきた。


「ありがとう。この人ったら乱暴でごめんなさいね」

「え? 高くて見晴らしがいいんですよ。私は歩くのが遅いので楽ちんで助かります」

「まあ、本当に大人びているのね。何か欲しい物はない? 親戚になった記念に何かプレゼントしたいわ」

「それはいいな」


 ああ、しっかり者かと思っていたのに、大伯母様も子供にプレゼントしちゃうタイプの人だった。

 どうしようかなあ。いらないというのは失礼だし子供らしくないわよね。

 そうだ。困った時には、消え物が一番よ。


「ギルモア侯爵領の特産品はなんですか?」

「特産品? そうねえ、酪農が盛んで地場野菜も豊富よ?」

「酪農!? チーズですね! 山盛りにチーズをかけたパスタが食べたいです!」


 チーズ大好き! 素晴らしい!!


「あら、おもちゃやドレスじゃないのね」

「そういうところは変わっているんです。甘い物より肉が好きで」


 お母様が余計なことを暴露している!

 私だってケーキは好きです。

 毎日甘い物はいらないってだけです。


「はっはっは。よいではないか。ギルモアの血を引く子供らしいぞい」


 曾祖父が楽しそうだから、まあいいわ。


「ギルモアでは、フォンドボーと上質なミルクを合わせた小さなミートボールが入ったパスタに、吹雪のようにチーズを削ってかけて食べるんじゃよ」

「ふあああ。美味しそう」


 親戚になってよかったと、本気で思った。最高!


「肉が好きなら、熟成肉もうまいぞ。ギルモア風の香辛料のつけ方を教えてやろう」


 ひいお爺様と大伯父様が美味しそうな料理の話を次から次へと話すので、涎が出そうよ。

 あれ? 王弟殿下とレイフ様がいつの間にかいない。


「部屋から出たところで別れたぞ」

「夢中になって煮込み料理の話を聞いていたから気づかなかったのね」


 ……次にお会いした時に、ちゃんとお詫びをしよう。

 大伯父夫妻に気に入られたようだし、子供らしさもアピールできたし、これはこれでよかったのよ。

 食べ物につられてしまうなんて女の子としては恥ずかしいけども、罪悪感なくたくさん食べられるのは成長期だけなんだから。




 王弟殿下の馬車で近衛騎士団の騎士の護衛付きで来て、ギルモア侯爵家の馬車三台にギルモア侯爵騎士団の騎士の護衛付きという行列で帰るという、なかなかできない経験をした。

 目立ちまくったわよ。

 たぶんクロウリー男爵家がギルモア侯爵家にえらい気にいられたとか、夫人がギルモア侯爵家の人間だとか、あっという間に噂が広がっているはず。


 屋敷に到着して、大男のひいお爺様と大伯父様を見たセリーナは、怖がってしまって父の背中に張り付いていたけど、ギルバートが大伯父様に肩車してもらって楽しそうにしているのを見て羨ましくなったようで、ひいお爺様に抱っこしてもらっていた。

 ギルモア侯爵家全員がメロメロで、翌日にはチーズと肉と地場野菜が大量に届けられた。

 商会の人や使用人に持って帰ってもらっても、まだ冷蔵室を圧迫しているわ。


 王宮で働くのは十日後からという話だったのに、翌日王弟殿下からの使いが来て、そろばんを持って三日後に王宮に来てくれと連絡が来た。

 財務省の経理に試しに使ってみせたら食いついてきて、その日に届けた十個のそろばんを全部持っていかれてしまったんだそうだ。

 さっそくマクレイ第一事務官大活躍しているらしい。


 そろばんは用意出来ているので王宮に行くのは問題ないけど、その前に、ローズマリー様に会いにワディンガム公爵家に行かなくちゃ。

 あの事件以来だから、ちょっと緊張するわ。






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