オバサン、そろばんの生みの親になる 4
王宮の中もひとつの街のようなものだと聞いていた通り、馬車が余裕ですれ違える広さの道が建物を結んでいて、その両側にはポプラかしら? 並木が植えられている。
歩いている人のほとんどが制服姿だ。
騎士や衛兵がほとんどで、たまに魔道士らしき人や文官の制服を着た人もいる。
みんな仕事をしているのよね。
派手なドレスを着込んで馬車に乗っている貴族たちより、働いている彼らのほうが格好いいし親しみが持てる。
王宮で働くようになれば、私も彼らの一員よね。
馬車は大きな建物の横を通り抜け、美しく整備された庭園の横を通り、シンメトリーの巨大なレンガ造りの建物の前で停まった。
東京駅にもう少し色を加えて、全体的に華やかにしたような建物だ。
「ここが政治を行う場所よ。法廷や議会室はこの建物の奥にあって、更に奥に王族の方々の執務室があるの」
アレクシア先生の説明に、両親も一緒になって頷く。
その奥には湖の周りを散策できる巨大な庭園があり、王族の住む建物は庭園の中に点在しているんだそうだ。
「間違いなく迷子になるわ」
「そんな自信をもって言わないでくれよ。心配になってきた」
私が王宮で働くことを、お父様はまだあまり賛成していない。
もう少し子供らしく家で過ごし、たまに商会の仕事をしてはどうだと何度も言われた。
王宮に来るのは週に二回だけだから、仕方なく我慢してくれている。
「お話は伺っております。本日は三番の部屋をご使用中ですので、そちらに御案内します」
「ど、どうも」
馬車を降りたらすぐに、燕尾服を着た侍従が駆け寄ってきた。
ここでも招待状を出す必要はなくて、あまりのVIP対応にお父様は腰が引けてしまっている。
王族の馬車で乗り付けて、近衛騎士を従えた私たちはいったいどこの誰なんだろうと、廊下を忙しげに行き来する人たちが、ちらちらとこちらを見てくるから緊張するなっていうほうが無理よ。
両親が先に歩き出し、私はアレクシアと手を繋いで後ろをついて行く。
さっと近衛騎士が周りを囲むように動いたので、いつの間にか数が増えていることに気付いた。
どんだけ警護に力を入れてくれちゃっているの。
王宮の中って安全なんじゃないの?
「会議室や打ち合わせ用の部屋は、予約すれば使えるのよ。この建物へ入れる人だけだけど」
「へえ」
小声でアレクシアが教えてくれたけど、周囲の様子を見るのに忙しくて生返事をしてしまった。
国の中枢だから豪華なのは当然とはいえ、建物自体が芸術品のようで圧倒されてしまう。
この場所で私の歩く速さに合わせてもらうと通行の妨げになりそうなので、ぱたぱたと小走りでみんなの早さに遅れないようにしていたら、またアレクシアが体を浮かせてくれた。
ほんの五センチほどなのでつま先を伸ばしたら床につくくらいだけど、アレクシアが手を引く速度に合わせて何もしなくても前に進めるので楽ちんよ。
おかげですぐに目的の部屋に到着した。
侍従がノックして扉を開け、私たちの到着を知らせてくれる。
彼が恭しく頭を下げて横に退いたので、爪先立って部屋の中を覗き込んだら、もう王弟殿下がいるのが見えた。
王族を待たせてしまったの? って慌てているのは私と両親だけ。
淡々と騎士たちが後ろに移動したので、扉の前には私たちだけが残された。
「時間通りですね。さあ、中へどうぞ。もうギルモア侯爵家の方々もいらしていますよ」
レイフが出迎えに来てくれてほっとした。
建物は豪勢だし、行き来する人たちはみんな偉そうに見えるし、騎士たちはしゃべらないし、緊張がピークになっていたのよ。
アレクシアが平気な顔をしているからどうにか顔には出さないでいられたけど、やっぱり帰りますって引き返したくなったわ。
「私たちが最後ですか? お待たせしてしまいました?」
「いえいえ、そちらはお子さんもいますし、別件で王弟殿下とギルモア侯爵は仕事のお話があったので、クロウリー男爵家の方々には、少し遅い時間に来ていただけるように手配したんです。ですから大丈夫です」
「ああ、そうだったんですね」
レイフ様の説明を受けてお父様はようやく安心したようだ。
今日のレイフ様は顔色もよくて健康そうで、初対面の時とは別人みたい。
忙しい時期を脱して、余裕をもって仕事が出来るようになったのかな。
「その子がシェリルか」
低い大きな声が聞こえたので慌てて振り返ったら、すぐ目の前にふたりの巨大な男性が立っていた。
この世界の建物はどれも天井が高いし、扉や廊下の幅も広いなとずっと思っていたのよ。その理由がようやくわかった。
こんなに大きな人達が使うんだったら、そりゃあ建物も大きくなるわよ。
ひとりは、昔見たアニメのハイジのおじいさんにそっくりだ。
眼光鋭く、怖そうな雰囲気もそのままよ。
もうひとりはハイジのおじいさんにサンタクロースのコスプレをさせたみたいな人で、だいぶお年を召していると思うのに矍鑠としている。
「おお、小さいのう。細いのう。ちゃんと食べているのか?」
「これはかわいい。うちの孫は男ばかりだったんだ。私のことはお爺さんだと思ってくれ」
ええっとサンタクロースバージョンがギルモア侯爵で、ハイジのおじいさんが大伯父のベネディクト様よね?
ちょっと待って。
話しながらどんどん近付いてこないで。
気を使ってしゃがんでくれても、まだ見上げないといけないほど大きいのよ。
「あ、あの……」
こういう時はどうするんだっけ?
何をどう言えばよかった?
「あなたたち、少しは遠慮して後ろに下がりなさい。シェリルちゃんがこわがっているでしょう」
大男の背後から年配の女性が近付いてきて、男たちの肩を遠慮なくべしべしと叩いた。
「いつもそれで子供を泣かしているのに、どうして同じことをするの」
「シェリルちゃん、この人たち、見た目は熊みたいだけど子供には優しいから大丈夫よ」
続いて前世の私と同世代の女性が現れた。
女性は特に大きくはない。むしろ華奢なほうだ。
ふたりとも髪をきっちり結い上げて、バッスルドレスのように後ろだけ少し膨らませたドレスにかっちりした上着を着ている。
この国の北部では彼女たちの着ているような伝統的なドレスを着ると、お母様に夕べ教わった。
冬はかなり寒い地方なので、子供でも膝丈のスカートなんて履かないんですって。
きっとギルモア侯爵領ってアルプスみたいなのよ。
「シェリル?」
私が反応しないので、お母様が肩に手を置いて顔を覗き込んできた。
いけない。
新しいことばかりで興味深いのと緊張しているのとで、反応が遅くなってしまっているわ。
「失礼しました」
怖がっていないと知らせるために、笑顔をギルモア侯爵家の方々に向けた。
「シェリル・クロウリーです。はじめまして。お目にかかれて光栄です」
スカートを摘まんでカーテシーをばっちり決める。
つま先まで綺麗に見えるようにって、礼儀作法の先生が言っていたわ。
「まあ、しっかりした子ね」
「泣かない女の子は初めてじゃない?」
どんだけ怖がられているのよ。
「私はベネディクトといってな。きみの祖母の一番上の兄にあたる。妹の娘は私の娘のようなものだし、妹の孫は私の孫のようなものだ。私の事はお爺様と呼んでおくれ!」
へ? 大伯父様じゃなくてお爺様って呼ぶの?
クロウリーのお爺様が怒りそうなんだけど。
「またあなたは、そんなことを言って。クロウリー男爵がお爺様でしょ。あなたは大伯父様!」
「そうよ。馬鹿なことを言わないの。そしてあなたはひいお爺様よ」
「ひいお爺様か。いいじゃないか!」
「父上ばかりずるいですよ」
熊のように大きくて強そうな男たちが、華奢な奥様方の尻に敷かれている。
気の強そうな奥様達も旦那さんを見る目は優しくて、男性陣も怒られるのを楽しんでいるみたいだ。
厳しい冬の土地で、そうやって力を合わせて生きていくのがギルモアの夫婦の形なのかな。
いいな。信頼し合っている感じが素敵。
クロウリーの祖父母やうちの両親のように、未だに仲良くのろけている夫婦も素敵だし、彼らみたいな関係も素敵だ。
前世でそういう関係を築けなかったのは、私にも問題があったんだろうな。
だから彼は他の女性を選んだのかもしれない。
許さないし、後悔なんてしないけどね。
私はちゃんと頑張って娘たちと協力して生きてきたんだから。
たぶん私は結婚に向いていないのよ。
「おまえたちはいつまでそこで騒ぐつもりだ」
部屋の奥にひとりで残っていた王弟殿下が、テーブルに頬杖をついて呆れた顔で声をかけてきた。
彼も今日はすっきり爽やかな雰囲気よ。
健康的な生活を送っているせいか、いちおう十代に見えないこともないわ。
「さっさと書類にサインしろ。呼び方はあとでいいだろ」
「そんな急かさなくてもいいじゃないですか。ひ孫と会えて感動しているんですよ」
「いいからあなたたちは書類を記入しちゃいなさいよ」
「しかしなあ、シェリルを抱っこしてみたくてな」
「あとでいいでしょ」
今まで出会った貴族と、だいぶタイプが違うわね。
ワディンガム公爵とは仲良くなれなさそうな人たちだわ。
「そうだ。殿下、バークリーのやつを怒鳴りつけてやりましたぞ。あの馬鹿、ポロックがさらおうとしたのがわしのひ孫と知って青くなっておったわい」
「使えないやつを殿下に推薦したことも、父がしっかり嫌味を言っておきましたから、改めて詫びに伺うと思いますよ」
「当然だ。いい年をしてわしのひ孫と結婚するなんて頭のいかれたやつを、派閥から追い出したら終わりだなんて責任感がなさすぎる。王宮で働くのじゃろ? あの野郎にしっかりシェリルの味方になるように言っておいたぞ」
侯爵同士は仲がいいのかな。
それともギルモア侯爵家は侯爵の中でも強いのかな?
「ひいお爺様、ありがとうございます」
「このくらいはお安い御用じゃぞ。それより、もう一度ひいお爺様と呼んでくれないか?」
「あなた!」
「……わかっておるわい。いいじゃないかちょっとくらい」
大丈夫かな、この人たち。
ギルバートとセリーナに会ったら大騒ぎになりそう。
「シェリル、そろばんはどうする?」
アレクシアに聞かれて思い出した。
そうよ。王弟殿下にそろばんを渡さなくては。
除籍してしまった祖母をギルモア侯爵家の一員に戻す書類を作るのと、祖父と祖母が結婚したという正式な書面を用意し、母がギルモア侯爵家の血筋であると証明できるようにするのが、ここに今日私たちが集まった理由だ。
お爺様はフェネリー伯爵家の三男だけど騎士爵を得て独立したので、婿養子にするという力技を発動して、母の旧姓をギルモアにしてしまおうって話なので、今日はフェネリー伯爵家の人は参加していない。
でもうちの両親が結婚した頃には、ギルモア侯爵家とフェネリー伯爵家は和解し、今ではいい関係を築いているそうで、母や私を守るためにもギルモア侯爵家一族に加わったほうがいいと言ってくれているんだそうだ。
だから書かなくてはいけない書類がたくさんあって、その間私は暇なのよ。
王弟殿下も暇そうなの。
話しかけても平気よね?
アレクシアと一緒に王弟殿下が座っている席に近付くと、気付いた殿下が片目を細めてなんだよという顔をしてきた。
「そろばんが出来たのでお持ちしました」
「こちらになります。どうぞ」
アレクシアが皮のケースに入ったそろばんを三個、恭しく殿下の傍のテーブルに置いて、すぐに私の横まで戻ってきた。
ギルモア侯爵家の人がいるので、侍女に徹する気なのかも。
王弟殿下はケースからそろばんを取り出し、ひっくり返したり、揺らしてみたりして、
「いい音だな」
ギルバートみたいなことを言い出した。
そろばんを知らない振りをしているのよね?
まさか本当に使い方がわからないわけじゃないわよね。




