オバサン、そろばんの生みの親になる 3
忍者みたいというのがどんな人なのかはわからないけど、たぶん王弟殿下のところで働いている転生者なのよね?
興味はあるけど、必要なこと以外は情報を簡単には教えないアレクシアや他の転生者の態度は、安心出来る。
私のことも簡単には教えないってことでしょ?
王弟殿下は忙しい方だから、その忍者くんが有能だとしても返事が来るのは早くて明日、ギルモア侯爵との面会の日までにもらえればいいと思っていたのに、食事を終えて部屋に戻ったらすぐにアレクシアがやってきた。
「結果から言うと問題ないそうよ」
「よかった」
「そろばんがそんなに売れるのか、王弟殿下もレイフも首を傾げていたみたい」
転生者の中では、そろばんの評価は低いのね。
まあ、おぎゃあと生まれた時から携帯があった人たちに、そろばんの便利さはわかるまい。
「それならなおよかったわ。自分も作っている途中だったって転生者はいないってことよ」
あれからすぐにお父様がお爺様と大伯父様に連絡をしたのなら、そろばんに関する動きは止まっているはず。
私もそろばんをどういうやり方で広めていくか、真剣に考えなくては。
転生者と商人のそろばんに対する評価の違いが著しいけど、ここはお爺様の意見を信じよう。
「やっぱり王宮に行く時に、三個くらいはそろばんを持参しよう」
王弟殿下にはお世話になっているんだし、事務仕事をしている人たちに早く使ってもらいたい。
彼らが便利だと思ってくれたらいいなあ。
アレクシアも王弟殿下もレイフ様もあんなに疲れた顔をしていたのよ?
もしかしたら王宮で働いている人の中には、他にも倒れそうなほど忙しい人がいるかもしれないじゃない。
そしてたいてい仕事の出来ない、あるいはやらない人の分まで、真面目で優秀な人がやらないといけなくなっているもんよ。
「ありがとう。これでそろばん商品化計画を進められるわ」
「そういえばついさっき、あなたのお爺様がこちらに向かっているから、途中から転移で連れてきてくれって頼まれたわよ。王宮であなたに会ったら、ギルモア侯爵家の人たちはギルバートやセリーナにも会いたいって言いだすに決まっているから、その前に孫たちに会いたがっているみたい」
「大伯父より自分のほうが孫たちと仲良しだって見せつけたいのかしら。セリーナに会ったらお爺様方はメロメロでしょうね。中身も正真正銘の五歳の天使だから」
甘やかそうとするお爺様方の姿が目に浮かぶようだわ。
でもきっとセリーナは、
「私だってお姉様みたいにしっかり者なの!」
って、頬を膨らませてすねるのよ。
それがまた可愛いんだ。
男性陣がプレゼントを与えすぎたり甘えさせすぎるせいで、我儘な子に育ってしまうかもしれないってお母様が心配していたわね。
セリーナはそんな子じゃないと思うけど、私だけでもお母様を手伝って、セリーナが素敵なレディに育つようにしなくては。
そして王宮に行く日がとうとうやってきた。
侍女たちが朝から気合を入れて準備してくれたおかげで、鏡の中の私は自分でも驚くくらいに可愛い。
どのくらい時間がかかるかわからないので、負担にならないように考えてくれたので、ドレスはかわいさだけじゃなくて動きやすさも重視して選ばれている。
髪は小さな髪飾りだけをつけて、アクセサリーも重たくないように小ぶりな宝石がついた物を選んでくれた。
「あら可愛い」
昨夜、祖父母が屋敷に来たので、そろばん販売に関してはしっかり話し合いが出来たわ。
私に支払ってくれるお金が多すぎて、もっと少なく設定してくれって受け取る側が値下げ交渉しちゃったわよ。
「シェリル、両親の傍を離れては駄目だぞ。王宮には嫌な大人がたくさんいるんだからな」
「はい、お爺様」
祖父母は王宮には行かないで、ギルバートとセリーナと一緒にお留守番よ。
時間通りに迎えの馬車が来たと知らされて、そこまでは祖父母も見送りに来てくれたので、全員で玄関から出て、王族の紋章入りの立派な馬車が停まっているのを見て絶句した。
私が普段使っている馬車も成金貴族らしい大きくて立派な馬車なのよ。
でもそれよりも一回り大きくて、黒地に金色の飾りがついているのでともかく目立つ。
屋根には小さな国旗と王家の旗が翻り、近衛兵が三人もセットでついて来ていた。
近衛は王族を護衛するのが一番のお仕事だけど、同時に王族がより特別な存在に見えるように配置されるじゃない? だから制服が派手なのよ。
金色の縁取りのついたボルドー色の制服に、肘までの長い白い手袋をはめて黒いブーツを履いてマントを羽織っている。
制服って三割り増しで格好良く見せる効果があるわよね。
三人とも長身で体格がよくて、男爵家なんかに迎えに来なくてはいけなかったのに嫌そうな顔なんてまったくしていない。
近衛は貴族じゃないとなれないから、彼らの家のほうが身分が高いなんて普通にあるからね。
「王弟殿下の本気を見たわ」
隣にいたアレクシアがぼそっと呟いた。
「前回、あんなことがあったので今回は万全な体制でシェリルをお迎えする気なのよ」
ああ、変態親父に拉致されそうになったのを助けてもらったもんね。
あの時、自分が馬車に乗るのを見届けるべきだったと、うちの両親に頭を下げて詫びてくれたんですって。
王弟殿下に頭を下げさせてしまったって、両親は真っ青になったそうよ。
今日はアレクシアも一緒に王宮に行くの。
招待状にそれぞれひとりずつ随行人を連れてきていいよって書かれていたんだけど、王宮に一緒に行く人を選ぼうとしたら、みんな嫌だって逃げ腰になっちゃったのよ。
高位貴族のお家にさえ行ったことのない平民の使用人たちに、急に王弟殿下に招待されたから王宮に行こうってハードルが高すぎたわ。
でも誰も連れて行かないのもおかしいし、なにより私をひとりにしたくないから傍に張り付いていてくれる人がほしい。
それでアレクシアにお願いしたの。
彼女なら初めて王宮に行く私達より慣れているから、両親も安心でしょ?
「お手をどうぞ」
茫然と馬車を見ていたら、私が乗る番がやってきた。
馬車に乗るには小さな階段を上らなくちゃいけないから、子供の私だと危ないので近衛のひとりがエスコートするために手を差し出してくれていた。
両親はもう馬車の中で、アレクシアは私の後ろで自分が乗る順番を待っている。
ここは遠慮せずにお願いしたほうがいいわね。
私に合わせて身を屈めてくれている近衛兵の顔を見上げて、にっこり笑顔。
差し出された大きな手にちょこんと小さな手を乗せて、転ばないように足元を見てよいしょと階段を上った。
この世界の子供のドレスが膝丈なのがありがたい。
踵が隠れる長さのドレスだったら、ここで転んでいたかもしれないわ。
「大丈夫ですか?」
「平気」
むしろ話しかけないで。
一段が高いのよ。
「あ」
ふわっと体が浮き上がり、ゆっくりと馬車の中に移動していく。
首だけ後ろを向けて振り返ると、アレクシアがウインクしていた。
「魔法……」
「おひさしぶりです」
「え?」
男爵家に魔法を使える侍女がいるのが意外だったのか、茫然と呟いた近衛兵にアレクシアが無表情で挨拶した。
彼女は魔道省から王弟殿下の護衛として派遣されていたんだから、王弟殿下付きの近衛兵と顔見知りなのは当然よ。
でも三人ともアレクシアに気付かなかったようで、声をかけられても不思議そうな顔をしている。
そりゃあ以前の疲れ切って厚化粧で、野暮ったいドレスを着たアレクシアしか知らなかったら、そういう反応になるわよね。
今日のアレクシアは豊かな黒髪を下ろして、ゴールドの揺れるピアスを付けている。
裾が燕尾服のような形をしたゆったりと動きやすい上着に、パニエで膨らませたスカート。太腿の半ばまでのスパッツに膝までもごついブーツ姿の彼女は、まさしくゲームで出てくる魔法使いのようよ。
服は警護してくれるアレクシアのために母が用意したもので、全身黒で統一してアクセントに赤を使っている。
これを機会に他の警護の人達の制服も作ったので、ひとめでうちの人間だとわかるようになった。
「ありがと。アレクシア」
「アレクシア?」
「え?」
驚いてる驚いてる。
アレクシアがこんなに美人さんだって気付いていなかったでしょ。
薄化粧にしても十八くらいには見えるから、急に騎士たちの背筋が伸びてアレクシアを意識しているのがまるわかり。
「どうぞ」
「どうも」
でもアレクシアのほうはそっけない。
急に態度を変えられても、だからなんなのって感じのようだ。
「中も広い」
両親が並んで座ったので、私は向かいの奥の席に腰を下ろした。
椅子の座り心地が馬車のものとは思えないわよ。
天井も高くて窮屈さを全く感じない。
「これは……目立つな」
窓にはレースのカーテンがかかっていたので、お父様が少しだけ開いて外を見てすぐに閉じた。
道を行く人たちが足を止めて注目しているんだそうだ。
「そりゃあ男爵家からこの馬車が出てきたら、何事かと思うよな」
「でもこの前王弟殿下がいらしたときにも、この馬車だったんでしょ?」
「シェリル、王弟殿下は普段は馬に乗って移動するのよ」
アレクシアに言われて首を傾げた。
じゃあ、この馬車は何のためにあるのよ。
「さあ? この馬車が使われるのは、何年振りかしら」
「……だから注目されているのね」
おそらく自然と周りの馬車が道を譲るんだろう。
まったく止まらずに一定の速さで馬車は王宮に向かっていく。
ああ、ここはワディンガム公爵家の傍の道だわ。
この敷地の向こうの道の先が王宮なのよね。
「うわあ、壁が高い」
そしてどこまでも続いている。
さすが王宮。敷地が巨大だわ。
山手線の内側位あっても驚かないわよ。
どきどきと急に鼓動が早くなり緊張してきた。
前世の私だったら、たぶんここでトイレに駆け込んでいる。
ほぼ毎日決まったルーティーンを繰り返していたオバサンには、こんな驚く体験はありえないし、したいとも思わなかった。
でも今の私は、どきどきと一緒にわくわくも感じていて、この先の展開が楽しみでしょうがない。
「まだ入り口につかないの?」
「そろそろよ」
目の前では緊張した両親が、手を繋いで身を寄せ合いながら窓の外を見ていた。
もうカーテンを開けても注目はされず、横を通り過ぎるのは高位貴族の大きな馬車ばかりだ。
「あ、門が見えた」
門もひとりでは開けられそうにないほどに大きい。
左右に小さな詰め所があり、その周りに衛兵が何人も待機して出入りする馬車のチェックをしていた。
「招待状を見せるんだな」
「お父様、もう門を抜けました」
「え?」
さすが近衛兵付きの王弟殿下の馬車ね。
ノーチェックで王宮にはいれたわ。




