見た目は幼女、中身はオバサン 3
「こっちに書かれている文章は……こわい。変わっている。ううん。大丈夫。お兄様も心配いらないって」
これは日本語だわ。
私以外にも転生者がいるってこと?
それも今日ここに!?
誰なんだろう。
いくつくらいの人なのかな。
この文字と文章から女性のような気がする。
知り合いになれて、この世界のことを教えてもらえたらだいぶ心強いんだけど、他人に言える話じゃないから関わり合いになりたくないと思われるかもしれない。
文章も不穏な様子だし、ノートを落としたことに気付いて今頃焦って探し回っているかもしれないわ。
「お嬢様、危ないですから走らないでください」
まずい。誰か来た。どうしよう。
ノートを落とした人ならいいけど、そうじゃなかった場合はこれを見せるわけにはいかない。
「急いで見つけないと。どこに落とし……」
私から向かって左側には花壇が続き、右側には水路が巡り、その向こうに美しい花をつけた低木が並んでいた。
その低木の茂みの間から飛び出してきたのはローズマリー様だった。
「あ……」
水路にかかった小さな橋を渡ったローズマリー様は、私を見つけて驚いて立ち止まった。
小枝に引っかかったのか髪が乱れて、顔色は変わらず悪いままだ。
「お嬢様?」
侍女の声にはっとして我に返った彼女は、私がノートを持っていることに気付いた。
「そのノート! どうして」
「そこに落ちて……きゃ」
私の答えを待たずに駆け寄ってきたローズマリー様は、体当たりしそうな勢いでノートをひったくった。
急いで手を離したからいいけど、ノートが破れるところだったわよ。
でもそんなことを言える雰囲気じゃない。
ローズマリー様の顔は真っ青で、今にも倒れてしまいそうなほどの悲壮感が漂っている。
「よ……んだ?」
「いいえ。でもこの紙が落ちていて」
差し出した紙を見てローズマリー様はひっと息をのみ、再び乱暴にひったくった。
初対面のどこの誰ともわからない子供に、秘密を知られてしまった恐怖でパニックなんだろう。
どうにか安心させてあげたいんだけど、なんて言えば信用してもらえるんだろう。
「あの……」
「なんで? なんでよ!」
「お嬢様!?」
ノートとくしゃくしゃになった紙を両手で胸に抱きしめて、涙を流しながら叫ぶローズマリー様を見て侍女が血相を変えた。
まだ若い。二十歳になっていないと思う。
「この娘が何かしたんですか?」
ローズマリー様の肩を抱きながら侍女が私を睨みつけた。
「お嬢様を泣かせるなんて許せません。いったい何をしたの!」
「やめて」
今にも私に飛び掛かりそうな侍女に、ローズマリー様がしがみついた。
「私が悪いの。あの子は悪くないの。お願い。何もしないで」
「でも」
「いいの。私が悪いの。ごめんなさい!」
ローズマリー様は叫ぶと踵を返し、元来た方向へと走り出した。
「お嬢様!?」
わけのわからない侍女は、茫然としている私に急いで一礼してからローズマリー様を追いかけて駆けだした。
もしかしたら私も、倒れそうなひどい顔をしているのかもしれない。
「……どうなってるの?」
……ローズマリー様も転生者だ。
それも日本人。
あんなに情緒不安定になるなんて、いったい何を恐れているんだろう。
秘密を守るためなら、あそこで私を捕まえて口止めしないと駄目なんじゃない?
でも彼女はあんなに動揺していたのに、私を庇ってくれて謝ってくれた。
彼女は何も悪くないのに。
もしかして……私詰んだのでは?
この後、どんな顔でローズマリー様に会えばいいの?
ローズマリー様に嫌われてしまったら、この家の世話にはなれないかもしれない。
お話し相手どころか、普通に侍女として雇ってもらうのも難しそう。
顔を合わせない仕事なら、なんとかならないかなあ。掃除は得意なんだけどなあ。
はあ、嫌われてしまったことを両親に話さなくちゃ。
がっかりするんだろうなあ。
その後、どうやって屋敷まで戻ったのかは覚えていない。
考えなくてはいけないことが多すぎて、思考の海に沈んでいたら両親が私を見つけて声をかけてくれた。
「そうか。仲良くなれなかったのか。それは仕方ないね」
「ごめんなさい」
紙に書かれていたことは話せないので、ローズマリー様に中庭で偶然会って挨拶はしたけど、避けられてしまったということだけ両親に話した。
せっかく私のために両親がいろいろと考えてくれたのに、全て無駄にしてしまった。
まだ両親とも二十代という若さだから、あまり苦労をかけたくないのに。
「そんな落ち込まないで。いざとなったら問題が片付くまで一緒に領地に籠りましょう。ワディンガム公爵様が力を貸してくださるそうだから大丈夫よ」
「そうだよ、シェリル。今日はもう帰ろうか。途中でシェリルの好きなケーキを買って帰ろう」
両親に慰められて、私は何度も頷いた。
子供の体は涙腺が弱い。
それか年を取って涙腺が弱くなっているのかも。
「もう帰るのか?」
両親に連れられてホールを出てすぐ、廊下の向こうからワディンガム公爵夫妻が急いでやってくるのに遭遇した。
「すまない。ロージーが見当たらないんだ。ジョシュアに探させている」
「それが……中庭でシェリルはローズマリー様に会って、嫌われてしまったそうで」
「そうなのか?」
長身の大人たちに一斉に見降ろされて、どうしていいかわからずに頭を下げた。
「すみません」
でも、この世界では頭を下げる習慣ってあったっけ?
こういうときはどうすればいいの?
「まあ、そんなかしこまらないで。うちのロージーは少し変わっているから、仲良くなれる子のほうが少ないのよ。でもいい子なの」
母親に変わっているって思われるって、どういう子なんだろう。
でもきっとあんな動揺していなければ、しっかりした優しい子なんだと思う。
彼女は公爵令嬢なのよ?
男爵令嬢の私に気を使う必要なんてないのに、私が困らないように侍女を止めてくれて謝ってもくれたわ。
「今日はこれで失礼させていただこうかと思っておりました。この子もだいぶ落ち込んでいるようですので」
「そうか。残念だが」
「ちょっと待ってください!」
絶妙なタイミングで声がかかった。
廊下にもたくさんのお客さんがいたのに、あの大人びて耽美な雰囲気まで漂わせていたジョシュア様が大きな声で叫びながら走ってきたのだ。
いったいなんの騒ぎだと、みんなが私たちを見ている。
それにジョシュア様って本当に人間なの?
急いでここまで来たはずなのに、まったく息をきらしていないどころか、前髪すら乱れていないのよ。
「ロージーが見つかりました。そちらのシェリル嬢と中庭で会った時は、落とし物を探していたところで、突然木の陰からシェリル嬢が出てきて驚いて叫んで逃げてしまったそうです」
さりげなく悪かったのは私だって話にするあたり、抜け目がないなあ。
妹がかわいいからって、誰に対してでもそういう態度だったら問題あるわよ。
「奥の噴水のところまでお客様が入ってきているとは思わなかったんでしょう」
「お兄様、やめてください。悪いのは私なんです」
今度はローズマリー様が、人の間を縫ってバタバタと駆け寄ってきた。
こちらはジョシュア様とは違って髪がぼろぼろで息が切れている。
声が裏返って悲鳴のようになってしまっていた。
「さっきはごめんなさい。お願い、帰らないで」
さっきはローズマリー様が逃げ出したのに、今は私を逃がさないとでも言うように両手でガシッと手を握ってきた。
「ロージー、落ち着いて」
「でもお兄様、嫌われたくないんです」
周りの目があるのに、その姿はまずい。
変わっていると噂になっているのなら、もう少し慎重に行動しないと。
「謝っていただくようなことをされていませんよ?」
私からもローズマリー様の手を軽く握り、微笑みながら言った。
「私こそ驚かせてしまってすみません」
「いいえ、いいえ、私が」
「そんなに首を振ったら、せっかくの可愛い髪飾りが取れてしまいます」
「え?」
転生者だとしたら中身は大人なのかもしれないけど、それでもこんな小さな女の子が必死になっているなんてほうっておけないわ。
ジョシュア様だって妹を庇いたかったのよね。
お兄ちゃんとして頑張っているのよ。
「嫌ったりするわけありません。よかったら今度はお話をさせてくださいね」
「今度? 駄目よ、今日がいいわ」
今日?
急になんでそんなに積極的なの?
「あの、でも今日はローズマリー様のお誕生日会ですし、他のお友達ともお話をしないといけないのではないですか?」
「それは大丈夫だよ。ロージーは友達がいないんだ」
ちょっとジョシュア様、さっきは妹を庇ったのに急に落とさないでよ。
「年が近い子供たちは、ロージーの相手としては幼すぎるんだよ」
ああ、そうか。
転生者だから幼女のふりはつらいんだ。
わかるわかる。私も自分の幼女ぶりがかなり気持ち悪い。
でも、ここにいる多くの親が自分の子供をあなたたちの友人にしたいと思っているんでしょう?
気に入られたら、将来安泰だもんね。
道理でさっきから背中に視線が刺さっているはずよ。
「ジョシュア様もローズマリー様も聡明でいらっしゃいますからね」
何度も頷きながらお父様が言った。
商売人はこういう時にフォローが上手い。
「まったく誰に似たんだか。でもシェリル嬢も八歳には見えないな」
「そうなんです。妙に数字に強かったり、商売に興味があったり。驚くような意見を言う時もあるんです。ですからローズマリー様のお話し相手になれるかもしれないと思ったんです」
前世の記憶が戻る前から、何をやらかしているんだ私は。
数字に強いのも商会の仕事を手伝っていたのも、記憶にあるからわかっていたけど、天才少女と言われているなんて知らなかったわ。
「でも、その割に世間知らずで子供っぽい物が好きなんですよ。ぬいぐるみにもリボンをつけて、フリルのドレスを着させるのが好きなんです」
お母さま、もう許して。恥ずかしいから。
寝室は見ていないから、ぬいぐるみの存在は忘れていたわ。
いいじゃない? ぬいぐるみにリボンをつけたって。
小さくて可愛い物が好きなのよ。
手触りがいいと最高よ。癒しなの。
「ロージーもシェリル嬢もばたばたしていて何も食べていないみたいですし、僕たちでアフタヌーンティーをしながら話すのはどうでしょう」
ジョシュア様がさりげなくローズマリー様の肩を抱いて、まっすぐに私の目を見ながら言った。
断るなよって言いたいんですね、わかります。
「ロージーはそれで大丈夫? まだ少し顔色が悪いみたいよ」
「大丈夫ですわ、お母様」
「コーニリアスも呼びましょう。それならロージーも安心でしょう」
「それがいいわね」
私を置き去りにして、ワディンガム公爵家の人たちだけでどんどん話を進めていく。
いえ、文句なんてありませんよ。
うちはしがない男爵家ですから、お茶に誘っていただけるだけで光栄です。
両親も私がワディンガム公爵家の子供たちと親しくなれそうな雰囲気に、安堵しているのがわかるから嫌だなんて言えない。
でもさ、突然出てきたコーニリアスって誰なの?
ただでさえアウェイなのに三対一はひどくない?




