オバサン、そろばんの生みの親になる 2
その日の夕方、もうすぐ食事の時間だという時にお父様が私の部屋にやってきた。
「先程、父から速達が届いたんだ」
父の言う速達というのは魔法陣の上に手紙や荷物を乗せて、転移先を特定したスクロールを使用して届ける方法よ。
スクロールがまず高いし、魔法陣も専門の魔道士に完璧に書いてもらわないと発動しないので、平民は必要な時だけ業者にたのむの。
でも貴族は契約している魔道士が複数いるのが普通なので、各屋敷に魔法陣の部屋があるのよ。
「ギルモア侯爵の息子さんのベネディクト様が父の元に尋ねてきたんだそうだ。僕たち夫婦とは話をしているけど、まだ父には会っていなかっただろう。だからお礼と、今後は親戚として親しく付き合いたいと挨拶をしに来たんだそうだ」
まあ、義理堅い人なのね。
あちらのほうが身分が上なのに、わざわざ領地の屋敷まで尋ねてくださったの?
父方の祖父、つまり前クロウリー男爵は今も元気いっぱいで、領地で商会本部を取り仕切っている。
昔はただの田舎町だった領地が、木工品を商会で売り始めたことで職人たちの生活が安定し、毎月の収入が見込めれば消費が増えて他の産業も安定していくという、緩やかだが確実な変化を目にして、なによりお金を得ることが領地経営には大事だと考えるようになった人だ。
自分が贅沢したり溜め込んだりするんじゃなくて、そのお金を元手に新しい事業を始めて、また儲けが出たら領地の街道や街を整備して暮らしやすくしていくために使うので、うちは領地民には大人気なのよ。
大貴族で金を余らせているのに領地を放置している貴族や、身分が高いことを威張り散らして遊んでいるだけの貴族は大嫌いで、さっさと爵位をお父様に譲り領地に引っ込んでしまったの。
だから、私が男爵家の娘だからと公爵家の執事が適当に仕事をしたと聞いて憤慨し、家族を連れて領地に帰って来いとお父様に言っていたそうよ。
「ギルモア侯爵のことも大嫌いだったんだよ。父が昔、義母が病の夫を抱えて困っている時に手を差し伸べたのも、嫡男じゃないから、身分が違うからと結婚を反対したギルモア侯爵の考えをくだらないと思ったからだったんだ」
「そうなんですか!?」
恋人がいるのに政略結婚をさせられそうになったお婆様が、侯爵家の騎士だったお爺様と駆け落ちしたのよね。
駆け落ちしてしばらくは、騎士のお爺様が護衛の仕事を得ていたのでそれなりの生活をして、子供も生まれて幸せに暮らしていたんだけど、お爺様が怪我を負い、仕事が出来なくなり、お嬢様として育ったお婆様が何をして働けばいいかわからなくて困っている時に、父方の祖父母に偶然会ったんですって。
「うちの母と義母が学園で顔見知りだったんだ。駆け落ちしたというのは聞いていたからほっとけなくて、名目上は侍女として雇うということで屋敷に招いたんだよ。それで僕とアマンダは出会ったんだ。子供の頃から彼女は可愛くてね」
のろけが始まったのでそこは聞き流す。
妻がいかにかわいかったかを結婚して十年経っても嬉しそうに話す男がいるって、私にとっては驚きだわ。
「義母は刺繍とレース編みが大変上手かったので、商会で扱うようにしたら高額で注文する人が出てきたんだ。だから屋敷にいたのは半年ぐらいで、その後は街に家を持って暮らしたんだよ。シェリルも遊びに行ったことがあるだろう?」
「はい。お婆様の作るレースはとても綺麗で、作ってもらったリボンをまだ持っています。お爺様は私が四歳の年に亡くなったんですよね」
「そうだね。街から離れた場所で怪我を負ったせいで治療が遅れて、それ以降病弱になってしまったけど、見よう見まねで木工細工を作って稼ぎにして、夫婦仲良く暮らしていたんだ。だから義父が亡くなってからすぐに、後を追うように亡くなったんだよ」
お婆様は侯爵令嬢で贅沢な暮らしに慣れていたのに、一度もお爺様に恨み言を言ったことがなかったと聞いた。
お爺様が元気だったころはその稼ぎで、その後はお婆様の刺繍やレースの稼ぎとうちの両親の援助もあって、お金の苦労はそれほどしなかったみたいだけど、でも生活ランクを落とすって大変だと思うのよ。
新婚当時はいいけど、何年も経って互いの存在にありがたみを感じなくなる夫婦って多いじゃない。
うちなんてその典型だったわ。
でも木工細工を作るお爺様の傍で刺繍をするお婆様は、いつも幸せそうに微笑んでいた。
日当たりのいい窓辺に座るふたりは話をするわけでもなくて、ただよりそっているだけだった。
それでもその姿を見るだけで自然とこちらも微笑んでしまうような、優しい空間だったのよ。
「この間初めてお会いした時にその話をしたら、ギルモア侯爵は号泣されてね。一時は怒りに任せて娘を除籍してしまったが、やはりかわいい末っ子が心配で探していたそうなんだ。だからうちが仕事を頼んでいたことも、僕とアマンダが結婚して義両親に援助していたことも知っていらしたんだ。本当は一度、内緒でベネディクト様が会いに行ったらしい。でも義母は頑固な人だったから追い返したそうなんだよ」
お母様が意外と頑固なのはお婆様譲りなのね。
見た目はたおやかなのに、ふたりともけっこう芯が強いのよね。
「ギルモア侯爵がお元気で王都で働いている分、ベネディクト様は社交界から一歩引いて領地経営をしているだろう? 父も社交界から離れて商会の仕事と領地経営をしているので共通の話題が多くてね、意気投合したんだそうだ」
「はあ」
そういえば、なんでお父様はこの話をしにわざわざ私の部屋に来たんだろう。
夕食の時にすればいい話よね?
「それで父が孫娘自慢をしてしまってね」
あ、嫌な予感がしてきた。
「ベネディクト様のお孫さんはみんな成人しているそうで、自分も亡くなった義弟の代わりに祖父として幼い孫を喜ばせたくなったんだろうね。きみのそろばんの試作品を見て、この商品を大々的に売り出そうと父と盛り上がったんだそうだ」
大々的に売りに出す?
それはまずくない?
王弟殿下に売り込もうと思ったし、注文がいくつか入っていたと聞いても放置したのは、どうせそんなには売れないと思ったからよ。
この世界にだって計算を補助する道具はいろいろあるんだから。
「しばらくほとんどの職人にそろばんを作ってもらって……」
「やめて。どうして私が考えた物なのに、私の話を聞かないで決めてしまうの?」
「え?」
「商品にするなんて言っていないわ。私が使うために作ったの。それを便利だと言ってくれる商会の人達やお得意さんが使うのと、商品にして大々的に売りに出すのは全く別の話だわ」
「もちろん収入の何割かはきみに渡すよ」
「お金の話じゃないの」
商売には早さも必要なのかもしれないけど、話の展開が早すぎるのよ。
まだ試作品がようやく私の好みの物になって、手元に来たばかりよ。
それなのにもう大々的に売り出す話?
なにがこわいって、お爺様は孫可愛さに売れない物を商会で扱うようなことをしない人だってことよ。
つまり職人のほとんどを使って作っても売れると思っているんでしょ。
他の転生者はどう思うんだろう。
他にも発明したことにして日本の商品を作った人はいるのかしら。
「シェリル?」
「少し時間がほしいの。商品化するのなら、私も一緒に考えたいし」
「そうか。それはそうだね。わかった。父とベネディクト様にシェリルが一緒にお話して決めたいと言っていたと伝えるよ。きっと喜ぶぞ」
「え? あ、うん」
どうしてそうなった。
いえでも、私を喜ばせたいと考えてくれているお爺様たちをがっかりさせるよりは、そういう話のほうがいいわね。
何を話すか、どう売り出したいのか考えないといけなくなってしまった。
でも今はそれよりも、王弟殿下に報告するのが先だわ。
お父様が部屋を出てすぐに、侍女にアレクシアを呼んでもらった。
私が屋敷にいる時は警護は必要ないので、主に大きな荷物がある時に速達のアルバイトを商会でしていることもあるんだそうだ。
今までより儲かると喜んでいた。
「どうしたの? 急ぎだって聞いたんだけど」
もろにゴスロリの黒いドレス姿のアレクシアの腕を掴んで部屋に引っ張りこんで、
「王弟殿下に目立たないように言伝をたのみたいの」
扉を閉めてすぐに小声で言った。
「目立たないようにしたいなら、私が直接行かないほうがいいわね。シェリルはまだ会ったことがないだろうけど、忍者みたいな転生者がいるのよ。彼にたのむのが早いわ」
床に膝をついてしゃがみ、アレクシアは私の手を握りながら微笑んだ。
「何かあったの? 急ぎなんでしょ?」
付き合いが長くなるにつれて、彼女は本当の八歳児のように私に接するようになってきた。
話し方が大人でも見た目は子供で、早く歩くために時々駆け足になりながら屋敷や商会を移動する姿が可愛くて、妹が出来た気分なんだそうだ。
「アレクシアはそろばんを見たわよね」
「見たわよ」
「あれは日本にあるものをそのまま作ったの。それがけっこう受けがよくて、祖父や大伯父が大々的に売りに出そうとしているのよ」
「へえ、クロウリー男爵家とギルモア侯爵家って仲良しになったのね」
注目するのはそっち?
「それは転生者的には問題ないの? 他にも日本のものをこちらで作った人はいる?」
「誰が何をしているかは私は知らないわ。でもこの世界の文化や文明を大幅に変化させてしまうようなものでなければかまわないわよ。やめろっていう権利はないでしょ?」
「つまり蒸気機関を作ったり、水力発電や風力発電をしたり、油田を採掘したりしなければいいのよね?」
「規模がでかいな」
だったら問題ないわね。
よかった。せっかく仲良くなった転生者たちとの仲がこじれてしまうのは嫌だもの。
「そもそもそろばんを作ろうなんてシェリル以外は考えないわよ。私も小学校でいちおう習ったけど、それ以降一回も使っていないもん。スマホがあれば計算機のアプリが入っているし」
「今でも授業はあるの? びっくり。いやそれより、私だって計算機を使っていたわよ」
「そろばんって本当に売れるの? そんなに便利だったっけ?」
まったくわからないけど、いちおう報告は必要よ。
貴族社会でも根回しって大事でしょ?
あらかじめ話しておくのと、売り出してから知らされるのでは心証が違うはず。
「王弟殿下は上司みたいなものだしね」
「それはまあ確かに」
「あのさ、王弟殿下って昭和生まれよね?」
「平成よ。私の知っている昭和生まれは転生者の中でシェリルだけ」
「…………」
なんで若い子ばかりなの?
日本の平均寿命って八十を超えているわよね。
「大丈夫、私八歳だから」
「何が大丈夫なのかわからないけど、さっそく出かけてくるわ」
「よろしく」
そうか。
昭和生まれは私だけか……ふん。べつに気にしないし。




