それでもオバサンだった 1
そして熱を出して寝込み、うなされる合間に何度も短い夢を見た。
前世でやった七五三、小学校の入学式、運動会。
顔は見えなかったけど、いつでもそばに両親がいた。
今世では、母と手を繋いで領地の庭を歩く夢や、父に抱き上げられながら見た夕日の夢を見た。
妹が生まれた日の夢では、大人たちが慌ただしくしている様子に怯えていたギルバートに、お兄さんになるんだよって話していた。
時系列は前後していたけど、節目となる前世の日をひととおり夢に見た気がする。
霧に包まれているようにぼんやりしていて、色もどこか褪せて見えても、どの日も泣きたくなるほど懐かしい日々だ。
それに比べると今世の夢は鮮やかな色彩で、手触りや匂いまで思い出せそうだった。
昨日の夕飯に何を食べたのかすぐに思い出せないオバサンが、死んだ後に思い出した記憶と、八歳の女の子の記憶では差があって当たり前ね。
途中で意識がうっすらと戻り、薬や流動食が与えられているのをなんとなく感じていると、
「シェリル! 苦しくはない? ああ、まだ額が熱いわ」
「かわいそうに。もう何も心配ないんだよ。家に帰ってきたんだ」
両親の声が聞こえて、安心してまた眠りについた。
彼らは大事な家族だ。心配させたくない。
そう思ったせいか、前世の夢はどんどん色褪せてセピア色になり、やがてモノトーンになって消えていった。
夢を見なくなっても娘たちのことをずっと忘れたりはしないけど、それは前世の思い出で、もう今はシェリルなんだって改めて思えて、そして三日目の朝。
「すっきり爽快!」
熱は下がり、迷いもなくなり、元気いっぱいに目を覚ました。
この三日間で記憶の整理がついて、前世の記憶は引き出しの奥にそっとしまわれたような感覚だわ。
娘たちのことを思い出してももう胸が痛むことはなくて、そんなこともあったわね。嫌なこともあったけど、私なりに生き抜いて満足だわって思えた。
でもだからといってオバサンは消えなかったのよね。
これだけいろいろな目にあえば、大人になりたいしっかりしたいって思うものよ。
その結果、オバサン人格が軸になってしまったのね。
この性格になって家族との距離も縮まったし、今後は王宮に行かなくてはいけないようだし、私は生まれ変わってもこういう性格だったという結論でいいんじゃないかしら。
「お嬢様! お目覚めですか!」
「まあ、みなさんにお知らせしなくては」
様子を見に来た侍女たちは、ベッドから出て体操をしている私を見て喜んでくれて、大急ぎでそれぞれの仕事に取り掛かった。
侍女から聞いて駆け付けた両親に抱きしめられて、心配をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいよ。
「王弟殿下が屋敷までシェリルを連れてきてくださったんだよ。ポロック伯爵は誘拐犯人として捕らえられ、地下牢に入れられているそうだ。バークリー侯爵にも見捨てられたことだし、彼のことはもう心配いらないよ」
「はい」
ポロック伯爵は、秘密裏に処理されちゃいそうな気がするのよね。
本人はその気がなかったとしても、王族を敵にまわしちゃったらこの国では生きていけないわ。
すぐにお医者様が来てくださって、もう大丈夫だというお墨付きをもらった。
ただしまだ数日は無理をせず、部屋の中でならいつも通りに生活していいという話だった。
元気になっても無理はしないわよ。
睡眠は大事。食事も大事。
それなのに今日は、病人食しか食べられないのが悲しい。
寝込んでいたんだから仕方ないわね。
「姉上が寝込んでいる間、王宮とワディンガム公爵家から何度も容体を聞く使いがきて大変だったよ。ローズマリー様も毎日見舞いに来ていたし、アレクシア様という御令嬢も来てたよ」
部屋にいなくてはいけない私のことを気の毒に思ってくれたのか、部屋に見舞いに来たギルバートが私が寝込んでいる間のことを教えてくれた。
「姉上に荷物用の馬車を用意した男は、変態親父に金をもらっていたんだよ。よくわかんないけど女性に騙されて有り金全部奪われて、借金もあったんだって。そこに目をつけられたんだろうってさ」
女性に騙されたのか。
ポロック伯爵だって、うちの侍女を買収したりワディンガム公爵家の侍従を買収したり、だいぶ今回の件でお金を使っているんじゃない?
恋愛が絡むとまともな判断が出来なくなる人間って、どこにでもいるのね。
「シェリル!!」
「シェリルさん!!」
ギルバートと入れ替わるように、今度はローズマリー様とアレクシアさんが見舞いに来てくれた。
心配してくれる人がいるって嬉しいものね。
ふたりとも可愛らしい膝丈のドレス姿で、アイドルになったら人気になりそうよ。
アレクシアさんが新しい化粧を気に入ってくれているようで、出迎えて挨拶した母も嬉しそうだった。
「ごめんなさい。うちの執事のせいでこんなことになってしまって」
ん? 執事?
ローズマリー様に謝られて、思わず首を傾げた。
あの男は侍従だったんじゃないの?
執事さんはあの男にちゃんと指示を出したのよね?
「屋敷の中に、いまだに男爵令嬢が特別扱いされていることに、不満を持っていた人間がいたようなの。私の侍女やあなたと接したことのある人はそんなことはなかったのよ。でも知らない人は噂を信じちゃうでしょ? 執事はお父様にあなたを案内するように命じられていたのに、侍従に指示しただけで放置したの。ちゃんとあなたが出かけるところを見届けていたら、こんなことにはならなかったわ」
好かれる能力があったとしても、会って会話をしないと駄目なんでしょうね。
でも執事さんとはたまに顔を合わせていて、最近はだいぶ打ち解けていたような気がするんだけどなあ。
私の勝手な思い込みだったのかしら。
「侍従がまさかまともに仕事をしないとは思っていなかったって言っているし、たぶんそれは本当だと思うのよ。でもお父様の命令に背いたことにはなるわ。それに……あなたは気にしていなかったみたいだけど、うちの両親は一度も屋敷であなたに会っていないでしょう? 王族に注目されている子がいたら、仲良くなっておくほうがいいって普通は考えるでしょ」
そうなんでしょうね。
でも私は公爵夫妻にお茶や食事の席にお誘いされるほうがこわくて、会わないで済んでほっとしていたわ。
「お父様は忙しかったのかもしれないけど、お母様はあなたを避けていたのよ。それで使用人の中にはあなたを邪魔者扱いする人がいたの」
「まあ、私は何かしてしまったのでしょうか」
「いいえ、違うわ。シェリルはお兄様と同じくらい王族に注目されているでしょう? 男爵令嬢より自分の娘のほうが優秀だと思いたかったのね」
何を言っているんですか。
ローズマリー様だって充分に優秀よ。
「でもワディンガム公爵家ばかり重用するわけにはいかないでしょう? ジョシュア様が陛下の側近の元で修業するのだって、年齢を考えたら大抜擢よ。いくら国王派でもワディンガム公爵家がこれ以上力を持つのは問題あるわ」
おお、アレクシアさんも学園で学んでいるだけあって、王宮内の権力バランスに詳しいのね。
一番わかっていないのは私よ。
私のことを優秀だとか天才だとか言うのはやめてもらいたいわ。
「そうなのよ。でも、お母様は私が勝手にノースモア侯爵家の窮地を救って、コーニリアスと婚約したことを許していないの。本当は私を第一王子と結婚させたいのよ」
そうなの!?
誕生日会の時にコーニリアス様が私たちと一緒に話をしに行っても、嫌な顔ひとつしなかったわよ?
屋敷で偶然すれ違った時も、優しい笑顔で話しかけてくださったのに、あれは全て演技だったの?
「お父様は国王陛下がノースモア侯爵家との縁組に積極的なので、コーニリアスとの結婚を認めているの。でもお母様は、認めてしまったお父様にも不満があるみたい」
それはまあ、夫婦ならそういう不満のひとつやふたつはあるんじゃないかしら。
ワディンガム公爵が結婚を認めているのなら、問題はないわけだし。
「第一王子って、将来の王太子でしょ? ゲームのままだとは限らないけど、あんな甘ったれのかまってちゃんは嫌よ」
王太子って女主人公の攻略対象者の中で、メインの相手だって聞いたわよ。
それなのにそんなふうに言われちゃう性格なの?
「シェリルも第一王子に好かれないように注意してね」
ローズマリー様に言われて手をひらひらさせてから、この仕草はオバサンっぽいと気付いて慌ててやめた。
「男爵令嬢では釣り合いませんよ。それに何度も言うように、私は結婚はどうでもいいんです」
「ならいいけど。女主人公に惚れて、振り向かせたいという不純な動機だけで勉学も剣の修行もやる男なのよ」
「ローズマリーってば、いちおうゲームの中では優秀な国王になるじゃない」
「ならばアレクシアが結婚したらどう?」
「それはいや」
第一王子は私よりひとつ年下の七歳だったわよね。
まだまだどんな大人になるのかわからない状態で、ゲームの中の情報だけで決めるのは気の毒よ。
ローズマリー様もアレクシア様もゲームのキャラとは別人でしょう。
「でも転生者じゃないし……」
それでも納得できないようでローズマリー様が呟いた時、扉が勢い良く開いてドナが部屋に飛び込んできた。
「失礼します。ワディンガム公爵様がおいでになっています。連絡もなく急にお越しなので、旦那様はお留守なのです。奥様がシェリル様はまだ完全には元気になっていないとやんわりとお断りしたんですが、詫びを言いたいだけだからとこちらに来ようとなさっています」
何をそんなに急いでいるんだろう。
もしかして王弟殿下や国王陛下に何か言われた?
いえ、言われる前に謝罪して、すでに和解しているって話をするためかもしれないわ。
「信じられない。アレクシア、もしお父様が無理にこの部屋にはいろうとしたら、魔法で追い返して」
「最初からそのつもりよ。王弟殿下にシェリルさんの警護を命じられているの」
なんで臨戦態勢になっているの?
お見舞いに来るくらいかまわないでしょ。
公爵が自ら謝罪に来てくださるなんて、感謝こそすれ追い返すなんてありえないわよ。
「王宮で今回の事件が噂になっているんですって」
ローズマリー様の説明を、私は身を乗り出して聞いた。
「王弟殿下が二階の窓から飛び降りて、ポロック伯爵が地面にたたき落とそうとした少女を身を挺して庇う姿を、何人もの貴族が見ていたの。特に御婦人方は王弟殿下が素敵だったと大絶賛よ」
いつの間にか私は叩き落とされかけたことになっていた。
叩き落とすってどんな状況なんだろう。
いえそれより、王弟殿下は二階の窓から飛び降りたの?
レイフ様もあの時にすぐ近くから声が聞こえていたから、一緒に飛び降りたってこと?
「お茶会の噂にしたくて、御婦人方がその場で侍女や侍従に情報を集めさせたみたいなの。それで、ポロック伯爵が捕まったって話を聞きつけたのよ」
ワディンガム公爵が、ポロック伯爵のことでバークリー侯爵と話し込んでいたと、何人かの貴族が知っていたんだそうだ。
ポロック伯爵は幼女趣味ですっかり有名になっているんだから、そのポロック伯爵が捕まって、王弟殿下が少女を助けたという話を聞けば、誰もが同じ結論に辿りつく。
「その場にワディンガム公爵家の騎士は見当たらず、荷物用の馬車があったの。お父様は王族に才能を認められた少女を預かっていることを自慢していたから、いろんな話がかみ合って、ワディンガム公爵家の評判がガタ落ちなのよ」
「たった三日で!?」
「三日もあれば、ワディンガム公爵家に敵意のある者達は、喜んであることないこと言い出すわよ」
どうしよう。私のせいで大変なことになっている。
三日も寝込んだことで、私は完璧な被害者になってしまったんだわ。
「ローズマリー様、あの時はいろんなことが重なってあの事件になったんです。私も不注意だったんですよ」
「そうね、あなたも王弟殿下も不注意だったかもしれない。でも私が今問題にしているのは、お父様が三日前にしっかり対応していれば、こんな問題にはならなかったってことよ。あなたの身を守ると約束したくせに、お父様も執事も軽く考えていたからこんなことになったのよ」
それはそうなんだけど、それでどうして制止を無視してまで私に謝罪する必要があるのかわからない。
こんなことをしたら、余計にイメージが悪くなってしまうのに。
「シェリルはベッドにいて。アレクシアはいざとなったら動ける位置にいてね」
「まかせて」
何を言っているんですか。まかせられません。
私が公爵とお話すれば済むことなんです。
騒ぎを大きくしないでください。




