オバサン、おじさん(?)と出会う 1
アレクシアさんが帰って一時間もしないうちに、王弟殿下から連絡があったからとワディンガム公爵の書斎に案内された。
「これがきみへの招待状だよ。私宛の手紙が同封されていたので、そちらは読ませてもらった」
書斎と聞いて、本棚があって大きな机がある、あまり広くない落ち着いた空間をイメージするのは私だけ?
いえいえ、とんでもございませんよ。
前世の私のアパートの部屋を、玄関やトイレまで全部含めたよりも広い。
本棚なんてないわよ。
隣に書庫があるから。
応接セットに寝椅子まであって、この部屋だけで生活できちゃうわ。
「シェリル?」
今回はジョシュア様も同席している。
会うのは五日ぶりね。
ようやく私と王弟殿下が面会することになって、その結果次第ではジョシュア様も将来国王陛下の側近になるべく修業が始まるから、気にはなるわよね。
でも、ジョシュア様は今回のことがなくても、間違いなく出世するでしょ?
いくら全属性の魔法が使えると言ったって、たかだか八歳の男爵令嬢を特別視する王弟殿下って、転生の話を知らない人たちから見たら異常じゃない?
「何か問題があるのかい?」
不満そうな顔をしていたのかしら。
ワディンガム公爵に聞かれて、ここは正直にお話しようと口を開いた。
「商会のお仕事がしたいのに、御招待を受けていいのでしょうか」
「それは大丈夫だよ。ちゃんと伝えてあるからね。それに王弟殿下が評価していらっしゃるのは、きみの計算能力や商会での仕事ぶりのようなんだ」
仕事ぶり?
私は特別なことは何もしていないのよ。計算しているだけよ。
だけどこれ以上ここで私からとやかく言ってはまずい。
ワディンガム公爵と王弟殿下の指示なのだから、黙って言う通りに動かなくてはいけないわ。
「実は王宮は今、ちょっとごたついていてね」
「え?」
「それできみを王宮に呼ぶより、外で会ったほうがいいと判断なさったんだろう。きみは商会で経理の手伝いをしているそうだからわかるだろうが、伝票の整理やお金の計算は大変だろう?」
「はい」
「国を動かすお金となったら、それはもう大変な作業量になるんだ。でも宮廷の中心にいる貴族たちは、みんなお金持ちだろう? 経理や事務の仕事に就いている事務官を下に見て、適当な伝票を持ってくる。計算が合わなかったら、自分が出すから文句を言うなと勝手にお金を補填する」
「王宮で働いている人たちが、そんないい加減なことをしているんですか? 補填ならまだいいですが、横領や水増し請求をされてもわからないじゃないですか」
ジョシュア様の指摘にワディンガム公爵は満足そうに頷いた。
「それが問題になっているんだ。王宮では今、中庭の整備と古くなった建物を取り壊して建て直す計画が出ているんだが、どうもいろんなところから横やりが入っているようなんだ。そんな時に王弟殿下が不正の証拠を見つけられて、伝票処理や経理の見直しを大々的に行うという話になったんだが……不正をしていた男が国王派の中心人物のひとりでね」
この国は国王派と貴族派と中立派に大きく分かれていて、国王派の中にも支持する王族によって派閥が細かく分かれているって講義で聞いた覚えがあるわ。
「国王派!? 誰なんですか」
「オブライエン伯爵だ」
「あの強欲狸ですか」
「証拠がしっかりしていたので、彼は既に失脚し領地のほとんどを没収された。だが、オブライエンは現国王派の人間だ。それを王弟殿下が失脚させたということで、いろいろ勘繰る者が出ているんだ」
王位継承権は放棄したとジョシュア様が言っていたのに、それでもやっぱり権力争いには巻き込まれるのね。
「経理の見直しは国王陛下と財務大臣、そして王弟殿下の三者で決めたことだ。不正についても国王陛下に前もって報告して、どのように動くか指示を仰いでいたはずなのだが、王弟殿下ひとりの功績のように言われている。あの方は本人にその気はなくとも何かと目立つ方なのだ」
その目立つ方に会わなくてはいけないのは嫌だなあ。
経理系の仕事を手伝うという話だったとしても、そんないろんな問題がある王宮には行きたくないわ。
それにワディンガム公爵は、なんとなく王弟殿下に思うところがあるような気がする。
気のせいかもしれないけど、王弟殿下ひとりの功績になっているって話の時に、忌々しげに片眉があがった。
いえ、気のせいかもしれない。
前世でドラマを見すぎたせいで、深読みしたくなっているのかも。
「ここまでで何か聞きたいことはあるかい?」
ワディンガム公爵がやさしく聞いてくれたけど、聞きたいことなんて決まっているじゃないですか。
「そんな時に、王弟殿下は私に何をさせようとしているんでしょうか」
「ほお。私とジョシュアの話をちゃんと理解できているんだね」
あ、いけない。
八歳児らしさを忘れていたわ。
ここは何を言われているかわからない振りで首を傾げて…。
「今更誤魔化そうとしても遅いよ」
「ジョシュア様、何をおっしゃっているかわかりませんわ」
「きみが八歳児としては異常に頭がいいということは、もうみんなわかっているんだ」
「私が異常なら、ジョシュア様もローズマリー様も異常ですわよ」
「そうだね」
認めた。
それも、いい笑顔で認めたわ。
「王弟殿下から、この辺のことは前もって話しておいてくれと頼まれていたんだ。この程度の話も理解出来ないようでは、会う意味がないからね」
私が転生者だと言えない代わりに、天才だから会うという理由づけのために、そんなことまでワディンガム公爵に指示したのね。
他の転生者ともこうして会っているのかしら。
転生者の世話をしながら不正の摘発もするって、負担が大きすぎない?
それでアレクシアさんの状態に気付かなかったのかしら。
「忙しくて話をする時間が取れなかったのが残念だよ。講師たちもきみは非常に優秀だと絶賛している。ロージーが楽しそうに勉強をしていると聞いているよ」
どう答えていいかわからなくて曖昧に微笑んだ。
こんな八歳の子供は気持ち悪いって言われないのは、ジョシュア様という存在のおかげね。
彼は本当に神童だと思うわ。
「私もご挨拶したいところなんだが、目立つから来るなと言われてしまっている。侍女をひとり連れて行くのはかまわないそうだよ」
「はい」
「馬車と護衛の騎士を用意するから心配しないでくれ。正面玄関に時間に来てくれれば執事が案内するよ」
「わかりました」
執事が案内するって言ったわよね?
護衛の騎士も用意するって言っていたはずよ。
「本当に大丈夫かしら。茶会になんて行きたくないのに」
その日は夫人と一緒にお茶会に行く約束があってローズマリー様は出かけてしまったけど、彼女の侍女たちがしっかりと身支度を手伝ってくれて、街中で目立たないようなシンプルなドレス姿で玄関に向かった。
シンプルと言っても、どこからどう見ても貴族の御令嬢ですけどね。
ワディンガム公爵の指示通りに正面玄関に来たのに執事の姿はなく、広いホールは無人だった。
ジョシュア様も学園に行っていて留守で、ワディンガム公爵もお忙しいでしょうし、私の存在は忘れられている?
いやでも王弟殿下との面会よ?
ジョシュア様の将来にも多少は関係するお約束よ。
「どういうことなんでしょう」
ドナも不安そうだわ。
ここは私がしっかりしないといけない。
「ひとまず外も見てみましょう」
扉を開けてくれる侍従もいないので、ドナとふたりで協力して玄関から出たら、少し離れた位置に一台だけ馬車が停まっていた。
「この馬車で間違いありませんか?」
ドナが強い口調で文句を言っているのは、用意されていたのが古びた黒塗りの小さな馬車だったからだ。
公爵家にこんな馬車があったことに驚いてしまうような質素さだ。
「文句を言える立場じゃないだろ。貸してもらえるだけありがたいと思えよ」
吐き捨てるように言い返したのは三十代の疲れた顔立ちの侍従だ。
今では公爵家のほとんどの人たちが、顔を合わせたら笑顔で言葉を交わせるくらいに親しくなっているのに、いまだに男爵令嬢のくせに公爵家にいつまでも世話になっているなんてずうずうしいって思っている人なのかしら。
「護衛の騎士はどこにいるんですか?」
「護衛だ? おまえたちの護衛をしてくれなんて、騎士にたのめるわけがないだろう。ワディンガム公爵家の騎士は全員由緒正しき家の出の貴族なんだぞ」
私も貴族ですけど。
ワディンガム公爵家とうちは、遠縁とはいえ親戚ですけど?
「ワディンガム公爵様が用意してくださるとおっしゃっていたんです」
「知らない。僕は聞いていない。御者はつけてやったんだからいいだろう。さっさと行け」
「ちょっと待って」
「うるさい!」
引き留めようとしたドナを振り払って、侍従は背を向けて駆けだした。
あれは、逃げているわよね?
自分がやっていることはまずいって、わかっているってことでしょう?
「あれ? 行かないんすか? 馬を作っちゃいましたよ」
御者をまかされたのは、まだ十代の男の子だ。
黒髪を後ろでひとつに結わいて白いシャツにベストを着ている。
「あの馬は、あなたが魔法で作ったの?」
「そうっすよ」
いちおう貴族なのかしら。
馬車の前には、金色の鬣の立派な馬が並んでいた。
「素敵ね」
「そうでしょう。そろそろ行かないと遅刻しちゃいますよ」
「でも……」
「ドナ、大丈夫よ。そんな遠くに行くわけじゃないんですもの」
「護衛がいないとまずいんすか? 俺、それなりに強いっすよ。ガキの頃から暴れていたんで」
この人は本当に公爵家の人なの?
どこかにこのまま連れ去られるってことはない?
「あなたは、ワディンガム公爵家でいつも御者をしているの?」
「あ、すいません。俺はジェフって言います。この馬車担当の御者なんすよ。いつもは公爵家の方々のお荷物を運ぶための馬車なんです」
「おーい、ジェフ」
「可愛い女の子と一緒なんて羨ましいなあ」
「仕事っすよ。街まで行ってくるんす」
あ、知り合いの騎士がいるのね。可愛がられていそう。
じゃあ大丈夫だわ。
「行きましょう」
「お嬢様」
「遅刻するわけにはいかないわ」
意外にも馬車の座り心地はよかった。
見た目は質素でもしっかりと作られて、大切に管理されているんでしょうね。
貴族街を出る時にちょっと緊張したけど、街の賑やかさも行き来する人たちの姿も、八歳の私の記憶にあるままだ。
目的地は商会の王都支店の割と近くだったので、馬車が正しい道を進んでいるのがわかって安心した。
「大丈夫そうですね。あの侍従の態度は帰ってからローズマリー様に報告しましょう」
「そうね」
あの男は何を考えているんだろう。
私の面会の相手が誰なのか聞いていないのかしら。




