オバサンは図太い 6
十四歳でこの化粧とこの服装。似合うわけがないわよ。
そのうえ睡眠不足で目をしょぼしょぼさせて、椅子に座れて力が抜けたのか姿勢まで悪くなっている。
仕事に疲れ果てた三十代のOLが、週末に明日は休みだからと気が抜けて、動けなくなっている姿もこんな感じじゃないかしら。
「食事はしたんですか?」
「食事?」
「ランチは済んでいるんですか?」
私の問いにアレクシアさんは天井をぼんやりと見上げ、
「そう言えば夕べから食べていないかも」
なんでもないことのように言った。
「夕べから!?」
「あ、その焼き菓子、僕はいいんで、この人にあげてください」
侍女が持って来てくれた焼き菓子を、ギルバートがすかさず辞退するくらいにアレクシアさんの様子はやばい。
睡魔と空腹のせいで思考がまとまっていない感じよ。
「あなたねえ、食事はちゃんと食べなさいよ。睡眠もよ。何をしていたの?」
ローズマリー様の遠慮のない言い方からして、アレクシアさんとは親しい関係なのかもしれないわ。
それでアレクシアさんはつい転移魔法を使ってしまったんじゃないかしら。
今もローズマリー様は心配のあまりきつい口調になっているけど、アレクシアさんは気にしていないようだ。
そうじゃなかったら公爵令嬢相手に砕けた話し方は出来ないわよね。
ただ親しかったとしても公爵家の屋敷で転移魔法はまずかったんでしょう。
あの時のローズマリー様の怒り方と、自分がやってしまったことに気付いたアレクシアさんの様子は、明らかに今とは違うもの。
「いただいていいの?」
ローズマリー様とギルバートに確認を取り、焼き菓子に手を伸ばしたアレクシアさんは、一口齧って幸せそうに目を細めた。
「ああ、ひさしぶりに美味しいって感じるわ」
「なぜそんな不規則な生活をしているの? 王弟殿下はそんな無茶をさせる方なの?」
「違うの。今は……私からは話せないけど、ちょっと前に起こった問題の後始末に奔走しているの。私だけじゃなくて、みんな忙しくて」
王弟殿下の執務室ってブラックなの?
急激に会いたくなくなってきたわ。
関わりたくない。
「あの、初対面なのに失礼かもしれないしおせっかいだとも思うんですけど、その服装はあなたの趣味なのかしら。てっきり二十代半ばくらいの人かと思ったんですよ」
「それでいいの。仕事をするのに若いと思われると軽く扱われてしまうのよ」
「そのショールもそれで? 今の季節にそんな厚い生地は合わないですよね」
「これはセクハラ防止。胸が大きいのをからかわれるのが嫌なの。小さく見せたいんだけど、前にさらしをきつく巻いていたら呼吸困難になりかけちゃって」
魔道省って、そんな女性蔑視の職場なの?
胸の大きさをからかうって、ひどいセクハラじゃない。
「この国の人は胸が大きいのを隠そうとなんてしないのよ。むしろ見せつけるのよ。でも私は無理」
そういえば前世でも欧米の人は、胸の形がはっきりわかるタンクトップやぴったりしたTシャツを着ていたわね。
でも日本では、下着のようなタンクトップを着ていたら品がないって思われそうだし、胸に男性の視線が集中するのを嫌がる人が多い印象よ。
この国でも先日のお茶会に来ていた人たちは、女性らしい体の線をアピールするような服装をしていた。
アレクシアさんは前世の記憶のせいで、感覚が日本人寄りになっているのかもしれないわ。
「王弟殿下に苦情を言わなかったんですか?」
「お忙しいのに私のことで迷惑をかけたくないわ。それに魔道省内部のことは、殿下の管轄ではないのよ。魔道省には魔道省の長官や上級魔道士がいるの。私は魔道省から王弟殿下の執務室に警護部隊のひとりとして派遣されている形なの」
「だったら魔道省の仕事はしなくていいはずでしょう。魔道省本部に顔を出す必要もないはずよ」
諦めた口調で話すアレクシアさんの様子にイライラするのか、ローズマリー様は立ち上がり部屋をうろうろと歩き出した。
「私はまだ若くて魔法も修行中の身だから、殿下が執務室にいらっしゃる時の警護には呼ばれないから、その時間は魔道省の仕事をしているの」
「それで他人の分の仕事まで押し付けられているの?」
「……たまによ」
アレクシアさんはそっと目をそらした。
ローズマリー様は知っているのに、そのレイフという男と王弟殿下は何も気づいていないの?
……こんな体調の悪そうな子に、私のところに行ってこいと命じるくらいだからわかっていないのよね。
「そのうえ、彼女はまだ学園の生徒だから、課題の提出があるし講義を受けないといけないの。魔道科は飛び級があまりできないのよ」
「まだ学生ですって」
なんてこと。
そういえば十四歳って、まだ成人していないじゃない。
それなのにこんな追い詰めるような環境で仕事をさせているの。
「その服装やショールは、好きで着ているわけではないんですね」
もう一度確認すると、アレクシアさんは悲しげに頷いた。
「わかりました。ギルバート、お母様に手紙を書くので、それを渡して荷物を受け取ってきてもらえるかしら。アレクシアさんに似合っていて動きやすい洋服が必要だわ」
「え? 別に私はこれでいいのよ」
「着るか着ないかはアレクシアさんの自由ですけど、服は多くても困らないでしょう。ご迷惑かもしれないけど、私のおせっかいだと思って試してみてくださいな」
女性ばかりの部屋に男の子がひとりだけで、帰るきっかけを失っていたギルバートは用事をたのまれてほっとしていた。
七歳の男の子はアレクシアさんにとっては子供扱いだから、胸の大きさの話も気にしないでしていたけど、ギルバートは困っていたみたい。
「アレクシアさん、この後のご予定は?」
「別に何も」
「よかった。ギルバートゆっくりでいいからってお母様に伝えて。二時間、いえ三時間くらいかかってもいいわ」
「わかった」
私が手紙を書いてギルバートに渡している間に、侍女たちがアレクシアさんのために食事を運んできて、すっかりテーブルが料理で埋まってる。
すべて並び終えたところでローズマリー様が侍女を退室させたので、室内に三人だけが残された。
「それで? お兄様の報告書を読んだはずなのに、なぜあなたが来たの?」
転生者ばかりになったのなら遠慮はいらない。
ローズマリー様はテーブルに肘をついて顎を乗せ、鋭い目つきでアレクシアさんを睨んでいる。
「そんなふうに睨まれたら、食事が出来なくなっちゃいますよ」
「この質問に答えてくれたら邪魔しないわよ」
他の人の前では話せないことがあるから、さっきまでは聞きたいことも聞けなかったけど、三人だけならしっかり確認していかなくちゃいけないのは確かね。
私も身を乗り出してアレクシアさんの答えを待った。
「あのジョシュア様が、初めて会ったその日にシェリルさんを認めて、この子は大丈夫。優秀な子ですって報告書を出してきたから、レイフが」
またレイフ?
「魅了を使うヒロインかもしれないと考えたの」
「あの馬鹿!」
「ああああ、なるほど」
はいはいはいはい。
そういうお話をネット漫画で読みましたよ、私。
魅了を使うヒロインって定番よね。
「で? どうなの? シェリルは魅了を使ったの?」
「魅了どころか魔法はいっさい使っていないわ」
「当たり前でしょうが。公爵家の嫡男は毒や魅了対策ぐらいしているわよ。お兄様がいつもつけているイヤーカフは、魔道省で作ってもらったものでしょう」
「あ」
言われて思い出したらしい。
これは睡眠不足も食生活の乱れも、昨日今日の話じゃないわね。
仕事が忙しくてもこの状況ではミスを連発するでしょうし、今のようにわかっているはずのことを思い出せなかったりするものよ。
「相手は王弟殿下ですから、どんな小さな不安要素も消さなくてはいけないのはわかります。でもそのために、あなたを寄越すのは間違っているわ。まだ若いから、このくらいの無理は大丈夫だと思っていない? でもね、ダメージは間違いなく体の見えないところに蓄積されていくのよ。そして急にコップの水が溢れ出すように、一気に体を壊してしまうの」
せっかく料理が並んでいるのに、話の内容が重いせいでアレクシアさんは手を付けられないまま、テーブルの一点を見つめて時折頷いている。
「あなたを責めているんじゃないんです。だって、好きでそういう生活をしているんじゃないでしょう」
「……ええ」
「ローズマリー様、これではあんまりです。彼女は健康面でも精神面でもいつ壊れてもおかしくない状況ですよ」
「そうね。さすがにほうってはおけないわね」
「待ってください。あまりことを大きくしないでください」
彼女の瞳に浮かんでいるのは恐怖だ。
つらくても、辛抱していればいつか事態がよくなるかもしれないのに、ここで騒ぎにしたらもっとひどい目にあうかもしれないと思っているんだわ。
「大丈夫ですよ」
私は彼女の隣の席に移動して、そっと肩に手を置いた。
「あなたの立場が悪くなるようなことはしません。だから心配しないで食べてください」
「シェリル、アレクシアは家族から疎まれてひとりで寮で暮らしているの」
「まあ、それなのにそんな大変な状況に置かれているなんて、ひどいわ。本当につらいのなら、魔道省なんてやめてしまっていいんじゃないですか? そしてうちに来てください。私に魔法を教えてくれて警護もしてくれるのなら、今より高い給料をお約束しますよ」
「あら、それならうちに来てよ。私も警護してほしいわ」
「……本当に?」
たぶん、今の仕事をクビになるわけにはいかないと思って、それで我慢してきたんでしょう。
でも他にも就職先があるのなら、無理する必要なんてないもんね。
特にワディンガム公爵家で働けるなら、そのほうがずっといいんじゃない?
「私は本気です」
「私もよ!」
胸を張って答える私とローズマリー様の顔を交互に何回も見ていたアレクシア様の目から、ぽろっと大粒の涙が零れ落ちた。
「ど、どうしたんですか?」
「アレクシア?」
私もローズマリー様も大慌てよ。
文句を言いすぎたかもしれない。
ふたりがかりで怒っては逃げ道がなくなってしまうわよね。
「好き勝手言ってごめんなさい」
「いいえ。嬉しかったんです。そんなふうに言ってもらえるなんて思っていなくて」
ぽろぽろと零れる涙を手の甲で拭う彼女にハンカチを差し出した。
「転生する前の記憶なんて思い出したくなんてなかった。前世は父が普通の会社員だったので裕福ではなかったけど、家族は優しくて毎日平和に暮らしていたのに、今の家族は兄たちよりも女の私が魔法の才能に恵まれているのが気に入らなくて、学園の寮に追いやって手紙も書いてこないのよ。でも転生前の私の記憶にあったアレクシアは、自信に溢れた大人の女性で色っぽくって男性を虜にするって書いてあって……ゲームの通りにならなくていいと言われてはいるけど、でも本当は、殿下たちはいずれ私がゲームのアレクシアのように有能になるのを期待しているんじゃないかって……」
私やローズマリー様は、今の人格と転生前の記憶がうまく融合できた幸運なパターンなのかもしれない。
突然前世の記憶を思い出して、もうひとりの自分の人生を突き付けられても、受け入れられない人がいてもおかしくないわよね。
ましてやゲームのキャラで、設定や性格を知っている人が周囲にいるなんて聞いたら、精神が不安定になるのは無理もないわ。
「うーん。まずはその疲れ切った体をどうにかしなくてはいけないわね。多少は食べ物を胃に入れたみたいだし……」
ローズマリー様が腕を組んで考えながらぶつぶつと独り言を言い始めた。
「私の知っている範囲なら、私からシェリルに話しても問題ないでしょう。だったらまずアレクシアは、そのぼろぼろの姿をどうにかしつつ、お風呂でリラックスしてもらいましょう」
「……へ?」
「なるほど。公爵家の超一流の侍女たちに、彼女を磨き上げてもらうんですね」
「そのとおり。時間はあるんでしょう? パックもしたほうがいいわね。爪の手入れもしなくては。その間、アレクシアは寝ていればいいわ」
素晴らしいわ。
コーニリアス様の窮地を救ったのも、この行動力なのね。
「さあみんな。彼女をピカピカにしてちょうだい!」
「え、あの、ちょっと!」
ローズマリー様に仕事を任された侍女たちは、この十四歳の可愛い女性を磨き上げられると聞いて俄然やる気になっている。
三人がかりで戸惑っているアレクシアさんを引き摺って、浴室に消えていった。