オバサンは図太い 3
シェリルが魔法を勉強した時の記憶を思い出したので、今日は馬づくりにチャレンジよ。
記憶が蘇ってから魔法を使うのは初めてなので緊張したけど、移動用の騎馬を作れないと貴族としてはやっていけないと聞いたので、練習しないわけにはいかない。
そういえば学生時代にやったオープンフィールドのゲームは、移動時間短縮に動物やバイクに乗るのが当たり前だったわ。課金して早い乗り物に乗っていた人も多かった。
ゲームに慣れていないのもあってパーティーを組むというのが難問で、でもソロだとなかなかレベルが上がらなくてすぐにやめてしまったんだっけ。
私の周りでゲームを趣味にしている人って、あまりいなかったのよね。
ゲームの知識がないので、馬を作るとなったらテレビで観た競馬のサラブレッドしか参考に出来ない。
本当は馬車を引く馬はもっと大きくて足が太い品種だって聞いたことがあるけど、街中でもお茶会の馬車が待機しているスペースでも、本物の馬は一頭もいなかったんだからかまわないでしょ。
「まあ、綺麗な馬ね。これは水魔法かしら」
「もう少し華やかなほうがいいんじゃないかな」
「あなたはいい加減に自分の好みが派手すぎるって自覚して」
どうせ派手にするなら、馬じゃない動物にしたらいいんじゃないのかな?
巨大な犬なんてどう?
そりを引くんだから、馬車だって引いてもいいと思わない?
ゴジラは強そうだけど、ジャンルが違いすぎるわね。
じゃあ……ゾウとか。
「シェリルもたまに変なセンスを発揮するのよね。父親に似たのかしら」
え? 私も問題ありなの?
好みが地味すぎるのかしら。
貴族街を抜けてワディンガム公爵家に到着し門を入ってからは、ふたりの騎士が馬車を先導してくれた。
騎士はどんな馬に乗っているんだろうと覗いてみたところ、やっぱり魔法で作った馬だった。
ふたりとも似たような馬に乗っているということは、騎士団ごとに決まりがあるのかもしれない。
「昨日とは違う建物に行くのね」
昨日訪問した建物の横を通り過ぎ、並木道の石畳を進んでいく。
両親の説明によると、侯爵家以上は騎士団を持てるので兵舎や訓練場もあるのだそうだ。
「広い」
「ワディンガム公爵家の領地の城はもっとすごいぞ。敷地の中に湖があるんだ」
もうね、スケールが大きすぎて私の頭では想像できないわ。
「着いたわよ」
昨日の建物はパーティーや舞踏会専用なのでかなり煌びやかな建物だったけど、住居用の本邸は住み心地を優先させたシックな建物だった。
でも大きい。
建物の中で迷子になれる広さだ。
「お待ちしておりました」
玄関ホールには、執事と思われる黒い制服を着た中年男性を中心に、三人の従者と侍女がひとり並んで出迎えてくれた。
無表情なのが気になるけど、日本と違ってこちらは笑顔で接客する文化はない。
昨日のパーティーで働いていた人たちも、すました顔で会場を行き来していた。
「おふたりはこちらへどうぞ。旦那様がお待ちです。お嬢様は滞在中お使いいただくお部屋に御案内します。侍女長、後は頼んだよ」
「はい」
ここでもう両親とはしばしのお別れなのね。
「シェリル、体には気を付けるのよ。ドナ、この子をお願いね」
「はい」
お母様に声をかけられて、ドナは胸を張って頷いた。
やはり騎士爵の娘であるドナが、侍女として一緒に滞在することになった。
「すぐに迎えに来られるさ」
「ええ。そうね」
別れを惜しむ両親に水を差すようなことは言わないし、私たちを馬鹿にしたような雰囲気もいっさいないけど、執事も侍女長も探るように私を見ている。
どことなくこの場の空気がよそよそしい雰囲気なのは、たぶんそのせいなんだろうな。
気持ちはわかるわよ。
ワディンガム公爵家という大貴族に仕えているというのは彼らの誇りで、彼らにとってローズマリー様は、大事な大事なお姫様だ。
それなのに初めての友人として選ばれたのが、男爵家の娘というのは納得がいかないんだろう。
いくら変態親父に狙われているとはいえ、なにも成金男爵家の娘を住居用の建物に泊まらせてやることはないじゃないかと思うんだろうな。
来客用の別邸があるのなら、本来客人はそっちに泊まるんだもんね。
「シェリル!」
ぱたぱたと軽やかな足音を響かせて、廊下の向こうからローズマリー様が駆けてきた。
そういえば、ゲームやアニメってキャラはずっと同じ服を着ているわよね。
強い防具を手に入れると見た目が変わるんだったかも。
私やローズマリー様は、どんな服装で描かれているキャラなのかしら。
「お嬢様、はしたないですわ。廊下を走ってはいけません」
「あ、侍女長! ごめんなさい。シェリルが来るのが楽しみで、つい」
にこにこと明るい笑顔を向けられて、侍女長はそれ以上は怒れなくなったみたい。
注意してくださいよと優しく言っただけだった。
執事だってローズマリー様を見るまなざしは優しい。
「わざわざお出迎えしていただいて光栄です。本日よりお世話になります」
今朝も鏡の前でカーテシーの練習はしっかりしてきた。
よそよそしい態度に見えたのか、ローズマリー様がちょっとだけ表情を曇らせたので笑顔を向けてウインクして見せた。
他の人のいる前では身分にふさわしい距離感を保ったほうが、私に対する心証がよくなると思うから協力してね。
「もう、シェリルは堅苦しいわね。公式の場では駄目だけど、家ではいいって言ったのに」
「そういうわけにはまいりません」
やっぱり私もメイドの制服を借りたいなあ。
そのほうが目立たなくていいと思うのよ。
「シェリルは私と一緒にしっかり勉強して、礼儀作法もマスターして帰るので楽しみにしていてくださいね」
うちの両親にも笑顔で言って、ローズマリー様はしっかりと私の手を取った。
「さあ行きましょう。部屋までけっこう距離があるわよ」
私の手をぐいぐいと引っ張りながら歩くローズマリー様に、遅れないように早足でついて行く。
「昨日、あれから大変だったのよ」
しばらく歩いて周囲に人のいない廊下に差し掛かってから、ローズマリー様は歩幅を緩めて隣に並んだ。
前に侍女長、後ろにふたりの侍女とドナがいるけど、聞こえてもいい会話のようで、むしろ大きな声で話している。
「お兄様があなたと手を繋いでいたでしょう? あの御令嬢は誰なんだ? まさか婚約相手なのかって騒ぎになっていたの」
「あれは手を繋いでいたのではなくて、連行されていたんです」
「逃がさないようにね」
「そうです。ジョシュア様はローズマリー様のために私を捕まえておきたかっただけです」
「ふふふ」
ローズマリー様は楽しそうに笑い、小走りで侍女長の隣に行き顔を見上げた。
「だから言ったでしょう? シェリルは勘違いなんてしないのよ」
何が勘違いなのかはわからないけど、手を繋いだまま突然走るのはやめて。
引っ張られて転びかけたわよ。
「みんなね、お兄様が特別扱いするから、気があるって勘違いするって思っているのよ」
「お嬢様、廊下ではあまり大きな声で話すものではありませんよ」
侍女長はいくつなんだろう。
仲良くなれそうな気がするんだけどなあ。
「べつにいいじゃない。部屋はもうすぐそこなんだし。シェリルは、お兄様が苦手よね」
「え? 顔に出ていましたか?」
「うふふ。それにあなたとお兄様が話している時って、緊張感がすごいんですもの。特に最初のうちは、あなたはあまり話さなかったでしょ。お兄様はね、あれは相手の出方を伺っていたんだ。失言するより相手に勝手にしゃべらせたほうが得策だと考えたんだって言うのよ」
そんな話までするの?
また私は変人だと思われるんじゃない?
いえ、むしろ変人だと思われたほうがいいかもしれない。
気立てのいい素直な子供だと婚約者候補のライバルだと思われるけど、ローズマリー様の変わり者の友人という立場なら、相手にする価値がないと思ってもらえるんじゃない?
「緊張していたんです。ジョシュア様は……こわいので」
「こわい?」
「礼儀作法の先生に睨まれている時と同じ怖さがあるんです。チェックされていて、失敗したら呆れた顔をされるような気がして」
「……わかる」
背後から小さい声が聞こえた。
侍女たちもジョシュア様の前では緊張するんだろうな。
「お兄様は優しいわよ?」
「それは、ローズマリー様には優しいですよ」
「じゃあ私たちと一緒に食事をするのは……」
「とんでもないです。遠慮させてください」
テーブルマナーも習った記憶はあるけど、緊張して味がわからなくなるような食事はしたくないわ。
「そうなると、お兄様に会う機会はないわね」
「よか……いえ、なんでもありません」
「うふふ」
時折、人の気配がしていたから、私の顔を拝みに来ていた人がいるのよね。
それでわざわざローズマリー様は、歩きながらこの話題を振ってきたんでしょう?
私はジョシュア様を怖いと思っていて苦手だってひろまったら、侍女たちに嫌われないで済むかしら。
「ここが私の部屋よ」
扉の間隔からして、ひとつひとつの部屋が広いんだろうなとは予想していた。
でもここまで広いとは。
扉の先に超一流ホテルの一番高いスイートルームがあったわ。
「すごい」
「無駄に広いでしょう。さて、まずは私の侍女たちに紹介しないとね。こちらがシェリル・クロウリー男爵令嬢よ」
「シェリル・クロウリーです。よろしくお願いします」
「シェリル、侍女に敬語はいらないし、頭を下げるのはおかしいわ」
略式ではあるけど、きちんと挨拶をしたらローズマリー様に止められた。
「ですが、私は居候の身ですし、みなさんは貴族のお嬢様ですよね? 私より身分の高いお家のお嬢様たちなのではありませんか?」
公爵家では、料理人や庭師のような専門職や下働き以外では、平民は雇わないって聞いている。
だからここにいる侍女たちはみんな、貴族の御令嬢なのよ。
確か侍女長は伯爵家の三女だと聞いているわ。
「それでも彼女たちは、今は侍女の仕事をしているの。あなたは男爵令嬢としてここにいるのだから、頭を下げるのは駄目よ」
「はい。気をつけますわ」
こういうことに関してはローズマリー様のほうが詳しいから素直に頷いたけど、お世話になるのに何もしないというのは落ち着かないわ。
「本当は私も制服を着て侍女になりたかったんですけど、雇うのは十二歳以上なんですよね?」
「そうよ。私の話し相手じゃ駄目なの?」
「本当にお話するだけでいいのでしょうか」
「いいわよ」
「……わかりました。その分、お勉強を後押しします!」
なかなか納得しない私の態度に困っていたローズマリー様は、勉強と聞いてうっと顔を歪めた。
「どのような講義を受けていらっしゃるんですか? 言語は共通語とアードモア王国語とフリューア公国語でしょうか」
「……そうね」
そんな嫌そうにため息をつくということは苦手なのね。
「記憶力がいい今のうちに憶えてしまったほうがいいですよ」
「わかっているのよ。でもなかなか覚えられないの」
「そうだ。これからふたりで話す時は他国の言葉で会話しましょう。そうすれば覚えられますよ」
国際結婚をした夫婦の子供は、たいてい両親の母国の言葉を話せるものよ。
会話しながらわからない単語が出てきたら調べればいい。
そのほうが早く覚えられるんじゃない?
「本気で言っているの!?」
「はい! 楽しそうですよね!」
あれ? 引かれてる?
ローズマリー様の侍女たちまで引いている?
「今日は講義はないのですか?」
「……午後から」
「歴史の講義があります」
玄関ホールに出迎えてくれた時とは打って変わって、にこやかな表情で侍女長が教えてくれた。
「素敵。私も講義を受けさせてください」
「……こういう子なのよ」
ローズマリー様ががっくりと肩を落として言うものだから、侍女たちが笑ってしまっていた。