第287話 真の原因は何?
そんなこんなで、大樹を弱らせていた原因は、多分取り除けた。最高の素材を手に入れて舞い上がっているニコルさんが張り切って鑑定してくれたところでは、地下を流れる川の水は完全に浄化され……それどころか良質の魔力を、下流の大樹にどばどばと注ぎ込んでいるのだという。
肩の荷が下りた一行の足取りは軽く……何が起こったのかなんてわかっていないだろうファニーも、大人たちの上機嫌が伝染ったのか、俺の背中できゃあきゃあと騒いでいる。
「これで族長も、ベアトお姉様の願いをかなえてくれるかしら?」
「族長は言っていたな、条件が二つあると。まだ我々は、一個目をクリアしたばかりだ」
「二個目って……」
勝ち気そうな眉を寄せるグレーテルをねぎらうように、その肩をベアトが軽くたたく。
「まあ大丈夫だろう、二つ目の条件は、想像ついている」
なんとなく裏がありそうだけど、余裕たっぷりなベアトの台詞に、なぜかフィオレンティーナがビクッと反応して、逃げるような足取りで先頭に立つ。その長くとがった耳がやけに紅かったように見えたのは、気のせいか。
「まあ、ここを出てからのお楽しみだ」
珍しくベアトが、いたずらっぽく口角を上げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「鍾乳洞がそんな状況になって……ならば大樹があれほど弱るのも、うなずける」
族長ジェラルディーナさんが、娘フィオレンティーナの報告に納得している。だがその表情は安堵に満ちている……だって、俺たちの帰還を待たずして、大樹が満開の花を咲かせていたのだから。大樹の洞から出てくるなり、人間嫌いであるはずの森人たちが俺たちを取り囲み、胴上げせんばかりの勢いで大歓迎してくれたのには驚いた。大樹の復活を、みんな心から願っていたんだよなあ。
「あんな強い魔物が住み着いていたことまでは予想外でした」
「半年前までは、静謐で心の落ち着く良き場所だったのだ。それがあんな短い期間で魔物の巣窟に変わるとは……」
「里の外、『魔の森』全体でも魔物が増え、我が国に侵入することが増えてきています。なにか魔物が活性化する要因があるのではと考えていますが……族長には、なにか思い当たるところは?」
ベアトの問いにまぶたを閉じて考え込んだ族長が、やがてゆっくりと目を開いた。
「語り継がれている話で、真偽のほどは分からぬが……二千年以上も前に、同じように大陸全体の魔物が活性化されたことがあるそうだ。人間の国も多くが滅ぼされ、我ら森人も、はるか奥地へ追いやられた」
「それは、いかなる災厄だったのですか?」
「魔王、いや、魔神だと伝えられている」
「魔神? 魔王であれば、先代の勇者が倒したはずですが」
「そう『魔王』という存在は、時々歴史に現れては、そのたび討伐されている。だが『魔神』は、伝説を紐解いてもその一度のみ」
魔王ってのは、よく会話に出てくるから、俺でも何となくわかる。そしてアヤカさんのSSSクラス魔力を「魔王並み」とグレーテルなんかが冗談めかして言うところなんかをみると、手が届かないほど強いわけではないようだ。だけど、「魔神」ってどこが違うんだろう。俺の怪訝そうな表情を読み取ったのか、ジェラルディーナ族長がにやりと笑った。
「その男の疑問はもっともだ。もはや人間界では二千年前の伝承などはあらかた失われておるであろうしのう」
「どうか、ご教示いただきたく思います」
これだけの大功を森人のためにもたらした後なのに、ベアトの言辞は腰の低いものだ。族長も表情を改めて笑みを消し、背筋を伸ばして話し始めた。
「魔王とは、世界の一部……たとえば北海であったり、西の連山であったり、そういう限定された地域の魔物を統べる存在よ。もちろん力は強いが……あくまでその地方の最強者でしかない。ゆえに人間の勇者にたびたび狩られるのだ」
「では……魔神とは?」
「うむ。少なくともこの大陸まわりの魔物をすべて統べ、それらに力を与える存在よ。地域の王ではない、世界中の魔物をまとめる、まさに奴らにとっての『神』なのだ。強さは魔王などとは比較にならぬゆえ……それを倒した者は、未だおらぬ」
「二千年前は、どうなったのですか?」
「人間の軍隊は敗れ去ったが、よく戦い魔神の眷属を減らしてくれたという。そのあと妖精族と竜族、森人、そして山人が魔神と渡り合い……魔神は退いた」
「退いたとは……では『魔神』は?」
初めて聞く魔人戦争の結末に、ベアトの顔にも驚きが広がっている。そう、退いただけで倒していないということであれば、そのラスボスは今、どこにいるのか。
「行き先を確かめた者はいないのだから、わからぬとしか言いようもないが……おそらく魔神も戦いに疲れたのであろう。退いた後はどこかに隠れ、回復を待っているのではないか。あれだけの魔力をもつ魔神、回復にも長き長き年月を要するであろうが……」
「その時が、また満ちたと?」
「わからぬ。わからぬが……魔物の活性化が急に進んでいる様子を見れば、奴が再び目覚めた可能性も、考えておかねばならぬであろうな」
族長が、遠いものを見るような目をした。俺たちは、まるで創世記のような壮大なドラマの中に自分たちがいることを、初めて悟った。




