第277話 地下へ
「ここから地下に??」
「ええ。ここから潜ってゆきます」
グレーテルの問いに答えてくれたのは、俺たちを最初にここまでいざなってくれた長身の女の子で……フィオレンティーナという名だという。アッシュゴールドのセミロングを自然に流した、ライトグリーンの瞳を持つ細面の美少女だ。族長のおばちゃんと目鼻立ちが似ているような気がするから……子か孫にあたるのかもしれない。見た目はどうみても十代後半だけど、森人の寿命は長いから、見た目はあてにならないんだよな。
族長が「案内役だ」と言って付けてくれたのだが、俺たちが森人の意にそまぬことをしないか監視する役目も、きっとあるはずだ。そうなると華奢で美しいこの少女も、その気になれば俺たちを制止するくらいのスゴ技を持っている可能性が高い。この子の動きには、注意しておこう。
その彼女が示すのは、大樹の土手っ腹に開いたでっかい洞だ。直径三十メートルにもなろうかという巨木だけあって、その洞も結構広くて……おっかなびっくり入ってみれば、そこは五十畳くらいの広さがある、ちょっとした広間だ。
「里の集会などは、この中で行うことが多いですね」
なるほど。さすがは千年樹、包容力も抜群ってわけか。感心する俺たちに、彼女は奥の暗がりを指さしてみせる。そこにはぽっかりと洞穴が開いていて……地中に向かって斜めに下っているようだ。
「この洞窟は、大樹の根に沿って地下深くに続いています。最終的には地底河川が流れている鍾乳洞につながります。魔物はそこから攻めてきているようで……」
「ふうん。そうすると、迷宮を攻略するみたいなことになるわけね。私はあまり狭いところは得意じゃないな。ツェリはどう?」
「私もあまり得意ではありませんが……やるしかないのでしょう? 全力で奥様をお支え致しますわ」
頼れる前衛二人が、仕方ないという表情でうなずき合う。まあグレーテルの「得意じゃない」ってのは、一般の冒険者だったら普通に無敵レベルだからなあ。ここは任せてよさそうだ。
「じゃあ私についてきてください。でも……本当にその子も、連れてくるのですか?」
フィオレンティーナの視線の先にはもちろん、俺の背中にくくりつけられたファニーがいる。まあ普通だったら、こんなわけわからん迷宮に挑むんだったら、こんな小さい子は置いていくよなあ。
「失礼とは思いますけれど、まだ私たちとしてはあなた方に心をすべて許すわけにはいきません。先ほど我が娘のみを連れ去ろうとしていたのは、この里の者ですから」
ベアトの言葉遣いは彼女にしてはものすごく柔らかいけど、言っている内容はすっごく辛辣だ。まあ平たく言えば「誘拐未遂までしたあんたらは信用できないぜ」ってことだからな。俺もまだ森人を信用しきれないでいるけど……まあ他に選択肢はない。この課題を片付けて共存共栄の関係を認めさせ、ファニーの精霊を何とかしてもらうしかないだろう。
「そうですね。一部の者がやったこととはいえ、子供をかどわかそうなどという愚かなことを考えたのは、我が一族。そのお詫びはこの一件が片付いたのちに、きちんとさせていただきましょう、まずは力を貸して下さい……尋常ならざる客人よ」
「ふふっ、もちろんよ」
素直に謝罪するフィオレンティーナに、グレーテルが力強く応えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
洞穴は、少しづつらせんを描いて地中深くへ進んでいく。その壁に大樹の太い根が緻密に張り巡らされていることで、空隙だらけの脆弱な土が崩壊するのを免れているようだ。
十メートルばかりも地中に潜ったところで、網目のように入り組んだ根っこが行く手を阻んでいる。
「まさか伐るわけにもいかないな、私の魔法で何とかするか」
「いえ、これは森人にお任せを」
丁寧語に疲れたのか、いつものぶっきらぼうなしゃべりに戻ったベアトが提案すれば、フィオレンティーナがきっぱりと謝絶する。ちょっと首を傾げつつもベアトが素直に退けば、フィオレンティーナが美しいソプラノで、俺には理解できない言語の短い調べを唄う。すると、ゆっくりだが確実に大樹の根がずるずると引っ込んでゆき、俺が胸の中で百を数える頃には、根っこの防壁は消え去っていた。
「なんだか、ベアトの魔法と似ているね」
「うん、とても興味深い。ファニーの件とは別に、森人たちとは交流してみたいものだ」
俺とベアトがこそっと交わした会話を、フィオレンティーナが聞きつける。
「ええ、人間でも高位の木属性をお持ちの方は、樹木と意を通じ、根や枝を動かせると言いますね。私たちのこれも似たようなものですが……特別強い魔力を持たなくても、一族の者なら誰でも発動できます」
「便利なものなのだな。この根っこの隔壁というべきか、いったい何枚あるのだ?」
「同じようなものが十四ケ所ありますが……すでに七枚が魔物に破られています。私たちも戦っていますが……その侵食を止めることができていません」
フィオレンティーナの秀麗な金色した眉が切なげに下がり、その唇がかみしめられた。




