第250話 ティナの洗礼
闇一族の女性に種付けなどしている間に、大切な儀式の日が来た。もちろん、リーゼ姉さんと俺の子が、洗礼式を迎えるのだ。
もちろん、たかが軍人侯爵家のイベントだ、ベアトやクラーラの時みたいに多くの貴族たちが集まるわけではない。王室を代表してベアトが出てくれること以外は、限りなく内輪でやる儀式なんだ……それなのに、なんで王都中央教会で、しかもおなじみのエリーゼ枢機卿猊下が自ら仕切ってくれているんだ。
「ベルゼンブリュックを守る強き盾、フロイデンシュタット家の正統を継ぐ者をここへ」
「はいっ」
元気に応えるのは、もうすっかり回復したらしいリーゼ姉さんだ。何しろ出産の翌日には、もうデスクワークに復帰していたくらいだからなあ。「こういう時に、自分が治癒魔法持ちだと便利よね」とか社畜っぽいことを言ってたっけ。そんな仕事大好き人間の姉さんも、さすがに娘の洗礼にはきちんと出席している。
「さあ、アルベルティーナ、どんな結果が出るかしらね……」
柔らかく赤ん坊に話しかけながら、アルベルティーナと名付けた娘を、大事そうに猊下へ手渡す姉さん。姉さんと同じライトブルーの髪と茶色の瞳を持つ、親の欲目かもしれないがなかなか美しい、将来が楽しみな子だ。
「八つの属性を司る女神よ、この幼子の力を示し、その未来を嘉したまえ!」
枢機卿猊下の声が、静まり返った大聖堂に響く。そして静かに赤子を聖なる水盤に沈め、きっと水属性を表す青い光が……と思ったのに、なぜかいつまでたっても現れない。
「これは……」
「もしや、フランツィスカ殿下と同じことが?」
外野……ようは親戚の貴族どもが、いろいろ騒ぎ始める。だけど、ファニーの時とは様子が違う、それはベアトも気づいていた。
「ファニーも光を放出していなかったが、身体は緑に光っていた。だがアルベルティーナは全く光っていない」
「だけど、魔力なしってことはないよね」
そうさ、アルベルティーナを孕んだ後、明らかにリーゼ姉さんの魔力は上昇して、SSクラス相当になっていることを確認している。お腹の子だって同じクラスの魔力を持っていると考えるのが自然なんだよな。
「ルッツの言うことは正しいと思うが……むっ、なんだあの『もや』は?」
「え? あっ、あれは……」
ベアトに指摘されてやっとわかった。俺にも見える……アルベルティーナを浸けた水盤から、カゲロウのようなもやもやが発して、それがどんどん強くなっていくのが。
「何だあれは!」「見たことがないぞ!」
「静まるのだ、ここは聖堂ぞ!」
枢機卿猊下が一喝すると、にぎやかにさえずりかけていた奴らも、さすがに黙り込む。
「驚くことはない、この赤子は『無属性』の魔力を持っているだけのこと。ベルゼンブリュックでは珍しいが、東国ではたまに現れる属性じゃ、騒ぐほどのこともない」
落ち着き払って説明する猊下の姿は説得力抜群だ。最初は驚いていた親戚たちも、安心したのかがっかりしたのか、めいめい帰途についていった。
「お主らは残るのじゃぞ。ちと説明せねばならぬことがあるからな」
猊下が真剣な目で、俺たち家族を呼び止めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「至高神よ、この身はあなたの信者に向かって虚偽を述べてしまいました、我が罪を、どうかお赦し下さい……」
いつもにこやかな枢機卿お婆ちゃんが、なんか悲愴な顔で神様に懺悔している。残らされた俺たちは、しばらくその背中を見つめているだけ。やがて振り返った猊下の眉間には、深いしわが寄っていた。
「先程の話、途中までは本当のことじゃ。リーゼの子供……アルベルティーナが、八つの属性に納まらぬ『無属性』魔力を持っているのは、間違いない。あのもやのような魔力は、古文書に記されている通りじゃ」
ふうん。本当のこと言ってるんだったら、いいんじゃないの。なんで懺悔までしちゃうわけ? だけど猊下の言葉は、微妙におかしいな。東国ではそれなりにいる属性だって言ってたけど、それならなぜ「古文書に記されて……」になるんだろう。
「ああ、そこの種馬は気付いたようじゃな。わしの嘘は『たまになら、いる』と言ったことじゃ」
「エリーゼ婆、どういうこと?」
「わしの知る限り、この大陸で『無属性』は、もう数百年生まれておらぬよ。この子の属性は、もはや古文書にしか残っていない、幻の魔力なのだよ」
ベアトの問いに、猊下は苦しげに答えた。
「では猊下、この子は魔法を……」
「リーゼよ、済まぬ。わしにもそれ以上わからぬのじゃ。古文書にはそういう属性が存在し、無色のもやもやした魔力、というところまでしか記録されておらぬ。その持ち主がどういう魔法を使えるかといった情報は、今となってはもはや得ようもないのじゃよ」
その場を、重苦しい沈黙が支配する。この子……アルベルティーナは、炎の英雄ヒルダ母さんと、国軍魔法使いの頂点に立つリーゼ姉さんの後継者として期待を一身に集めている、未来の侯爵閣下だ。なのに、どんな魔法を使えるのか、そもそも何らかの魔法を使えるのかすら、わからないのだ。
「大丈夫、この子は私が、立派に育てるわ。魔法は私自身が教えるつもりだし……もし魔法が使えるようにならなかったら、官僚として女王陛下のお役に立てるように教育するつもり。本人が侯爵なんてムリって言ったら、マチルダが後を継げばいい。とにかくこの子を絶対、幸せにしてあげる……大好きな男性の、子供なのだもの」
一番娘の将来を心配しているであろうに、アルベルティーナを見つめながらきっぱりと宣言するリーゼ姉さんは、とても凛々しかったのだが……最後のフレーズを聞いて、枢機卿猊下が俺にジト目を向けた。
うん、やっぱり、バレてるよね。




