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第215話 アントニア卿の希望

「アントニア卿って……あの副官だった人だよね」


「そうよ」


 そうだ。公国戦の直前、まだ姉さんが超絶氷魔法を見せつける前、戦闘に役立たない水属性は帰れと言わんばかりの対応をした、あの吊り目の女性だ。魔法に生命を賭けているような人だったから、水属性の小娘が指揮官とか、我慢できなかったのだろうな。俺としては最初の印象が悪くて、あまり好意を持てない相手ではあったけど……姉さんが氷槍の魔法を顕現した後は、手のひらをひっくり返したように、姉さんのためにガンガン働いて幸せそうな顔をしていた。姉さんの弟子だとか自称していたし、この国によくいる純粋な魔法オタクなんだろうなあ。


「私が子供を身ごもる間、遠征や演習は全部彼女とその腹心がなんとかしてくれるそうよ。かなり大変なはずなのだけれど……」


 ふうん……まああの人は多分、魔法が大好きすぎるだけで、悪い人じゃない。師匠と仰ぐ姉さんの望みを叶えるべく、いろいろ手を回してくれたんだろうなあ。


「ありがたいよね。何かお礼をしないといけないだろうね」


「そうね……」


 む? いつも歯切れのよい口調の姉さんが、珍しく何か言いよどんでいる。俺、何か変なこと言ったかな?


「あのね、ルッツ」


「うん、どうしたの姉さん?」


「その……アントニア卿への、謝礼のことなんだけど」


「そうだね、軍人さんだったら、おカネのお礼は賄賂みたいでマズいよね。ネックレスとかブローチとか、何か身につけるものでも贈ろうか?」


「それもいいんだけど……今回は彼女の方から、リクエストがあってね」


 え? リクエストって……何かこれ、悪い流れじゃね?


「姉さん、それって……」


「うん。ルッツの種が、どうしても欲しいんだって」


 ああ、やっぱり。俺は、天を仰いだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「シュトゥットガルト侯爵閣下、ご無沙汰いたしております!」


 身じたくを整えた姉さんを迎えに来た副官さんが、俺に向かって指先までビシッと気合のこもった敬礼をする。俺は軍人じゃないから、ボウアンドスクレープの礼で応えるが……背中に冷たい汗が流れるのを止められない。だって目の前にいる副官さんは、さっきまで話題にしていた、アントニア卿だったのだから。


「あ、ああ。アントニア卿だったね。卿も、健康そうで何より。私の姉に力を尽くしてくれていると聞く、感謝申し上げよう」


「はっ! 小官ごときの名を覚えていていただけたとは、光栄至極!」


 なぜか頬に血色を昇らせて、背筋を伸ばすアントニア卿。この人、もう三十代も末だったはずだけど、こんな仕草をされてしまうとまるで少女……ってのは言い過ぎでも、やたら若々しく見えるな。最初はキツく見えた吊り気味の目も、大きく見開かれてみれば強い意志を感じさせて、活き活きと輝いて見える。そして、戦の最中出会った頃には緊張して目に入っていなかった彼女の容姿は意外にも整って、小麦色を帯びた肌が健康的な魅力を振りまいている。ヤバい、姉さんからあんな話を聞いちゃったら、無駄に意識しちゃうじゃないか。そして、クール系の顔なのにそこだけ情熱的に紅い唇が開く。


「アンネリーゼ閣下、ついに、本懐を遂げられましたか!」


 いやはや、本懐ときたか。さすがは軍人さん、表現が大げさだぜ。


「ええ。アントニア卿のおかげで、長年の想いを叶えることができました、感謝します」


「では、弟君のお子を……」


「間違いないわ。必ずこの子を、健康に産んでみせる」


 昨晩「した」ばっかりで、受胎したかしないかなんてわかるはずもないのに、確信を持った表情で断言するリーゼ姉さん。まあ、コルネリア隊長も同じ反応だったよなあ。俺の「グレーテル以外百発百中」ぶりは、すでに貴族たちやバーデン女性住民たちの間で、常識となっているらしい。


「おめでとうございます! 向こう十ケ月、お子に障る業務は、私にお任せを」


「ありがとう。水の治癒魔法を常時かけておくから、心配することはないと思うのだけど……遠征行軍なんかは遠慮なくお願いするわ。やっぱり初めてだから少し怖いし」


「もちろんです! 水魔法使いの頂点に立つアンネリーゼ閣下と『神の種』ルッツ様のお子、どれだけ素晴らしい才能が生まれるのか、わくわくしてしまいます!」


「そうね、子供の才能にも、期待してしまうわね」


 ああ、この人の関心は、もっぱらそこなのか。さすがは魔法オタクだぜ。だけど、姉さんの次の言葉で、俺は凍りついた。


「そうそう、アントニア卿のお願いも、ルッツに伝えておいたから。きっと叶えてくれるはずよ」


 うっ、それは。それって……俺の種をぜひって、アレだよね。お相手の女性を前に堂々とぶっちゃけられると、羞恥プレイに慣れてきた俺も、さすがに恥ずかしいぞ。


「かっ、閣下、それはっ……」


 うろたえたような声に振り向けば、そこには整った顔を紅に染めた、アントニア卿の姿があった。恥じらいに耳まで紅くなる彼女は、俺の母親でもおかしくない人生経験豊かな女性であるはずだが……こうしてみると、物慣れぬ少女のようだ。


「どうしたのです? 卿は『神の種』が欲しいと、何度も訴えていたでしょう?」


「はっ、はい、そうなのですが……」


 え〜っ、この人、どんだけ純情なの?



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