君を愛する事は無いと言われたので構いませんと答えたら相手が不穏になってしまいました
「君を愛する事は無い」
私の婚約者、ギルフォード・クレイマンはそうのたまいました。
わかってますよ。
だってこれは我が家、政治に強いアーマド家と軍部に強いクレイマン家の政略結婚でございませんか。どうしてわざわざ?
私は首を傾げながらギルフォード様を見つめます。
クレイマン家の三男坊でございますが、何人も王宮に仕える近衛騎士を輩出する家柄である事をその身で示しているような、しっかりとした体つきと整った顔立ち、という美男子です。美男子なのですから金髪碧眼は言わずもがな、ですね。
ですが私の好みではありません。
大体私こそ彼に対して夢見がちな、あるいは恋に恋する乙女の潤んだ瞳、など、一切向けていないと断言出来ます。
ではどうしてそんな妄言をおっしゃったのかしら?
少し、時間をさかのぼって考えて見ましょう。
お母様が私に婚約を説得?にきた夜の回想でいいかしら。
自分が伯爵家に生まれている時点で、私は親が決めた相手と結婚するものと覚悟していたので、別に婚約について抵抗などありませんでしたのよ。だから、私を説得せねばと考えた母は、私よりも私の気持ちを慮っていたのでしょう。たぶん。
「アンバー。我が家の跡継ぎはあなたの従兄のディケンズになります。だからこそ、たくさんの騎士を抱えるクレイマン家との婚姻は大事なのです。おわかりね」
「わかっているわ、お母様。お父様が亡くなった後、あのぼんくら従兄に良いようにされないように、強い殿方を私達の盾にしたい、そう言う事ですわね」
「そうよ。跡継ぎには絶対にならない三男ならば、必死にあなたの財産を守ろうと頑張ってくれるでしょう」
「財産に疎い三男だから、私の財産に手を付けて散財しそうですけれど?」
母は私を見下したような視線を送った後、ふんと小馬鹿にしたようにして鼻を鳴らした。お母様、お下品ですわよ。
「あなたが手綱を握っていれば良いことです」
説得ではなく悪巧みだったわねこれでは。
私の意識は大した成果も無く今に戻る。
でも母の言葉の手綱って、キーワード、かしら?
私は手綱と言う言葉を脳内で反復しながら婚約者を見つめ、私から返事が無い事を気にする様子がないことで、自分が気にし過ぎたのかしらと負けたような気持ちになった。
でもそれで良かったの。
彼の言葉の意味を理解したような気がしたもの。
君を愛する事は無い、括弧、君の言う事なんか聞かないからな!!括弧閉じる。
かしら?
あら、私の将来とっても危険ね。
「あの、愛さないのは構いませんが、財産管理は出来ますの?私の財産の管理に関しては私がする、あなたの財産についてはあなたがする、という婚前契約を結婚式までにしておくべきかもしれませんわね」
ギルフォードは虫を見るような目で私を見つめる。
あら?もしかして最初から財産目当て?
三男ですものね。
これは彼を同意させるよりも、お父様を突いて契約書の類を作成しておく必要があるわね、と頭の中にメモをする。
「私が、君の持参金目当ての男、だと?」
「あら?私はただ、世の男性が博打で破産している所を良く聞きますので、自衛したいと思っただけですわ。だってあなたが、君を愛する事は無い、と、わざわざご宣言されたのですもの」
ギルフォードはおかしな咳をして、誤魔化すようにして紅茶を飲む。
私はギルフォードのその慌て方を少々愉快だと思いながら、目の前の紅茶のカップに手を伸ばす。
紅茶からは微かに矢車菊の香りがする。
そう感じた途端に私は矢車菊のあの美しい青を思い出し、反射的にギルフォードの瞳を見つめてしまった。
彼の瞳は遠い誰かを想い出す。
幼い頃に女子修道院で出会った親友、騎士になると笑った美しい少女。
修道女見習いのはずの彼女は、今頃はきっと聖騎士になっていることだろう。
「何か?」
「あなたの瞳は綺麗な色だなって。矢車菊の色ですわね」
「ぐふ、んん。ありがとう。君の瞳もなかなかのものだ。古代の神秘を閉じ込めた琥珀のようだ」
「ま、まあ。ありがとうございます」
瞳を褒められただけで見直すと言う事でもないが、かなりの褒められ方にいい気分になれたのは事実。そ、それに、私に褒められて耳を真っ赤にして照れたところは、とても好感が持てると思いますの。
好感、これは大事。
人生は長いのだから、子供を作る相手に対して嫌悪よりも好感を抱ける人の方が良いわ。見下し合うよりも尊敬し合う関係の方がずっといい。それならばきっと上手くいく、でしょう?
そう、私と彼は友人になれば良いのよ。
そのためにはまず会話、今後の結婚生活で考えをすり合わせていく、これ大事。
「――子供は何人まで欲しいですか?」
「ごぅほ、おおう、ごほっごほっ」
貴族の男性で紅茶を吹き出す人なんて初めて。
そして、ギルフォードは紅茶で溺れ死にそうな感じ。
私は席から立ち上がるとギルフォードの方へと行き、彼の背中をポンポンと叩く。咽た時は叩くと良いのよね、確か。
「だ、大丈夫です。せ、席に戻って下さい。ごほっ。私に触れたり近づきすぎれば、あな、あなたのっ、ごほっ。評判に関わります!!」
流石騎士。
とっても真面目でいらっしゃるのね。
これならば私を蔑ろにして女遊びなんてしないかもしれない。
いいえ、婚約者の私を愛さないとわざわざ言ったのは、彼にはどこかに愛した人がいるということなのだわ。そしてそんなことを言うってことは、愛する人に操の誓いを立てているってこと。
何てこと、彼は絶対に浮気しない人ということではありませんか。
私は少しだけ彼が愛するらしい人が羨ましくなった。
だってこの世は男の浮気天国なのだから。
「だから、私と結婚しても二年だけ我慢されれば大丈夫です。わ、私はあなたを愛しません。き、清い結婚は離縁する事が出来ます」
本当に彼は立派だわ。
想い人への愛を守るために私に指一本触れないと誓っただなんて。
「あなたのその潔さ、心に響きましたわ。家同士の結婚では、あなたにどんなに愛した方がいても断れませんものね」
「いえ、あの、私の方は他に愛する人など、あの」
「ええ、ええ、了解しました。愛する人に関しては隠されたいのでしょうから追及しませんわ。ちゃんと協力しますからご安心なさって。清い結婚にいたしましょう。でも、お願いがありますの」
「いや、あの。……………………お願いとは何でしょうか?」
ギルフォードは口を噤んでしばらく逡巡したが、再び、しかし少々へりくだった感じで私の言葉を促して来た。
協力すると言っただけの私に対してここまで恩義を感じているなんて、彼の恋人は羨ましいわね。
たった二年、されど長く感じるであろう二年だけれど、絶対に裏切ることは無い人だと信じていられる人だもの。絶対に待っていられる事でしょう。
私は少々ピエロみたいだけど。
でも、こんなに愛する人を大事にできる心をお持ちならば、彼と別れた後の私の行く末に少しは情けを掛けてくれるのではなくて?ならば私もきっと幸せな再婚が出来るはず。
「フィレンシア様?」
「私のお願いは、きっとあなたでなければ叶えられないわ」
「なんだって約束します。何だって叶えます」
「ありがとうございます。お恥ずかしながら、あなたと離縁した後は、父は私に別の男性をあてがうでしょう。それも親心かもしれませんが、私には男性のことは分かりませんわ。父親が選んだ人なのに不幸になった方の話はよく聞きます。ですからお願い。私の結婚相手について見極めて頂けますか?」
「お断りします!!」
「まあ!!お約束して下さったのに!!あなたは自分の愛した人以外がどうなっても構いませんのね!!」
「あなたこそです!!私と別れたら、あなたこそ愛する方の元に行けば良いではないですか!!」
私はギルフォードの言葉に、誰のこと、と首を傾げるしかありません。
私は昨年まで寄宿舎に入っていた人であり、社交デビューも一年目です。
パーティに出れば王子様みたいな素敵な人に出会える、現実はそんなに甘くありません。
「私に、愛する人?私にはそんな悪い評判が立っておりますの?」
ギルフォードはピタッと動きを止め、しばらく虫を追っているかのようにして目線をあちらこちらに彷徨わせた。
それから数十秒後、彼は私に視線を戻す。
「――あなたに愛する人はいない?」
「意中の男性と言う意味でしたら、今も昔もおりません」
「だけど!!あなたは言ったはずだ、憧れの君がいる、と。聖騎士になっただろう方を忘れられないと」
「それはどちらでお聞きしましたの?」
「あなたのルームメイトは私の従妹です」
「あら。確かにランディスの姓はクレイマンでしたわ。世間は狭いのね」
「多産なもので、クレイマンがよくある姓で申し訳ありません」
「いえいえ。あの子は少々お転婆でしたから、あなたとイメージが重ならなかったのね。あなたは考え深いお方ですから」
「お喋りな従妹については注意しておきます。それで、あなたの憧れの方について教えて頂けませんか?聖騎士ならば修道士のようなもの。女犯は戒められております。けれど、一目でも会いたいとお望みならば、私はあなたの為にその機会を設けましょう」
「――それは無理ね」
「もしかして、お亡くなりに?」
「いいえ。不明ですがあなたには調べられないでしょう。何しろ女子修道院で出会った方です。私はまだ六歳。あの方は八歳。溌溂とした美しい少女で、将来は騎士になると夢を語って下さりました」
私はそこで言葉を切り、ギルフォード様と同じ瞳の色でしたから多産なクレイマン家のどなたかもしれませんわね、と言おうとしたが言えなくなった。
ギルフォードは両手で自分の両目を覆っていた。
眼だけ覆っているので、まるで子供がえーんえーんと泣いているような手の格好となっている。
「どうかなさりました?」
「なんていう修道院かご存じですか?」
「エスタージュ女子修道院ですわ。夫婦喧嘩をすると母はそこに籠ってしまうの。実家に戻ったら家族やお客が煩くて静かにできないと申してますが、父に迎えに来て欲しいからなだけですわ」
「あああ!!」
どうなさったの?ギルフォード様?
私がおかしくなった彼をまじまじ見つめていると、彼は両手を顔から取り去り、無表情に近い顔付きで私を強引にエスコートしだした。
単に座っていた席に数歩歩かされて座らせられただけであるが。
「あの?」
私の前でギルフォードが跪く。
本当に、一体何が起きたのかしら?
彼はちょっと情緒不安定すぎると婚約破棄した方がよろしいかしら?
「あの」
「フィレンシア様!!」
「ひゃあ!!」
私はギルフォードの呼びかけにびっくりし、お尻が少々椅子から浮いた。
そんな私を心配したのか、ギルフォードは私の右手を両手で掴む。
跪いた姿のままで。
うわ、真っ直ぐ見ている、見ているわ。
「あの」
「私と結婚してください」
「もうすでに婚約はしております」
「白い結婚ではなく、本物の結婚をしてください。私はずっとあなたを想っておりました。私はあの日のあなたの想い人です!!」
「でも、愛さないって」
「あなたに想い人がいるならあなたを汚さないように、行為をしない、という意味です。誤解させてしまい申し訳ありません」
「い、いえ。ええと」
「では、行為のある結婚を私としてくれますか?」
私は、はひゅっと息を吐いて、ギルフォードにただただ圧倒されました。
だから、ちゃんと考えねばいけないのかもしれませんが、はい、と答えてしまっておりました。
でも、この方は浮気どころか紳士の嗜みらしい愛人を囲うなんてことは絶対になさらないでしょうから、考えるまでもありませんね。
「私は矢車菊が大好きなの。あなたの瞳を毎日見つめられるのは素敵ね」
あら、泣いちゃった。
どうしましょう。
本当に男の人はよくわからないわ。