【ハルモニア誕生日2023】それを言ったらお終いだ【蝶々姫】
─世界暦1862年以降のいつか─
ハルモニアが夢の中で、どうして"ああなったのか"振り返るお話。
ハルモニア誕生日2023書き下ろしです!
昔の夢を見ていた。
それは俺の幼少期。確か10歳だったかと思う。
初めて人を殺めた日の夢。
◆◆◆
「おやすみなさい、ハルモニア坊っちゃま」
侍女が暖めた寝台に滑り込むと、長年仕えてくれている乳母のナーナが優しく俺に毛布と上掛けを掛けた。
「おやすみ、ナーナ」
おやすみの挨拶をすると、ナーナは額にキスをくれた。毎晩の習慣だ。
母上は俺を産んだあと暫くは乳をくれたらしいが、元々身体の小さい、か弱い方なのですぐに乳が出なくなり、乳母に俺を預けたとの事だ。
公務への早期復帰と、第二子を周囲に期待されていたのも大きかったと思う。
母上と同時期に子を産み、そしてその乳飲み子を肺炎で亡くしたナーナは、俺に愛情を惜しみなく与えてくれた。亡くした我が子の分まで、いや、それ以上かも知れない。
俺はナーナが好きだった。
父上も母上も大好きだけど、ナーナはそれ以上に特別な人だった。
母上は愛情を注いでくれなかった訳ではない。十分愛されていると今でも思う。
だが、ナーナは母上以上の全身全霊ともいえる十二分の愛情をくれたのだ。
ナーナは当時、若く、魔力の強い土精霊の女性だった。父親に火精霊を持ち、土精霊の母を持つ彼女は俺の乳母に最適だった。
ナーナが部屋を辞した後、暖かい寝台でウトウトと微睡んでいたらガタガタと扉を開けようとする音がした。
ハッと目が覚める。ナーナではない。こんな乱暴な開け方をする女性ではない。
賊だ! 俺は飛び起きた。
間もなく扉は蹴り開けられ、賊はナーナを人質にして寝台の側までやってきた。
ナーナは口を塞がれ喉元に短剣を突き付けられながらも、目を血走らせてもがいていた。
俺は小声で呟く。
「……ナーナを離して」
賊は男だった。低い声が俺を嘲笑う。
「この状況で口が利けるとはな。流石、しぶといエルダナの子だ。お前個人に恨みは無いが死んでもらう」
「いやだ。ナーナを離せ!」
俺は賊の顔面に向かって小さな火球を放つ。
「うっ!?」
賊がナーナの首筋に向けていた短剣で、俺が放った火球を真っ二つに斬った。
その隙にナーナは賊の手の中から逃げ出し、俺を強く強く抱き締めて庇う。
ナーナの肩越しに彼女の背に短剣が振り下ろされるのを見て、俺は初めてゾッとした。ぎゅっと目を瞑る。
「ぐあっ!!」
男の悲鳴が上がった。
恐る恐る目を開けると、何処からいつの間に現れたのか、父上が賊の背中に国宝の剣を突き立てていた。
「ハルモニア、ナーナ、無事だね?」
「はい、父上」
「はい、国王陛下」
「ハルモニア、賊に対して火を使った事は正解だ。火種ですぐさま私が火の道で来れた。立派な王族として、もう子供だからとて容赦はしない。この暗殺者はまだ息がある。ナーナとお前の身を脅かした賊に止めを刺しなさい」
「陛下! お待ちください! ハルモニア坊っちゃまはまだ10歳です! 人間の子供なら4歳ほどの小さな御手をもう血で染められるのですか!?」
ナーナが懇願する。先程、俺を庇って死ぬかも知れなかったのに。
俺の中に彼女への感謝の気持ちと、王族としてのなにかが湧き上がる。
「ナーナ、大丈夫だよ。父上、やらせてください」
俺はナーナの腕の中から滑り出すと、賊が落とした短剣で、男の喉元を切り裂いた。
俺の握力ではまだ深くは斬れなかったが、細い傷から血が溢れて絨毯を汚した。
初めて人を斬った感触はグニャリとした手応えだった。
斬ってから思った。
これが出来てこそ、ルクラァンの王族なのだと。
俺は王族だから
て き は こ ろ さ な く ち ゃ。
◆◆◆
俺が17歳の晩夏に、異母妹が産まれた。
メレニアと名付けられたその子は早くに母親を亡くしてしまったので、再び子宝に恵まれたナーナが乳母になった。
ナーナは2人目の子と、メレニアに乳をやる毎日でクタクタだろうに、折を見て俺にも声を掛けてくれた。
もう幼くないのに嫉妬が身を焦がす。
ナーナは俺の乳母だったのに、メレニアのものになった。メレニアには乳姉弟のアコールまでいる。
アコールの名付け親は、俺だというのに全く、我ながら情けない。
嫉妬してるなんて言えない。17歳だ。外見はまだまだ子供でも、それを言ったらお終いだ。
愛情に飢えた俺は、ますます手を血に染めた。時には父に言われるままに。時には自分から罪人を追い掛けて。
そんな俺が変わる切っ掛けになったのは、21歳の時に出会ったエイオンだ。
彼は頑なに殺戮を拒んでいた。
何が彼をそういう思考にさせたのかは、その時はわからなかった。
24歳になってラゼリードの過去を旅して、初めて死を辛く感じた。彼女が死を嫌う理由も知った。
旅の中で人に対する思いやりが身に付いた。
話を戻そう。
俺は蒸気船ベルナンド号事件の時、血こそ流させたが、命は奪わずに事を収めらる事が出来て、それがエイオンのおかげだったのが嬉しかった。
父の教えとエイオンの導きは真逆にある。
当然の事ながら相反するのだが、俺の中では
『身に危険が及ぶ時は芽を摘め、しかし無闇矢鱈と殺すのはいけない』
と、人の命を尊重する事さえ出来た。
これは俺の精神の成長。
生まれ変わりと言ってもおかしくない。
そうだ、俺は生まれ直したのだ。
途端に件の佳人への愛情が燃え上がった。
嗚呼、会いたいな。エイオン。
嗚呼、キスがしたいな。ラゼリード。
そう願った時、不意にラゼリードが眼前に現れた。
なんて都合のいい夢なんだ。
会いたい時に逢えるなんて。
ラゼリード、愛している。
俺は彼女を抱き締め、そっと唇を重ねた。
◆◆◆
「ん~~~~!」
え? ラゼリード、何唸ってるんだ?
目を開けたら、至近距離に紫と赤の瞳。
俺の顔に掛かる銀の髪。
俺は夢ではなく、本当にラゼリードに口付けていた。
俺が唇を離すと、ラゼリードが真っ赤な顔で、まくし立てる。
「モニ! 貴方ね! 寝相悪すぎじゃない!? 長椅子で夕寝してるから、毛布でも掛けてあげようかと近寄ったら、狩猟用の罠みたいにガッチリとわたくしを何時間も抱き締めて! 挙げ句に、ね、寝言で口説いた上でキスまでするなんて、し、信じられない!」
「なに!? 何時間も!?」
俺は驚いて腕の中のラゼリードを見る。
彼女は半ば俺の上に乗るような体勢で抱き締められていた。
そして窓の外を見ると、とっぷりと暮れている。
時刻は……良かった。まだ日付が変わる前だ。
ギリギリではなく、余裕はある。
「そうよ、それになんでそんなに力強いのよ!? 本気で貴方、対動物用の罠か何かなの!? わたくしだけじゃなく、他の人も抱き締めてるの!?」
最後の下りで彼女が泣きそうな顔をするから、俺は抱きしめた腕に力を込めた。
「いや、侍女達は俺の寝相が悪いのは知っているから、寝てる俺には近寄らない」
「そう、ならいいけど。 いや、そうじゃなくて! いい加減離してくださらない!?」
「いやだ」
「お誕生日プレゼントが渡せないじゃない! 今年は貴方のお誕生日前日の早めに来たのに!」
ああ、なるほど。それで腕の中にお前が。
俺は嬉しくなってしまい、潔斎の時間が来るまでラゼリードを抱き締めたまま、繰り返し口付けたのだった。
ラゼリード、お前、口ではきつい事ばかり言うが、満更でもなさそうだな?
これを言ったらお終いか。
─end─
メレニアの乳母は、元はハルモニアの乳母でした。
ナーナの1人目の子が生きていたらハルモニアにも乳兄弟はいたのですが残念。
乳母に直感でナーナと名付けてから意味を調べたら、スペイン語で「乳母」でした。まんまやん!
ちなみにナーナの子供はフランス語で「調和」という意味の名前です。
あれ、どっかのハルモニアさんも意味が「調和」ですね……。言語違いで同じ意味の名前の2人……。
最後に。
ハルモニアはすっごい寝相悪いです。
ベッドから落ちるとかじゃなくて、寝てる時に近寄ると、抱き寄せられます。
「戴冠─蝶々姫第二章─」の終わりでも時編む姫のウエストをギリギリと締め上げてたくらいですから……