公爵令息の秘密(ローゼス視点)①
ちょっと珍しくしんみりパートもあったりするローゼス視点。
ローゼス・ケッテンベルはハルステッド王国騎士団でも、花形と言える第一騎士団に所属している。
それは、ローゼスがケッテンベル公爵家の出身だからとか言う理由ではない。非常に容色にも優れてはいたが、何よりもその剣術、体術といった武術全般の能力の高さに目を付けられ、嘱望されたのだ。
純然たる実力により、この地位を獲得したのだ。
彼は、入団前からずっと目を付けられており、騎士団上層部では取り合いがひそかに行われていた。
彼はハルステッド国立学園を卒業後、十八という年齢で入った。そこでめきめきと頭角を現した。特に、戦場においては格上相手にも慎重で粘り強く対峙し、戦いの中から成長し、圧倒的不利な状況から勝利を勝ち取る。
貴族にありがちな傲慢さもない。性格も温厚で、女性にも若年層にも人当たりが良かった。
昔の彼を知るものが見れば、あの生意気な小僧がと思う程である。
何せ、彼は裕福な上級貴族、美形、才能もあるという天に一物も二物も与えられた存在だった。
事実、十歳までのローゼスは相当なクソガキだった。
女の子にはつっけんどんだし、勉強や剣の稽古もサボるし。だが、末っ子気質があったし、愛嬌があるせいかどうも周囲も甘かった。
上二人がそつのないできた子息で、三男であるローゼスはそれほど責務が回らないという状況も、それに拍車をかけたのだろう。
そんな人生イージーモードに嘗め腐っていたローゼスの価値観を木っ端にした人物がいた。
それは、義姉ベアトリーゼ・マルベリーである。
ローゼスの実兄クロードの兄嫁である。
初対面からエンジンが焼き切れる勢いで、愛のアドレナリンをガソリンにして吹かしていた。顔合わせという名の見合いに同席していたローゼスに目もくれず、クロードにフォーリンラブだった。
普段、機械人形のように淡々としている兄がゴリッゴリの圧にへし折れて負けていた。
ちなみにベアトリーゼはローゼスのことを完全に『クロードの弟』としか見ていない。
ローゼスの兄は二人とも優秀だった。それに対してコネを求めるのでなく、おまけ扱いであった。異性とみるのではなく、甘い汁を啜ろうではなく『将来の義弟なのだから』という、ほどほどに良識の範囲内に仲良くしようという感じだ。
ローゼスは普段、同じくらいの年頃の少女には異様な熱の籠った目で見られる。
事実、ベアトリーゼに似ていない異母妹のセシリアにはしつこく追い回されて嫌いだった。
セシリアという少女は見てくれだけは貴族の中でも目立つほどにとても愛らしい。だが、それを上回るほど鬱陶しいのだ。自分が可愛いと分かっていて、周囲に特別扱いを求める。ローゼスはその厚かましさが苦手だった。どんな相手だろうが、当然のように愛されることを求める。
近づかれるだけで疲れる。
ベアトリーゼはどっちかというと、犬に似ていた。
しかも、序列が極めてはっきりした忠犬タイプで、主人を決めてそれを基準にする。
主人には目を輝かせて「遊んでください!」と言わんばかりに駆け寄ってくる。
そのせいか、余り子供を得意としていない兄がベアトリーゼには優しかった――後で知れば、ベアトリーゼは実家で随分な扱いを受けていたそうだ。
きっと、あの淡白である兄は打算だけでなく、憐憫もあってベアトリーゼを慈しんだのだろう。
この時点では、まだローゼスの性格は全く矯正されていなかった。
噂で、マルベリーの血筋は優秀な武人を輩出することで名を馳せていると聞いた。先代当主のエチェカリーナも国随一と言われた剣豪であった。その両親のポプキンズ辺境伯も、歩く殲滅兵器と呼ばれるほどだ。
ベアトリーゼもそうなのかと聞けば、彼女は首を振った。
「いいえ、私はごく普通ですわ。剣など握ったこともありませんわ」
兄を見かけるたびに瞬間移動する脚力を見るに、かなり運動神経がよさそうだった。
だが、否定するベアトリーゼ。最初は謙遜かと思ったが、だんだん苛々してきた。
その日、定例の茶会を楽しみにやってきた未来の義姉に、いたずら心が疼いた。
クロードは仕事で遅れるとのことだった。なので、お茶会ではなく晩餐への招待からの泊りになった。
公爵夫人のサマンサは、正統なマルベリーの継嗣の酷い待遇に酷く心を痛めており、夭折した母の代わりになればとかなり世話を焼いていた。
前の婚約者のタチアナが、容姿だけしか取り柄のない鼻持ちならない女だったのも理由の一つかもしれない。
そんなベアトリーゼに、ローゼスは少し焼きもちを焼いていたのかもしれない。
「なあ、遠乗りいかないか?」
「いえ、もしかしたらクロード様が早く切り上げてこられるかもしれませんもの」
ほんのり頬を染め、しおらしく視線をさげるベアトリーゼ。
他の令嬢もこれくらい可愛げのあるアタックの仕方なら。ローゼスも異性を鬱陶しいなどとは思わなかっただろう。
逃げても逃げても追い回し、ベタベタ触りながら服や腕を引っ張り、迂闊な事を言えば泣き叫び、互いに蹴落としあい罵り合う。
それに比べれば、ベアトリーゼとの時間は過ごしやすかった。
僅かに胸に去来した何かに、幼いローゼスは気づかない。
「クロード兄様の秘密――知りたくないのか?」
「使用人の皆さま! わたくし! ベアトリーゼは! クロード様をより深く推し量るべく未来の義弟と遠乗りに行きたく存じます!! どうかご用意を!!」
パンパンパンと手を叩くベアトリーゼ。その音が良く響く。
先ほどの楚々とした態度はどこへやら、クロードが絡んだ途端ベアトリーゼのアグレッシブエンジンはアクセルが掛かる。
扱いやすいと思いつつ、ちょっと胸がちくりとした。
ふんすふんすと息が荒く興奮気味に、有りもしない『クロード様の秘密』に沸き立つベアトリーゼ。
ケッテンベルの使用人は、ニコニコとそれを眺めている。
クロードの前の婚約者タチアナは、血筋も確かでない上に浮気性で約束をすっぽかす下品な馬鹿女だった。美点は外見に極ぶりだった。
ベアトリーゼは一途にクロードを慕い、クロードも悪からず思っている。年齢差は大きいが、それも二十年もすれば大きなことではなくなるだろう。定例の茶会をいつも楽しみにしており、一生懸命クロードを知ろうとし理解しようとする姿勢があった。
外見こそはタチアナほどの毒々しい華やかさはないが、可憐で優し気な顔立ちだった。正直、ローゼスも成長すればベアトリーゼの方が、クロード好みになる気がしている。
タチアナやセシリアは男受けする外見だが、一時的な恋人くらいには良くても妻には向かないタイプだ。恋多きタイプで、駆け引きや火遊びを楽しみたいならともかく、安らぎや何か責任あることを任せることには向かない。
社交や、女主人をやらねばならない貴族の夫人には向かない。夜の蝶の様なものだ。
淫奔で堕落的な本性。
ローゼスは本能的にそういったものを嗅ぎ分けていた。
ローゼスは馬に跨ったが、ドレスのベアトリーゼは横乗りだった。
天気が良く、絶好の遠乗り日和だった。
「あのぅ、ローゼス様。それで、クロード様のお話は」
「兄様の秘密? それは――俺に勝てたらふぐぉ!?」
一瞬だった。「それは」の時点で馬の腹を蹴って駆け始めたが、すべてのセリフを言いきる前にベアトリーゼはローゼスの背後――馬の尻の上に着地し「勝てたら」の時点でチョークスリーパーから、馬から引きずり降ろされてネックハンギングツリーだった。
「捕まえましたわ☆」
華奢な手の平で高々と首を掲げあげられたローゼスは、絞まる気道に無様な空中バタ足になる。
ベアトリーゼは曇りなき眼である。キラキラしい笑顔の裏で、世紀末覇者のオーラが滾っている。圧倒的捕食者を前に、二頭の馬は失神した。
「さっ、お話しなさって? クロード様のお話なら、どんな些細な事でも構いませんわ!」
そっとローゼスを下したベアトリーゼはにこやかに小首をかしげる。
何が起こったか分からないローゼスは、哀れな子鹿のように震えていた。ひゅーひゅー可笑しな呼吸になる。混乱の絶頂だった。
「さぁ、ローゼス様? お話を――」
ずいと近づいてきた少女に、本能的な恐怖で縮み上がるローゼス。
ローゼスの中で、身分差を度外視した弱肉強食のヒエラルキーが急速に構築されていった。その頂点に向かい、同い年の少女が急激に順位を上げていく。
周囲はどうするべきかと顔を見合わせた。相手はクロードの婚約者であり、けしかけたのはローゼス。首を絞めあげたが、それも一瞬だ。
その時、近くの茂みがわずかに揺れた。
「Gyuoooaaaaaa!!!」
公爵家の馬車より大きな双頭の飛竜が、上空から襲い掛かろうとしていた。
先ほどの僅かな茂みの音は、それをいち早く察知した動物たちの立てた音だった。
「お黙り遊ばせ」
だが、ベアトリーゼの手にあった騎獣用の鞭が撓った。
鞭としてあるまじきズシャアともブシャアともいえない音を立てて、ツインヘッドが左右に綺麗に分かれていた。
「最近のトビトカゲは空気が読めないにも程があってよ」
革製の鞭を軽く一振りすると、血が飛んだ。
ちなみに、ベアトリーゼは一連の動作の際、ガンギマリの目でローゼスを問いただすのに忙しく、一切襲撃者を見もしなかった。
そう、この場の覇者の興味はローゼスに向いていた。
「く」
「く?」
「クロード兄様は、目玉焼きには塩だけ派です……」
どうにか縊り殺される前に絞り出せたのは、秘密でも何でもない些細な事実だった。
ぶち殺される。むしろ五体ばらされるとすら思った。
断頭台に上る囚人の気持ちで、ローゼスは縮み上がる。
ローゼスの心臓は早鐘を打っており、ベアトリーゼを恐ろしくて見ることができない。
「まあ! そうですの! では我が家に泊まりにいらっしゃった時には、クロード様用の良い塩を用意しなくては! 貴重な情報ありがとうございます、ローゼス様!」
だが、ベアトリーゼはあっさりと納得した。
既に彼女の頭の中は、いつの日か来るかもしれないお泊りの朝食で目玉焼きに塩だけを振りかけるクロードがいっぱいに詰まっていた。
何とか縊り殺されなかった。安堵のため息をついて、ふと地面を見れば真っ赤に染まっていた。勿論、先ほどベアトリーゼが一振り(鞣し皮の鞭。音の割に痛くない)で引き裂いた魔物からできた血だまりだ。
虚ろな目をした双頭の飛竜はワイバーンの突然変異で、一般のワイバーンより狂暴で知恵が回り、人知れず人や家畜を食いまわっていたと後で知る。狡猾なため、目撃者は須らく消されていたのだ――その飛竜の腹に。
ちなみに。飛竜は後にローゼスのベルト、クロードの靴、フリードの鞄となった。サマンサとマーカスは夫婦で揃いの手袋を作った。
変異種のワイバーンは、その辺のワイバーンとは違う。
価値も雲泥の差だ。ましてや、あそこまで巨体となっていれば、騎士団から精鋭を選抜し、討伐隊を編成して立ち向かうレベルだ。
それを、やや草臥れた乗馬鞭で一振り。
あの後、ベアトリーゼに問いただしても、ワケワカランという顔をされる。
ローゼスの自信は粉微塵だった。
同年代の中では剣術に秀でていた。
それでも、あの確殺の一撃を目で追うことすらできなかった。
その瞬間に、ローゼスの『敵に回しちゃいけない人ランキング』や『弱肉強食ヒエラルキー』と言ったものに、あらゆるものをごぼう抜きしててっぺんのはるか上、大気圏すら超越した位置に未来の義姉ベアトリーゼ・マルベリーの名が刻まれた。
一発で殿堂入りを果たした。
読んでいただきありがとうございます!
セシリアやルビアナ、タチアナ視点はきっと胸糞だろうなーと思うのでローゼスで。




