理解しかねる婚約者(クロード視点)
クロード視点。
――マルベリー伯爵家は勇者の血筋だ。間違っても途絶えさせてはならん。
王家からの勅令を受けたのがケッテンベル公爵家だったのは、その血筋を汲んでも王家を裏切らないという信頼、そして最も簡単にマルベリー家を取り込むに丁度いい年頃の子息が二人いたからだろう。
仮初の当主であるダニエルは凡愚以下。後妻のルビアナや長女タチアナは容色が華やかだが、育ちの悪さが言動に滲み出ていた。三女のセシリアは、可愛らしいが色々と癖の強い性格だった。
何故、父のマーカスがタチアナとクロードとの婚姻を取り付けたかといえば、公爵家と縁を取り付けたいダニエルの強烈なプッシュもあったが、そういった裏の取り決めがあったからだ。
優秀なクロードであれば、あの凡愚なダニエルを排斥してマルベリー伯爵家を掌握するのも容易いだろうと誰もが思った。
前伯爵のエチェカリーナは勇敢で女だてらにしっかりマルベリー家を纏めていた。ダニエルは添え物であったが、冷遇はされていなかった。
しかし、エチェカリーナが亡くなると途端に大きな顔をして振舞うようになったから顰蹙を買っている。ケッテンベルとの縁談も、裏事情も知らずに自分の功績だと吹聴しているらしい。
タチアナはクロードが判り易い華麗で美麗な貴公子といったタイプではないことに不満そうであったが、はたから見れば立派な良縁だった。
何せ、クロードは王太子のティトスが重用している優秀なブレイン役だ。将来的には、宰相候補と有力視されている。
だがケッテンベル公爵家の本命は、次女のベアトリーゼ・マルベリー。
丁度、ケッテンベル家の三男ローゼスと同じ年齢であり、正統な後継者だ。
ダニエルの愚かな行動により、ベアトリーゼは肩身の狭い思いをしているそうだ。
エチェカリーナの残したマルベリーの遺産も、成人するまではダニエルが管理するという名目で後妻と異母姉妹たちに使い込んでいるともっぱらの噂だ。
間違ってもベアトリーゼを可笑しな場所に嫁がせないためにクロードが選ばれた。
だが、まさかタチアナが使用人と駆け落ちをするなんて。
相手のマルセルはケッテンベルの分家筋の従僕だった。顔立ちが端正だったのが、タチアナの目に留まったのだろう。
(厄介なことになったな)
正直、好意も誠意も感じない我儘なタチアナのパートナーはストレスだった。
確かに美しいとはいえる見てくれだが、ただそれだけだ。知性も品性も教養も感じられない虚栄心ばかりが大きな女。クロードが嫌うタイプだった。
王命だからこそ我慢していたのが、水の泡だ。
ダニエルの中では娘は既にタチアナとセシリアだけらしく、一度も顔すら合わせていないベアトリーゼ。ダニエルからの扱いは粗末なものだ。
社交界にすらまともに連れてこない。ベアトリーゼ宛の招待状にすら、セシリアが毎度新しいドレスを自慢に来る有様だ。
せめて、義兄として顔を覚えてもらいたかったし安否を確認したかった。
使用人たちは『本物の後継者』を理解しており、手厚くベアトリーゼを守っていると聞く。
それでも、マルベリー本宅に何度か『タチアナの婚約者』として訪れたが、一度として会えなかったのはかなり気がかりだった。
もともと、クロードは人に好かれるタイプではない。
冷たそう、きつそうとよく言われる。事実、朗らかとは程遠い。
少なくとも、小さな女の子は怖がって隠れるか最悪泣き出す。弟のローゼスを連れて行けばまだそちらの方が仲良くなる可能性もある。
ただ、同じ年にセシリアという少女もいるのが厄介だ。
数度見たことがあるが高い声で感情豊かでよく小さな騒ぎを起こす。大抵はセシリアの暴走ではあるが、どうも正義感や善意が独りよがりなタイプだ。
今はまだ可愛いレベルだが、あのダニエルとルビアナの娘だと思うと、あの性格が矯正されることはないだろう。
ダニエルがセシリアは優しくていい子だと常々絶賛している。
だが、クロードの目から見ればその『優しさ』は酷く歪んで驕慢だった。
(あれは善人である自分を気持ちよく思っているタイプだ。
まあ年頃の子供にはよくあることだが、ああいうのは弱者にばかり自分の『正義』を押し付けるから厄介だ)
次女のベアトリーゼにドレスやアクセサリーを譲ってあげているらしい。
使用人たちに話を聞いてみれば、飽きたものや気に入らなかったもの、サイズアウトでいらなくなったものや汚れたものを押し付けているという。
お陰で、ベアトリーゼは碌に新しいドレスを与えられていないそうだ。
ベアトリーゼをできれば早めに保護したい。
本来得るものを奪われた少女を憐れんだ。
ダニエルは逃げたタチアナのことについて謝罪した。
恥知らずの伯爵婿でも流石にそこは謝罪してきた。
タチアナとケッテンベル公爵家の使用人と逃げたが、二人はそれぞれの家から金品を盗んでの逃避行だ。
ダニエルにとって公爵家との破談は何としても避けたいらしい。
代わりにクロードと新しい婚約を結ぶ相手をといえば、ベアトリーゼを差し出すから好きにしてくれと、生贄のように差し出してきたのだから頭が痛い。
自分の爵位が、差し出した娘とセットだということも忘れているのだろう。
クロードは、ダニエルが自分を苦手ということを知っていた。
流石にセシリアとローゼスとの縁談をというほど厚顔無恥でもなかったようだ。
しかし、ベアトリーゼと漸く会えることに安堵した。
後日、へらへらとしたダニエルに連れられてやってきたのは亜麻色の髪に、若草色の瞳をした少女だった。
きつめの化粧を施した美貌や豊満なスタイルを見せつけるようなルビアナやタチアナとは違う、楚々とした愛らしさのある少女である。
(……あれはセシリアが半年前に着ていたドレス)
マルベリーの正統な後継者が、妹のお下がりのドレスを着てやってきた。
高級で人気のブランドドレスだし、今回の格としては十分だ。だが、ずっと前から決まっていた初の顔合わせに新しいドレスではないどころか、セシリアのお下がりとは。
クロードは記憶力がいい。ダニエルは、一見すればとびきり洒落た綺麗なドレスなのだから気づいていないと思っているだろう。
ダニエルのベアトリーゼへの扱いが良く分かり、自然と視線が厳しくなる。
初めて会うことのできたベアトリーゼは亡きエチェカリーナによく似ていたので、クロードにもわかった。
一度も同年代の茶会にも顔を出さなかった、否、出せなかった少女は少し気後れしているのか、オドオドしている。
それは緊張よりも、少し恐怖に近い不安げな様子だった。
時折、ドレスの裾やたっぷりとしたおさげに触れて落ち着きがない。
ダニエルはクロードを見つけると、目が会うなり適当な挨拶だけしてさっさと帰っていった。あとからやってきたフリードも冷めた目でその背を見送っていた。
父親に置き去りにされた少女はびっくりしている。
碌に家の外には出たことのない少女に、残酷過ぎる仕打ちだった。
ローゼスは大してベアトリーゼに興味がないのか、テーブルの茶請けを摘まんでいた。
クロードは自分がやるしかないか、と怖がらせない様にベアトリーゼにどう近づくべきかと悩んだ。
せめて、号泣はされたくない。
背が高く強面。それだけで十歳とはいえ気弱な少女にとっては恐怖対象になりうるのを、クロードは知っている。
ベアトリーゼはぽかんとクロードを見上げていた。
大きな目をさらに真ん丸にさせていると、春先から初夏にかけて芽吹く緑と同じ色の瞳が良く見えた。不思議な光を宿し、きらきらと瞬いている。
次の瞬間、ベアトリーゼはガッとスカートを握り締めたと思うと、一瞬にしてクロードの目の前まで距離を詰めていた。
そして、五体投地のような勢いでお辞儀をする。
「は、はじめまちちぇ! マルベリー伯爵家じょじょ、ベアトリージェです!」
見えなかった。目の前で移動していたのに、全く見えなかった。
残像すら追うことができず、目の前に突如出現したとしか思えない少女に目を丸くしてしまう。
マルベリー伯爵家は、勇者の血筋――抜群にして卓越した身体能力を秘めていると聞く。
エチェカリーナも相当なものだが、彼女はその上をいくかもしれない。
文官とはいえ、クロードはその辺の兵にも負けないほど鍛えている。
ローゼスも目で追えなかったのだろう。クッキーをほおばるのも忘れて紅茶に沈めていた。
「あれ、ベアトリスじゃなかったっけ?」
「ベアトリーゼ嬢ですよ。先ほども伯爵がいっていたでしょう」
女性の名前にあまり興味のないローゼスが、さっそく名前を間違えているので訂正する。
「セシリア嬢とは会ったことがありましたが、貴女とは初めてですね。
私はクロード・ケッテンベル。公爵家の次男です。ローゼスも挨拶しなさい」
「はじめましてー。僕はローゼス・ケッテンベル。ケッテンベル公爵家三男」
きちんと名乗っただけ、散々言い含めた甲斐があったものだ。
ローゼスはこの年齢で女性にモテるが、本人は異性といるより棒を振り回したり木登りをしたりする方がまだまだ楽しいお年頃だ。
だが、女の子に追い回されているせいか扱いが邪険な傾向にある。
ちなみに追い回す女の子たちには、セシリアもいる。その為、ローゼスはマルベリー家に行くのを非常に嫌がる。
「顔を上げてください、ベアトリーゼ嬢。貴女には選択肢があります」
しゅばっと機敏な動きで顔を上げたベアトリーゼ。おさげが勢い余って良く揺れている。
クロードを見つめる若草色の目はきらきらと輝き透き通っている。
来た時の俯きがちの姿が嘘のようだ。
小さい女の子にこんな憧憬のような視線を向けられたのは初めてのクロード。
一瞬、口を閉ざしてしまう。
おやつを目の前にした子犬のように、期待を胸にはち切れんばかりのクロードの言葉を待っているベアトリーゼ。
「貴女は十歳。私は二十二歳。だいぶ年齢が違います」
こくこくと頷き、一言も聞き漏らさないようにしているベアトリーゼ。
恐れや畏縮はなく、その目には只管に満天の星のような輝きが宿っている。
「マルベリー伯爵には内密にしておりましたが、私か弟のローゼス、どちらかと婚約を結んでいただければこちらは構いません。
貴女は前当主エチェカリーナの娘ですし、貴女の御爺様であるポプキンズ辺境伯ともいざこざを立てたくありません」
だから、ローゼスが気に入ればそちらを選んでも良いのだと伝えたクロードだが、ベアトリーゼの反応は予想と違った。
凄まじい圧で「クロード様で!」と即答しながら、じりじりと物理的にも距離を詰めてきた。
余りのゴリッゴリの圧に、普段冷静なクロードも折れるように了承した。
ハルステッドの成人は十八で、大抵貴族用の学園の卒業を待って結婚する。
十二歳の年の差があるので、クロードはその時三十路である。
そもそも、クロードは忙しい。それも伝えたが折れないめげない諦めないのベアトリーゼ。
やっぱりこんなオッサンヤダとか言い出すのではないか、と思ったがも「絶対はなさんぞおお!」と言わんばかりに若草色の瞳はクロードをロックオンしている。
珍しく茫然と動揺で言葉に詰まるクロード。
先ほどの頼りない姿が冗談のようだ。ベアトリーゼの押せ押せ具合に、ローゼスは固まっている。
事の成り行きを見ていたフリードが堪えきれず笑いだした。
「どうやらベアトリーゼ嬢はクロードがお気に召したようだ。クロード、折角だからそのまま庭でも案内してやるといい」
「お義兄様! 恩に着ます!」
がっとクロードの首に抱き着いてきたベアトリーゼ。
クロードは仕方なく立ち上がり、ベアトリーゼを抱き上げて庭の散策をすることとなった。
父がいない間、ダニエルがどう出るかを見に来たフリード。
ダニエルはクロードの前に尻尾を撒いて逃げて、この縁談を少しでも良い物にすることを放棄してベアトリーゼに押し付けた。
フリードは少なくとも、ベアトリーゼを気に入ったようだ。
庭の散策から戻ってきた後は抱っこはしていないが、クロードの手をギュッと握りしめて尻尾があったらぶんぶん振ってそうなほど懐いていそうなベアトリーゼ。
クロードは理解できないが不愉快ではない複雑な思いを抱きながら、その小さな手を握っていた。
読んでいただきありがとうございました。
クロードの二つの婚約はバチクソな政略結婚。
一度目は義務。
二度目は保護。
クロードは恋愛に対してやや冷めておりぶっきらぼうなので、ベアトリーゼ並みにごり押しの大きい愛くらいでようやく「この人は自分を好きなんだ」と受け入れられるタイプ。




