星の世界への誘い
アマ・デトワールの二階は、一階のフロアよりも、より長く時間を過ごすお客様向けに特別室として、半個室が三部屋と個室が二部屋作られている。個室使用料がかかるのに「利用したい」と連日予約が入り、定休日以外は空室という日がなかった。
特別室は仕事の打ち合わせに使われたり、カップルが二人で密な時間を過ごす為であったり、友達と込み入った話をする時など・・・実に様々な目的で使用される。
利用されるお客様に合わせて、場の空気を読み、状況を見ながら食べ物や飲み物をタイミング良く運ばなければならない。個室でしか提供しない特別メニューなどもあり、一流ホテル並のホスピタリティが必要とされる為、二階フロア専門に働くウェイターとウェイトレスがいるが、本日は定休日、二人共お休みだ。
二階の個室に、蓮、澪、そして新しい名前をもらった龍神の「翠」翠は何故、ティーポットに閉じ込められていたのか、蓮と澪に理由を話し始めた。
「私は、とある女神様の眷属でした。命令を受けて人の住む世界へ降り下り、神様からお預かりした目には見えない神徳や功徳の玉を、人知れず努力をする人に届けていたのです。
ある日のこと、私は女神様の御使いで、人の住む世界へ降りて来たのですが、山や綺麗な川が流れる豊かな自然を見つけて、あまりにも居心地が良く、その・・・つい、長居をしてしまいまして・・・私は女神様の命令を忘れ、眷属としての役目を果たさず、怠惰な龍神になってしまったのです」ポロポロと、翠の目から涙がこぼれ落ちるのを見て、澪がハンカチを翠に差し出した。
翠は澪からハンカチを受け取ると「すいません、ありがとうございます」と、お礼を述べた後、涙を拭いて思いきり鼻をブーッと擤んだ。「ちょっと翠!私のハンカチで、鼻擤まないでよっ!ラルフ・ローレンなのに・・・ビシャビシャにしてぇ」澪は翠に怒った後でとても落胆していた。その光景を見ていた蓮は、「俺ミニタオル持ってきてたけど、翠に渡さなくて良かった」と心の中で思った。気を取り直した澪が翠に「それで、堕落した眷属になってから、どうしたのよ」と言った。
「それから、どうしたかと言いますと」擤んで赤くなった鼻をさすりながら、翠が続きを話し出す「人の世界で言う半月経った頃でしょうか、海の上で戯れていた私の前に突然、女神様が現れたのです。仰天している私を見て、女神様は言いました。」
「私の元に帰ってこない、お前をずっと見守っていた。堕落した自分に反省して戻ってきたら、許してあげようと思っていたのに・・・残念だわ!と、嘆かれました」「そりゃ、そうでしょうね。私だって、女神様の立場だったら嘆くわ。さっきのラルフ・ローレン・・・」「やめろ澪、そんなに根に持つなって」「なによ、蓮なんかミニタオル持ってたのに、翠に差し出さなかったくせに!」「アハハ!バレてた?」むくれ顔の澪と、笑って話を誤魔化そうとしている蓮。
「まぁまぁ、もうその辺りで」見かねた翠が二人を嗜めると、澪は大きな瞳で翠をキッと睨んだ。「ワオッ!女性って、女神様も人間も怖いよね〜」翠は体を縮こませた。
話が逸れたところで蓮は翠に「女神様に嘆かれた後、翠はどうなったのか教えてよ」と言った。翠は水を飲み喉の渇きを潤してから、再び話の続きを語り始めた。「女神様に嘆かれた後、眷属からは外されずに済んだのですが、罰として私は「本当の名前」を剥奪されて、アンティークのポットに封じ込められました。女神様は「ポットの中から呼びかけて、気付いた者に新しい名前を授けられた時、封印は解けて、お前は自由になれるだろう。その時まで器の中で反省するがよい」と仰いました」
身の丈三メートルの龍神「翠」は、龍体を揺らしながら蓮と澪の間を、ゆっくりと流れる様に飛んでみたり、空中に止まったりしながら「まだ、話の続きをした方がいいですか?もう日も沈んだ様ですね・・・私は疲れと言うものは感じませんが人は肉体がある分、疲れを感じるのでしょう?」と二人を気遣った。
窓の外を見ると、いつの間にか日も暮れ夜空に星が瞬いていた。「そうね、翠の言う通りかもしれない。蓮、もう帰ろう。定休日のミッションは終わったし、思わぬ出来事で、私もくたびれたかも」横にいる蓮を、チラッと見た澪が言うと「そうだな。今日はここまでにしようか」と蓮も頷いた。「あのね蓮、ポットから出た「翠」の居場所はどうするの?」「え、居場所?カフェの店内になるんじゃないの?」「それはどうかな?私達みたいに見える人が出てきたら、カフェ存続問題に発展しそうじゃない?」「うーん・・・言われてみれば、確かにそうだ。どうしよう」蓮は顎を手で摩った。「翠は、
雄雌で言うと雄の龍神なんだろ?なら、俺の家に来てもらうしかないなぁ。」と、腕組みをしながら蓮が言った。二人は使用したティーセットを急いで洗って片付けると、翠と共にお店を後にした。
外灯の明かりの下、夜道を歩く二人の頭上に一体の龍神。見える人がいたらそれは仰反る程、奇妙な光景だろう。住宅街を抜け、大通りを歩いて暫くすると澪が「じゃあ、私はここで。翠と蓮またね。バイバイ!」手を振って軽やかに身を翻し、横断歩道を渡って行った。
「僕の家には猫がいるけど、翠は大丈夫?」「私は大丈夫ですけど、猫の反応の方が心配ですね。猫の頭に乗る位まで、体を縮めるとするか」翠はパッと、5センチ位の小さな龍体に変化した。
縮小した翠を見て、蓮が突然笑い出した。「そんなに可笑しいですか?」「いや、ごめんごめん!翠が小さくなると「タツノオトシゴ」にしか見えなくてさ」お腹を抱えて笑う蓮に、翠がむくれながら「行きますよ」と言った。「はいはい、わかってますよ」蓮が歩き出すと、翠が蓮の肩の上に乗ってきた。
蓮の耳元で「ところで蓮は、星の世界に興味はありますか?行けるなら、行ってみたいと思いませんか?」と翠が言った。「本当?そんな事できるの?」「勿論、できますよ」「え、それガチで?それならアイツ(澪)にLINEするから、ちょっと待ってて」蓮は澪に「今日はお疲れさま。翠が、僕達を星の世界に案内してくれるって!都合が良ければ明日、僕の家に来れるか?」とLINEをした。「なにそれ、楽しそう!仕事帰りになるけど、それでもいい?」澪からすぐLINEの返事が届いた。スマホの画面を見ていた翠が「では、明日の夜、ここ(地球)から近い、月の世界へ出かけましょう!」と言った。
次の日の夕方、「仕事終わったよ。途中まで迎えに来て」と澪から連絡があり、蓮は澪を迎えに行った。蓮の頭の上に、小さくなった翠が乗っている。「ねぇ翠、月の世界って、どうやって行くの?どんな所なの?」「それは蓮の家の着いたら、ゆっくりお話しますよ。今はやめておきましょう」と、翠は澪に言った。
蓮の家に着くと、翠は蓮の肩から飛び降りて、テーブルの上に着地した。澪が部屋を見回しながら「蓮って意外と、綺麗好きなんだね」と言うと、蓮はキッチンでコーヒーを入れながら、「実は今日、ちょっと掃除したんだ」と言った。
翠が話し始める。「え〜では、私が案内する月の世界とは、星の核の部分、神様がいらっしゃる神界と言う所になります。人間は三層構造になっていて、外側から肉体、霊体、そして頭のおでこの奥に魂を宿した存在です。星も同じ構造をしており、人が見ている月の姿は、人で言うところの肉体というわけです」
翠の話を聞いた澪が挙手した。「はーい先生、私と蓮が連れて行ってもらう、月の世界は人の体で言うと、おでこの奥にある「魂の部分」ということ?」「そう、その通りです澪!飲み込みが早くていいですね」翠は澪を褒めた。
「あとは、どうやってその「月の世界」とやらに行くかだね」と蓮が言った。翠は「このままでは、月の世界には行けません。貴方達の魂の一部分「神なる部分」を呼び起こし、その魂の一部分が月の世界に行きます。まずは、目を閉じていただけますか?私がいいと言うまで、目を閉じていて下さい。あと、命の心配はないので、ご安心下さいね」と説明した。
初めて聞くことばかりで、本当かと疑いそうになる。神なる部分って何だ?蓮と澪は疑問に思ったが、この話を深掘りすると時間がかかりそうなので、翠の言われた通り目を閉じた。1分・・・2分・・・まだかな。気のせいか?おでこが熱い。
「さぁ、お待たせしました!目を開けて下さい」と翠に言われて、二人がゆっくり目を開けると、目の前には小さな子供が二人、蓮の顔をした男の子と澪の顔をした女の子が、目をパチパチさせながら二人を見ていた。蓮も澪も驚きのあまり言葉が出ない。「君達は、何処から入って来たのかな?お父さんは?お母さんは?」蓮が子供に話かけると、男の子は蓮に言った。「僕は君だよ。蓮自身の神なる部分」女の子も口を開いた「私は貴方、澪自身の神なる部分。いつもはおでこの奥にいて、滅多なことでは出てこないんだけど、その龍神さんの呼びかけに答えて特別に私達、おでこの奥から出てきたのよ!」
小さな蓮と小さい澪は、アハハ、キャハハと笑い声を上げながら、二人の前を飛んだり跳ねたりしている。「君達は、本当に僕達の魂の一部分なのか?」翠が蓮の部屋の中で飛び跳ね、遊び回る小さい蓮と澪を捕まえながら、「そうです。人の魂を作った女神様は4つのパーツを使って、人の魂を作ったのです。その4つのパーツの内の1つのパーツに、神の神魂を組み込んだ。だから生き物の中で人類が「万物の霊長」と呼ばれるのは、そのためです」と説明した。
「聞けば聞くほど、胡散臭い話だね」と蓮は言った。「本当です。人の魂を作った神様は銀河系宇宙全ての、惑星の運行を司る女神様なんですよ」「そんなとてつもない神様がいるなんて・・・信じられないなぁ」蓮はショックを受けた。
「壮大過ぎて理解し難い話だけど、月の世界に行くのは、私達自身の神なる部分の魂だとして、本体の私達はその間どうしたらいいの?」澪が翠に尋ねると「そうですね。じゃあ、眠って待ちますか?蓮と澪の「神なる部分」が月の神界に行って、見たり聞いたり体験したことは、本体の貴方達にもちゃんと記憶に残りますからね」翠はそう答えた。
「それなら、本体の僕達は眠って待つよ」「わかりました。それでは、少々遅くなりましたが蓮と澪さん自身の、神なる部分のお二人さん、一緒に月の世界へ参りましょう」翠が神なる部分の蓮と澪に声をかけると、小さな蓮と澪はウキウキしながら「わーい!行こう行こう!月の世界に行く〜」と大喜びで翠の側に寄って来た。翠が右手に宝玉を握ったまま、蓮と澪に向かってフーッと軽く息を吹きかけると、蓮と澪はリビングの絨毯の上に倒れ込む様に眠った。眠る二人を見届けた翠は、小さい澪と蓮を背中に乗せると蓮の部屋の窓を通り抜け、月へ向かって飛び立った。