似てない兄弟と澪
アマ・デトワールの店内では、ウェイターの聡太が兄を席に案内すると、冷たい水が入ったガラスの水差しとグラス、お絞りを準備すると兄が座る席へ戻ってきた。
丸い大きな木製のテーブルに、慣れた手付きでコースターとグラスを置くと、お絞りを手渡して、水差しに入った冷水をグラスに注ぎ入れた。
「なにか注文する?」聡太が聞くと、「コーヒーが飲みたい」と兄は言った。「うちのカフェ、スイーツも絶品で美味しいんだ!兄ちゃんを店の入り口に案内してくれた澪さん、海外の有名なスイーツ店で働いてた、腕のいいパティシエなんだよ」「へぇ、そうなんだ。でも、お昼食べたばっかりだから、今はコーヒーだけ頼むよ」「わかった。バリスタの佐伯さんにオーダーしてくるね」聡太は、再び兄から離れてバリスタの元へ行くと、「涼介さん、美味しい珈琲を一杯、お願いします」と注文を入れた。
ウェイターの聡太は、18歳の高校三年生。とても頭が良く、あまり勉強しなくても成績はいつも学年1位、二重のぱっちりとした目に、高過ぎず低すぎないちょうど良い高さの鼻、口角の上がった唇、髪は栗色でフワフワさせたメンズマッシュが似合う男の子だ。
毎年バレンタインデーになると、大きな紙袋が大量のチョコでパンパンに膨らむ。チョコの量が多くて食べきれないからと、友達にチョコをお裾分けすると、「聡太、お前はいいよなぁ。恵まれ過ぎだろ!」と羨ましがられたり、嫉妬される事もあった。
カフェのオーナーや従業員からの受けも良く「聡太君」と呼ばれ、聡太を目当てにカフェに通う女性のお客様も多い。
お店で女の子からプレゼントを渡される事があるが、聡太はいつも優しく丁重にお断りした。「いつもありがとうございます。せっかくですが、お気持ちだけ頂きますね」聡太の微笑みは、女性客を「胸キュン」させて、鬼神さえも笑顔にする威力があった。その場面を見る度に佐伯は、「おい、あれを見ろ!イケメンは正義なんだぞ!わかったか?」と、いつも決まって澪と黒瀬に言うのだ。
そんな人気者の聡太が「兄ちゃん」と呼ぶ、背の高い眼鏡をかけた男性が、あの「高杉蓮」だ。兄弟なのに、兄と弟の見た目が全然違うのは、両親の良い遺伝子を弟が受け継ぎ、兄は両親の悪い遺伝子を受け継いだとしか思えない。神の悪戯なのか、それとも意地悪なのかは、神のみぞ知ると言った所か。
兄弟は親戚の集まりで叔父や叔母に会う度、「蓮君と聡太君は、兄弟とは思えないね。もしかしてお兄ちゃんは、橋の下で拾われた子じゃないの?」いつもそう言われ、その度に蓮は「またか」と苦笑いしながら、その場をやり過ごした。
「世間って狭いもんだな。ここでお前がバイトしてるなんて、思わなかった」と蓮が聡太に言った。「うん、別に隠すつもりじゃなかったけど、わざわざ言う必要もないかと思ってさ」「大学、受験するんだろ?バイトしてて大丈夫なのか?」「心配しなくても大丈夫。僕は兄ちゃんと違って、頭いいからね」「お前も、なかなか言う様になったな」「ごめん、兄ちゃん冗談だよ」兄弟が話をしていると、「お待たせしました」と声がして、コーヒーカップをトレーに乗せた佐伯が立っていた。
蓮の目の前に、コーヒーが入ったカップをそっと優しく置いた佐伯は、「それでは、ごゆっくり」一礼すると、カウンターへ戻って行った。蓮がコーヒーを味わっているとカフェの入り口の扉から、澪が長い髪を揺らして店内に入ってくる姿が見えた。
「あ、澪さんだ!」と聡太が言った。兄弟は澪から「私もお話に混ぜてくれない?」と言われた。普段はあまり他人に興味を持たない澪さんが、僕達になんだ
ろう?聡太は不思議に思ったが「はい、もちろん」と答えた。女性に優しい聡太は勿論、澪にも優しい。
コーヒーを飲む蓮に会釈をした澪は、「この方は、聡太君のお兄さんなんですって?」と聡太に尋ねた。「はい、そうです!僕の兄です」笑顔で答える聡太。そのやりとりを見た蓮は「やっぱり興味を持たれるよね。俺と聡太は、全く似てないからなぁ」と心の中で思った。
蓮はカップをテーブルに置くと、「先程は驚かせて、本当にすいませんでした。僕は聡太の兄の「高杉蓮」です。聡太がお世話になっています」と澪に軽く挨拶をした。女性に免疫がない蓮でも、これくらいはできる。問題はこの先だ。
少し驚いた様に目を見開いた澪は「高杉・・・聡太君と同じ名字!この人と聡太君は兄弟なんだ」と心の中で思った。澪は蓮に「さっきのことは気にしないで下さい。私はカフェで専属パティシエをしている「早乙女澪」です。よろしくお願いします」と蓮に挨拶した。「あぁ、そのことなら聡太から聞いてますよ。どうぞよろしく」蓮は別人の様にぶっきらぼうに答えた。
さっきは礼儀正しく挨拶していた人が、なぜ急に不自然な態度を取るのか、澪には理解できなかった。澪と蓮の会話を側で見ていた聡太は「いつまで兄ちゃんと、澪さんの会話が持つか」と、ハラハラしていた。
蓮が女性に対する免疫がない事は、弟の聡太も知っている。気を取り直した澪は「私の他にもう一人、パティシエの黒瀬君がいて、二人でケーキを作ったり、焼き菓子を作ったりしているの」と話を続けた。「そ、そうなんですか・・・」相変わらず蓮は、何処か辿々しくてぎこちない。
変な人・・・聡太君のお兄さんって悪い人じゃないと思うんだけど、なんか壁があるって言うか、とっつきにくい人ね。と澪は思った。
一方の蓮は澪のことを「早乙女さんって、きっとモテるんだろうな」と思っていた。話し相手が女性で且つ綺麗な人だと、蓮は余計に緊張してぎこちなくなる。聡太はなんとか早く、この場をお開きにしたかった。
聡太が場を取り持つ事で、三人は会話を成立させる事ができた。女性と免疫がないながらも、弟のお陰で何とか会話ができた兄の蓮。その場を取り持った、出来の良い弟の聡太。違和感を持ちながらも会話した澪。
三人のやりとりを見た佐伯が「縁って不思議だよねぇ」と呟きながら、ひきたての珈琲豆を適量、ペーパーフィルターに入れるとドリップポットを取り、セットしたフィルターにお湯を注いだ。珈琲のほろ苦い、キャラメルの様な香りが店内を漂い、星型のオレンジ色のライトは優しく木目のテーブルを照らした。
コーヒーと一緒に、結局スイーツも堪能した蓮は澪との会話が終わった後、佐伯のバリスタ修行時代に、海外旅行で起きたエピソードを聞いて、弟の聡太とお腹を抱えて笑った。とにかく、佐伯の話は面白かった。
お店の閉店が近くなった頃、蓮は佐伯に「また来ます」と言って、代金を支払うとカフェを後にした。背後から「兄ちゃん、またね!」と、聡太の声が聞こえたが、蓮は振り返らず、右手を上げて軽く左右に振った。
閑静な住宅街の中を大通りに向かって歩いていると、ひぐらしの鳴く声がする。夏の空に夕焼けが広がっていた。「夕飯、何にしようか。大通りにあるスーパーに行ってみよう」蓮は歩く足を少し早めた。
大通りにあるスーパーに入ると、ヒヤリと冷たい空気が心地良い。自炊がめんどくさいけど、昨日もろくに食べてなかったから、ニンニクの芽と豚肉を炒めて塩胡椒で味付けして、あとはご飯と納豆があればそれで充分に足りる。
蓮は買い物カゴを取ると、ニンニクの芽を探しに、野菜売り場へ足を運んだ。店内をウロウロしていると、調味料のコーナーから足早に出てきた人と接触しそうになった。蓮は接触しない様に、避けようとしてハッとした。接触しそうになった人が澪だったからだ。
「早乙女さん、お店はその・・・もういいんですか?」「パティシエの仕事はいつも閉店の1時間前、17時頃には終わるから18時には帰るんです。明日もあるし」と、澪が答えた。蓮の買い物カゴの中をチラリと見た澪が「そのニンニクの芽は、夕飯の食材ですか?」と聞いてきた。澪は蓮の返事を待たず「私も夕飯の食材を買いに来たんです。せっかくなので、食材の精算をしたら途中まで一緒に帰りませんか?迷惑じゃなければですけど」と言った。
蓮は一瞬、どうしようかと思ったが、こんな綺麗な人に話かけられて、断るなんてできる筈がない。「い、いいですよ。途中まで、か、帰りましょう!」なんとか声を出す事ができた。二人はそれぞれ食材の精算を済ませると、途中まで一緒に大通りを歩いた。
大通りを並んで歩くと、背の高い二人はとても目立った。すれ違った見ず知らずの男性が澪を横目で見てから、ムッとした顔を蓮に向ける。「なんでお前が、綺麗な女と並んで歩いているんだ」と言わんばかりだ。蓮は少し誇らしかった。だが、緊張はしていた。在宅勤務する様になって、更に女性と接しなくなり何を話したらいいか、もはや思いつかない。「どうしよう、こんな時どんな話題を出せばいいんだろうか」蓮は心の中で葛藤した。
澪から「高杉さんって、聡太君と何歳違いなんですか?」と質問されて、蓮は一瞬ビクッとしたが、沈黙を破ってくれるなら、話題はなんでもいい。「僕と弟は10歳違いなんです。だから喧嘩にならなくて。兄貴だけど、お父さんみたいな感じにどうしてもなっちゃうと言うか・・・」と、答えた。その途端、澪が驚いた様に「えっ?高杉さんって28歳だったの!?私よりも年上だと思ってた。」と言った。「歳上って・・・僕、何歳に見えますか?」「それは、え〜と・・・31か32歳くらいかと思って。ほら、高杉さんって落ち着いて見えるから!」「そうなんだ、僕って老けて見えるんだね」「ごめん、気を悪くしちゃった?」二人は歳が同じとわかると親近感を抱いた。
澪がチラチラと蓮を見ながら「あのね、苗字じゃなくて下の名前、蓮って呼んでもいい?私、パティシエの修行で海外生活が長かったから、性別に関係なく仲良くしてた時は皆、名前やニックネームで呼んでたの」「あぁ、いいよ蓮って呼んでよ!じゃあ、僕も早乙女さんのことを澪って呼んでもいい?」「もちろん!カフェの従業員も皆、私のことは澪さんか、澪ちゃんって呼んでるから、蓮も好きな様に呼んでね」と、澪は言った。立ち話をしていて気にも留めていなかったが、日が暮れて辺りはすっかり暗くなり、夜空に月が輝いていた。
蓮と澪は途中で別れて、それぞれ家へ帰った。蓮がマンションのエレベーターで5階まで上がり玄関のドアを開けると、猫が靴箱の前まで出てきて「ニャー」と鳴いた。
「ただいまモカ、いい子にしてたか?」蓮がモカに話かけると、モカは蓮の足にスリスリと身体を寄せてきた。スーパーで買った食材を台所に置いて、モカの餌箱にキャットフードを入れると、カリカリと音を立てながらモカが餌を食べ出した。
蓮は遅い夕飯を済ませた後に、お気に入りのステンレスグラスを食器棚から取り出すと、ウィスキーと氷を入れて、冷たい炭酸水を注いだ。ステンレスグラスの中の氷が揺れて、カランカランと心地良い音を奏でる。
「モカ、こっちにおいで」キャットタワーで遊ぶ愛猫を呼んでみたが、彼女は飼い主を無視して遊ぶ事に夢中だ。蓮がタバコとステンレスグラスを持ってベランダに出ると、隣のベランダからは、相変わらず隣人の興奮気味な声が聞こえた。よくわからない隣人の、興奮気味な声を聞きながら蓮は、「ほんと、良くやるよねぇ」と小声で呟いた。月明かりがベランダを照らし、心の深くで微かに感じるふんわりとした感覚は、蓮をご機嫌にした。なんだろう?この言葉に言い表し難い気持ちと充実感は。
この日を境に、蓮は時間ができるとアマ・デトワールへ行き、佐伯の話を聞きながらコーヒーを飲んだり、時々スイーツを堪能したり、カフェのスタッフともだいぶ打ち解け、澪とも冗談を言い合えるくらい仲良くなった。