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カフェ アマ・デトワール

東京の外れの閑静な住宅街の中に、外観がブティックを思わせる様な二階建ての建物が、「カフェ・サロン・ド・テ・アマ・デトワール」だ。建物の周りは樹木が青々と生茂り、花壇にはポーチュラカが咲いている。

 カフェの入り口のドアは広く、観音開きの扉に丸い金色の表札があり、フランス語で「cafe salon de The amas d etoiles」と記載されていた。

お客様以外の従業員は、建物の裏側にある勝手口の白いドアから出入りする様になっている。樹木に隠れて見えない様になっているが、従業員用出入り口の近くには、スイーツの材料と、珈琲豆を保管する冷蔵付きの倉庫がある。

 カフェの営業時間は11時からOPENだが、パティシエとバリスタは早くからお店に入って、開店の準備をしていた。

 専属パティシェ早乙女 澪は従業員から「澪ちゃん」とか、「澪さん」と呼ばれて親しまれ、女性ながらもパティシエとしての腕は素晴らしく、フランスの有名スイーツ店では腕を見込まれて、スイーツの品評会ではいつも審査員を唸らせた。

 自分に自信を持っているので、思ったことはハッキリと言う娘だ。普段はなるべく言葉に気をつける様にしているが、彼女の毒舌はなかなかのものだ。ツッコミが的確過ぎてキツかった。彼女の毒舌とツッコミで、傷心した人は少なくない。

 澪の見た目から、誰も彼女がパティシエとは思わないだろう。少し茶色がかった胸まで長さのあるサラサラした髪、透明感のある白い肌。大きな黒い瞳に猫目の二重。スラリとした長い手足はモデルか芸能人か、とでも思うほどだ。

 澪はパティシエとして誇りを持ち、新しいスイーツを作る事や、材料の質にこだわることには手を抜かなかった。オーナーの信頼を得て、アマ・デトワールで提供するスイーツの材料は、全て彼女が選んだものを業者に発注して仕入れている。


 夏空に入道雲が、モコモコと泡の様に膨れる日。澪はスイーツ工房で、お店に出すスイーツの準備をした後、テイクアウト用に販売するシュークリームの仕上げにかかっていた。焼き上がって粗熱が取れたクッキー生地のシュー皮の底に、絞り袋を使用してカスタードクリームを絞り入れ、もう1つ絞り袋をセットするとモカクリームをシュー皮の底から絞り入れた。

 最後の仕上げに粉砂糖を振りかけようと、作業場の棚から粉砂糖を保存するガラス製の容器を取り出した時、中身を見た澪は「あ、粉砂糖がない!」と言った。

 その時、スイーツ工房内にいた澪の仕事を補助している黒瀬大輝は、塩顔の涼やかな目を少し見開いて、しまった!という顔をした。彼はクッキーの生地を薄く伸ばし、型抜きしていた手を止めると「澪さん、すいません。昨日、粉砂糖の補充するの忘れてました!」と謝った。澪は空っぽの容器を手に「だろうと思ったよ」と言った。

 「昨日、お店が終わった後、粉砂糖容器の中が空っぽになってて、補充しようと思ってたら、洗い物に手がかかってしまって・・・その、すっかり」「うん、昨日は特に忙しかったからね」「次は、バッチリ補充しておきますよ」黒瀬は再び、クッキーの型抜き作業を始めた。

 「だいきゅん、作業が一区切りしたら、倉庫から粉砂糖をとってきて欲しいな」「澪さん、了解です。クッキー生地をオーブンに入れたら、倉庫から粉砂糖をとってきますよ」黒瀬は、オーブンの火力をセットすると、アマ・デトワールの敷地内にある材料倉庫へ粉砂糖を取りに、工房から出て行った。

 澪は、工房から離れて倉庫へ向かう黒瀬に向かって、「だいきゅん、ついでにクリームチーズも持ってきて!」とお願いすると、遠くから「はーい」と、黒瀬が返事をする声が聞こえた。

 澪はレアチーズケーキに使うブルーベリージャムを作る為に、農家から仕入れた生のブルーベリーを準備すると、ジャムを作り始めた。

 澪は黒瀬大輝の事を「だいきゅん」と読んでいる。最初は彼の事を「だいくん」と言っていたのが、いつの間にか「だいきゅん」になり、黒瀬は他の従業員からも、「だいきゅん」と呼ばれる様になった。

 年齢も澪が28歳、黒瀬は26歳とそんなに離れていない為、先輩と後輩でもあり、仲の良い姉と弟みたいな関係だ。


 藍紫色らんししょくのブルーベリーを煮詰めながら、澪はふと背後に人の気配を感じた。黒瀬が戻って来たと思った澪は、後ろを振り返らず「おかえり、だいきゅん。持って来たクリームチーズは、工房内の冷蔵庫に入れて、今度こそ、粉砂糖を補充しておいてね!」と、言ってみたものの返事がない。

 何故だいきゅんは、何も言ってくれないんだろうと不思議に思った澪は、「ねぇ、だいきゅん聞いてる?」と言いながら後ろを振り返った。

 しかし、そこに居たのは仕事のパートナーの「だいきゅん」ではなく、背の高いメガネをかけた見知らぬ男性だった。白いTシャツにジーパン姿のその男性は、酷く戸惑っている様に見えた。澪はキョトンとしたが、ハッと我に返ると「あ、あのぉ・・・どちら様ですか?」と男性に声をかけた。

 澪は「この人は誰?新しくスタッフになる人とか?でも、今日から新しくスタッフになる人が来るなんて、オーナーから聞いてない」と思った。どうしよう!こんな時に何で私は一人なんだろう?澪は自分の運の悪さを嘆いた。

 長身のメガネをかけた男性は、懸命に「すいません!お店の入り口がこちらかと勘違いして間違えて入ってしまったんです。あ、あのっ・・・嘘じゃないんです!これ、このチラシを昨日見て、珈琲だけでも飲んでみたいと思って来ました」と弁明した。

 慌てて差し出した彼の手には、カフェがOPENする時に、スタッフが駅前で配布したチラシがあった。「あ、それ、うちの・・・」思わず言葉が出てしまった。

 これはどうやら、嘘ではないらしいと判断した澪はホッとした。喉がカラカラだったので、作業台の端に置いた水筒を取ると水を飲んだ。

 一息付いた澪は、水筒を片手で持ちながら「お客様専用の入り口は丁度、この場所から反対側にあります。ここはカフェのスイーツ工房で、私達パティシエの作業場です」と、男性に説明した。工房の壁に掛けた時計から「キラキラ星」のメロディーが流れ、カフェOPEN時間の午前11時を知らせる。

 澪は「ちょうどタイミング良く、カフェのOPEN時間になったので、入り口までご案内致します」と言った。「すいません、お願いします」男性は、ちょっと頼りない感じの雰囲気を醸し出しながら、澪にお礼を言った。澪と背の高い眼鏡をかけた男性は、工房から出て、反対側にあるお客様専用の入り口に向かって歩いた。

 

 「こちらです」澪がカフェの扉を開けると、そこにはあの、チラシで見たフロアが広がっていた。店の奥からバリスタと思われる男と、まだ若そうなウェイターが「いらっしゃいませ」と満面の笑顔で言った。澪が作業場に帰ろうとすると、長身メガネの男性は澪に「ありがとうございました」と軽く頭を下げた。

 澪が何か言おうとしたその時、アルバイトでウェイターをしている聡太が、長身メガネの男性を見るなり、「あ、兄ちゃん!」と言った。長身メガネの男性は「ん?お前がなんでここにいるんだ?」と聡太に言った。  

この二人が兄弟?イケメン聡太君のお兄さんがこの人なんて・・・どうしたら、こんなに見た目が対照的な兄弟が生まれるのかな。遺伝子って不思議!澪は思わず口を手で押さえた。聡太の兄は澪の見た目から表現すると、イケメンではないが、知性を感じさせるような顔で、目は垂れ目の二重。黒縁のメガネがトレードマークという感じだ。

 

 店の奥にいたバリスタがカフェの入り口まで来て、「立ち話も落ち着かないでしょう?こちらにどうぞ、お席にご案内致します」と言った後、聡太の耳元で「お兄様を、席に案内してあげてね」と言った。

 「わかりました。兄ちゃん、こっちにきて」聡太は兄を席へ誘導した。一部始終を見ていた澪の肩を、バリスタの佐伯涼介が、人差し指で軽く突いた。澪が我に返ると、「澪ちゃん作業が落ち着いたら、あの兄弟の話に参加してみたら?」と佐伯が言った。

 「そうしようかな。テイクアウト用のシュークリームを仕上げたら、また来ます」と澪は答えた。「おう!じゃあ、それまで俺が間を持たせておくよ」佐伯は微笑むと、お店のカウンターへ戻って行った。

 澪がスイーツ工房に戻ると、黒瀬がオーブンからちょうど、焼き上がったばかりのクッキーを金網に乗せて冷まし、粉砂糖の準備をしていた。澪は、黒瀬に工房を離れた理由を話した後、シュークリームに仕上げの粉砂糖をかけて、作りかけのブルーベリージャムを仕上げた。

 「だいきゅん、お願い!お店のショーケースに出来上がったシュークリーム、置いといてね!」澪は黒瀬に用事を伝えると、更衣室で私服に着替え、パティシエの作業着をハンガーにかけた。更衣室から出て再びスイーツの工房の入り口に戻ると、黒瀬に「言い忘れてたけど、さっき作ったシュークリーム、1個だけなら試食してもいいよ」と言った。「やったー!じゃあ、モカクリームを1個貰います」黒瀬は喜んだ。

 「私は店内にいるから、何かあったら呼びにきて」澪は黒瀬にそう言い残し、工房から出てカフェの店内へ行ってしまった。澪がいなくなった工房では、黒瀬がモカクリームの入ったシュークリームを一口齧り、「う、美味いッ!さすが澪さん。悔しいけど、俺にはこんな美味しいシュークリーム、まだ作ることは出来ないなぁ」と、自分が齧った後の、シューの中身を見ながら呟いた。

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