第四部 93
卒業式証書授与に関しての評議委員連帯によるイベントは、天羽から話を聞かされていた。もちろん美里もそれなりに考えていたらしいが、なにせ立村があのざまだ。去年のような華やかな展開は期待できそうにないと最初から割り切っていたようではある。
先生たちもそのあたりを汲んで、立村に英語答辞を任せたようなきらいがあるのは納得できなくもない。立村の語学能力は大学の教授たちも高く評価するくらいなのだから、創業式という大イベントにおいて十分な見せ場になるであろうことは確かだ。
青潟大学附属中学の卒業式……まあ、中学に限らないが……は巷でも有名な個性あふれる催し物となっていて、昨年はなんといっても我らが本条先輩の独り舞台。生徒会長などさておいて卒業式答辞を任せられるのはもちろんのこと、十五分にわたる「トーク」……少なくとも語り口で居眠りする奴は貴史の見た限りいなかった……で盛り上げるだけ盛り上げ、最後は胸に飾ったコサージをさっと生徒たちに向かって放ち、盛大なる拍手で送り出されたという伝説を生み出した。もちろん立村の目線は、一歩間違えるると「恋する少女」の眼差しとほぼ一緒で、式典終了後しっぽ振って飛んでいき、周囲が引いてしまうほどべったり張り付いていたことは言うまでもない。
しかしそれ以外の印象が実はない。
本条先輩の盛り上がり方が尋常じゃなさすぎて、おそらくさらに盛り上がったであろう卒業証書授与のひとり一言ギャグが滑りきってしまった。受けないならまだいい。覚えていないというのは最大の屈辱じゃなかろうかと貴史は思う。
「羽飛よ、ちょいと」
菱本先生と語り合った次の日、貴史は天羽に呼び止められた。最後の最後まで問題を引きずりそうな三年A組評議委員、かつ元評議委員長のへらへら笑顔にすぐ答えた。まあ放課後だし時間もあるわけだ。
「なんか用か」
「そんなつれないこと言うなよなあ。ちょっとくらい付き合ってくれたっていいじゃあねえの。今日は清坂ちゃんもいないことだしな」
美里はこれから奈良岡彰子の家でクッキーお茶会に参加するらしく姿が見えない。まあいつでも捕まえようと思えば捕まえられるわけでそんなのどうでもいい。
「んで、なんだ。卒業式のことか?」
「勘がいいねえ羽飛、じゃあちょっくら、学食あたりで食いながら話すか」
貴史も賛成した。昼三時半過ぎるとやはり腹が減るのは中三男子、仕方のないことでもある。まだ時折雪が降るけれどもさほど根雪という感じはなく、少しずつだが黒い土ものぞきつつある。ふらふら学食まで歩いていくと、高校生や大学生がノートを囲んで各テーブルでいろいろだべっているのが見えた。だいぶすいてはいる。コロッケ丼をふたり頼んで窓辺の席を押さえた。
「それにしても俺たちの中学時代は、あと一週間かそこらで終わるぞっと」
ひとりごちた天羽。受けを狙ったわけではなさそうなので貴史も黙っていた。
「なんだよ、羽飛、リアクション返してくれてもいいじゃねえの」
「どうせあと半月で俺たちの高校時代も始まるだろ」
「おもしくねえなあ。まあいっかあ」
ふたり、サイダーをおとなしく飲み続けた。天羽はコロッケから一気にほおばり、
「んでどうよ。お前来月からどうするつもりなん?」
「どうもしねえけど」
何を問われているのかが今ひとつ分からず、貴史もコロッケにかぶりついた。
「ああわりいわりい、部活、どうすんのってこと」
「別に、ずーっとこのまま帰宅部のつもりだけどなあ。俺興味ねえし」
「うわ、もったいねえ。羽飛それすげえ青春の九十%を無駄にしているって自覚ねえのかよ」
「ねえよ、それこそ天羽、お前はどうするんだ?」
問い返した。何が楽しくて高校進学後の部活について語らねばならないのか。まあ、全く想定していなかったわけではないので、コロッケ飲み込んでから答えてやる。
「周りのみなみなさまには、バスケやれとか運動部行ってしごかれろとかいろいろわいわい言われてるけどなあ。俺としてはそんなのかったるくてやってらんねえよってとこ」
「菱本先生も騒いでるだろ」
「無視無視。今更入るなら、中学入学の段階でとっくに参加して先輩がたともめまくってやめてるのが目に見えてるだろ」
いや、実は青大附中のバスケ部についての実情を知らないわけではない。後輩の新井林が何度も口説きに来るのをあしらうこと数知れずなのだが、どうも先輩後輩の上下関係が信じがたいほどゆるいらしい。中体連では一瞬のうちに敗退してしまうレベルではあるらしいが、貴史の上と同期の年代は非常に仲良しで、いわば本条先輩と立村を思わせるような関係でもあるという。それが根本の問題なのではと考え、スパルタ式に切り替えようと悪戦苦闘しているのが新井林とのことだが、そんなのはどうでもいい。貴史にとってはどちらの形も肌に合わない、それだけだ。
「まあなあ、新井林見てたらやる気なくなるわな」
「そういうこと。んで天羽、お前どうするんだよ」
「ああ俺な。俺はとりあえず委員会一筋で行きますわ」
どんぶりのご飯をかきこんでから、天羽は答えた。サイダーをごくりと飲みむせている。炭酸をあおってどうするつもりなんだろう。
「俺としたら、まあなんてっかそのあれだ。お前さんとおんなじく運動系メンタリティーは持ってないんでな。それに、それなりに脛に傷のある身ですがな」
「けどな、クラス分けあるだろ。確実に評議になれるって確証あるのか」
「ねえなあ」
貴史の知る限り、高校においてはクラス分けが毎年行われるため、中学時代のように特定の生徒が三年間同じ委員を勤めることは極めて困難なはずだ。評議委員が三年持ち上がってどうたらこうたらと騒ぎになることは、まず高校ではありえない。唯一例外なのが英語科であのクラスだけは三年間面子が変わらない。かといって英語科だけで委員を占めるということもありえないため、あまり影響がないのではという気もする。
「けどな、これも結城先輩から聞いた話なんだがな」
天羽はのんびり口調で続けた。
「高校だと、学校祭実行委員会とか文集委員会だとか選挙管理委員会だとか、臨時の委員会が結構細かく立つみたいで、いわゆる委員会系部活動が成り立つ環境ではあるようなんだわな。だったらそっちに潜り込んでジプシーのごとくふらつくのもありではないかと俺は思うんだがどうだろか」
「知らねえよそんなもん」
今のところ貴史の帰宅部命魂を変えるようなものはそこになかった。
「ところで羽飛、お前との相談ってのは別に高校行って部活どうするこうするじゃねえんだわな。忘れてたわ」
「お前が振ってきたんだろが。早く本題に入っての」
前振りであることは承知の上、貴史は天羽に話を促した。天羽も髪の毛をかきながら、空の食器を前にへらへら笑った。
「来る卒業式に向けての準備の程はいかがかなっつうとこなんだけど、D組どうなん」
「どうなんと言われてもなあ」
手の内をばらしていいものか迷う。実を言うと今回卒業式証書授与に向けて美里と進めているものは、それ以外の誰にも話していない。どうせ当日衣装や小道具持ち込めば一発でばれるだろうしその時まで内緒にするつもりではいた。
「一応、進めてるぞ。俺と美里とふたりで、まあいわゆる、仮装っての」
「新郎新婦?」
「殴るぞお前」
軽くやりあい、さくっと答えた。
「なにせ卒業式はめでたいイベントだろ。仮装して入っていってどうだろってのは考えてる。もっともその内容については今まだ内緒。以上でどうだ」
「どうだってなあ。けどまあ、うちのクラスも似たようなもんだわな」
とりあえずテーマとしての「仮装」は決定している。もともと天羽が出したテーマじゃないかと貴史は思うのだが、あとはクラスでそれぞれ決めていこうという流れのはずだ。
「んでだ。それ、お前と清坂のふたりだけで進めてるのか?」
「当たり前だろ。ご存知のとおり」
あえて何も言わない。天羽も頷き、ふと思い立ったかのように尋ねる。
「立村はどうするんだ」
「あいつのことはもう大丈夫、先生たちが全部うまくやってる。お前も知ってのとおり、立村は英語答辞やるだろ。もう準備着々と進んでいるらしいし、なんでも大学英文科の偉い先生にも見てもらってるらしいから、悪いが仮装パレードの手伝いする暇ねえよ、とそんなわけで俺たちにぶん投げられたわけ」
「体のいい言い訳だわな。まあいっか」
天羽はひとりごちた。
せっかく天羽とこうやって話す機会もあるのだから、めったに聞けない事情も確認しておきたかった。貴史はサイダーをちびちび舐めながら周囲を見渡した。入ってきた時と同じように大学生がほとんどで中学生はあまりうろついていない。盗み聞きされる心配はなさそうだった。
「ところで天羽、俺も聞きたいんだいいか」
「さあさきたきた、さあさちょいなちょいな」
「お前んとこ、今どうなんだよ」
純粋なる好奇心である。A組で起きた傷害事件により波紋が広がり、ひとり事実上の退学を申し渡されたというとんでもない展開。しかも被害者が担任の義妹というこれまた血縁が面倒くさそうな話。噂だけはひろまっているがなぜか外部には内密に処理されているらしい。青大附属で起きる事件はたいていこんなパターンで処理されてしまっているようだ。
「どうって、まあ、なあ、それなりに」
「なあにがそれなりなんだよ。うちのクラスもまあ、立村のことでばたついてたことも結構あったんだが、俺なりにちょちょいのちょいと魔法をかけてなんとか平和な日々を送りました、ジ・エンドでおさまりそうなんだが天羽、お前んとこどうなんだよ。どう考えたってハッピーじゃあねえだろ」
「一言も返せませんがな」
へらへら笑いを浮かべたまま、天羽は目つき鋭く問うた。
「結局、どうなったんだよ」
「羽飛くん、知りたい?」
今度は色っぽく迫ってくる。気色悪すぎる。手で払った。
「俺が悪かった、あっち行ってくれ」
「いやあん、せっかく教えてあげようと思ったのに」
即切り替えて、
「ま、結果は大団円。めちゃ、惨めではありますがな」
明らかに作った表情で天羽は答えた。続けて小声で続きを述べた。
「結局、俺たちは被害者っつう立場に立ったわけよ。傘振り回した人間が加害者。となると被害者側が強く出られるのは当然。ということでこれ以上事をでかくしたくねえと判断した加害者側が折れて、三日間のうちに話がついて、即転校。以上で終わり」
「それだけじゃあねえだろ」
「俺も正直、うちの担任があんなに自分の妹ちゃんを愛しているのが信じられねえしちょっぴりジェラシー気分でもあるんだが、やる時はやるんだなと。なんつうかあの人も、教師以前に人間であり男なんだなあとただ実感。口には出さねえけどな」
「何度聞かされてもよくわからねえがそういうもんなのか」
「そ。今回の件についてうちの担任は手加減ゼロで全部済ませたらしい。加害者側とつながりのある、ほら、うちのクラスのお坊ちゃんいるだろ。『迷路道』の」
「ああ、下着ドロのあいつ」
「悪いが羽飛でもあいつのことを馬鹿にしたらはったおすんでそのつもりでな。とにかくあいつが加害者側を高く買っていて、ついでに言うとあいつよりもその両親が加害者をえらく心配していて、事件が起きてから三時間後にすぐその話が来たらしいんだ。信じられねえくらいはええよ」
「早すぎるなあ」
ちょうど貴史と美里が学食で立村の問題について熱く語っていた時に起きていた事件なのだから。雪の深かったあの日を思い起こす。もう一ヶ月近く経ったのだと。
「んで、結局西月はどうなった?」
一番興味のあるところを確認したかった。今まで天羽が語った内容は、事件直後に教えてもらったことでもあるし、二度聞きした部分も少なくない。ただ、加害者である西月小春が青大附中から転校という名の退学をさせられた今、どうしているのかだけは確認したかった。これも単なる好奇心である。
「転校して、それきり。事が事だったんで一部の奴以外には詳細しらされてねえ。ただ片岡が言うには、学籍を移しただけだから学校そのものには通ってねえらしい。片岡の実家で蟄居っつうのかなんつうのか、こもっちまってるようだと聞いた」
「学校行ってねえのか。ってことは卒業は青大附中なのかそれとも向こうさんの学校なのかどっちなんだ?」
天羽は黙った。しばらく空のどんぶりを見つめていた。
「神乃世だろうな」
あまり聞かない地名だった。
辛気臭い話になるのも正直なんなのだが、貴史の好奇心が止まらないのもまた事実。
天羽をいじめるとしか思えない話のネタを、貴史は次から次へと振っていった。
「天羽、悪いんだがもうひとつ教えてもらえねえかな」
「ああ、隠し事はしねえよ」
「結局、難波は霧島に惚れてたのか」
ちろりと、天羽は貴史をみやった。またにやりと笑った。
「やはり興味あるんだろ。男の子だねえ」
「お互いさん」
第三者の話題に切り替わったせいか、天羽も口が少し動かしやすくなったようだった。
「まああいつはだ。最初っからあれだったからなあ。だが、キリコがあの性格なもんで天敵扱いされちまっているけれども」
「人格変わっちまった今はどうなんだろな」
「あいつは変わらねえよ。いったん惚れたアイドルも変えない性格なのは、お前さんといっしょ。鈴蘭優以外誰か追っかけたい子いるか?」
「あのなあ、俺の優ちゃんと一緒にしないでくれよなあ」
思わず吹き出す。ふっとなごんだ。
「だがな、あいつはまだましって奴」
天羽は首を振り、指で軽くテーブルを叩いた。
「ちゃんと自分の惚れた子を曲がりなりにも救うことができたし、本人には恨まれたとしても長い目でみりゃあ、まあな、よかったと思う結果だわな」
「自殺未遂救ったって奴だもんなあ」
「そゆことそゆこと。キリコは今だに難波のことを嫌ってるだろうがそれは難波本人も承知済み。少なくともあいつはちっとも間違った事やらかしっちゃあいねえ」
「そうなのか」
気取り屋ホームズが卒業証書授与でどういう格好してくるかは大体想像がつく。イメージして吹き出した。
「間違ったことなあ」
「ひとの命を救った。まあキリコも退学同然とはいえきっちり卒業できるし、E組通いとはいえ学校には来てる。C組の女子たちにも別れを惜しんでもらえるし、さらに言っちまうなら更科がうまく面倒見ることできる。ほんとの、大団円だわな」
「ほんとの大団円ってのは、嘘のものもあるってのか?」
なんとなくわかるような気がする。貴史はゆっくり、声を潜めて尋ねた。
「お前さんの思う通りってことよ」
天羽の笑いが自嘲という意味合いだということに、ようやく貴史は気づいた。