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第三部 89

 本当は次の朝、美里を捕まえてじっくり話をした後学校に向かいたかったのだが、昨日の壮絶な生徒会VS評議委員会バトルを目の当たりにしたせいか疲れがどっと出てしまい、思い切り寝坊してしまった。遅刻覚悟で自転車に乗ろうとしたらたまたま遅番だった父の車に乗せてもらえてなんとかいつもの時間通り学校に駆け込むことができた。

 ──まじあせったわな。最後の最後でやらかしちまうとこだったとはなあ。

 それでもいつもの顔して教室に向かう。時間の余裕はあるのだが美里を探して捕まえて話をするだけのゆとりはない。

「貴史遅かったね」

「寝坊しちまった」

「全く肝心要の時にね」

 嫌味をちくっと言われたが言い返せやしない。貴史は金沢をはじめとする男子連中に挨拶しながら席についた。ちょこちょこと水口が近づいてくる。

「どうした、すい」

「さっき清坂から聞いたけど、立村が来るかもってまじ?」

 聞きつけた金沢も、たまたま通りがかった近衛も、国枝も、須崎も、その言葉にみな引き寄せられるように集まってきた。

「あいつ、んなこと言ってたか」

「女子たちにそう言ってたよ」

 ──ってことは、女子らにも言ってるっつうわけだな。

 貴史がすやすや夢の国でうなされている間に、美里は女子たちへの手回しを終えていたということになる。ちらりと背後を確認してみると、確かに美里はあちらこちら女子ひとりひとりに向かいいろいろと説明をしている様子だ。声は聞こえない。さすがに潜めているようだ。いつ立村が現れるかわからないというリスクも頭にあるのだろう。

「どういうことかよくわかんねえんだけど」

 背の高い近衛が腰をかがめて貴史に問う。

「昨日、生徒会と評議同士の公開会議があったって後輩連中から聞いたんだけどそれが関係してるのか?」

 放送委員会出身の須崎がきりっとした発音で尋ねる。

「来てもらえれば、絵の手直しらくなんだけどなあ」

 きわめて脳天気につぶやく金沢がいる。

 

 ──昨日のことをこいつらにすべて暴露すべきなんだろうかなあ。

 貴史にとっても判断に悩む。昨夜はそんなこと考えたくなくてさっさと寝入ってしまったのだが、目の前でいろいろ問われるとすぐ判断を下さねばならない現実に頭が痛くなる。

 ──あの何様気取りの非常識野郎ぶりを暴露したら、ま、こいつらの立村を見る目は思いきし悪い方に偏るだろうし、そんなことになっちまったら卒業式はぼろぼろだしなあ。

 迷う。可愛い生徒会長にチンピラ口調で文句をつけつつ、会議をひっくり返しておっぱらわれたあいつの姿が本当に演技なのか。貴史は百パーセント演技だと信じているが、あのキャラクターをこしらえたままで教室に来られたら怖い。免疫のない哀れな三年D組男子の卒倒振りを想像するのも恐ろしい。

 ──ったく、なんで今朝に限って寝坊しちまったんだろ。美里もこっちで手伝えよ。

 そんな都合のいい話があるわけもなく、貴史は腹を決めた。

 ──しゃあねえ、俺のやり方で押し通すとすっか!


「あのな、俺も正直わからねえ。ただ、立村なりにこのままではまずいということも考えてるらしい、とはちらと聞いてる」

「教室に戻ってこないとまずいってことか」

「そうだ。やっぱ、あれだろ、あいつも出席日数とか、高校に進学してからの授業の問題とかいろいろあるだろ。そのこともあって現実問題、なんらかの形でD組の教室で過ごさねばならねえということは考えてるらしいんだ」

「けど、菱本先生は」

 言いかけた水口を抑えた。だまらっしゃい。

「俺もまあ、昨日ちらっとあいつとしゃべったけど、なんとかしねばなんねえって気持ちがあることは確認した。あいつのことだから露骨に反省したとかなんとか言ったわけじゃねえけど、一応美里がそれなりに意思を確認したみたいだからたぶんほんとだろ。けどな」

 ここで美里の話していたことを思い出す。

 ──放っておけっつうことか。

 しょうがないやるしかない。貴史は平静を装った。ポーズとしては膝を組み替えて少しだけ前かがみになってみる。偉そうに見える。秘密話っぽく見える。

「やっぱし、この前みたくいきなり拍手で迎えようもんならまたあいつびびって逃げちまうじゃねえかと、美里は心配してるんだ。俺じゃねえよ。俺としたら首根っこ捕まえてなんであんなことしたんだとか聞きてえもんな。けどそういうわけいかねえんだったら、まずはあいつがしっかりD組の教室に根付くかどうかを見ようってのが目的なんだ」

「へえ、羽飛は清坂の意見にすべて同意じゃないんだ」

 不思議そうにつぶやくのは近衛だった。

「あたりめえだろ。こんな様子見なんて俺の性格にあわねえもん。けど相手が相手だろ。しゃあねえだろ。ってことでだ。俺はしばらく怖い評議の女の言うことを聞くことにする。それはお前らも一緒。次の瞬間立村が現れても、ああいたの、で無視。それで終了。そうしろよ、てなわけで解説以上」

「解説になってねえよなあ」

 国枝がさっさと立ち上がり、後ろの席でたむろっている南雲たちに話しかけている。今、貴史が話したことをすべて報告しているのだろう。みながそれぞれ席に戻って準備をしようとしていたところへ、前の扉が開いた。

 

 一瞬静まり返ったのはたしかにある。

 女子たちが背中を向け直したのだけはなんとなく感じた。

 貴史だけが目線をちらと向けようとしたが、視界にいた美里に首を振られ、しかたなくノートをめくりなおした。誰かが廊下側の席についている。ずっと二週間以上空白だったその席を埋めている。教室のざわめきもいつもどうりにこね直し、いつのまにか普通のおしゃべりに埋め尽くされている。

 いや、ひとりだけ例外がいた。

 隣りの席ですぐに話しかけている例外女子が。

「悪いけど、ちょっと私の英語のプリント、目、通してくれる?」

 ──やっぱりあいつかよ。

 予想はしていた。こういう予定調和を破る奴の筆頭があいつだ。

 立村の隣りに座った古川こずえが、他の連中の気遣いなんぞ無視して一方的に立村へ話しかけている。声がはっきり聞こえる。頭が痛い。

「一応今日提出しなくちゃなんないんだけどさ、英語科進級用の補習用なんだけど。立村が問題ないって言うんだったら、そのまんま出しちゃうつもりなんだけどね、ほら」

 わざわざプリントを見せ付けている。いったい美里は自分の親友であるこずえにも口止めしたのだろうか。ここを確認すべきだったのがもうすべて遅し。あとは立村の反応を観察するしかないのだが、露骨に見やれば視線に気づかれてしまうので耳を膨らませて様子伺いするしかない。

 貴史の脇をすり抜けていく別の男子あり。完全に指示無視ときた。

「りっちゃん、おはよ。俺も悪いけど、英語の訳、今日あてられてるんだ。見てくんないかなあ」

 やはり南雲だった。何も考えていないさわやかな声で挨拶し、英語のノートらしきものを立村の机に開いて載せた。どうやら立村は二人分の英語課題をチェックする羽目に陥っているらしい。いつもなら決して珍しい光景ではない。

 ──あいつどう答えるんだ?

 息を呑む。他の男子連中もちらちら貴史の動きを見守っている。立村にはあえて視線を送らないようにしているようだ。とりあえず貴史のボディランゲージとしては「黙れ」に留めることになる。

 小声で立村の声が聞こえる。

「わかった。順番でやってく」

 昨日の会議で見せたチンピラ風のへらへら声ではない。聞きなれた遠慮がちで静かな声だった。

「いいよ、りっちゃん、ボールペン使って。それの方が俺、見やすいし」

「じゃあそうするよ」

 南雲とこずえがしょうもないやり取りをしあって笑っている声も混じる。

「なんか、やらしいよね、まるでさ、ロストバージンの後のおふとんって感じだよねえ」

「俺たちも成長したっすねえ、姐さん。なんてったって、これが初めてのお赤飯ではないってとこが、みそっすよねえ」

「実戦経験、ある奴はやっぱり、わかるよねえ、南雲はあんた、やっぱし大人よねえ。立村、あんたも少し見習いな」

 立村の発する言葉が混じることはなかった。


 まだ五分程度、始業の鐘が鳴るまでに時間がある。

 迷いは消えない。

 目の前で背中を丸めて南雲、およびこずえの課題チェックに余念のない立村の姿は、貴史が今までつきあってきた友だちとしてのフォルムに違いはない。だったらいつものように、

「おい、やっと来たのかよ。ところで俺の分のチェックはねえの?」

 くらいかましたい。本当ならそれが自然だ。他の連中も多かれ少なかれなんらかのアクションを起こしたくてならないそぶりが見受けられる。

 ──本当は俺が行くべきポジションだろうが!

 南雲に先手を取られてしまったのが歯がゆいというか苛立つ。かといって昨日の今日だ、あの時の姿を見られた奴がそばにいることが、立村にとってどういうものなのか考えるのも難しい。美里は知らん振りを通している。ならば貴史も同様に振舞うべきなのか。

 ──冗談じゃねえよな、悪いが俺は俺のやり方通すしかねえよ。

 できるだけ奴を刺激しないように、静かに、そっと近づいてみる。立ち上がると周囲の男子どもが食い入るように貴史を見守るのがわかる。一歩、また一歩とその背中に近づいてみる。ちらと立村が振り向くようなそぶりを見せた。声をかけようと思った。

 できなかった。


「貴史、あんたちょっとこっち来なさい」

 それまで全く何も言わなかった美里が、きついおっかさんみたいな言い方で止めにきた。さっさと腕をひっぱり自分の席に貴史を連れて行こうとする。そういえばこいつとはまだ挨拶も交わしていない。むっとくる。歩きながら文句をひとつ。

「なんだよ、お前何もなあそんな腫れ物に」

「だまらっしゃいっての!」

 左肩を思い切り叩かれた。仕方なく美里の隣りに座る。席はたまたま空いていた。

「わかったわあった。ったくなんだよなあ」

 ちらっと立村の方を見やると、少し驚いたかのようにこちらを伺っているのが分かる。視界に入っていないわけではないということだけ確認が取れた。やれやれだ。天井を見上げた。ため息を天井に思いっきり吐く。

「貴史、あんたねえ、なんで今日に限って寝坊しちゃったのよ。ったくばか!」

「しゃあねえだろ昨日の今日だし」

「私だってあんたに頼みたいこといっぱいあったんだからね!」

 美里はふくれっつらでいつものおかっぱ髪を振り回した。

「あのね、いい、あんたもさっき他の男子に話してくれたからいいんだけど、しばらく立村くんには一切話しかけないでほしいの。女子には昨日徹夜でいっぱい話したから多分大丈夫だと思うんだけど」

「大丈夫じゃあねえだろ、あいつなんなんだ」

 こずえを見やる。相変わらず立村をからかっている声が聞こえる。

「なんかねえ、毎日、こうよね。英語科ってたかが英語の点数それなりに取れた奴がいくとこだと思ってたけど、こんな補習地獄に陥るなんてさ、私も思ってなかったよね」

 こういったらなんだが、立村が学校から逃げ出す前からこずえの英語科に対する愚痴は全く変わってないような気がする。貴史は美里にこずえを指差し再度尋ねた。

「古川には何も言わなかったのかよ」

「こずえはしょうがないの。立村くんの扱い方一番よくわかってるのこずえだから。けどあんたと私はだめ、ぜーったいだめなの。いい? 昨日、すっかりはっちゃけちゃった立村くんを見た三年D組の生徒は、私たちふたりだけなんだからね」

「ああ、そういえば」

 意識していなかったのだが、確かにあの場にいた三年D組関係者は幸か不幸か自分らのみだった。

「けど噂でばれるだろ、とっくにばれてるんじゃねえ?」

「リアルでは見てないんだってば。だからまだ大丈夫。今は少なくともね。とにかく今言えることは、立村くんにこれ以上刺激を与えないようにしようってこと」

「美里、一番大事なこと確認してえんだが、いいか?」

「なんなりどどうぞ」

 一番刺激的な相手にはどういう案内をしたのだろうか。貴史が口を開きかけたところで美里は声を抑えてささやいた。

「菱本先生のこと言ってるんだったらとっくに対策済みよ。まあ見ててよ」

 三年D組評議委員の誇りからか、自信たっぷりに美里は言い放った。


 タイミングぴったり。同時に当の本人、菱本先生が元気よく扉を開け放って登場した。プリントの束を大量に抱え、相変わらず暑苦しく飛び込んできた。ばらばらに座っていた生徒たちおよび貴史もすぐマイホームポジションに戻りおとなしく待つ。

 ──ほんとに菱本先生に話したのかよ。ん? まさか先生立村いること、気づいてねえの?

 いつもなら、廊下の先頭席に人影がいることに気づかないわけがない。あの菱本先生のことだ、すぐに「おい? 立村、もしかして来てたのか! よかった、よくぞ決心してくれた!」とか騒ぎそうなものなのに、全くもって空気の状態で教壇に立っている。

 ──もしかしてまだ、菱本先生、寝ちまってる?

 さすがにこの元気で寝ているとは思えないが、そうと考えないとあまりにも不自然だった。菱本先生は急ぎばやに教壇に立ち、

「じゃあ、号令」

 息を整えつつ促した。誰にかはもちろん、分かっている。すぐに貴史はいつもの通り号令を発した。

「起立、礼、着席」

 立村は何事もないかのように立ち上がり一礼し、すぐに席についた。他の奴らのようにいいかげんではなく、折り目正しい礼の仕方だった。浮いているところはあるが、それも貴史は嫌いではなかった。

 席につき、教室が静まった。菱本先生はちらりと立村を見た。確認した。出席を改めて取ろうとはせず、

「今日は全員揃ってるな。よし」

 それだけを静かに口にした。


 三年D組の教室に空白が消えた。

 卒業式まで、一ヶ月を切っていた。


                 ──第三部 完(第四部続く)

 


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