第三部 88
会議がお開きになった後も、しばらく三年評議四人組はA組の教室でへばりついていた。他の生徒たちも居心地があまりよくないのか生徒会役員たちを始めとしさっさと廊下へ飛び出していき、残るは男子のみとなった。もともと三Aの教室は天羽のホームタウンなのだから残っていても違和感はない。貴史もしばらくは付き合いでかばんを置いたまま様子を伺った。
「しっかし、降ったわ降った、積もったわ」
窓辺をあけて外を眺め、天羽はわざとらしくおちゃらけてみせた。
「早く帰ってあったかい風呂に入ってってとこだなあ」
「のんきなこと言ってられるのかよ」
難波も口調はかりかりしているけれども、さほど怒っている風でもなくほおっと安堵のため息をついていた。側で更科が思い切り伸びをし、
「とりあえず、これで俺たちのお勤めは終わったってことだよなあ。長かった三年間だよね」
「残念ながら俺んとこは全然終わっちゃいないんだがなあ」
貴史は口を突っ込んでおいた。評議連中がのびのびしているのに水を差すわけではないのだが、結局「評議VS生徒会」の非公式乱闘試合においていったい何が目的だったのかが全くよくわからない。ただ言いたい放題言ってかき回されただけのような気がするが、それも外野の立場だからそう見えるだけなのか、単純に宙ぶらりんのままなのかすら理解できていない。
「ああ、立村な」
天羽は貴史を片手で来い来いと呼び寄せた。仕方ないので天羽の隣りに陣取る。
「全員面そろえて引退式やってのけたいってのが天羽の目的ならそれは大成功だったのかもしらねえがなあ。問題はうちのクラス、明日からどうなるんだってことなんだよな。ったくあいつあれだけボケなことやらかしちまったら、明日以降またクラスに戻ってこれねくなっちまうもんなあ。俺たちがそおっとそおっと様子見してたのが元の木阿弥じゃねえの。ったくなあ」
愚痴ってみてもしょうがない。いまだに貴史としては立村がなぜ、いかにもチンピラ風の口を利きながら生徒会長の佐賀をなぶりまくって最低男の烙印を押されたがって消えていったのかが謎なままだ。評議連中も立村登場の最初の頃は胡散臭げな顔をしていたはずなのだが。
「お前さんにはもうしばらくやっかいかけることになるとは思うが、堪忍な」
天羽は自分の席らしき机に腰掛けた。指をぽきぽき折った後、
「とりあえずはイーブンだ。俺としちゃ最終的には評議の惨敗で終わることも覚悟してたんだが、一応はトドさんの活躍もあって生徒会側の弱みも明らかになったことだし、新井林も生徒会長をあの手この手で手なづけるだろうから、まあハッピーエンドと考えていいんでないかねえ。どう思う、難波?」
「あとで男子評議一同から缶コーヒー三本渡しとこう」
「かなり早いけどホワイトデー用のクッキーもおまけでいいと思うよ」
更科もふくめ、轟への褒美の品を相談している。
「お前も轟がいきなりあんな演説やらかすの、予想してたのか」
「うんにゃ、してなかった。ただ、俺なりには不思議はなかった」
「以下同意」
「俺も」
三羽烏との会話は全くかみ合わない。貴史としてはもう少しわかりやすく状況を説明してほしかったのだが。なんで立村が酔っ払ったがごとく教室に乱入してきたのか、立村の言い分が結局正しいものだったのか、それからこれからどうするかということとか。轟が単なる出目金出っ歯でない証明よりもそちらを聞きたい。
「一応説明しとくとだ。俺としては今回の生徒会とのバトルにおいて、それなりに決着をつけておきたい問題があった」
貴史の要求をなんとなく感じ取ったのか、天羽はひとつずつ説明を開始した。
「昨日電話したこととも重なるんだが、一点目は立村を合わせて評議男子四人組、全員で参加したいっつうことだな。羽飛にも話したと思うけどなあ、俺は最初っから立村が戦力になるとは全く思ってなかった。これは事実なんだわ」
「よくわかる、それで」
「あいつがE組に篭っちまってから一度挨拶に行って最近の評議委員会の崩壊状況について伝えたら、協力したがってたし、このチャンスを逃したらたぶん立村を委員会に戻すことはできないだろうというのがあったんだわ。まずはそれな」
「それは聞いた、それで」
「ただあいつがなぜ、いきなり一本頭のねじをはずしてふらふら現れたのかは正直俺もよくわからねえ。たぶん、会長さんにつっかかっていた内容からすると杉本のことがからんでいたんだろうなあ。あいつはいったん思い込んだら何するかわからないってのは、ほら、羽飛もよく理解してるだろ? あんな、こんな、そんなで」
貴史より前に、難波と更科が頷いた。
「んで、さっきの話にもどるとだ。俺たちの自業自得な例の事件を生徒会側が槍玉に挙げて自分らに権利を丸呑みさせろと主張するのも予想の範疇だった。さらに言うと他の生徒たちをかき集めて生徒会側がいかに正当な話をしているかを訴えるのも、たぶんあちらさんの目的だろう。会長ひとりで考えたとは思えねえから、キリオの判断だろうがな」
霧島ゆいの弟を挙げた。
「あのギャラリー内に三年は混じってない。っつうことは卒業する奴は用なし。今回の会議の焦点は、今後、二年以下の連中に向かって委員会よりも生徒会の方が圧倒的に位が上であり、今までの無駄な委員会至上主義は俺たち三年が卒業した段階ではいさようなら、というところに落ち着かせたかったんだろう。ま、実際半分は成功してるわな」
天羽は自分で頷きつつ、改めて貴史に向き直った。
「ベビーフェイス正義の味方としての生徒会をアピールしといて、悪玉評議のイメージをたっぷり植えつけたかったんだろうが、ありがたいことにそのバランスを立村がうまいやり方でぶち破ってくれた。立村がなんでああいうやり方をしたがったのか最初俺も頭抱えたけどな、奴にとってはあれがベストな方法だったんだろう」
途中で難波が口を挟んだ。
「天羽、どういうことだ、あれがベストってのは」
「まあ聞きなされ。つまり立村は、ああいうやり方で勝負をかけるほうが向いてる性格だったっつうことよの。上に立ってえらそうに命令しまくってど顰蹙買うよりも、ああいった飛び道具としてちょこまか動く立場の方がずっと性にあってたっつうことだよな」
「どういうことだあ?」
今度は貴史も叫んだ。
「あいつの一番いい使い方ってのは、つまり、泥かぶってピエロになってさいならっていうそれか」
「お前親友にそりゃねえだろ。ま、まんざら外れてねえけどな」
天羽は笑い、膝を打った。
「トドさんが援護射撃してくれたし、立村が評議委員長やってくれたってのはすべて悪いことばっかじゃねえ。ただ、本来は上に立つよか、裏でトップ連中が動いている中をこまめにチェックして面倒みるような裏方タイプの性格だったんだろうなあ」
「天羽の言いたいことはよくわかる」
難波はめがねを顔にぴたりと合わせ、貴史に向かった。
「俺も前からお前に言ってただろ。つまりそういうことだ。立村が本来いるべきポジションがいわゆる縁の下の力持ち的ところだってとこをだ。憶測だがあいつはたぶん、評議委員会最後に、自分に一番ふさわしいやり方で会議を引っ掻き回し、最後は天羽と新井林に花を持たせるべく姿を消すよう演出していったんだ」
「そうだねホームズ。天羽に協力を求められた時から、立村はそのつもりで計画を練っていたのかもね。俺たちは全く聞かせてなかったから仰天したけど、結果としてはオーライだったしさ」
「ん? ってことはなんだ。あいつ、もしかして、全部計算づくでってことかよ」
「素でやるわけねえだろ、立村の性格三年間見てたらお前さんだってわかるだろが」
天羽はにやにやしながら貴史になおも語りかけた。
「できれば俺たちに予告一言くれえほしかったけど、ま、そういうわけにもいかなかったんだろ。かわいそうなのは清坂ちゃんだが、その辺はあとお前の範疇なんで任せるぞ。うちのマイハニーも清坂ちゃんの悲しみは自分のものとばかりに嘆いているから、その辺よろしゅうに」
近江のことなど知ったことではないが、美里の面倒を見なくてはならないことくらいわかっている。貴史は立ち上がり、ジャンバーを羽織った。
「ん、もう行くのか? これから学食でなんか食ってかねえ?」
天羽の誘いに首を振った。とてもだが胃が食い物受け付ける気分ではない。
「お前らの事情はよっくわかった。立村が評議委員としてあいつなりに花道を飾ったってのも、それをお前ら評議が全力で受け入れてるってのもわかった。けどなあ、俺は三年D組にあいつをどうやって引き戻して、どうやって卒業式一緒に参列させるかだけが一番の悩みなんだわ。さすがにクラスでトリックスターとしての場所、用意する余裕なんてねえもん、そいじゃな」
それ以上止められなかった。天羽が、
「それじゃ、また明日詳しい話聞かせろよな。清坂ちゃんによろしく」
声をかけてきて、残りのふたりが軽く手を挙げたのに答えただけだった。
とてもだが、評議連中の思考にはついていけなかった。
天羽は確かに賢いし、難波も更科も、また轟を始めとする女子陣も兵ばかりということだけはよくわかる。だが、貴史の居場所ではなかった。立村の意味不明な言動を素直に受け入れ満足している姿に、今はまだなじめそうになかった。
──俺はまだ、すべきことが山のようにあるわけなんだけどなあ。ったくのんきだぜ。それにしても美里の奴、どこ行っちまったんだろう? 先に帰ったのかよ。
天羽の言う通り、すっかり雪が積もり空も薄暗くなってきていた。
「貴史、みさっちゃんから電話よ」
家に帰り夕飯をかっくらい、部屋でごろついているところへ母から呼び出された。美里から電話が来るであろうことは予想していたので驚かない。お待ちかねという奴だ。
「おい、どうした、先に帰っちまったのかよ」
──貴史、電話の側に誰かいる?
開口一番人払いを求められるときた。ぐるりと見渡して見る。母は洗物、姉は自分の部屋、とりあえず話を潜めることは出来る状態ではある。
「まあ、大丈夫だ。どうした」
──あのね、要点だけ言うね。
美里のほうは声がやたらと小さい。人払いできていないようすと伺えた。
「早く言えよ」
──明日、たぶん立村くん、D組に来るよ。
かすれるような小さな声だが、貴史の耳にははっきりと聞き取れた。
「おい、今なんて言った」
──あんたが聞いた通りよ。あの後、直接捕まえて、話すべきこと話して、それで結論出してもらったから。あの人約束破らない人だから、来るよ、絶対。
信じがたい。いや信じられなかった。
どう考えても無理としか思えない話だろう。
美里があの後どうやって立村を捕まえたのか、チンピラ語で啖呵切られたりしなかったのか、どうやって説得したのか、全く想像がつかない。そもそも居場所をどうやって突き止めたのか、そこから謎だ。
「お前の話飛びすぎてるんで俺もついていけねえんだけどな、つまりあいつと話をつけて、E組からD組に戻るって言い出したのか?」
──詳しいことはまた明日の朝話すけど、取り急ぎあんたに頼みたいの。
「なんだよ、早く言っちまえ」
もごもごした口調からすると、おそらく美里も親か姉妹かに聞かれたくないのだろう。
──クラスの男子たちに伝えてくれる? 明日もし立村くんが来ても、余計なこと何にも言わないで、そのままなんでもないって風に迎えてちょうだいって。私も女子たちに言っとくから。問い詰めないで、ただ存在しないかのように流して迎えてあげてほしいの。
「流すってつまりあれか、シカトしろってことか」
──そう。言い方露骨だけどその通り。
美里はあっさり認めた。そのまま声を潜めたまま、
──私たちが最初、全力で迎えようとしたじゃない? あれがまずかったんだよ、きっと。いるかいないかわからないくらいにひっそりと、かえって無視するくらいの扱いでちょうどいいんだよ、あの人には。私、菱本先生にも電話かけておくけど、空気みたいに無視してあげるのが一番だと思うよ。それが、向こうの望んでいることなんだって、今日、よっくわかったから。それに。
「なんだよ」
口ごもるような気配あり、そのあとゆっくりと、
──今、それで十分いけちゃってるじゃない? あんたがリーダーやってから、ほんっとクラスまとまってるし、あの人が無理に何かしなくてもいい雰囲気じゃない? あんたが普通に評議のすることしてくれれば、誰も余計なちょっかいかけたりしないと思う。そうすればきっと、卒業式までなんとか持つと思う。たぶんだけど。
「美里、お前いったいあいつと何話した」
──いろいろとね。
短い答えのみ。
「それで説得できたのかよ」
──できた。なんでかわかんないけど。だからこちらも向こうのして欲しがってる状態にクラスを整えればいいのよ。あんたがふつうにしているようにね。あんたも今日の会議見ていてわかったでしょ。あの人はクラスの上に立つ人じゃない、むしろ陰で動く人なんだって。それの方が私たちも楽だし、向こうもほっとするってこと。いやってほど今日思い知ったじゃないの。
「天羽も難波も似たようなこと言ってたな」
──それが今の評議委員会の共通認識なんだからしょうがないよ。もう、無駄なことはすることやめようよ。
美里はそこまで話したあと、「それじゃ、明日ね」と電話を切った。聞き耳立てられているから下手なこと言えないのだろう。会話の中で立村の名前を口にしたのは一回のみだった。
直接電話してやろうか、一瞬そんなことを思った。
しかし思いとどまった。
──美里が説得できたってことは、よっぽどのなんかがあるんだろな。
それがどんなものだか確認するには、明日、できるだけ早く美里を捕まえて詳細を聞き出すしかない。今日は少なくとも、いつぞやの評議委員長選の日のようなことはなく結論が出たらすぐ貴史に報告してきたのだから、その辺は褒めて遣わそう。
──けどなあ、おっぽっとくのか? できるのか、それ? それに本当にあいつ、D組に来るのか? 美里の思い込みなんてこたあないのか?
少しだけ迷ったが、次の瞬間貴史は受話器を握り締め、クラス名簿の男子列電話番号をあ行から一気に回し始めた。考えている暇なんぞない。評議委員の連中が盛り上がっているのだから、あいつのお膝元である三年D組内でもそれなりの祭りがなくてはならない。貴史がクラスの代表である限り、あの会議を踏まえた状態で何もしないままというのだけは許されない。とにかく、美里の言う通りに動くことに決めた。
──立村は一回約束したことは、破らないか。
説得力は確かにある言葉だった。