第三部 80
80
一晩とっくり考えた後、貴史なりに結論を出した。
──やっぱし、ここは天羽の計画に乗っかるか。
普段なら天羽のやり方をすんなり受け入れようとは決して思わなかったはずだった。去年の修学旅行時も天羽や更科に無理やり引きずられてあちらこちら引っ張りまわされ、半分切れかけたこともあるにはあった。こちらだって立村の親友としてそれなりに気を遣っていたつもりだし、向こうの一方的な絶縁宣言のようなものもまあ時間が経てばなんとかなると高をくくっていたところが正直ある。
だがしかし。
朝一番で教室にたどり着き、中に入るも、やはり立村は来ていなかった。
仕方ないのでロビーに向かう。朝早すぎただけかもしれない。
──いや、立村は昔からやたらと朝が早い奴だったし。
もしかしたらE組にいるのかもしれないが余計なことを考えるのはやめた。
三年D組に戻ってこない限り、どうしようもない話なのだから。
──立村はいつも目の前で天羽の実力を見せ付けられていたんだなあ。
ロビーに腰かけ、手袋だけ脱いだ。ジャンバーはまだ着たままでいた。まだ始業まで二十分以上も間がある。そのうち美里も来るだろう。天羽も来るだろう。更科も来るだろう。それに、
「お前、早いな」
声をかけてきたのは難波だった。珍しい。こいつがやってくるのはいつもならもと遅いはずだった。学校推奨コートを羽織り、めがねを拭く。相変わらずきざな振りをしてみせる。似合ってないのに青大附中のホームズは。
「よお、難波。お前もどうしたんだよ」
「早く来たら悪いか」
そう言いつつも向こうの方から貴史の隣りに座った。雪が肩にかかっていた。
「ところでだが、今日の放課後のこと聞いたか」
「聞いた聞いた。昨日天羽から電話もらった」
「やはりな」
膝をリズミカルに叩きながら、難波は呼吸をわざとらしく整えた。
「最終決戦という奴なんだがな」
「ずいぶん大げさじゃねえの。別に地球滅亡の危機を迎えたわけじゃあねえんだから」
「お前から見たらそうかもしれないが、俺たちからしたら似たようなもんだ」
きっぱり言い切ると。難波は俯き加減のままため息をひとつ吐いた。
「とりあえず今言えることは、天羽の計画を綿密に実行するとともに、風向きが生徒会側なのを出来る限り評議に戻すこと、それだけだ」
「できんの、それ」
ぼそっとつぶやいて見る。難波が怪訝な表情を浮かべる。
「俺も全然わからねえけど、今回生徒会の奴らが話を持って来たんだろ。それで決着付けろってことだとすると、向こうさんの勝利宣言みたいなことしたいんじゃねえの」
「殴りたいとこだが当たっている」
意外にも難波は認めた。
「羽飛の言う通りなのが情けない話だが、その通りだ。もう生徒会側は教師サイドを味方につけている。俺たちどうしようもない評議委員連中をこの際まとめてそれぞれの学級の中に篭っていただきたいと、そういうことだ。せっかく結城先輩、本条先輩の力で奪い取った自由解放な委員会文化を、そのまま生徒会に譲って、俺たち評議はまた籠の鳥に戻れとな」
「けどもう卒業だろ? んなこと拘らなくたっていいだろが」
「お前は何もわかっちゃいない」
いらただしげに難波は首を振った。
「羽飛、お前は今まで帰宅部だったからわからないだろうが、想像してみろ。もし仮にお前がバスケ部にいたとする。バスケ部が弱すぎて来年からは中学での部活動がなくなり、代わりに高校バスケ部の二軍扱いにされたとしたら、どうする」
「んなあこと、ねえだろ。たとえるならモウちっと分かりやすくしろよな。例えば」
「黙れ。とにかく、俺が言いたいことはこんなくだらない説明じゃねえ」
無理やり話を持っていかれる。
「今日の委員会の前にだ。昼休み、あいつのところに行くというのは、もう聞いてるか」
本題だった。貴史は頷いた。もっともその通りだ。
「ああ、それ、天羽に言われた。お前と行けってな」
──互いのわだかまり解消のため、なんてことは言ってねえんだろな。
短く答え相手の出方を待つことにした。
まだ十分近く時間がある。気がつけばどんどん登校する生徒も増えている。もしかしたら話をしている間に立村もこっそり生徒玄関からE組に向かったかもしれない。
「委員会そのものはまだ何度かあるかもしれないが、実際の活動は今日で最後だ。あとは卒業式の余興を考えたりなんなりする程度だ。お互い、修羅場の学級だとそっちの方で忙しいということもあるがな」
「轟がいるから楽だろ」
「それは言えてる」
あっさりみとめ、難波は続けた。
「菱本先生が何考えているのかは他クラスの俺が知ったことじゃない。だがこのまま、立村が評議委員に戻らなくてもかまわないという判断でもって、今回は羽飛に白羽の矢が立ったというわけだろ」
「最悪、そうだな」
事実なのだから認めざるを得ない。
「となると、立村のことだ。いろいろあってE組に隠れて、そのまま出てこない可能性もあるというわけだ」
「まあなあ、できればそろそろ戻ってもらわねばなあ。卒業式どうするんだよって。一応あれだろ、卒業式で評議が先頭で入ってくるだろ。どう考えても俺が代理で出るってのは間違ってるだろ?」
「お前知らないのか。D組のくせに」
またむかつくことを聞いてくる。難波は反り返って答えた。
「立村は、今年の卒業式で英語答辞を読み上げることに決定しているはずだが」
「はあ?」
口がぽっかり開いたまま動かない。
──英語答辞? なんだそりゃ?
もちろん卒業式で答辞を読む生徒はいる。去年は本条先輩だったが、評議委員長を前期後期しっかり勤めていて学年トップの成績という誰もが認めざるを得ない相手なのだからそれは当然のことだ。しかし、今年は選びようがない。少なくとも評議委員長がふたりいるなかで選択肢を出せと言われてもどう判断すればいいのか。
「てことはなんだ? まさかバイリンガルバージョンの卒業式って奴か? レディーあーんどジェントルマンとか言うのか?」
「羽飛、お前少し頭冷やせ。本当の答辞を読むのは藤沖だ。生徒会びいきの教師連中が決めそうなことだ」
元生徒会長の名を出した。
「だが、そうなると去年、おととしと評議委員長が承っていたポジションを取られたとか言って俺たち評議がいじけるかもしれん、そう考えた教師陣は、最初にまず天羽へ話を持っていった。ダブル答辞でいくかとな」
「天羽にかよ」
これは意外だった。べったりひっつき耳を傾けた。
「近づくな気持ち悪い。だが天羽なりに考えるところがあったらしくそれを断り、あいつはなんと立村を推した」
「あいつをかよ!」
──天羽、お前いったい、どこからどこまで。
昨夜絶句したことの続きが繰り広げられている。生徒玄関は嵐のように生徒たちが駆け込んできているが、知ったことじゃない。難波の言葉は続いた。
「立村が英語のみ学年トップを貫いていることは誰もが知っている。ついでに前期評議委員長だということもだ。現在非常にいじいじした状態だということも承知している。そのことを伝えたうえで天羽は、立村に英語で答辞を読ませたらどうかと提案したというわけだ」
「まじかよこいつ」
「まじなんだそれが。教師連中もさすがにこのままだと立村がいじけたまま高校に進学してしまうし、そうしたら面倒なことになるのは目に見えている。そこでE組に篭るのを許す代わりに立村へ英語の答辞を暗誦させることを決定した。つい、四日くらい前のことだ」
「D組では聞いてねえぞ」
美里だって気づいていたら早く話をするはずだ。全く、もって、聞いてない。
「まだ公表されてないのかもしれないが立村はすでに承諾しているはずだ。もっともその答辞はオリジナルではなく、藤沖の書いたものをそのまま英訳する形にするらしい。立村に書かせておくのが一番いいはずなんだが、ここは英語答辞の内容を統一させることにして、少しでも藤沖の頭をひとつ高くしておきたいと、そういう計算もあるだろうな」
「ああ? よくわからねえ」
「つまりだ。立村が読むのは藤沖の原稿の英語版だ。あいつのオリジナリティーばなし。単純に英文暗唱機としてのお披露目だ。まあ時間もないし、それが一番楽なんだろう」
──何かすげえことになっちまってるけど、いいのかよほんとに。
立村がいつのまにか卒業式で英語答辞……ただし人のものを英語で暗唱するだけ……といった大役を仰せ付かり、あっさり受け入れているとは思わなかった。しかも誰一人D組では話題にする奴もいなかったとは。相当極秘情報なのかもしれないが。
「俺が言いたいのはそこじゃない。立村が英語答辞に入るということは、評議委員の余興に無理に混じる必要はない。英語答辞という荷の重い仕事をやるんだったら、もうひとつのイベントたる評議委員の一発芸大会には代役を立てても全く不思議はない。そうだろう?」
「そうだろって、言われたってそりゃむちゃだろ」
「無茶じゃない」
難波は立ち上がった。
「すべてはつながっている。学校側は立村の面子を立たせつつ、D組の評議代わりを羽飛にして差し支えないと言う展開で持っていこうとしているわけだ。英語に四苦八苦してないかもしていないが準備で忙しいはずの立村をこれ以上負担かけずに、本来デビューすべき羽飛に仕事を任せたい。それはだいたい想像がつくだろう」
「いやそりゃお前推理先走り過ぎだぞ」
「悪いが、教室に戻る。昼休み、俺の方からD組に行く」
鐘が鳴った。これはまずい。走らねば。難波を追い抜き貴史は階段を駆け上がった。三年の教室で一番遠いD組。二段飛びデモしなければ間に合わない。
「あーら珍しく遅いねえ、羽飛」
「ああ、古川、ちょい聞きてえんだけどな」
まだがらがらしゃべりまくっている男女の面子。貴史はこずえの隣りに向かい、尋ねた。
「立村がなんでも英語の答辞をやるって話、聞いてたか」
「ちょこっとね」
あっさりこずえは答えた。何を今更といった顔だった。
「美里、それ知ってるのか」
「知らないかもね。私は図書局の司書の先生経由だから詳しいことわからないけどね。ただ、悪いけど今のうちのクラス、立村が何かやろうとも、もうどうだっていいと思ってるから興味持たないよ」
「どういう意味だよ」
声を潜め、それでも意地を込めて尋ねた。こずえが頭の上に手を組み、上を見上げながら、
「つまりね、立村のことなんてもうどうでもよくなってるんだよ。今、E組に行っちゃったけど、誰一人興味を持ってない。男子はわかんないけど女子はね、たぶん美里以外あいつのことを気遣う奴はいなくなってるの。三十人中二十九人だったとしても、それが普通だと感覚として感じちゃってるの。だから、興味なし」
「まじかよそれ」
腕を引っつかまれた。耳元にささやかれた。
「羽飛、よっく聞きな」
早口で、半分聞き取れなかった。
「今のうちのクラスは、あんたがトップで動いているから落ち着いちゃってるの。今までになく、一番のびのびしてるのよ。美里は認めたくないみたいだけど、それが現実なの。こんな中に立村が戻ってこれると思う? いい、二十九人が三年D組百パーセントなの。百一パーセントにしたらまたバランス崩れるとみんな思ってるの」
「結論なんだよ」
いらいらする。はっきり言わせたい。こずえは即答した。
「立村にはもうE組に消えていてほしい。これが三年D組女子の総意なんだよ」
「お前はどう思うんだよ」
貴史の詰問にも即答した。
「何言ってるの。私にとっちゃ、今は九十九パーセントに決まってるでしょが。さっさ、早く席に着きなよ。一パーセント問題これから片付けるんだからね」