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第一部 8

「せんせーごめん! 美里がさあ、風邪引いちゃって寝込んでるんだよねえ」

 手馴れた口調でこずえが受話器に話し掛けている。左手で受話器を、右手で貴史に手のひらを差し出している。十円の要求だ。めずらしく赤電話である。

「ってことで、羽飛と私とふたりで行くのもなんかあれだし、じゃあ明日とかあさってにもっかい行っていいですか?」

 側に美里がいないのをいいことに、嘘八百並べ立てている。

 ──あとでどういう風に言い訳するんだろうな。

 その場の乗りだし、事情を詳しく説明すれば美里も納得するに違いない。

 しかし、機転の利く女子だ。

「じゃあ、来週よろしく!」

 それでいて、しっかり相手が受話器を置くのを待ってから電話を切っている。

「やっぱ、マナーじゃん」

 別に口に出したわけではないのに、わざわざ説明してくれる。ふたり、蒸し風呂状態の電話ボックスから脱出し、追いかけてきた美里に近づいた。

「私が連絡するつもりだったのに!」

 ぶんむくれている。貴史が言い返す。

「全部古川が処理したから、お前もう口出すな」

「何よその言い方。けど、菱本先生、大丈夫なの?」

 いくらごまかしたとはいえ、やはり女子の直感でぴんとくるものはあったのだろう。こずえが首を振って、目をきょろきょろさせた。

「腹へったって騒いでいる奴が約一名いるし、まずは食料補給しようよ。美里、そこのファミレス行こうよ。パフェ、食べよう!」

 ──昼ご飯をお前ら、パフェで済ませるつもりなのかよ。

 すでに頭の中では、ハンバーグステーキのセットを食わないことには納まらない貴史。

 女子ふたりの発想には正直、ついていけない。


 自転車をファミリーレストランの駐車場に付け直し、まずは貴史が先頭で入り口を覗き込んだ。昼ちょうど最も込む時間帯だけあって、入り口まで待ち人が溢れている。空腹状態だけに、みないらだっている様子が伺える。しかたない。並んで待つ。

「ねえねえ、何があったってのよ! もう、ふたりともわけわかんないことばっかり言うし! 私ばっかり仲間外れにしないでよ!」

「してないじゃないの。座ったら話すよ。それよかさ、美里、羽飛んちとの家族旅行、いろいろあったんじゃないの?」

 貴史の背で美里とこずえがかしましく語らっている。

「なんも、ないよ。ね、貴史?」

「ああ?」

 いきなり振られたので曖昧な返事しかできないが、美里が顔を見ながら何度も頷くので、

「まあな」

 あっさり答えておいた。

「そうだよ、なんも旅行中面倒なことなくって。こういうことって珍しいよね」

「あ、そういうことか」

 美里の言う通りだ。家族旅行は一切何もトラブルが起こらず、父曰く「旅行じゃないみたいだ」との名言ありの静かな結末に終わった。無事で何よりといえばそれまでだが、本当に何もないのは、普段の心がけがよいのか、それとも馴れ合いなのかわからない。

「交通渋滞にもね、一度もひっからないし、どこ行ってもすぐに美味しいお店に入ってすぐ座れたし。天気もよかったし。こんな平和な旅行って私、初めてだもん」

「でさ、泊まった部屋はどうだったのよ? 男女混合?」

 やはりこずえのつっこみは下ネタにからむというわけだが、予測済みでもある。

「あほか。俺たちだけじゃねえだろ、父ちゃん母ちゃん姉ちゃんたちもいるんだぞ。できるかそんなの」

「じゃあ、美里だけだったら別だったんだ?」

「こずえ!」

「あのなあ、古川。お前もわかるだろ。親友の彼女に手を出すほど俺も女に不自由しちゃいねえよ」

 背中をまた叩く。薄いシャツだけだとこずえの手型が見事に残りそうだ。

「いってえなあ」

「親友、ねえ。まいっか。羽飛の操は守られてるってわけよね」

「当たり前だ。俺の愛は優ちゃん一筋だ」

 わざとらしい溜息をつき、美里がこずえに話し掛けた。

「あのね、貴史、こういう奴だってわかってるでしょ。行き帰りの車で流れているテープ全部、貴史の鈴蘭優ベストアルバムばかりなんだから。あ、そっか、そのことくらいかな。不満が出てきてたのは」

「なんだよその不満ってのは」

「お姉ちゃんたちが言ってたよ。やっぱり違う曲も聴きたいって。あんたはロリコンだからしょうがないけどさ、女子からするとああいうぶりっこっぽい女の子、むかつくに決まってるじゃない」

「おい、美里、今の発言聞き捨てならねえぞ。もっかい言ったら殴るぞ」

「だから、旅行中誰も発言しなかったのよ。けんかしたくなかったからよ。そのくらいは気、遣ってたんだから。気付かなかった?」


 旅行ネタでしばらく立ち話をしているうちに、列がだんだん短くなり、ようやくウエートレスのお姉さんと対話できるところまできた。

「三名さまですね、テーブルにご案内します」

 ちょうど家族連れの四人席が空いたようで、すぐに案内された。まだテーブルの上にはお子さまランチの跡と思われる日の丸旗つきの食器が放置されている。ウエートレスがいそいで片づけ、ふきんでテーブルを拭いた後、水とメニューを置き去って行った。

「最初から決まってる。ハンバーグステーキ。もちろんライスでセット。お前らまさか」

「そ、そのまさか。パフェとケーキのデザート尽くしでいくよ。美里もそうするでしょう」

「もう、暑くて、重たいもの食べたくないもん」

 どでかそうなフルーツパフェのどこが軽いのかと突っ込みたくなる。こいつらふたりは、甘いものなら平気で平らげる胃袋の持ち主だ。

「誰も迷ってないってのが、すごいよね」

 どこがすごいのかわからないが、こずえが呟いた。すぐに手を振りウエートレスを呼び寄せ、手際よく注文を済ませた。

「親がいるとさ、こういう風にデザートだけ食べられないじゃん。かならずなんか食事しなさいとか言われるしね」

「わっかる! そうなんだよね。こっちは夏ばて気味だから冷たいものだけにしたいのに」

「貧血起こしてぶっ倒れるぞ。それともお前らダイエットしてるのか?」

 思わずつっこむと、ふたりとも顔を見合わせて気まずそうな表情を浮かべた。

「羽飛、あんた女子にもてない理由がよくわかったよ」

「なんだそりゃ」

「女子に対して、ダイエットの話題は禁句だって」

 美里が隣で頷いている。改めて貴史は美里とこずえを交互に眺めた。もちろん、がりがりとは言わないが、どう見ても太っているとは思えない。美里に関しては一度背負ったことがあるからわかるが、見た目よりはるかに軽い。こずえにしても小柄だし美里よりは細い。

「お前らなあ、これ以上やせてどうするんだよ。俺がダイエット必要だと思うのは奈良岡のねーさんくらいだが、あいつ全然やせようなんてしてねえじゃん」

 三年D組の肝っ玉母さんこと奈良岡彰子に関しては、必要性を感じないわけではないが、それでもあれだけのモテモテぶりを見れば体重にそんな拘ることもないんじゃないかと思う。

「彰子ちゃんは別よ。でも、甘いものやめておせんべいにしようって言ってたよ」

「へえ、やっぱりあいつも気になるのか」

「ううん、健康のためだって。お医者さんになるには自分が健康でなくちゃだめだから、管理してなくちゃって」

 彼氏の南雲に媚びるためではないというわけか。その点については感心した。

「南雲くんに好かれたいからじゃないのよね」

「まあねえ、南雲の奴、もろ彰子ちゃんにめろめろだから」

 女たらしの三年D組規律委員長、南雲秋世の話題についてはむかつく一方なので聞き流した。力ずくで話を変えた。

「それよかな、美里、立村に土産、買ったんだろ?」

 当然だろう。恋人宣言されてからひと悶着あったらしいがそれはいつものことだ。旅行中もさすがに親の手前聞いたりはしなかったが、当然何かかしら購入しているだろう。なんてったって彼氏なのだから、当然だろう。

 美里は首を振った。

 斜め向かいのこずえも首を傾げながら問い掛けた。

「美里、あんた立村に土産買わなかったの?」

「だって、言ってないもん」

「旅行のことをかよ。俺話したぞ」

「そう。貴史がしゃべってるなら、私の方から言わなくてもいいかなって」

 全く訳がわからない。

「そりゃ変だろうが。あいつもふうんって聞いてたぞ。清坂氏も行くのかってな」

「興味なさそうだもん」

「はあ?」

「それに、お土産買っていったら立村くん、絶対気を遣っちゃうよ。今度何かあったら、なんか変なもの持ってくるし」

「変なもの? なんだそりゃ」

 美里が口篭もる。助け舟を出したのは美里の親友たるこずえだった。

「ほら、羽飛も想像つくじゃん。立村が女子向けに選ぶ土産ったらどんなもんだと思う? 修学旅行でも見てたじゃん。普通買わないよね。大きな手鏡とか、民芸品の可愛い人形とか、ちりめんの袱紗とか。そんなの、いらないとは言わないけど、ちょっとねえってものあるじゃん?」

 だいたい想像がついた。立村の土産選びに関する感性については、貴史も確かに疑問符がついてしまう。あまり貰ってもそれはどうか……と首をひねりたくなるものが多い。奴の育ちもあって日本文化に縁のものを選ぶ傾向があるようだ。しかし永年美里の好みを見据えてきた貴史にはわかるのだ。悪いが、美里の好みは洋物だ。

「そんな凝った物じゃなくたってさ、たとえばちょっとしたお菓子でいいんだよ。お金かけなくていいのにさ、なんかあいつ、勘違いしたものいっつも買ってくるんだよね。杉本さんに対してもそうだしさ」

「杉本って、あああの女子か」

 ちょうど先にハンバーグステーキが運ばれてきた。ふたりの眼が鋭く光る。

「すごい量だよね。ご飯、大盛りにしたの?」

「当たり前だろ」

「うわあ、貴史、あんたこんなに食べたら、おなか痛くなっちゃうよ」

「お前らの方こそ冷たいもの食って腹壊すんじゃねえよ」

 待ちに待ったこのジューシーな香りがたまらない。一気にナイフとフォークで肉のみ一気に食いまくり、食欲一本に専念した。

「脂っこいよねえ」

 こずえがにやにやしながら貴史の食いっぷりを眺めていた。

 男はやはり、肉食が常なのだ。アイスなんかじゃ納まらない。


 食事中は大抵、余計な口など挟まず女子たちのしゃべりたいようにさせておく。

 食うこと以上に最優先すべきことなど何一つないからだ。

 貴史がかぶりついている間、女子ふたりは水を半分以上減らしながら立村の噂話に専念していた。まあ、貴史の前だから、というのもあるのだろう。事情通である立場だし、聞き流しつつもポイントは押さえておいた。


「立村くん、夏休み中は親戚の家に泊まりに行くらしいって話、聞いたことあるけど詳しいこと全然教えてくれないの」

「なんで言わないんだろうね」

「私も、聞いちゃまずいかなって思って、聞かないけど。でも一言くらい話してくれたっていいのにね。今回の家族旅行に誘ってみたけど無理だって断られたし」

「え? この旅行に?」

 ──じゃあ知ってるってことじゃねえか。

 矛盾しているが聞き流す。口に物が入っている間は余計なことを言う気なし。

「どうせ断られるだろうなって思ったけど、けんもほろろって感じ。それに、終業式のあと評議委員会の関係で顔を合わせたりはしてるけど、それっきりだし。あ、でも評議委員会合宿が来週あるから、そこでは会えるかもしれないけど、でも」

 また美里はふくれっつらで頷いた。

「無理、絶対無理。立村くん、評議の仲間といる時は男子以外と話してくれないもん。いろいろ忙しいことはわかってるし、私も余計なこと言わないようにしてるけど」

 ──そりゃまあそうだろう。女子の相手なんかしてる暇、奴にはねえだろ。

 評議委員会の裏事情を図らずも知った貴史には、立村の立場がよくわかる。

 青大附中の「大政奉還」問題を片づけていくにあたって、美里は邪魔だろう。

「だから、私も何も言わないでおくの。旅行のことも言わないし」

「じゃああんたたちデートはしてないわけ?」

「するわけないじゃないの。だって立村くん、ずっと」

 言葉を切った。俯いた。

「立村くん、ずっと杉本さんのいるとこに通ってるもん」

「ちょっと、それ、まじ?」


 通っているとは初耳だ。

 もちろん貴史も、一年下の元女子評議・杉本梨南の存在を知らないわけではない。

 さまざまな人間関係のトラブルを起こし、周囲の顰蹙を買ったあげく評議委員会から追い出されたという曰くありの女子のことだ。なぜか立村は、杉本梨南が入学以来やたらとまとわりついている。

 ──けどその間に立村の奴、美里と。

 美里と曖昧ながらも交際開始した時期と若干重なる。確か六月の半ばくらいだったはずだ。D組男子連中が全力でサポートし、最終的には立村の密かなる美里への想いを告白させるところまで持っていったはずだ。立村も以前より美里のことを心憎からず想っていたのは、貴史の目から見ても明白だった。美里の気持ちは言うに及ばず。なら、応援するのも自然な流れだろう。D組男子もそのあたりについては反論する奴がひとりもおらず、あっさりとカップルを誕生させる方向に進んだ。ひとり、貴史の言うことに反発した野郎がいたのも事実だが、実際結果としては滞りなかったはずだ。

 もっともその後続いたさまざまな恋愛トラブルについてはノーコメントとしておく。

 むしろ、交際一周年を迎えるだけ続いていることのほうが、凄いことだと思う。

 その間に杉本梨南の存在が見え隠れしているらしいが、同じ女子評議だった美里が珍しく大人の対応をしていたようで、女子同士のいがみあいなども全くないようだ。むしろ、妹のように可愛がっていて、こずえも追随している。どこぞの恋愛三角関係などとは全く縁のない、のどかな関係が今はまだ、続いているはずだ。

 はずだが、やはり美里の内心は複雑なのだろう。想像はつく。

 ──だったらさっさと言ってやりゃあいいのになあ。立村の彼女は自分だってな。

 ──こんなとこでうじうじやってるよかな。

 美里もいつもだったら言いたいこと言い放って決着つけそうなものだが、立村に関してのみはどうも異なるようだ。


「でも、しょうがないってわかってるよ。私だって。杉本さんの立場、可哀想すぎるもん」

 いつまでたってもパフェが届かない。美里の愚痴も終わらない。

「親友ぶりっこしてた佐賀さんが、杉本さんからむりやり評議委員の立場、奪っちゃったし、それにせっかく水鳥中学との交流会準備のグループに参加させようとしたのに、担任の桧山先生からダメ出しくらっちゃったし。杉本さん、ひとりぼっちなんだもん。酷すぎるよね。私だったら、直接文句言っちゃうのに。けどそれも立村くんに止められてるの」

「おい美里、それ俺、聞いてねえぞ」

 いったい何を止められているというのだろう。全く理解不能だ。

 美里は貴史の、半分以上消化された黒い皿に目を留めた。

「もうそんなに食べたんだ」

「質問に答えろよ」

「パフェ、遅すぎる!」

 片手のこぶしで軽くテーブルの端を打った。またもやこずえが割り込んで補足説明を行う。

「美里、おなかすいたからって狂暴にならないで。つまりね羽飛、美里が言いたいのは、杉本さんのトラブルについて本当は美里も相談にのってあげたいのに、立村からそんなことするなって止められてるってこと。わかる?」

「そういうことか」

 水が足りない。こずえが「おひや、すいませーん!」と手を上げてアピールしている。

「奴もいろいろ考えるとこあるんだろ。美里、邪魔すんなってことだろ」

「私、邪魔してない! いっつもそうだよね! 立村くん、私が首つっこむとみんな壊れてしまうみたいなこと言うんだよ! この前の彰子ちゃんと南雲くんのけんかのことだって!」

「騒ぐな、俺の愛しいハンバーグがまずくなる」

「あんたのハンバーグなんか知ったことじゃないわよ! もう、何にもみんなわかってくれないんだから!」

「お前、こんなところでいきなり立村の愚痴並べ立てるのもやめろっての。第一あいつだって今、死ぬほど忙しいんだってこの前話しただろ」

「貴史に言われなくたってわかってる! けど私だって、役に立ちたいって思ってるのに。杉本さんの件だって、本当は男子が割り込むよりも女子が中心になって面倒みたほうがずっとうまくいくんだよ! それなのに、立村くんひとりがじたばたしてて」

 なんだか女子の発想は理解できそうにない。素直に言えばいいのに。

「お前な、杉本に妬きもち妬いてると認めろよ。それが先だろが」

「そんなんじゃないって!」

 こずえがまたもや間に入ろうとするが、美里がハングリーパワーで言い返す。いいかげんパフェなりなんなり美里の前にサーブされない限り、この愚痴は止まりそうにない。

「妬いてなんてないよ! そんな、たまたま私、立村くんと付き合ってるからって、そんな後輩に嫌がらせするなんて、性格悪くないよ。そりゃ、性格、私、悪いかもしれないけど、でも、そんな汚いこと絶対にしない! いじめたり、馬鹿にしたり、そんなことする奴をやっつけてやりたいだけなのに、けど」

「ああ分かった。美里の正義感はよーくわかった。立村が心配してるのはそこだろ」

「何よ? 貴史に何わかるっての?」

 幸い、ハンバーグステーキで貴史のエネルギーは満タンだ。割り込むはずのこずえが不意に貴史へ意味ありげな視線を送ってきた。好意満タン、こういう時なら気持ちよく受け取れる。

「立村は一番めんどくせくねえやり方で片をつけたいだけだろ。美里に手を出されたら、また他の連中が騒ぎ出して修羅場になりかねねえだろってな。悪いが男の世界に口は出されてくねえもんなんだよ。そのくらい気付け」

「けど」

 美里のすねた顔よりも、心なしか尊敬の念を込めた視線のこずえに戸惑う。でも続ける。

「さっきだってな、なんで俺たちが菱本先生の玄関前から即、退去したかっていうとだ。ちょうどタイミング悪く先生の彼女らしき人がいてだなあ」

「そうだよ、デート中だったみたいなんだよね」

 いきなり話をぶち切られた。もちろん相手はこずえだ。むかっとくる。違うだろう、修羅場だろう。美里がぽかんとした顔でこずえに向き直る。

「デートなの? でも、今日私たちが行くってことに決まってたよね」

「うん、そうなんだけどね。ちょっと耳貸して」

 なにやらひそひそ囁いた。みるみるうちに美里の眼が見開かれた。

「ええっ? そうなの?」

「そうなのよ」

 貴史に視線で「黙ってな」光線を送ってきた。仕方ない、受け止める。こずえなりに美里への対応を考えているのだろう。

「ちょうど、菱本先生、男になりたかったみたい」

 下ネタ女王、いったい何を考えているのだろうか。まさか、その場でどったんばったんやっていたとでも囁いたのだろうか。いや、それだったら美里の顔がもっと引きつっているはずだ。あとで確認しておくべきだろう。

「そんな現場、だったんだ」

「そうよ。プロポーズの真っ最中らしくて、そんな時に私たちが割り込むわけ、行かないよ。美里が一緒に居てもきっとそう思うよ」

 ──嘘も方便かよ。

 つらっとした顔でこずえは法螺を吹く。

「だから、私たちは今回ちょっぴりご遠慮したってわけ。さっき貴史が修羅場だとかなんとか言ってたけど、そりゃあそうだよ、彼女の立場からしたらそりゃあ、不安になるに決まってるよ。びっくりするに決まってる。それに、結果もどうなるかわかんないじゃない? 彼女もいろいろ考えて、結婚しないことにするかもしれないし。結果はどうでもいいじゃん。とにかく今、菱本先生、男として正念場だからね、私たちは見守るだけよ」

 ──よくもまあ、舌が廻るよなあ。

 本来、嘘つきは好きじゃないのだが、美里の性格を踏まえるとこれも仕方ないだろう。

 ──まさかな、腹ぼっけにさせちまって、責任取れって騒がれてるなんてなあ。言ったらそりゃ、別の意味で修羅場、だよな。

 タイミングよく、やっとフルーツパフェとチョコレートパフェが並べられた。

 会話は当然、美里とこずえ、ふたりの食欲に断ち切られた。

 しばらくもくもくとパフェに取り組むふたり。


 こずえの見事な手さばきには感嘆する。

 「プロポーズ現場」に遭遇してしまったならやはり、心ある者なら遠慮するだろう。

 もちろん決定後にはひゅーひゅー攻撃するのも悪くはない。

 しかし万が一、しくじった場合のことも設定し、

「あえて知らん振りをしようね」

 と口裏あわせておけば、それはそれで流すことができるというわけだ。

 真実命の美里でも、仮にこの場で、

「菱本先生ってスケベで女の敵よね。全然避妊しなくって彼女をはらませちゃって、責任取れってヒステリー起こされちゃって、何も言い返せないでおろおろしてるの。なっさけない男よね!」

 などとこずえにまくし立てられたら、どういう顔で今後菱本先生と接するかわからない。

 下手したら彼氏の立村と……こいつも打倒!菱本守主義者だ……手と手を取り合い、三年D組最後の大反乱を企まないとも限らない。美里としてはもちろん、立村と運命共同体になれれば嬉しいだろうし、まあ立村も惚れてる女子に共感してもらえるのはまんざらでもないだろう。ふたりのハッピーエンドのためにはベストかもしれないが、しかし。

 ──三Dのためには、古川のやり方がベストなんだ。

 たぶん美里は、菱本先生の結婚決定報告がはっきりしない限り、口にはしないだろう。そういうことについては堅い性格だ。また菱本先生もまさか、自分の男振りを下げる一幕を生徒たちにもろ見られていたとは気付いていないだろう。秘密は貴史とこずえのふたりが口を噤んでいれば守られる。もちろん貴史も、ばらすつもりはない。

 ──けどなあ、なんだこの、脂っこさは。

 さすがに油ものを食うと、ちょっぴり胃が重たくなる。

「ってことで、今の話、内緒にしようね! 貴史、あんたもね」

「あたりまえだろが。言っとくが立村にも、時期が来るまで言うなよ」

 美里は大きく頷いた。

「当たり前じゃない! 立村くんに菱本先生の弱み教えたら、二学期以降とことんそこ突こうとするよ。立村くん、本条先輩に全部やりかた教えてもらってるもん」

 パフェはまだまだ残っている。油のねばねばを少し取りたい。貴史は真新しいスプーンを手に取った。まだ残っているのはこずえのチョコレートパフェだが、正直あまったるそうだ。だったらひとりしかいない。

「美里、一口分けろ」

「やあだ」

「じゃあ、バナナよこせ」

「自分で注文しなさいよ!」

「さすがに俺もこれ以上食えねえよ」

 美里が手でパフェグラスを押さえようとする。上が空いた。隙あり、貴史は素早くスプーンをグラスに刺し込み、見事バナナとアイスとスポンジの三セットを掬い取った。

「羽飛、そんなに食いたいなら、私の分けるのに」

 こずえの好意はありがたいが、遠慮した。

 一口で十分、口の油がすっきり抜けた。

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