第三部 79
──あのなあ、これまずくないか。
いくら卒業間際の雪崩告白現象が起きているとはいえ、まさかあの奈良岡彰子にかまされるとは思わなかった。本人は一切拘りもさそうだし、伝えただけで大満足してスキップして帰っていったが、貴史の後始末は誰一人担当してくれないありさまだった。
家に戻り、部屋にこもり、ぽかんと天井を見上げる。
鈴蘭優のポスターがはがれかけているのが見える。
──やっぱ、優ちゃんが一番だよなあ。
ありがたかったのは、他の女子たちと違い特別付き合いをかけられたわけではなかったことだった。もともと奈良岡は別の高校に進学することが決まっているし、文通とかキスとか求められたわけでもない。ただ伝えてすっきり水洗トイレ状態にしたかっただけなのかとは思う。
だがしかし。
──南雲になんて言うんだろうな。しっかしあいつも別の女子と付き合っておいて、それでこの有様かよ。自業自得といやあそれまでだが、卒業前にこりゃどうするんだ? 修羅場だぞこりゃ。ま、俺には関係ねえよって言いたくたって、関わらざるを得ないってか? どうするんだよ俺。どうするんだよ。
ため息を吐きつつ、つぶやいてみる。
「どうすんだよこういう時。なあ立村」
返事もこだまも返ってくるわけがなかった。
「貴史、電話よ」
夕飯を平らげて部屋で漫画を読みふけっていると、母の声で呼び出された。
「誰だよ」
「知らない男の子、ええと、天羽くんとか言ってたよ」
「天羽?」
珍しい。天羽と付き合いがないわけではないが、電話をかけてきたのは初めてだ。母も知らなかったようだ。とりあえず急いで降りて受話器を握り締める。みなそれぞれの部屋に戻っているし、母も風呂にそのまま入りに行った。誰もいないのはありがたい。
──例の件かなあ。
明日かあさって行われるという、評議委員会と生徒会のあの話の可能性が大だろう。覚悟を決めて挨拶する。
「よお、おひさ」
──どうもどうもおっひさ。羽飛、ちょいと長話に付き合ってもらえるかなあ。
「なんだよ」
脳天気な天羽の声がびんびん響く。
──実は、明日のことなんだけどな。清坂ちゃんからも聞いているかもしれないんだが、羽飛がD組の代行として来てくれちゃったりするって本当か?
「ほんともなにも俺が行かねば話にならねえだろが」
──よっしゃ。そういうこととなったら急ぎで、これまでの展開とお願いしたいことなんぞぺらぺらとしゃべってよいかな。
「しゃべらねえと話がはじまらねえだろ。ま、俺も美里からある程度聞いてるけど、例のあれ、ザ・生徒会との対決だろ」
──よござんす、お話するとしやすか。
何を言いたいんだかわからない口調で、それでも天羽はゆっくりと語り始めた。
──大まかに言うとだ。俺んちの騒ぎを聞きつけてまず動き出したのが教師一群。ここまでは知ってるよな。
詳しくは知らないがあわせておいた。
「美里から聞いてる」
──もともと本条先輩が卒業してから評議委員会の過剰な権力に対してはえらくいらついていらしたご様子でな。俺も正直、自分が評議委員長やるまでこんな面倒くせえことになってるとは思わなかったってことよ。
「お前まじかよ。一応お前立村から聞いてねえのかよ」
──だから、立村がへまやらかす前はあいつひとりで押さえが利いてたんだよ。藤沖ともうまくいってたしな。それがあんなことになっちまってから歯車狂いまくり。あの生徒会長とキリオの登場で生徒会の株上昇しまくり評議委員会信頼がた落ちどうすりゃいいのって奴よ。
そのあたりはだいたいわかっている。
「んで、なんだ、次の展開」
──それに輪をかけて三年評議委員会を巡る愛欲どろどろした昼メロ展開。先生方も自分がひとりでテレビドラマに燃えるならともかく、生徒方のくさいドラマは見たくなかったというわけで、さっそくいい子ちゃん生徒会の肩を持ったというわけ。
「生徒会の肩ったって、そんなもんあるのか」
──あるんだよそれが。立村が藤沖と仲良く話し合いしていた頃は、仲良く分担しようという流れだったんだが、生徒会役員が入れ替わっちまってはそういうわけにもいかねえ。あれだけ人間関係ぐちゃぐちゃしてた連中に任せるよりも、おとなしく言うこと聞いてくれる生徒会に任せたほうが見た目もいいだろ。
「まあそうだわな。お前ら暴れすぎ」
──そう言ってくれるなよ羽飛ちゃん。とにかく過ぎてしまったことはしょうがねえ。けどな、俺たちにも言い分はあるわけだよ。学校側の意見としてはだ。うちのクラスの刃傷沙汰は評議委員会がすべて悪いという方向に持っていこうとしてるんだわ。評議委員会が特別な権限を握っちまって、それがごたごたの発端で、結局はじかれた元評議委員の女子たちが大暴れしたなれのはてってな。まあ否定できねえったらそれまでなんだが、単なる私怨と評議委員会そのものの存在価値を議論するのってなんか間違ってるぞ。
「当事者に言えるのかと俺は問いたいぜ」
なんだか妙なことを言い出している天羽。貴史には把握できない内容だ。A組事変のことを言っているのなら、どう考えたって評議委員連中の内輪もめだろう。否定はできないだろう。悪いがここは先生方の判断が正しいと思う。
──ちゃうんだよ、わかってくれよ羽飛。
天羽はかみ締めるように繰り返した。
──そりゃ、俺は西月にひでえことしたと思う。俺が刺されるならしかたねえ。評議委員同士だったということが原因だったらしゃあねえ。けどな。よっく聞いてくれ。どうも周辺の話を聞くと、西月が近江ちゃんに襲い掛かったのは評議委員がらみの話じゃねえみたいなんだよ。どういうことかわかるか。
全くわからない。わかれったって無理だ。
「じゃあ説明しろよ。俺からしたらどっちだっておんなじじゃんって思うけどな」
──オッケー。つまりだ。俺が言いたいのは、西月の行動は決して評議委員会のごたごたが原因じゃないんじゃねえかってことなんだ。俺も確認できてねえからわからねえけど、その前後にキリコの自殺未遂情報があっただろ。あの前後に生徒会のお姉ちゃんたちと西月とが一戦構えていたらしいという未確認情報がどこかから流れてきたわけだ。
「それどこだよ」
──立村のお気に入りの、あの怖い女子。わかるだろ、お前も。
「あいつか」
不気味なほど胸のでかいあの女子が頭の中に浮かんだ。
──つまり杉本が事情を把握しているらしい。こういう時に現在溺愛中の立村が動いてくれりゃなんとかなるんだがな。
「一応、立村E組にいるぞ。あの女子とも毎日顔あわせてるだろ」
立村の話が出てきたのをよいことに、貴史もくらいついた。
「うちのクラスもめちゃくちゃややこしい事情あるから、あいつのこと放置してるけどな。けど、E組にいるならその事情全部聞き出せねえのか」
貴史を始めD組連中が様子を伺っている中、天羽が行動を起こしているとは思えない。だが確認する意味はある。天羽はすぐ答えた。
──あいつが戻ってきてから話はした。立村にその気はある。
「なんだと?」
むき出しで尋ねてしまう。天羽は自信ありげに断言した。
──立村なりに俺たち評議のことを考えてはいるみたいだ。トドさんとも話をしていたようだしな。ただ、あいつの精神状態でどこまで復活してくれるものやら。正直、期待はしてねえよ。
天羽の言葉は半分以上耳からすり抜けていった。
──立村に、その気はある。
貴史たち三年D組の奴らが何一つ出来ず手をこまねいている間に、すでに天羽が一歩立村に踏み込んでいる。そしてそれを受け止めているらしいとも。
──まじかよ。あいつ、E組でいじけてるんじゃねえのかよ!
知らず知らずのうちに胃のあたりがよじれてくる。気持ち悪すぎる。
「おい天羽、それ、いつだ」
──あいつがE組に篭ってからすぐ。様子がおかしいという噂聞いてたが、俺たちも切羽詰ってたからな。直接E組に会いにいった。そいで、ちゃんと中庭で話し合いした。
まさか、菱本先生と美里の三人が真剣にあいつのことを見守るよう決断している裏で、天羽は勝手に動き、立村の心を動かしている。そんなこと絶対できないはずなのに、やり遂げている。手に汗がにじむ。冬なのに。
──言っとくがそれが最初で最後だ。俺もその後うちの担任から止められてあいつには近づかないようにしてる。だがあの時、立村ははっきり言ったぞ。俺たちを助けたいってな。だから、たぶん、何とかしたいとは思っているはずなんだ。
「あいつ俺の顔見て全力で逃げ出したがな」
悔しさがにじんでしまう。みっともないったらない。天羽は電話の向こうで笑っている。
──まあ、うちの担任が立村のこと面倒みていたみたいだし、俺もそのA組の生徒だしそのあたりの差はあったのかもな。明日のことでもあるしそいで、ちょいと相談があるんだけどな。羽飛。
いきなり声音が変わった。貴史も用心する。
「なんだよ」
──お前の意見聞きたいんだよ。明日の最終決戦で、立村に声をかけたほうがいいかどうかってことなんだがな。担任およびD組の連中は立村に近づかないほうがいいという判断でいるし、本来なら俺もそれに従ったほうがいいとは思う。けど、あいつは確かに俺とトドさんに言ってくれたんだよ。俺たちを助けたい。そうさせてほしいってな。
「本当に、そう言ったのか」
確認を何度もしなくては、信じられない。あの立村だ。
──神に誓って、そん通り。
「んで、立村を引っ張り出してどうしたい」
──さっき言ったろ。俺は立村がなんかしてくれることを期待しちゃあいねえ。俺があいつに会いに行ったのは、立村が評議委員の盟友だってことだけだ。今は俺が評議委員長だし俺ひとりでなんとかしねばなんねえ。難波も更科もいる。立村がいなくてもなんとかなるっちゃなる。いざとなったら生徒会相手に切った張った勝負かける覚悟はある。けどな、お前どう思う。立村の立場として、俺たちの評議委員会が崩壊しちまうのを知らねえままでいるって。あいつがいくらめげてても、気づかぬうちに終わっちまうのはやだろ。
「それだけかよ」
──ま、俺のセンチメンタルなハートから言っちまうと、三年男子評議四人組が最後の最後にきっちり顔をあわせたいというただそんだけだけどな。羽飛ががんばってくれるのはわかるしありがてえとは思う。けどな、この三年間、俺たちは四人だったんだ。それだけは本当なんだよ。わかってくれるか、羽飛。
何を言いたいのかわからない。何を目的としているのかがわからない。ただ天羽が立村のことを仲間だと思っている、それだけは伝わる。
「じゃあなんだ、天羽のご希望はどれなんだよ。俺が顔出すだけじゃだめなんだろ」
──そういうわけじゃねえって。三年D組のクラス代行がおまえなんだから出ないとうそだろ。
また矛盾したことを言い出す天羽に、貴史は畳みかけた。
「立村を、最後の決戦にひっぱりだしたいんだろ。つまりはそういうことだろ」
先ほどの饒舌とは打って変わって黙りこくる天羽に、さらに、
「あいつが戦力になるかどうかは別として、評議委員会が最後にとどめさされるとこを、天羽としては立村と一緒に見届けたいと、そういうことだろが。じゃあなんでお前、自分で会いに行こうとしねえんだよ。現にお前、あいつとしっかり話したんだろ。いい返事もらったんならお前がいきゃあいいだろ。なんで俺に電話かけてくるんだよ。俺、部外者だろが」
──羽飛、ちゃうちゃう。
またのんびりした口調でやりかえす天羽。
──お前、まだ立村ときっちり話、してねえだろ。
「はあ?」
嫌味にも聞こえるその言葉。きっと尋ね返すと、
──明日、悪いけどなあ、難波とふたりでE組へ立村訪問して、連絡入れてもらえねえかな。俺が行くのはなんか違うんだ。たぶん立村、いろいろ気まずいことありすぎて引っ込んじまってるだけなんだよ。俺が引きずり出しても、あいつは他の奴らが無視してると思い込んでまた篭っちまう。むしろお前と、それからホームズ難波の方が適任者だと思うんだけどなあ。
「なんで難波が?」
意外な名前に少し引く。
──難波も今、一番しんどい時なんだわ。ご存知の通りキリコ騒ぎでごたごたしているしな。それにこう言っちゃなんだが俺としちゃあ、難波にも立村とじきじき勝負するチャンスをやりたいんだよな。あのままだとなんだかお通じすっきりしない状態で卒業しちまいそうな気がしてな。んで、今回、ホームズにも話しとくから、昼休み、ちょいとE組に挨拶してもらえねえかな。
初めて天羽の狙いを知った。
──こいつ、すげえ、すごすぎる。
立村が繰り返し「天羽が本来は選ばれるべきだった」と繰り返していた意味がやっと把握できたような気がする。
──天羽、すべて把握してたってことかよ。E組にこもっちまった立村を、俺たちD組がどうすりゃいいかわからねえって頭抱えてたことも、あいつが戻りたくても戻れなくてタイミングつかめねえってことも。みんなお見通しってことかよ。
ついでに言うなら、難波と立村との間の不協和音も、生徒会のやり口の裏も、すべて理解したうえで動いているということだ。
「天羽、お前なあ、まさか」
──言うは野暮野暮。あまり深く考えなさんな。ま、俺もこれで残念な評議委員長の烙印を押されちまう運命だと分かってるけどな。まだまだ表舞台はありますぜってとこ。ほら、知ってるだろ。卒業式の一発芸もそろそろ仕込まないとならねえし、生徒会に権力ふんだくられたって評議委員会の仕事はまだまだあるってことよ。まあそんときは羽飛にも協力お願いするんじゃねえかって思うんで、その時はよろしくってとこで、じゃあな。
「んじゃ、おやすみダーリン」
──おやすみハニー。
最後は意味もないネタ挨拶で締め、受話器を置いた。握り締めた手が震えた。
──こんな奴が同期で、そいで立村はひとりで評議委員長だったわけかよ。気配りばりばり、計算もしっかり出来るあいつの上に立ってやらねばなんなかったんだ。立村はたったひとりで。
想いを馳せた。電話一本で貴史にも伝わるのなら、三年間一緒に過ごしてきた立村のことだ、天羽の力をいやというほど感じてきたに違いない。本来長になるべき相手が隣りにいて、なぜか自分が過剰評価されている立場。はるかに手際よく、賢い天羽を側に見ていた立村がなぜ、「大政奉還」を言い出したのか。
──なんでもっと早く、気づいてやれねかったんだろな。