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第二部 67

 貴史は立ち上がったまま、ただただ菱本先生の口元だけ見つめていた。

 ──ちょっと待てよ、先生、おい。

 何か言いたいのに言葉が即座に出て来ない。

 さっきまで何を考えていたのかすら覚えていない。

 手を挙げたのはひとえに本能だった。ぐいと椅子の下から手が出てびっくり箱状態で飛び上がったようなもの。言葉も口からこぼれる瞬間まで考えてもいないことばかりだった。

 ──俺が、評議をやらなかったのが、すべての原因かよって、なんだよそれ。

 周囲の女子たちがささやき声で「そうだよ、そうだよ」つぶやくのすら、貴史の耳には「言葉」として届かない。今までいやというほど言われていたことだとわかっていても、認識がうまくできない。

 ──俺が、立村を追い詰めたのか。んなばかな。


 菱本先生はしばらく貴史の様子を伺っている様子だったが、すぐに話を続けた。クラス連中の顔は貴史の見える範囲においてみなまじめすぎるものだった。

「ショックなのは分かっている。このあたりの舵取りは本来なら担任として、教師として、いや大人として俺がすべて行うべきことだったんだ。羽飛が悪いわけじゃない。それどころか俺の気づかないところで誰もが自分のベストを尽くしてきていたことは今この場所で証明されている。誰もが一生懸命だったんだ。だからみな、うまく行っていると思い込んでしまったんだ。誰も、責める権利なんてないし責められる義務もない」

 俯き、じり、じりとつぶやく。また顔を上げる。

「さらに俺の読み違いは改めてここで証明されたことになるんだ。いいか、俺は確かに立村にとって評議委員という立場は荷が重過ぎると思っていた。それは今も考えを変える気などない。ただ、立村が自分の限界を超えようとしてあがいたことにより、俺が予想していた以上の結果を出していた、これも事実なんだ」

 不満そうなつぶやき。これはさすがに貴史の耳にも届いた。女子たちからだ。

「女房役だった清坂が話した通り、立村は自分の立場と現状の評議委員会を比較しながら、なんとかして立村自身のように追い詰められた生徒たちが呼吸しやすい場所を作ることはできないかを模索していたようだ。本人は意識していないかもしれないが、遠くから見ている限り俺にはそう感じられるんだ。その、なんだ、「大政奉還」か。典型的だろう。読み解けばそれは、ひとつの組織ではがんじがらめになるのを、他の組織と協力し合うことにより誰もが幸せになれる場所を作ろうとしていたからだろう。評議委員会をはじめとする現在の組織は、正直、いびつに見える。一部の委員特権を持った者だけではなく、一般生徒にももっとメリットのある方法を探し当てて行動した立村の判断は、十分意味があると思う。もっとも、清坂はこの件が立村の思った方向に進んでいないように見えたようだが、第三者からすると少しずつベストな形に動いてきていると思う。今の委員長がA組の天羽だよな? 天羽および生徒会に全権を任せたことによって、立村が考えている以上の成果を挙げていることは理解したほうが俺はいいと思う」

 半分以上関係者でないと分からない内容を熱く語る菱本先生。申し訳ないが貴史には半分以上意味不明だ。美里からあとで聞きださねばならない。

「その他、立村が全力で取り組んできた評議委員長としての功績は、決して否定されるものではない。また須崎や国枝、南雲や清坂が語ってきた立村のクラス内における努力も、受け入れられるものではなかったにせよ、本人のためには決して無駄ではなかった。あくまでも、『本人のため』だがな」

「先生、なんですかそれ、『本人のため』以外になんかあるっすか」

 またねじ一本抜けたような南雲の声が飛ぶ。真後ろを見やりにらみつけてやる。そ知らぬふりしてやがる。何をしたいのかこいつの考えが、貴史には最後までわかりそうになかった。

「南雲、鋭いつっこみだ。つまり今まで立村が努力してきたことは、立村本人のためにはもちろんプラスになる。高校に進学してからもきっと支えになるとは思う。だが、今まで二時間語り続けてきたことをまとめると、D組のためには決してそうではなかったことも確かなんだ。覆水盆に返らずとはこのことだが、もしこのことを二年前に見通していたら、俺は委員会という組織について教師間でもう少し議論してクラス外の渉外委員を作るなどの対応をしていただろう。つまり、評議委員は羽飛において、立村はその渉外に置くといった形だ」

「しょうがい?なんすかそれ」

 また突っ込む南雲。よっぽど真正面からぶったたいてやろうかと思うが、今の貴史はただ突っ立ったまま菱本先生の顔を見据えるしかない。

「つまりだ、クラスの中をまとめて代表としてもって行くのが評議とするならば、渉外は外に出た委員たちの情報をそれぞれつないでいく仕事だ。その情報をつなぐのはもちろん教師への情報も含まれる。たとえば評議はこの教室の中だが、廊下を歩いているのは渉外だ。中のことに口出しはしないが、隣のクラスに出来上がった紙を運ぶのが渉外といえばいいか」

「要するに営業とか、セールスマンのことですか?」

「そうだ南雲。それに近い。商品自体は完成しているが、それを売り込んだり説明したりするのは営業の仕事だ。ついでに言うならそこから新しいビジネスを作り出すというのもあるが、まあそれは話が全く別になる。さっき俺は清坂の話を一通り聞いて、もしかしたらクラスとは直結しない形で立村を動かしたら、もっと高く評価されたのかもしれないと思ったんだ。そして同じような適正を持つ奴は他のクラスにいくらでもいるはずだ。クラスメイトとはなかなかうまく行かないが、外に出すと水を得た魚のように泳ぎまわるタイプの奴がな。もしかしたらそこで、立村だけではなく同じくクラスでくすぶっているタイプの人間を救えたんじゃないだろうか、そう思わずにいられないんだ」

 菱本先生は腕時計を覗き込んだ。時刻を確認している。

「もうそろそろ制限時間もいっぱいだ。俺が言いたいのは過去のことではないんだよ。あと一ヶ月とかお前ら口癖のように言うが、まだ一ヶ月あるんだぞ。まだあと一ヶ月も、あるんだぞ。そう考えれば何かが絶対にできるはずなんだ。こうやって噴出してきた違和感をこのままにして、卒業させるわけには行かない。もちろん俺はこれから立村と改めて向かい合っていくし、ここで出た残酷だが辛い事実を伝えたい。同時にクラス全員がぎりぎりまで納得した形で卒業できるよう最後まで手を尽くしたい。そのためにあえてここでお前らに頼みたい。改めてこの一ヶ月、古川が提案した通り、羽飛でこのクラスを持っていく方向で進めたいんだが、どうだろう、認めてくれないか」

 ゆっくり、教壇を降り、貴史に近づいてきた。一歩一歩、重たく足を運んでいる。

 いつものからからとした軽い感じではない。そのくらい伝わる。

「羽飛、受けてくれるな」

 目と目の高さをあわせるように腰をかがめ、唇をかみ締めながら菱本先生が語りかけてきた。逃げられなかった。


 ──どうすりゃいいんだよ。

 また女子たち中心で「ほら、OKしちゃいなよ」「早く帰りたいんだから」「もう、早く終わってよ」摺り寄せるような声がする。

 ──美里、どうしてるんだよ。ったく何とか言えよお前。結局お前が大演説したことがここにつながっちまってるんだろが。お前の彼氏だろあいつ、あいつを守るつもりだとか言ってたくせに、結局ここに行き着くってなんか間違ってるだろ、絶対に。

 横目で美里の様子を伺う。他の女子たちに混じって黙って貴史の様子を伺っているようだった。能面のままであることには変わりない。すっと立ち上がるのが見えた。

「美里?」

 こずえがびっくりした風につぶやく。すぐに奈良岡も「美里ちゃん?」と、男子たちも「清坂?」それぞれが美里の名を呼んだ。無視して美里は貴史に近づいてきた。これは追い詰められそうだ。貴史の答えを待つ暇がない。


「菱本先生、ワンマン過ぎます。先生の言い分はわかったけど、クラスの総意とんなきゃ、だめでしょ」

 美里はまず貴史を一瞥した。変わらぬ顔でもって貴史の前に立ちはだかった。菱本先生の間に挟まる具のような形になる。そのまま菱本先生になだめるよう語りかけた。

「クラスをまとめるのが評議なら、今日ここにいる評議は私だけです。先生の言い分はわかりましたし、従う覚悟は私もあります。けど、クラスのみんなから決を取る必要、ありますよね? 最終確認取ります。先生、まず座ってください。えっとそれと」

 振り向き、貴史と真正面に向かい合った。黙って左の肘を握った。有無を言わさずに貴史を教壇に引きずりあげた。「ひゃーこええ」「清坂怖すぎ」とつぶやくのは男子の主だった連中で、金沢と水口も顔を見合わせて震え上がっているのが見え見えだった。

「これ終わったら今日のロングホームルームは終わりです。帰っていいんで、これだけクラスの決を採らせてください。今の菱本先生の案ですけど、要するに立村くんではあと一ヶ月のクラス運営は無理があるから、貴史、ええとあんた苗字なんだっけ」

 貴史は黙って美里の手を振り払った。

「えっと、羽飛、羽飛くんに任せたいとの判断です。私たちは生徒ですから義務として従う必要はあります。けどほんとにいいですか? 急ぎですけど多数決で行きます。一票でも超えていれば、それで結果出します」

 また無理やり貴史の腕を引き寄せ、さっきまで自分が立っていた教卓の真ん中に立たせた。その手を教卓の上に置かせた。

「おい、なんだよその無理くり加減はよ」

「黙りな、覚悟決めな」

 貴史にだけ聞こえる蓮っ葉な口調で美里はささやき、もう一度大声でクラスメートに呼びかけた。

「それでは、挙手一発で決めます。では菱本先生の案通り、これから一ヶ月、羽飛くんに評議委員の仕事を任せたい人、手を挙げてください」

 その声と同時に授業終了の鐘が鳴った。はじかれるかのように、女子全員の手がひらひらと上がるのを貴史は見た。こずえが、奈良岡が、玉城が、その他男子が数人。南雲はその中に入っていなかった。

「これで決定です。鐘も鳴りましたし、明日改めて話し合いを行いたいと思ってます。みんな長い時間ありがとうございました。たぶん明日、立村くんも来るだろうし、その時に全員でもっかい、話し合いする機会作ります。先生、私の言いたかったことは間に合わなかったので、その時にもっかいいいですか?」

 美里は声を張り上げた。手を打ち鳴らし、号令を教卓からかけた。

「起立、礼、着席」


 今まで押さえつけてきたものが瞬時にあふれ出たようだった。菱本先生はただ呆然としているようだった。美里の号令に思わずふかぶか礼をしてしまうくらいだから、相当なものだろう。貴史も教卓に手を付いたまま、口をあわあわさせているだけ。男子連中は生徒も先生もぽかんとするのみ、女子たちが一部は外に駆け出し、また一部は貴史のいる教壇に駆け寄ってくる。一部……男子も恐る恐る寄ってくる。美里はまだ教壇で貴史を見つめたままだ。能面ではなく、少しほっとした風に緩んでいるのは見えた。

「美里、お前なあ、何考えてるんだよ!」

「女子全員、それと男子が三人。多数決、成立してるよね」

 怒鳴る貴史に、美里はあっさりと答え、周囲にかたまった女子連中へまずは声をかけた。

「お疲れ様。これでみんなの望む形になったと思うけど」

 少しだけ唇を噛んでいる。そのまま又見渡した。

「こずえ、彰子ちゃん、ありがとう。それと」

 玉城を探しているようだった。すぐ後ろに、杉浦加奈子と共にいた。

「玉城さん、これでいい話し合いになったでしょう」

 あえて杉浦加奈子の存在は無視したかのようだった。すぐにこずえが割り込んだ。貴史には触れないがごとく、

「菱本先生も言ってたけど、これで一歩、前に進めたと思うよ。美里もよくがんばったね。えらい子えらい子」

 教壇に乗り、美里の頭を軽く叩いた。ふだんなら軽くいなしあうのが美里だが、今はそんな気分でもないらしい。首を振った。

「まだ全然終わってないよ。まだこいつとの話し合い終わってないし、文集のことも終わってないし。まだやることいっぱいあるもん。それにね」

 奈良岡に呼びかけた。

「文集委員楽しみにしてた彰子ちゃんには本当に申し訳ないけど、こういう事実がある以上、私、どうしても文集に班ノートを利用することは賛成できないの。はっきり言えばよかったね。ごめん」

「ううん、わかったよ。美里ちゃんが全部話をしてくれたからね。それだけで私はうれしいよ」

 この修羅場二時間にも関わらず最後まであんまんの微笑みは崩れなかった姫・奈良岡彰子は美里を軽く抱くようにした。身動きしない美里に語りかけた。

「加奈子ちゃんとの間の誤解が解けて、本当によかった。加奈子ちゃんもね」

 その言葉を聞くや、美里は首を振った。今度はおずおずと様子を伺う杉浦加奈子に近づいた。表情は硬かった。

「加奈子ちゃん」

 一声かけ、しばらく黙った。女子たちがみな、遠くからも観察しているのが伺える。

「あのことは、私が悪かったと思ってる。けど今はまだ、私の心狭いから、すぐに元通り仲良くできるとは思えないの。時間がほしい。ごめんね」

「清坂さん」

 小声で返事をしたのは杉浦だった。小さく頷いていた。玉城がいまいましげに美里を見つめている。

「まだ、七年あるはずだから、待ってる、待ちます」

「ごめんね」

 もう一度謝った後、美里は貴史にようやく向き直った、

「ということでなんだけど、貴史、あんたとはこれから詳しい話詰めるからね。今日これから時間ある?」

 いつのまにか菱本先生が顔を出していた。貴史に何か言いたげに口を開いている。声は出ていない。

「あのな、羽飛、いきなりで驚いたかもしれないがな」

「悪いけど先生、今私が話しているんだから割り込まないでください!」

 きっと美里は言い返した。もう一度片腕を取り、もう一方の手を教卓に置いた。今、そこにいる全員が見守っていた。

 ──やべえ、なんだよ美里。人間の顔に戻ったら、今度は俺を攻め立てるのかよおい。

「美里、この展開俺思いっきりついていけてねえんだけどな」 

 貴史も片手で菱本先生に「黙ってろ」の合図を示した。ここは美里との対話にならざるを得ない。

「ひととおり話は聞いた、お前の言いたいことや先生や他の奴の言い分もよっく分かった。けど、肝心の俺の意見、全然聞いてねえだろ。それに張本人の」

「わかってる。あんたの言いたいことはよっくわかってるよ。納得いかないよね。そりゃそうよ」

 あっさりと美里は認めた。扉を誰かが開き、こちらを覗いている。まだ先生もいる教室で、あきらめて通り過ぎたようだった。

「でも、クラスの意見半数以上はあんたを評議で動かしたいと思ってる。これは事実なんだから、それは認めなさいよ。数字、なんだよ」

 ひと呼吸置き、貴史は首を振った。

「よっくわからねえ。ここで俺が評議の代わりになっちまったとして、現段階での立村はどうなるんだよ。学校休んでる間に気が付けば俺に席分捕られているなんて夢にすら見てないぞ」

「わかってる。あんたの言いたいことはよくわかってるって。だからこずえも言ってたじゃないの。首を挿げ替えるんじゃなくて、クラスの中だけはきっちりあんたに切り盛りしてもらい、立村くんは渉外の役割に徹してもらうのが一番だって。それだけよ。それとねもうひとつ、大切なことがあるんだけど」

 美里は教室の窓ガラスを眺めた。いつのまにか吹雪いている。風が窓を揺らしている。菱本先生が「これは積もるな」ぼそっとつぶやいた。

「あんたがどういう立場になったとしても、まず立村くんとさしで緊急、話し合う必要があるよ。あの人がどんなに逃げたって、とっ捕まえて昨日のことは謝るとか、それが終わったあとでこれからのこととか、いろいろあるよ。このままだと今日ここにいて話し合いをした人たちは納得しているかもしれないけど、立村くんはひとり取り残されたままなの。立村くんが露骨に嫌がっても、私たちはとことん話し合って、ずっと友だちでいたいって伝える必要あるの。その時にあんた、ただのけんかしてぶん殴った友達ってだけじゃない、クラスの代表としてみんなの意見を背負ってきたんだってことを伝えるのとでは、立村くんも耳の傾け方が違うと思う。私、絶対そう思うんだ」

 いつのまにかギャラリーはクラスメートほぼ全員揃っていた。早く帰りたがっている奴がかなりの数いたはずなのにどういう風の吹き回しなのだろう。右手の握りこぶしを軽く振り、昨日張り倒した時の感覚を蘇らせた。確かにあれは本当だった。

「お前言えるか? 昨日の今日だぞ」

「だから、言わなくちゃいけないの。今の話でわかったでしょ。立村くんがどれだけ努力してきたか、でもクラスでは女子から人望なくってぜんぜん伝わらなかったんだってこと。友だちとしてはあと七年間、高校と、うまく行けば大学までつながっていけるよ。でもクラスとしてはあと一ヶ月なんだから。先生がまだ一ヶ月って言ったけど、『まだ』にするためには一番ベストな形にまとめていく必要があるの。立村くんじゃ、今のD組の全員を納得させることはできない。ほんっと、私、そう思ってる。立村くんなら『もう一ヶ月』になっちゃうの」

「じゃあ俺なら、『まだ』になるってのか」

「なるよ、絶対に」 

 美里は即答した。

「友だちとしてではなくって、ただの評議同士相手だったら、もっと早い段階で私はそう判断してたよ。悔しいけど、玉城さんや菱本先生の言い分に納得できちゃうとこあるもの。あんたと同じく私もA級戦犯だから。クラスよりも友だちとしての付き合いを優先してきたところは、確かにあるもん。それは謝らなくちゃいけないよね。ごめんね」

 貴史に対して謝ったわけではなさそうだった。目を伏せていた。

「たぶんあんたと評議委員やってたら、今まで起こったことの半分は何もなかったかもね。小学校の時から、あんたと組んでしくじったことってほんのちょびっとだよね。そう考えれば立村くんとしてきたことの半分は怒らなかった可能性、確率的に高いよ。それなら今こそ、その確率利用しようよ!」

「確率? サイコロじゃあるめえし」

「ばか! 冗談で言ってるんじゃないんだからちゃんと聞きなさいよ!」

 同時に机を思いっきりたたきつけた。痛みを顔に見せてはいないが声がとがってきた。

「立村くんのことだけじゃないんだから! これから私たちがやんなくちゃなんないのは卒業文集のことだってあるし、卒業式の時の代表としての一発芸とか、その他いっぱいあるんだよ。たぶん、今の状態だったら立村くんに責任持ってやらせるのは絶対無理。だったらあんたがそれを仕切ればいいよ。みんながあんただったら受け入れるって言ってるんだから。その代わりクラスに関係ない、たとえば生徒会と評議委員会との交渉とかそういうのは立村くんに任せればいい。居心地悪いクラスのこと面倒見なくてもいいんだったらもっと立村くんだって楽になるよ。本当はそれじゃだめだってことわかってるけど、そこが『あと一ヶ月』なの。そういう環境にするために、そう、『まだ一ヶ月』にするためには、貴史、あんたがクラスをまとめる必要があるの! あんたしかできないの!」

 

 ──まじ、美里、怖い。

 貴史よりはるかに背の低い美里が、一歩貴史に向かって踏み出した時の、わけのわからぬ圧迫感で息が詰まりそうだ。上から見下ろされているような、そんなわけないのに押しつぶされそうなほどの、美里の身体にまとわりつく空気。美里は吹雪を背負って貴史に迫ってくる。窓ガラスをカーテン代わりに白く埋めている。誰かが蛍光灯をつけた。

 ──お前、本気で言ってるのかよ? 立村を下ろして、本気で俺を?

「そうだよ、あんたしかいない、あんたならできる!」

 心の声が聞こえたわけでもないのに、美里の口からは答えがもれる。

「あんたなら、クラスのみんなを納得させられて最高の三年D組に仕立てられる! 立村くんともちゃんと仲直りできるし、あと七年間絶対楽しく友だちでいられるよ! 嫌われ者でなくちゃんとクラスメートとして、立村くんと卒業式に出られる! 信じてないなんていわないよね? いい? 生まれた時から知ってる私が言ってるんだよ! 信じなさいよ!」  

 いつのまにかギャラリーは教室外にも増えていた。美里の絶叫じみた言葉は全校生徒に響き渡っているかもしれない。美里も気づいていないわけはないのに、貴史だけを見据えて訴え続けている。受け取るしかないのか、それとも。

「それとも、私が言うんだったら信じられない? 鈴蘭優でなくちゃだめ?」

 ──どうした美里、お前。

 火が点いた。何かが動いた。貴史の中の「山」が確かに動いた。


 ──お前の言うこと、信じられねえわけ、ねえだろ。

 ──ちびの頃から、当たり前だろ。


「美里、もう黙れ。わめかねくてもよくわかったから」

 机を叩いた美里の手に目を向けた。赤かった。もう片方の手がまだ貴史の腕にしがみついていたので、それをはずした。

「俺は立村の友だちだし、評議を奪うとかそういうことはしたくねえよ」

 さっぱり、あっさり、伝えるつもりだった。

「けど、あいつが戻ってこれない三Dにもしたくない。みんな最高気分で卒業したいのは当然だわな」

 菱本先生に一歩近づいた。見上げた。菱本先生の背中も吹雪が背景に見えた。

「明日、あいつがきたらちゃんと話し合います。俺なりに昨日のことについて謝るつもりでもともといたし。けどこのままじゃまずいってことは俺もよっくわかってるから、俺と美里とできっちり話はする。先生をはさんだらあいつがいじけるのもいつものパターンだし、できれば最初だけでも俺たち三人で話、したいんだけどそこまでは、いいですか」

 慣れない敬語で舌をかみそうになる。頷いてくれている。美里も貴史から目を離さないでいる。

「三学期に入ってからは俺も仕切る機会増えてたし、その延長って形でよければたぶんあいつも納得してくれると思う。もちろん外では立村が評議であるというとこは譲らせないけど。でも、今日二時間話し合ったことまとめて、俺の意見も含めて、まずは全部明日ぶつける。もしそれでうまくいかないようなら、もっかいロングホームルームの時間もらうか放課後一時間もらうかなんかするかもしれねえけど」

「羽飛、そうか」

「けど、これだけは譲れないんだ」

 ギャラリー全員に呼びかけた。

「俺は、立村と友だちでずっとい続けたいから、これからのことを引き受けたってこと。これは絶対に変わらねえ。その延長でいいクラスにしてみんな笑顔でいられるようにしたい、そのためにこれから動く。それでもいいんだったら」

「いいに決まってるじゃん!」

 明るい声が飛んだ。今まで黙っていたこずえだった。一緒に奈良岡も満面の笑みで頷いている。

「あんたひとりでがんばるわけじゃないんだよ。美里だっているじゃん。それに私だってさ、ね」

 投げキッス、一気に場がいつもの下ネタモードいはや代わり。あわてて菱本先生が呼びかける。

「おっと、ここまでだ。古川、だいぶ暗いがまだ午後だぞ。下ネタはお断りだぞ」

「あーら残念!」

 午後、初めての、腹の底からの大爆笑が沸き起こった。遠く廊下からもその笑いは響いていた。貴史はそっと美里に振り返った。頬を確認した。やはり、片手で目をこすっていた。思ったとおりだった。これがいつもの美里だった。

 ──美里と組んでしくじったことなんか、ほとんどねえだろ。だったら大丈夫だ。俺も、美里も、それと立村も、絶対にうまく行く。


 突如、飛び込んできたのは教頭先生だった。

「菱本先生、少々よろしいですか」

 あまり騒ぎ過ぎてご機嫌損ねたのだろうか。青大附中は校長先生、教頭先生ともに悪役ではない。ただの先生の延長上にあるだけ。こんな時に青筋立てて飛び込んでくるような立場ではない。多少の騒ぎは大目に見てくれるはずだった。

「どうしたんだろ」

「さあ?」

 まだ帰ろうとしないクラスメートをよそに、菱本先生は廊下に出た。耳元に何かをささやいている教頭先生が、生徒たちをぐるりと見渡し、やりきれなさそうに俯き、そのまま廊下に駆け出していく。緊急の用らしかった。

「先生、どうしたの」

 水口が脳天気に尋ねる。みな、今度は菱本先生の周りに集まった。

「まさか今日のことでお説教?」

「謝るよ、それなら」

「今から校長先生のところに私たち付き合うよ」

 明らかにみな勘違いした問いかけをしている。貴史も美里と顔を見合わせた。

「先生に何か事件が起きたのかな。たとえば家族とか」

「まっさか」

 やがて菱本先生は教室に戻り、扉を閉めた。放課後なのでもちろん突っ立ったままみな、先生の言葉を待っていた。

「緊急の職員会議なんだ。感動をもっと俺も味わいたいんだが、続きは明日にしような。羽飛、清坂」

 教壇に上がり、菱本先生はまず美里に大きく頷いた。続いて貴史に向き直り、

「引き受けてくれてありがとう。俺も清坂と同意見だ。お前でしかこの難局を乗り切ることはできない。立村のことは、俺も一緒に考えよう。とにかく、明日ゆっくり話し合おうな。ちゃんと時間は用意する」

 両手を肩に置き、もう一度、軽く揺らした。

「合言葉は、『あと二ヶ月』だからな」

 それだけ言い残し、菱本先生は脱兎のごとく教室から駆け出していった。



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