第二部 66
\ 三年D組全員が着席した状態で、菱本先生はまず、両手を教卓の上に着いた。
いつもの「お説教タイム」が始まる合図だ。
じっと生徒たちを見下ろしてから、
「ここまでとことん本音で語り合ってもらったわけなんだが、よく考えるとこれは三年間このメンバーと過ごしてきて、初めてのことかもしれないな」
まず切り出した。
「俺は今まで顔あわせてきた生徒全員に対して、『本音で語ってくれ』と命令してきた。一度も言われなかった奴は、たぶん、ゼロじゃないかというくらいにだ」
──俺は言われなかったなあ。
貴史はひとりごちた。言いたいことが分かるのでその辺は飛ばす。
「それが伝わった奴もいればそうでない奴もいた。だが、俺が担任した生徒たちには、表を繕った話を一切してほしくない、そう思っていたんだ。もちろん人間だから嘘をついてしまうこともあれば、ついごまかしてしまいたくなる時もある。それでもやはり、最後はみなすっぱだかの気持ちですべてを打ち明けてほしかった。なぜかというと、人と人がわかりあう究極の方法とはすなわち、本音のぶつかり合いに他ならないというのが俺の持論だからだ。それはわかるよな?」
──うーん、先生、悪いが例外いるぞ。
つっこみを続けつつ、貴史は両腕を机に載せて、がっちりと両手を組んだ。
「今ここでありとあらゆる意見が飛び出した。今の段階では事実として断言しきれないことも多々あるがそりゃしょうがない。全員が揃っているわけでもない。ただ、三年D組の現在において、最新の本音をぶつけ合えたのもまた事実じゃないか」
誰も何も反論しない。本音、それは確かにぶつけ合えたのだから。
菱本先生は真正面からそのまま語る。
「これから整理していく必要のあることもたくさん出てきている。問題そのものはこれから片付けなくてはならない。だが、その前に俺は言いたい。よくぞ、本当によくぞ、お前ら真剣に、まるのままの本音をさらけ出してくれた! よくやった!」
褒め言葉にも反応がない。貴史ももちろん何も言わない。
──あまりにもなあ、先生、軽くねえか。
たぶんみな、同じことを考えているんじゃないかと思う。菱本先生が何を語り掛けたいのかうすうす分かっているような気は、貴史もする。何度も立村を「お前はなんで本音でぶつかろうとしないんだ!」と叱咤してきたことを考えると、その真理こそ正しいと自信を持って言い放てたことがうれしくてならないのかもしれない。
「もちろん俺なりに思うところはある。お前らの判断が間違っているのではというところも正直感じている。大人として、青大附中の教師として許していいのか、と問いたくなることもある。だがな、お前たちがこの二時間熱く語った言葉そのものは事実関係がどうであろうと現段階での真実だ。それをさらけらせれば、ここから先はどんな展開が待ち受けていたとしても、必ず路は開けるはずだ。俺は絶対にその真理を譲らない!」
熱血菱本先生の道もまた、卒業まで同じスピードで進んでいく。
叫んでその後、菱本先生は息継ぎをした。
本音かどうかはともかく、全員が固唾を呑んでいる状態ということだけは確かだ。
貴史は美里に目を向けた。やはり、同じだ。無言で菱本先生を見据えている。
「ではここでだ。俺なりの本音を改めてぶつけたい。うっとおしいと思われるのも承知だが、どうせこのクラスはあと二ヶ月でおさらばだと思えば、少しはがまんできるだろ?」
自嘲気味につぶやいた後、
「まず問題の根っこがどこにあるのか。そこから行こう。古川や玉城が言い切った通り、俺もこの件は一年入学時の評議委員選出がすべての発端だと思う」
じりりと、貴史を見据えた。にらんだ。打ち据えた。
言葉が出なかった。
「まず、立村がなぜ評議委員に選ばれて『しまった』のか。まずはここだ」
菱本先生はゆっくりと『しまった』の部分を発音した。
「事実だけ整理すると、一年最初の評議委員選出で、羽飛が立村を推薦して自動的に決まった。それだけだ。この辺は古川が言う通り、まだ入学したばかりなので誰がふさわしいかなんてわかりっこない。新歓合宿からの選出になるのは、せめてある程度互いの性格を理解しあうための時間がほしいからなんだ。仮に入学式当日に選んでみろ、たぶんほとんどの場合、出席番号男女各一番の奴に決まるだろ。選びようないからな」
──確かに、それはあるな。
貴史は頷いた。ちらと見咎めるような表情をする菱本先生。
「俺の本音を言わせてもらうと、男子は十中八九、羽飛か南雲のどちらかが選出されるだろうと読んでいたんだ。理由はたいしたことじゃない。とにかくよく目立つ奴が通常は選ばれることが多い。性格云々ではなく、クラスで目立つ奴、なんだ。羽飛も南雲も、胸に手を置いてじっくり考えてみろ。どう見てもやりたい放題してたろ」
「俺そんな目立ってましたか?」
不思議そうに南雲が発言する。まじめに語りつくそうとしている菱本先生の、話の腰を思い切り折っている。
「過去のことは覚えてられないかもしれないがな、少なくとも入学後三日目でお前の名前を知らない奴はいなかったと思うぞ」
あっさり流した後、
「ところが蓋を開けると、その目立つ奴の一人である羽飛がなぜか立村を推薦した。この流れには俺も驚いたんだ。正直なところ、俺は立村を別の視点から観察する必要はあると思っていたが、評議委員に選ばれるとは想像すらしていなかった。まず、クラスであいつが目立っていたとはどう考えても思えない。立村の特出した能力といえば語学だが、それもまだ入学一週間で認識されることもまずはない。英語なんてお前ら、最初はかんたんすぎて成績すごくよかっただろ」
思い当たる節がある。入学当初はアルファベットの書き方とか筆記体の練習とかでほとんど成績は百点満点を取っていた。しかしだんだん難しくなるにしたがって一切ついていけなくなってしまうのもまた現実でもある。いまだに満点を平気の平左で取っている立村の化け物ぶりには脱帽するしかない。
「ノーマークの生徒が評議委員に選出される場合は、何かのきっかけがあったのではないか、とたいていは推理するもんだ。そこで出てくるのが国枝の事件となるわけだ」
国枝は口を尖らせている。すべてが自分の目的からひっぺがえされているのだから当然だ。
「タの字のつくなんとやらを口に含んで悶絶したという問題を立村が懸命に解決『しようとした』。ここなんだが、俺は国枝にはっきりと、立村の判断は間違っていると断言した。あいつのやさしい気持ちが間違っているわけではない、その行動を選んだことが間違っている、ということなんだ。なぜあの時大人に助けを求めて適切な処置をしなかったのか、同じことが今起きたとしても俺は立村にそう問いただすだろうな。ただ、この時に男子たちの多くは立村がクラスの評議委員として選ばれても不思議ではない、そう判断した可能性がある。わかるか?」
──わかるようで、わからねえよ。
頭がぐるんぐるんする。結局立村を全否定して、どうしたいのだろうか。そこが分からない。
「羽飛が立村を推薦した理由は単に気が合っただけだろう。細かいことはあえて無視するからな。ただその時、目立っていた羽飛が推薦したということからなら納得だし、しかも国枝に対して一生懸命解決しようとしていたあいつならまあいいか、といった空気がなかっただろうか、と思うんだ」
あまりにも昔のことで思い出せやしない。
貴史が立村を評議委員に選んだのは単純に、美里とのコンビを見てみたかっただけだ。厳密に言うと、立村を相手に添わせた際の美里のあわてぶりを観察したかったという悪趣味な部分も否定できない。
菱本先生の鬼気迫る眼差しに、文句あっても言い返せないムードが漂い出している。
「もし、国枝があの段階で真実を白状して説教されていれば、少なくともその間違いは防げたはずだ。それ以前に肺がニコチンだらけになるようなもん吸うなよとか思うところもあるがな、今は足を洗っているということを信用するとして。さらに早い段階で立村の行動が具体的にどのようなものだったかを誰かが先生たちに教えてくれていれば、俺も立村にその行動は間違っていると指導ができただろう。もちろん思いやりは立村のよい部分でもあるけれど、それは別の形で表すべきだと話しただろう。それをするきっかけが得られなかったのがそもそもの問題なんだ」
そこまで話したところで、貴史は手を挙げた。
「羽飛、悪いが話終わるまで待っててくれないか。お前にもとことんしゃべる時間やる」
「ひとつだけ聞きたいんですけど、先生は結局立村が評議にふさわしい人間じゃないと言い切りたいだけなのですか」
妙なていねい語を使って質問だけし、座った。ふだんなら誰か笑ってくれるはずなのだが、ため息が漏れただけで誰も反応しようとしない。しくじった。
「厳密に言うと違う」
菱本先生は首を振った。
「立村のやり方はトップに立つ人間がやるべきことではない。それだけは伝えたかったんだ。陰でこそこそ立ち回って相手の罪を隠すよりも表に出してきっちり裁きをつけてから、ゆっくりと相手を受け入れる。本来はこうしてほしかったんだ。もし立村がここで自分の出番を探すとすれば、間違っていたことはその通りと受け止めた上でその相手を丸ごと受け止めようと努力する。時間をじっくりかけていく、こちらの方が立村にとっては得意な部分だろうし、きっと誰もが満足いく結果になったと思う」
誰も何も言わない。言えない。賛成しているのかいないのかすら全く見えない。
「さらにこの問題は、清坂と杉浦が語った、一年冬の問題にもつながっている。最終的には清坂と杉浦の大喧嘩だろうが、そのきっかけとなった事件はやはり立村の行動とつながっている。立村が自分のいじめられていたという過去を隠そうとしてさまざまな手を尽くしていたことを、もう少し早く俺が気づいていたら、もっと別の対応ができたはずだった。その前にも立村の態度については納得いかないところが正直あったし、俺なりに厳しい指導はしてきたつもりなんだ。だが、それは伝わらなかった。もしも立村の行動が大人に伝わっていたら、過去を隠して逃げ回るよりももっとよい方法があるのではと助言することができたのでは、と思えてならないんだ。もちろんかばおうとした清坂、事実を明らかにしようとした杉浦、それぞれに言い分はあるだろう。だが、お前たちが本当にすべきことだったのは、まず清坂が立村の間違っている行動を俺たち教師に相談するか、もしくは大人を挟む形での話し合いを持つことだった。杉浦であれば、立村が間違っているということを理由を含めてはっきり伝え、拒否された段階で先生たちに相談すべきだったんだ。杉浦も誤解されてしまったことについてはかわいそうなところもある。だが、結果として立村は女子のしつこい追っかけ魔として名誉を傷つけられる羽目になった。自業自得といえばそれまでだが、男子にとって屈辱的な扱いを受けるほどのことではないと、俺は思う。杉浦もこの点については反省が必要だよ」
やっとここで、杉浦を厳しく刺す言葉が出てきた。少しだけ胸のつかえが取れた。
──要するに、先生にもっとちくってほしかったっていう、わびしい結論に持って行きたいんだろうか。無理だぞ無理、男子女子関係なく、ちくるなんて文化、受け入れられるわけねえよ。先生も、外にされちまって寂しいのはわかるけどな、無理だって。ま、今は菱本先生の本音白状しまくりタイムと割り切ればいいのか。
美里の様子を再度伺う。全く持って、能面だ。
「そこで次、立村のプライドがぼろぼろになった状態で二年を迎えたわけだが、ここでどうすればあいつを救えたと思うか考えてみよう。南雲が言う通り、全くもってのガセネタでの情報が流れていたわけなので救いたいと思う気持ちもわかる。そのやり方は絶対に間違っているが、親友を助けたいという純粋な思いだけは汲み取りたい。ここで本来南雲がすべきことがなんだったかというと、傷ついている立村の事情を確認するなりして、大人が間に入った状態のもと、事実関係を証明するチャンスを与えることだった。これも同じ話になるけれども、杉浦を無視するような相談をするのではなく、まずそのことが事実だったのか、それをきっちりと検証すべきだった。規律委員としてはその方が自然だろう? 今までの話の流れからするとそのことは比較的簡単だったんじゃないだろうか。杉浦にしても、清坂にしても、本音で事実を語ってくれればもっと立村の苦しみが少なく澄んだだろうしこれからまだ続く展開もある程度は押さえられたんじゃないだろうかと思えてならないんだ。」
──しつこいようだけど無理だよ先生。
何度目のつっこみか。大人には子どもたちの持つ鉄則「子どもの世界に大人を入れない」を知らないのだろうか。菱本先生のこと自体は嫌いじゃないだけに、あまりにも残念だ。
「それともうひとつ。これは古川の意見にすべて同意なんだが、どうしてこのままエレベーター式に立村が評議委員に選出されるのを黙って見上げていたのかということなんだ。これはしかたない部分もある。青大附中の委員会システムが独特すぎるとか、立村が評議委員長候補に挙げられていたとか、さまざまな理由もある。ただ、しつこいようだが評議委員を変えてはいけないという決まりはない。つまり、立村を別の委員に推薦するか、もしくは落選させるといった選択肢もあったはずなんだ。ひどい噂に包まれた状態の立村をなぜ選んだのか、と言えば答えは古川の言う『羽飛が推薦し続けたから』と、『別の委員選ぶのかったるいから』あたりだろう。ただ玉城が言う通り女子たちとの間で立村は評判が悪すぎた。本来であれば女子たちのリコール要求も可能だったはずだ。そうしないでひたすら立村を評議委員として役立たずと責め続けるのはある意味残酷だ。本人は自分の持つ器の中で精一杯の努力をしている。これは俺も十分理解している。ただ、その器が本来与えられるべき場所にふさわしくなかったとしたら、それは大きすぎる服に無理やり自分の身体を合わせてだぼだぼの状態で歩いているのと同じで、そうとうみっともないし、着ている本人も惨めだ。着ているうちにお前たちの制服と同様身体に合ってくる可能性もある。だが、俺の観る限り最後まで立村の評議委員という制服は、袖丈が足りなかった」
頷こうともしない、文句も言わない。水を張ったような静けさとはこのことか。
「もし時間を巻き戻せるのならば、俺はまず、二年の段階で立村を評議から下ろす。残酷かもしれないが、直接呼び出した上で本来向いているのがどのような委員なのかをじっくり話し合う。その上で、立村が一番輝ける場所を探すだろう。場合によっては、俺は特別な役をクラス内で立村のために作ってもいいと思っていた。例えば各クラスの委員たちをつなぐような仕事ができれば、というところにもなるがな」
「先生質問です。なんですかそれ、どういう委員になるんですかそれ」
南雲が能天気な声で尋ねる。
「委員というよりも、委員たちの愚痴やら悩みやらを受け入れるための、アドバイザー的な役割だろうな。実際思い浮かばないんだが、例えば評議委員できついことを言わなくてはならないと覚悟した時、たとえば国枝には悪いがあの事件な。評議委員としては本来、きっちりと先生たちに白状するよう薦めるのが義務だ。だがそれは評議にとって荷が重い。やらなくてはならないがしんどい、これはわかる。その時に辛い思いを立村のような性格の奴が受け止めて、力になってくれると言ってくれたらやはりうれしいだろ? 相手にきつい言葉を浴びせた後で、それは違うとそっとフォローに回ってくれるような縁の下の力持ち的存在だな。本来は目立たない。クラスにいわゆる役職も見当たらない。ただ、社会に出ればわかるがこういう仕事をする人が必ず必要なんだ。もしその担当になったなら、立村はこれ以上精神的に追い詰められることもなかっただろうし、それ以上に委員たちからは感謝されただろう。できることを精一杯している立村をこれ以上罵倒する奴もいないだろう。何よりも立村本人に本当の意味での自信を与えられたんじゃないかと、俺は思えてならないんだ。ここから先の展開は俺も繰り返さないが、結局立村は逃げることすら許されずに追い詰められていったんじゃないか。玉城が言う通り女子たちから総すかんを食うのも当然だ。自分にとって苦手すぎることを背伸びして行っているんだから手間がかかるのも当たり前のこと」
「菱本先生」
貴史は手を挙げず立ち上がった。
「それじゃ、やっぱり俺が一番の戦犯ですか」
菱本先生は無言で貴史を見つめた。頷きも首を振りもしなかった。
「俺が、立村をずっと評議に推薦し続けていたからですか」
何も言わない。やはり黙り続けている。息が詰まりそうだ。美里が貴史に振り返り、首を振って何かを合図している。気づかない振りをした。
「俺が、あいつの性格の悪さを見抜いてたくせに先生にちくらなかったのがまずかったってことですか。評議委員長から落とされたのもあいつが無能だからってことですか」
「違う羽飛、わかってるはずだ、お前がすべきだったことは」
声が震えた。足を踏ん張った。
「俺が評議委員に立候補しなかったからってことですか!」
「そうだ。それだよ羽飛」
菱本先生は長すぎる演説のまとめに入った。貴史を正面から見下ろしたままだった。
「本当は羽飛、お前から立村に引導を渡してやってほしかったんだ。三年に挙がって評議委員長から引き摺り下ろすといった残酷な目にあわせる前に、立村をいったん自由にしてやってほしかったんだよ。その上で、俺や清坂やその他立村のことを大切に思っている仲間たちとで、あいつにふさわしい場所がどこかを探る手伝いをしてやってほしかったんだ。立村は評議委員という役割に縛られてしまい、誰よりも人の弱さや辛さを感じ取ろうとする長所を生かせる場所を見つけられずにきたわけなんだ。その結果、自分には価値がない役立たずと思い込んで、今に至る。そういうわけなんだ」