第二部 62
霜柱立つ日まで 61
全員が席についたところでタイミングよく鐘が鳴った。もちろん、五時間目終了のものだ。三年D組のみここでは六時間目開始、ロングホームルーム突入となる。そんなこと知らない他のクラスではわやわやと騒がしくしゃべりあい笑い合い、時々扉を開けようとする気配もする。菱本先生が無視を決め込むと、相手もなんとなく違和感を感じるようですぐに退散する。追っ払わなくとも普段とは異なるムードが伝わっているようだった。
「じゃあ始めるか。てなことで、さっきの続きなんだけど」
ゴングを鳴らすのは、やはり貴史の役目だった。
「国枝と須崎が特別発言を求めてるんで、まずはそっちからでいいか?」
男子たちが頷くものの、女子たちは不満げなうめきを示す。隣の美里が教壇で呼びかける。
「もちろん二人の話が終わったら女子の発言も入るってことになるから、いいよね?」
「本当に?」
こずえが問いかける。今の段階で美里の味方なのかもあいまいだ。
「もちろんよ。でないと公平じゃないもん」
「そっか、じゃあそういうことでまず時を待とうよ、ね!」
ありがたくこずえの援護を受け取り、貴史は片手でまず、国枝に合図をした。男子トイレでの打ち合わせ通り、間髪入れずに国枝が立ち上がった。菱本先生もパイプ椅子で両手を組み合わせ膝に置き、前かがみで頷いた。
「えっと、なんで俺がこうしてるかって言うと」
やはり慣れないのか声が上ずっている国枝。視線が集まるのが苦手なようだ。
「さっき玉城が疑問に思ってたっていう、『なんで立村が男子たちに受けいいのか』っつう謎について、言いたいことあったからなんだ。俺、実例持ってるしな」
「実例?」
こずえがすぐに相槌を打つ。他の連中はふむふむ頷くだけ。
「他の奴もみんな何かしらあると思うんだ。あー、えーと、立村の場合男子限定で受けがいいのは理由があるってことで」
「聞きたいなあ、それって一年のこと? それとも二年の時のこと? 私が思うにたぶん一年の一学期あたりかなあって思うんだけど、図星?」
うまく進めていくこずえの突っ込みが、貴史からみてもうまいと思う。
「あ、ああ。そう」
ここでいったん国枝は言葉を切り、菱本先生の方を見た。
「今、俺が話すことも、時効っつうか、治外法権でいい、です、か?」
妙なところで句読点を入れて確認をしてきた。様子伺いの気配ありありだった。
「なんか悪さでもしでかしたのか? そんなにおいぷんぷんするなあ。ま、警察沙汰でなければ大目にも見るがな」
「警察沙汰じゃあねえけど、まあ、法律には触れてるかも、なあ」
頭を掻きながら、それでも覚悟したのか、背を反り返らせ国枝は続けた。
「一年最初の学年新歓合宿の時なんだけどさ、俺、非常にやばいことをやらかしたんだ。そのこと一部の奴は知ってるし、すげえ迷惑をかけてしまって、もう土下座しかないんだけど」
「ああそっか、国枝新歓合宿の時にぶっ倒れたもんな」
思わず頷き声をかけた。貴史も覚えていた。つい後ろの南雲にも目が行く。奴もこくこく頷いている。
「そうそう、あれ、表向きは旅館で急に具合悪くなって布団の上にげろげろやっちまって、病院に連れ込まれたってことになっているけど、あれ、今思えば全部自業自得なんだ」
菱本先生の方を伺いながら、それでもがんばって続ける国枝。
「種明かしすると、あん時夕食が終わって風呂入って、その後でまあなんというか、タバコをこっそり吸ってたという、もろ校則違反、青大附中で言えば停学、下手したら退学間違いなしのとんでもないことをやらかしてたと、そういうわけ、です」
また妙な句読点を打つ。
──ああやっぱりな。
貴史は驚かない。だいたいこの一件はD組の連中をはじめほとんどの奴が承知している内容だろう。同時に立村の陰での働きも評価されたきっかけでも、確かにある。ただ国枝自身にはおとがめなしで、代わりに裏で立ち回った立村が菱本先生にこっぴどく叱られていたことだけが強烈な印象として残っている。あいつのいじけっぷりは、さすがにまだ全開ではなかったのだが。
「もう、時効でいいよな、このこと」
小声で男子連中がささやいている。さすがに青大附中の校則をすべて把握している以上、国枝の告白は附属高校進学にも影響がないとは言えないと覚悟している。とはいえ多分大丈夫ではないか、とも貴史は甘く見積もっている。
「俺にはかまわず、ほら続けろ、国枝、言いたいことまだまだあるだろ?」
やはり菱本先生は驚かずに促した。やっぱりそうだ。気づかないのか国枝は、額を片手でぬぐいながら話を進めていた。
「んで、あの時は入学したばっかだったし、まあなんてかその、大パニックになっちまってえらいことになったってあせってたわけ。俺は死にそうになってあえいでるし、周りにいた連中も、なあ、もうどうしたらいいかわからねえって顔してたし。あんときはほんと悪いことしちまったなあって、反省するしかねえんだけど。そん時たまたま立村が」
つばを飲み込むようにして、一呼吸入れている。
「えと、立村がなんだけど、風呂から上がって戻ってきたらしいんだ。俺ものた打ち回っていたわけで実際何があったかはあれなんだけど、とにかくあいつひとりで全部後片付けしてくれたってことだけは聞いてる。そこにあった吸いかけのタバコとまだ手つけていないタバコも含めて全部処理してくれたし、単純に俺が具合悪くなってぶっ倒れただけなんだってことに持っていってくれて、なんとかこのクラスに三年間居座ることができたと、こういうわけなんだ」
男子連中もみな承知しているあの事件。こういうことでもなければつまびらかにされることもなかっただろう。ただ、女子たちが全く気づかずにいたというのが正直貴史には信じがたい。美里も、この話をするまでは全く詳細を知らずにいたようだったし男子経由の情報網は機密性高すぎたのかもしれない。
ま、治外法権、本日限りの告白会ならこれもよし。
「俺はそれでありがたく救われたわけなんだけど、とばっちり受けたのはかわいそうな立村なわけであって。あの後確か立村、菱本先生にすげえ怒られてたって話聞いて、うわあやべえ、まじまずいって思ったんだ。もちろんあいつには後でこっそり謝ったよ。けどあいつ全然気にしないって顔して、『誰にでもあることだから、大丈夫だから』ってあっさり流してくれた。現場にいた奴はもちろん知ってることだけど、俺が今の今まで校則違反で捕まらずにすんだのははっきり言って奇跡だよ。もしあん時に、証拠品として吸いかけのタバコとか、箱とか、ヤニとか発見されていたら俺、絶対この学校にいなかったよ。いやほんとマジで」
国枝はここまで言い切った後、改めて菱本先生に向かって、机に手をついたまま深く頭を下げた。
「先生、今の件、まじで、ごめんなさい。反省してます」
「国枝、わかった、頭上げろ。そんなの最初からお見通しだからな、立村が活躍しなくても部屋の中のにおいでとっくにばれてる。気にするな」
菱本先生はやはりあっさりと答え、ゆっくりと立ち上がった。そのまま国枝の席に向かった。窓際の中列で、女子を間に一人挟む格好になる。ぽかんとした顔で立ち尽くす国枝の頭に手を置いて、担任らしき言葉を語った。
「大人をなめちゃあいけない。あの時お前が倒れたと聞いて部屋に飛び込んだ時、すぐに俺の鼻はニコチンタールをかぎつけた。俺は結構においに敏感なんだぞ。お前ら気づかなかったろうがな」
「え、でも先生、あの時立村をすっげえ怒鳴ってなかったっけ?」
貴史が思ったのと同じ疑問を国枝がつぶやく。即答する菱本先生。
「ああ、そうだった。はんぱなく怒鳴ったな。覚えてる覚えてる」
「けど俺にはなんにも」
言葉をくぐもらせるように国枝が俯く。この辺は貴史も同感だ。国枝の病院送り事件で立村ひとりだけが、「ひとりでなんでも処理しようとした」という一点でもって叱られていたことを貴史は知っている。いや、クラスメート全員知らないわけないだろう。一方で国枝は停学にもならずにきれいな履歴のままでいる。貴史の記憶する限り、国枝は最初の頃こそ南雲グループとつるんでいたが、現在はわりとどの男子チームにもなじんでいてさほど目立つことをやらかしていないはずだ。
「立村ばっかり怒られてて、けど言い訳したら自分が退学になるかもしれないって思ってたし、ほんとこのことは俺にとって、ええっと、秘密の中でもめちゃくちゃ重たい秘密のひとつだったわけ。だけどあんまりにも、立村の扱いがむちゃくちゃだし、今俺がしてもらえたことを他の奴だってたくさん経験してるはずだし、それに、こんなに女子たちにワラジムシ扱いされるようなことねえと思うし。それで、今、俺なりにずっと考えてこういうこと言ってみたんだけど、やっぱりあいつ、それでもそんなに最低野郎か? 評議委員に選ばれる価値ない奴か? 今俺が白状したような校則ばりばり違反ネタ以外にもあいつがクラスの連中のために一生懸命やったこと、どっさりあるだろ? 俺にはわからねえよ」
頭に手を置いたまま、菱本先生は国枝の訴えを聴いていた。全く動かず、その目を見つめていた。一段落したところで今度はその手を肩に置いた。
「約束通り今日は無礼講だからな。ただ、確認しとくが、国枝。それからは一切、タバコなんぞに手を出してないだろうな? そこんところは確認だ」
大きく国枝は首を振った。
「わかった。俺が見逃したのは正解だったってことだな。基本的にタバコは子どもの身体によくないから禁止されているってことをよくよく理解していれば、それで十分だ」
今度はクラス全員にまた向き直った。全員が菱本先生を食い入るように見つめた。もちろん貴史も、隣の美里も。
「まず、一年の新歓合宿での、いわゆる国枝病院送り事件だが」
菱本先生は考えながら語り始めた。
「今言った通り、お前たちのやんちゃは大人の目から見たら丸見えだったんだ。確かに現場には証拠品もなかったし、あるのは妙なニコチンタールのにおいだけだし。俺もうろ覚えなんだが全員白切ってなかったか? あの場では本来ならば、国枝を一週間くらい停学にするのが筋だが、疑わしきは罰せずとせざるを得なかった。俺としても、あれだけひどい目に遭ってさらに喫煙者に戻るなんてことはまずないだろうと思っていたからな。やけどしないとわからないってことも世の中にはある。他の先生たちには気づかれなかったこともあってなんとかごまかした」
──菱本先生、そっか、他の先生には言わなかったんだな。
さすがに他クラス担任たちにばれたら学校に報告せざるを得ず、国枝にお咎めなしというわけにはいかなかっただろう。
「ただな、立村にはきつく言っておく必要があったんだ」
ここで菱本先生はぐるりと全員を見渡した。目を留めたのは扉側の空席だった。
「確かに国枝からしたら、さっさとトイレに吸殻を全部流して部屋の空気を入れ替え、悪いことは全部自分で背負ってしまってさっさとかばってしまう立村はヒーローだろう。手際はよかったからな。あれはさすがだと感心した。だけどな、よく考えてみろ。原因わからずああいう風に国枝がひっくりかえっていて、一刻を争う状態だったとしたらどうする? お前らまだ若いから気づかないかもしれないが、たとえば心筋梗塞とかだとすぐに心臓マッサージとか緊急手術とかさまざまな手を尽くさねばならない。その点わかるよな、奈良岡、水口?」
医者の娘と息子は大きく頷いた。
「たとえそこに隠さねばならないものがてんこもりだったとしても、一番大切なものは命だろ? もちろんあの時立村は自分の判断で精一杯のことをしたはずだ。クラスの友だちが校則違反で罰せられるなんていやだし、ここはなんとかしなくちゃならないときっと身体が動いたんだろうな。立村は小学校の頃保健委員を六年間ずっとやらされていたらしいし、その手の知識はそれなりにあったんだろう。ただ、あれは決して褒められることではないんだ。国枝がぶっ倒れてみながおろおろしていた時、即、行うべきことは信頼できる大人に報告して指示を仰ぐことなんだ。まあ、入学したてでどうしていいかわからないのも、よくわかる。だが何はともあれ教師という大人がいるんだからそちらに頼るというのが、本当のところだろ? 俺だと頼りなかったかもしれんが」
全員言葉もないまま黙りこくる。
「俺があの時立村を捕まえて一方的に怒鳴りつけたのは、今思えば失敗だったのかもしれない。もっと別の形で話をするべきだったんだろうな。だが、どうしてもわかってほしかったんだ。もしかしたら国枝は停学食らったかも知れないし持ち物検査がこれからはえらく厳しくなり面倒くさくなるかもしれない。でも、俺は担任としてお前たちを見捨てたりしないし一緒にこれからどうしたらいいかを考えて行きたい。校則違反しました、じゃあ出て行ってください、さようならなんかで終わらせるつもりなんでない。これは俺だけじゃない。青大附中の先生たち全員が全力で思っていることなんだ。もろ宗教と言ってもいいくらいにな」
うむ。ぐうの音が出ない。
──菱本先生はもろ正論できたかよ。
捨て身の国枝攻撃に貴史も奴を見直したところはある。
ただ、やはり大人には勝てない現実を突きつけられている。
立村がやらかした初期の事件簿に残っている、非常に目立たない一件ではあるけれども当事者にとってはそりゃ大事だろう。国枝もちゃんと立村に詫びを入れていたらしいし、立村の性格から考えてそれを恩に着せるようなことはしないに違いない。男子連中が立村の手際に感動すら覚え、それ以来一目置くようになったところも確かにある。
ただ、菱本先生の言う通りそれは「正しい」ことではない。
「先生、じゃあさあ、この一件はすべて立村が悪いってことなのか? それじゃああんまりじゃん」
場の空気を変えたい。貴史なりの声かけをした。
「いや、そうじゃないよ羽飛。立村は間違ったやり方をしたけれども、気持ちは通じただろ? 今、国枝が墓場に持っていってもいい秘密をクラスメートの前で告白したのも、あいつの思いやりが男子連中に伝わったからじゃないのか? よいか悪いかは大人の判断だが、立村の行動からにじみ出たやさしさはお前たち自身で受け取ればいいんだ」
国枝は無言で席についた。少なくとも休憩時間中に思い描いたであろう着地点ではなかったようだ。貴史に向かって発言要求をした時の激しい眼差しは消えていた。ただ俯くだけだった。隣の席にいる女子がしらじらしく国枝に目をやり、すっと前の席の女子に話しかけているのが丸見えだった。
菱本先生がパイプ椅子に腰掛けるのを待ち、今度は美里が呼びかけた。
「須崎くんも、話したいことあるって言ってなかった?」
「俺、しゃべっていいの?」
国枝ショックにしばらく男子連中は麻痺しているのがありありと伺えた。ガス抜きされてしまった中、それでも須崎は立ち上がった。
「一応、言っとくけど俺、こう見えて放送委員だからそっちの立場からもな」
──あっそっか。こいつ放送委員だったもんな。
青大附中では目立たない放送委員の立場。公立中学の友だちから聞いた限りだと、学級委員以上に高い評価がなされるのは放送委員に他ならないとのこと。青大附中の放送委員は単なる給食時間中の放送局、もしくは校内放送のための役割に過ぎない。少なくとも一、二年の頃はそうだった。最近はだいぶ変わってきているようだが委員会に疎い貴史はよくわからない。オールバックに決めた須崎はめがねをかけ直して語り出した。さすがアクセント、発音、聞き取りやすいよい声だ。
「うちの組の男子ならみな、立村の英語リーダーの訳にお世話になっているだろうし、今国枝が言ったようなこともそれなりにしてもらっているのはあるよ。でもそれは菱本先生からしたら、『間違い』なのかもしれない。それはわかっているんだ。立村の英語訳に頼りすぎて俺たちが自習全然やってないのも事実だからなあ」
男子大爆笑。場が和む。女子は笑わない。当たり前だ。
「立村はいい奴だってことをここで繰り返しても正直意味ないと思う。俺が話せるのは放送委員の副委員長としてなんだけど」
すっかり忘れていた。委員長ばかり重視されるD組においてこいつは放送副委員長だったのか。全然覚えていない。それだけ存在感薄いだけかもしれないが。足だけは速いのでクラス対抗リレーにはいつも選ばれていたというそれだけの存在だと思っていた。
「まず、立村が評議委員長に内定されてからなんだけど、放送委員会ではえらく仕事が増えたんだ。みんなも知っていると思うけど、俺たちが一、二年の頃って放送委員の存在感なかっただろ? 俺もそれまではほとんどラジオドラマ作りのために存在している委員会だと思ってたしな。実際、放送ドラマ部門ではうちの学校けっこう全国大会まで行って賞もらったりしているんだけど、どのくらいの人それ覚えてる?」
「ごめん覚えてないわ、悪いけど」
つっこみはこずえの役割。もう任せるしかない。
「ひでえなあ。まあいいや。とにかく、陰では結構楽しく盛り上がっているんだけど校内では地味な存在に徹していた我が放送委員会なんだけどさ。二年の二学期後半あたりからなんとなく雰囲気が変わってきたんだ。一言で片付けると、今まで評議委員会が担当してきたマイクを使う仕事が全部、うちに回ってきたんだよ」
「それまじかよ?」
思わず確認する。誰がマイクを握り締めているかなんてさほど気にしてはいなかったが、そういえば一年あたり、みな評議委員が担当していたはずだった。立村もかなり苦手にしていたようだがしょっちゅう司会担当をしていた記憶がある。
須崎は女子放送委員と視線で合図を送りあった。こんなに印象が薄いのは、須崎以外の女子放送委員がしょっちゅう入れ替わっていたからに他ならない。
「正式に立村が評議委員長就任してからは、他の委員会の仕事もどんどん入ってきた。南雲、東堂、そうだろ? 今まで全部自分らの委員会でまかなってきたことこっちに流してるだろ?」
名指しされたふたりもこっくり頷いた。南雲も先ほどの杉浦加奈子に対してのバトル後遺症が残っているようで言葉はなかった。東堂が代わりに答えた。
「そうだなあ。確かにマイク持たなくなったよ。イベントやる時も今までだったらマイク運びとかいろいろやったけど、三年になってからは全部放送委員会で片付けてくれるから楽だよなあ」
果たして保健委員会にイベントなんぞあるのかと突っ込みたいが我慢する。東堂は説明してくれた。
「うちの保健委員会なんだけど、結構目立たないところで偉い先生呼んだりして講習会やってるんだよ。たとえば人が倒れたりした時に人工呼吸どうすればいいかとか、怪我した時にはまずどの薬塗るかとか。すっげえ偉い先生呼ぶことあるんだよ。その時に司会担当するんだけど今までは全部俺たち保健委員が担当しねばならなくてなあ。俺たち、人工呼吸の練習するためのマネキンとか道具とか運ぶのもやらねばならないし、とにかくてんてこまいなんだよ毎回このあたり。なあ姐さん」
奈良岡に声をかける。奈良岡がひきとって続ける。
「そうそう東堂くん。ほんっと大変だったよね。それでマイクを使うとうわあって感じで声が拡がってしまってね。でも、今年に入ってから、そういうイベントがある時放送委員の人たちが手伝ってくれるようになってすっごく助かってる。この場でお礼言うね。ありがとう須崎くん。みんなにも伝えてね」
全く場違いの拍手で教室満たされる。奈良岡彰子のパワーは健在だ。
「んで、どうなんだ須崎? 立村が前期評議委員長になってからなのかそれ?」
話を軌道に戻すため貴史の仕事ももちろんする。
「ああそうそう。俺言いたいのそれなんだ。最初顧問経由でしか確認できなかったけど、あとで評議の連中に聞いたらさ、教えてくれたんだ。全部立村の意見だったって」
「立村の?」
「そう、今まで評議委員会は結城先輩の頃から全部細かいことは委員会の中で準備片付けすべてするって決まりになっていたみたいだけど、立村からしたらそれが納得いかなかったみたいなんだ。せっかく放送委員会というマイク命声命の連中が巣食っている場所があるというのに有効利用しないでどうするんだ、とか思っていたみたいだよ。もっとも俺も、このことうちの委員長から聞いているだけだから、立村本人に確認したわけじゃないけどね」
美里の反応を伺うと、まっすぐ須崎を見据えて目立たぬように頷いている。思い当たる節はあると見た。
「一応、評議委員会がらみのイベントというと、六月に行われた水鳥中学との交流会。あれは全委員会大活躍だったろ? あの時に司会進行音響含めて手伝ったんだ。放送委員会として。あれではじめて立村が何をしたかったのかがわかったんだよ。出た奴知ってるだろ? あの時をきっかけに放送委員会でいろいろと動きがあって、細かいことはすっとばすけど、来年から放送局として生まれ変わることについ先ごろ、決まったんだよ!」
須崎が声を張り上げた。突然数人の女子が泣きそうな顔でつぶやき出した。
「そんな、今更なんでよ……」
「悔しい……」
そいつらが須崎の相棒として放送委員を務めていた女子だったことに気づくまでしばらく時間がかかった。
「はっきり言って、俺もほんとびっくりしたんだよ! だってさ、この学校でなぜ放送委員会がしょっちゅう入れ替わるのかその理由って、満足に校内のイベント参加できないからっところがあっただろ? それがだよ、三年になっていっぱい仕事が来るようになり、俺たちも中途半端なやり方ではまずいだろってことになってきててな。俺たち三年放送委員がみな一丸になって、なんとか図書局みたいな扱いにしてもらえないかって頼み込んだんだ。今まではアウトだったけど、現在のあれよあれよっていう活躍ぶりに先生たちもやっとOK出してくれて、念願の局だよ。ほんとうれしいよ。俺たちは卒業だからその恩恵に蒙れないけど、委員会から局にかわることによってもっと放送のレベルは上がるよ。三年間じっくりテーマに取り組んでドラマ作りすることもできる。うれしいよこれ。まじで」
──あまりつっこみたくないけどな須崎。お前の相棒がしょっちゅう代わったのは、やたらと折り合い悪かっただけだろが。ったく何か勘違いしてねえか。
さまざまな情報を知るに本来なら貴史は暴露してやりたい。だが今は違う。テーマは異なるのだ、しょうがない。
「とにかく、これを成しえたのは、立村が評議委員長として各委員会から放送の仕事を分けて扱うと決めたところによると思う。さすがに評議委員長最強主義の中で、うちのような弱小委員会だけが声を挙げてもあんまり効果なかったよ。てっぺんが動かないと進むことができないというのも確かにあるし。このことだけでも俺は立村を評議委員長として評価したいよ。本当にさ」
そろそろ締めに入るのか、須崎は声を整えるように咳払いをした。
「俺がここで言いたいのは、立村が評議委員として有能だってことなんだ。クラスでさんざんこけにされているのを見ていると、まるであいつが能無しみたいに思われていて正直むかついてた。これ、委員会関係者ならみな知ってることだと思ってたけどうちのクラスの女子たちには全然伝わってなかったんだな。俺たちが立村を評議として推薦しているのは成り行きやだまされたとかそういうんじゃないんだよ。あいつはそれだけの力量があるから、それだけなんだよ。性格がいいとか、思いやりがあるとか、そういうこと言ったってどうせ女子たちには伝わらないだろ? 仕事ができる奴は評議に選ばれて当然、文句あるか。俺が言いたいのはそれだけなんだ」
聞き間違えようのない明確な日本語でもって、須崎は見事に立村有能論を語りつくした。
拍手は男子のみ。南雲が満足げに手を叩いているのが教壇からよく見えた。
「聞かせたいよね、今のこと」
小声で美里がささやいた。
「立村くん、知らないんだよ。今ふたりが言ってくれたこと。全然気づいてないんだよ」
貴史が答える前に、菱本先生へ発言を促した。
「先生、今の須崎くんの発言ですけどどう思いますか?」
「うん、素晴らしい。須崎、だが一番伝えたいのはそこじゃない」
また菱本先生は須崎の席……教壇真正面から二列目……に近づいて握手を求めた。
「おめでとう。須崎、お前たち放送委員が懸命に積み重ねてきたことが結果に結びついたんだ。決して、立村が委員長になったからだけではない。もちろん立村の方針も関係していたとは思うが、そこから動いた放送委員たちのがんばりに俺はまず、拍手したいんだ。放送委員会が入れ替わり激しいことはずっと気になっていたし先生たちもなんとかいい方法はないかと頭を悩ませていたよ。それが須崎たち三年放送委員たちの意識が高くなったことによってようやく動いたんだ。これを、山が動いた、と言うんだ。誇ってくれ。自分たちの力でやり遂げたことなんだ」
両手で須崎の手を握り締めた。何度も振った。戸惑う須崎に何度も「おめでとう、よくやった」繰り返し伝えていた。自然と拍手が立ち昇ってゆく。明らかにその向かう先は須崎を含む放送委員たちへのものだった。決して、須崎が訴えたかった立村有能説に届くものではない。その証拠に、女子たち、玉城や杉浦も手を叩いている。
──なんか菱本先生、意地でも立村を肯定したくねえんじゃねえ?
国枝、須崎が目的とする立村弁護もなぜかそれぞれ別の地点に着地させられているような気がしてならない。杉浦を攻め立てる南雲の攻撃に対してもそうだ。どこか目的地にたどり着けないように、あえてずらしているような気配がする。
「なあ美里」
「黙ってて。次は私が行く」
短く答え、美里が菱本先生に声をかけた。
「先生、今の須崎くんのことに追加したい話があるんです。それが終わったら次は女子たちにも意見を求めますから、ちょこっとだけ話させてもらっていいですか?」
拍手の余韻が覚めやらぬ中、菱本先生はわれに帰ったようにすぐOKを出した。
「あ、ああ。わかった。だがそろそろ女子たちにも意見を言ってもらわないとな。そこんところがわかっているなら大丈夫だ。よし、清坂言ってみろ!」
美里の出方が読めない。いったい二階女子トイレで美里はどんな作戦を練ってきたのだろう。貴史からするとどんなに立村をかばっても、菱本先生の力技でとんでもないところへ着地させられるような気がしてならない。そこでうまくパラシュートが開くのか?
──美里、しくじんなよ、頼んだぞ。
大きく深呼吸し、美里は三人目の立村弁論に突入した。