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第二部 59

 「永遠」という響きが大げさすぎる。美里がなぜそんな言葉を選んだのかが貴史にはつかみかねた。いつもなら突っ込む場面なのだけど、今、隣ですっくと立ったままクラス全員を見下ろしている美里にそんなことしたら何されるか想像がつかない。殴られるとかそういうものではなく、貴史の記憶する美里の行動パターンが読めない。

 運命共同体とか言っても、銀河地平へ飛ばされそうなくらいの未知感覚がある。

 ──美里、どう持ってくつもりなんだ?

 仕方ない。まずは出方を待つことにする。美里と組んだ勝負事で負けたことは一度もないのだから。


 能面のまま美里はひとりひとりを見下ろした。

「中学一年秋頃です。たぶん菱本先生の持っている班ノートを見れば日付も特定できます。興味ある人は言ってください。とにかくその頃に私と加奈子ちゃんとの間でちょっとしたトラブルがありました。玉城さんが言っているのは、そのことでしょ?」

 まずはいったん玉城に向かい確認をしている。ただ泣きじゃくっている玉城には伝わらない。現在涙が玉城と杉浦ふたりの瞳から流れている様子は伺い知れたが、美里の話を聞いているかどうかまではわからない。美里は無視して続けた。

「すっごく前のことなんで忘れている人も多いかもしれないけど、あの時道徳の時間で、いじめ問題がきっかけで自殺したどっかの生徒の話を取り上げたことがありました。菱本先生も覚えてますか?」

「あ、ああ? すごい前の話だなあ」

 美里の気迫とは裏腹に菱本先生は頭を必死に掻いている。記憶力を三十路男と十代のやわらか脳みそと比較してはいけない。貴史なりに同情した。美里もさっさと切り捨てて進んだ。

「私もその時はあまりぴんとこなかったけど、でもやっぱりかわいそうだなくらいは思った記憶があります。ただやっぱり他人事だったのですぐ忘れてしまいました。他のみんなもきっとそうだと思います。でも立村くんだけは違いました」

 言葉を切った。唇を少しだけゆるゆると動かして、迷うそぶりをした。

「立村くんがその時書いた班ノートを見ればわかります。立村くんは本気でそのことに対してショックを受けていたんです」

 思わず美里の顔を横から覗き込んだ。声が出そうになるのを必死にこらえる。

 まだ他の連中はぴんとこない表情のうちに、美里の目的を探りたい。読みきれない。

「立村くんは、自分が小学校の頃いじめられていたことと、自殺した生徒には共感する一方で相手を刺し殺してほしかったと、そんなことを書いてました。もうみんな誰もが知っていることかもしれないけど、立村くんが私たちにかつていじめられていたことを話したのは、これが本当に最初だったんです」

 さざめきが止んだ。すすり泣きも止まった。玉城、杉浦、ともに顔を上げた。

 まだ止めるタイミングではなさそうだった。


「最近になっていろいろと立村くんの過去がばれてきてますけど、私とか羽飛くんとかは早い段階でその話を知っていました。ただ、立村くん自身が話したことは一度もありません。いろいろと噂や、それから足で」

「足?」

 すっとんきょうな声で尋ねるのはなぜか金沢だ。貴史なりに手をひらつかせて黙らせた。

「刑事じゃないですけどいろいろと知る機会があったんです。きっと隠したかったんだろうし、きっと私たちに知られたらまた嫌われるんじゃないかってびくびくしてたんだろうなって、だいたいのところ想像はつきました。だから私なりに考えていたのは、そのことをほとんど知らないことにして、クラスになじんでもらう方法でした」

 美里は次に菱本先生へ頷いてみせた。先生も同じく頷き返した。

「小学校時代の失敗とか誰でもいろいろあると思うし、ここでばらされたら恥ずかしくて穴に入りたくなることっていっぱいありますよね? 私もほんっとにいっぱいありすぎるくらいあるし。でも、もしばれたとしてもその相手が今の段階でいい友達だったら嫌いになんてなれないと思います。私は少なくともそう信じてます。だからこそ、立村くんがかつて辛い思いしてきたことを知らない振りして受け入れて、同級生として楽に過ごしてほしいと、それだけ考えて接してきました。評議委員として、ですけど」

 さすがに付き合っていることについては触れなかった。一応はロングホームルームだ。

「話が飛んでごめんなさい。でも、私としては班ノートでいじめられていた過去を告白した立村くんをそのことで又辛い思いさせることはしたくなかったんです。そういうことがあったんだな、で終わらせられればここから先の出来事はなんも起こらなかったはずです」


 ──こいつ、裏・班ノートのこともばらす気かよ!

 教卓の裏で美里のつま先を軽く踏んでみた。ブレーキになるか? ならないか?」

 ──いくら立村が目の前にいないからったって、どうすんだお前? 

 美里は一切動じる気配を見せなかった。ブレーキは壊れていた。アクセルでもなくスピードは変わらない。


「私が選んだ方法が正しかったのかそれとも間違ってるのかわかりません。ただ立村くんには何度も、友達として嫌ったりなんかしないから安心してほしいと伝えたつもりでした。私だけじゃなくて羽飛くんも含めてですけど。ただそれが伝わってないんだなってのも、なんとなくだけどわかってて。でもクラスでは評議委員として問題なく選んでもらえていたし、これ以上何かが起こるなんて私、思ってませんでした」

 隣の貴史に「ね」と相槌を求める目線を向ける。小さく頷く。

「でも、立村くん自身はそう思っていませんでした。私が聞いたわけじゃないけれど、自分の小学校時代の出来事でみんなに嫌われて、またひとりぼっちになるんじゃないかって真剣に悩んでいたようです。だから、きっと、一年の秋にあの班ノートを書いた後、あれが嘘だったんだって信じてほしいと私や羽飛くんに言ったんじゃないかなって思います」

「嘘?何それ」

 女子から小さな声が飛ぶ。あちらこちらぱらぱら。美里は交わした。

「立村くんは、はっきり言って馬鹿です。ほんっとに変、なんでそんなこと隠さなくちゃならないんだろうって最初私も思ってました。でも、立村くんは一度自分のしでかしたことがばれたらもうこの学校にいられないんじゃないかって不安だったんです。どんなに評議として評価されても、どんなに先輩たちにかわいがられても、友達がたくさんできても、いつか悪いことばっかりしてきたことがばれて、すべてなくしちゃうんじゃないかって、それが怖くてしかたなかったんじゃないかって。それわかっていたから私はあえて知らん振りをしたんです。知ってても嫌わないよって言ってあげれば一番よかったのかもしれないけど、あの時の判断を私は決して、後悔しません」

 ここまで一気に話した後、美里は杉浦加奈子にじっと目を置いた。

「私は隠すことを選んだけど、加奈子ちゃんは立村くんに反省してほしいって、そう思ったんだよね? そういうことよね?」

 両手を教壇について、話しかけた。

 杉浦加奈子は唇をかみ締めたまま身動きひとつしなかった。


「立村くんのしてきたことには決着のついていないこともありました。詳しいことは当事者じゃないからわかんないから言いませんけど。それで被害者がいたことも事実です」

 どうやら美里は「小学卒業式の自転車決闘事件」についても触れる気らしい。胃がきりきりする。顔を覗き込むのもしんどい。貴史は片手だけ教壇に置き、男子連中の様子を伺った。主に南雲中心で見渡した。腕を組みつつ、目を閉じている。奴には珍しくどっしりしたポーズだ。

「私たちは所詮部外者です。何も知らないままで友達でいればそれですむことかもしれません。でも、被害者がいて立村くんが加害者だった以上、反省しないで流すこともできないってこと、これも私、承知してます。その被害者の人と友達の加奈子ちゃんはそういう臆病な立村くんの態度に怒ったんじゃないかなって。そういうこと、だよね?」

 「だよね」の響きが心なしか柔らかだった。

「私と加奈子ちゃんの考えが対立するのも、実は当然のことなんです。加奈子ちゃんは被害者の人たちのことを思いやってそれで立村くんに抗議したし、私は友達としての立村くんを大切にしたいからこそ知らん振りをしたわけだし。本当だったら私、もっと冷静に加奈子ちゃんと話をして、もっといい方法がないかって探せばよかったと反省、ちょっとだけしてます。でも、今考えてもわかりません。あれ以外何をすればよかったのかなんて、あの頃にタイムスリップしたとしても何にもできなかったんじゃないかって。何言ってるかわからないけど、どうしようもないんです」


「質問!」

 いきなり南雲の声が響いた。挙手と同時に立ち上がった。美里がわれに返った風に顔を上げ、

「南雲くん?」

 呼びかけた。

「清坂さん、悪いんだけどさ、立村のやらかした過去って具体的に何なのかわからないんだけど俺なりに確認してよいっすか?」

「え、でも、今私話を」

 どもりつつ答えようとする美里を南雲は即さえぎった。

「つまりですね、こういうこと?」

 顔つきがまるっきり一時間前の足組んで優雅に寝ていた時とは違っている。美里の脇に近づきささやいてみる。

「おい、なんだありゃ」

「わかんない!」

 肘でくいと押された。

 全員の視線が南雲に集まる。シャギーに切りそろえたおしゃれな髪型を整えるようなしぐさをしネクタイにちょいと指をかけた。すぐに離して一本指を天井に向けた。

「立村は小学校時代からあの性格だったもんでクラスの野郎連中にからかわれてたと。悪気があってそいつらもやったわけじゃないんだけど結果として立村本人にとっては辛いものだったと。青大附中に受かってから立村なりに決着をつけるべく、クラス番長っての?一番腕っ節強い奴に決闘状を突きつけて勝負したと。その結果、勝っちゃったと。まずはこれでしょ?」

 美里に問いかける。完全放心状態の美里に反応するよう貴史も肘でつつき返して促す。頷くのみ。南雲も満足げに頷き目を閉じつつ語り続ける。

「ところが運悪く相手の打ち所が悪くてちょいと騒ぎになった、と。ただ附中の合格取り消しにならなかったところ見ると無事に片付いたということ。相手さんも結構人間の器が大きいようでお前もがんばれよ、と送り出した。それでちゃんちゃん、でしょ?」

 ──ちゃんちゃん、じゃあねえだろ。

 言い返したいのを耐える。悔しいがよくまとまっている。

「ただ立村の性格よく考えればわかるだろうけど、そうとうしんどかったと思うよ。俺たちはその話聞いても、あーりっちゃんよくがんばったなあ、まあ飲もうよ、ってだけで終わるけどね。今の清坂さんの話を聞いてても普通はそうでしょうよ。まあ、俺たちにはきれいなところだけ見せて信じてほしいっていう気持ちも、なんかわかるような気するし。ここは男の情けってことでふんふん頷いて終わりでいいんじゃない?って俺は思うんですがいかがですかみなさん」

 貴史としては一言言い返したい。

 ──ふんふんで終わってりゃあ、こんなことやってねーだろ、このあんぽんたんがあっ!


 今までは美里の演説にただ聞き入っているだけの皆の衆だが、南雲の問題まとめ発言をきっかけにふたたび反応し始めた。化学反応に近いものだろうか。

「まあそうだよな、みんな知ってるわなそんなこと」

「今更何をって感じだし」

「なんでいきなりネタになるわけ?」

 以上は男子の発言なり。

「被害者いるんだよね? それをなかったことにできるってわけ? ばっかじゃない?」

「責任取らないで逃げた奴をかばうって狂ってるよ」

 以上は女子の発言なり。

 美里は黙ってその喧騒を眺めていた。貴史にささやいてきた。

「よっく見ておいてよ、今の状況」

「はあ?」

「わかった? じゃあ続けるよ」

 良くわからない反応だ。美里がこの時間を使って何か目的を達しようとしていることは理解できる。ただそれが、「立村をかばいたい」ことなのかそれとも「杉浦と玉城を叩きのめす」ことなのか、それとも別の目的なのか、全く予想ができない。本来なら卒業文集の中止を提案するためだったはずだが、そこまで持っていく気持ちはあるのだろうか。このままだと脱線脱線また脱線の嵐になるだけで、収集つかなくなりそうだ。

「続けるってお前どうするつもりなん?」

「黙ってて。運命共同体、覚悟だよ」

 能面、紙一枚の顔。美里は冷静さを保ったまま発言を再開した。


「南雲くんまとめてくれてありがと。そう、今まで私が知らん振りしようとしていた立村くんの過去ってたかがその程度のものなの。ばれたって誰もびっくりなんてしないし、南雲くんの言う通りよくがんばったんねの一言で片付くことだよね? 立村くんが無理に小細工なんかしなくたって、一年の段階で終わっちゃったことだよね。でも、今誰かが言ってた通り、このことは被害者がいるの」

 丁寧語は捨てたらしい。

「それが加奈子ちゃんの友達だったことから話がこじれた、それだけなの。加奈子ちゃんは友達が傷ついたことをかばおうとして立村くんに謝るよう話をした。立村くんは拒絶した。それを聞きつけた私としては、いじめていた相手に何があっても謝るなんていやな立村くんの気持ちもわかるから、加奈子ちゃんに抗議した。それだけ。二年前の私はおばかさんだったから、加奈子ちゃんに対して無視するっていう幼稚なことしかできなかったんだ。間違ってたと思う。それは私が悪いの。でも言わせてほしいの」

 美里は片手を握り締め、とんと教壇を叩いた。

「今の私なら、立村くんの首根っこ捕まえて、一発ひっぱたくかなんかして、加奈子ちゃんとその友達に謝ってくるよう怒鳴りつけたと思う。冷静に考えたらやっぱり怪我させた相手にあやまらず逃げ出すなんて卑怯だもんね。加奈子ちゃんの気持ちが少しだけわかるような気がしてるの。ここまでは私が全面的に悪いと思ってるの」

 誰かが小声で「どうした清坂弱気だぞ」「別に悪くなんかねえじゃん」とかささやいている。誰かは聞き取れないが男子であることは確かだ。先ほどまとめ発言を終わらせた南雲はさっさと席に着き、また目を閉じ腕組みをしている。

「でもね、これだけは許せない。人間としてどうしても納得できない」

 前置きをした後、美里は杉浦加奈子にもう一度、「加奈子ちゃん」と呼びかけた。

「立村くんが謝らなかったからといって、なぜ、C組の子たち使って立村くんが加奈子ちゃんを追っかけまわしているなんてデマを流したの? 覚えてるよね? 一年の一月から二月にかけて、変な噂流れてきて私びっくりしたよ? なんで立村くんが加奈子ちゃんが嫌がるのを追いかけて付き合いかけてる話になるんだろうって。そんなことあった? 悪いけど時期的に評議委員会ビデオ演劇を撮影していたし、加奈子ちゃんを追いかけるなんてことがあれば私だってわかったてたよ。立村くん、評議委員会の先輩たちにこき使われて大変そうだったの側で見てたし。みんな覚えてるでしょ? 私たち一年の時のビデオ演劇は忠臣蔵だったって! あの時立村くん、浅野内匠頭やらされて本条先輩たちにすっごくしごかれてたし、ひまな時間は全部っていっていいくらい本条先輩に張り付いていたんだもん。みんなも見たよね? 給食時間流れたし。忠臣蔵。そんな時にもし加奈子ちゃんを追っかけてたら、私を含む評議委員関係者がみんな気づいてたはずだよ! 最近だってそれほどじゃないのにみんな、立村くんが二年の杉本さんを追いかけてるとかわけのわかんないこと言ってるけどあの程度だってみんな気づくのに!」

 全くもって美里の言葉には裏付けがなさ過ぎる。言っていることに間違いはない。ただし立村を無罪とする根拠が「私が知らなかったから」というのはいくらなんでもないだろう。立村だってもし本気で杉浦に惚れていたのなら、美里に気づかれないように言い繕って追いかけていたかもしれない。もちろん絶対にありえないことだと貴史も承知しているけれども、あまりにも自己中心過ぎる。

「加奈子ちゃん、ここで聞きたいんだけど、本当に立村くんは加奈子ちゃんをしつこく追い回したの? 菱本先生にC組の子たちが告げ口に行くくらい、ひどかったの? 玉城さんにも聞きたいんだけどさっき、立村くんが加奈子ちゃんを追いかけていることに気づいていたって言ってたけど、どういうところ見てそう思ったの? 二年前のことで覚えてなければしょうがないけど、具体的にどういうことだったのか聞きたいの。もしその通りだったら私が百パーセント間違っているってことになるから。ここできちんと謝ります。でも、どう考えてもそのことが正しいって裏づけが私には見つからないの」

 杉浦はうつむいたまま、一言も発しなかった。

 側で女子の数人が「加奈子ちゃん、言っちゃいなよ」「加奈子ちゃんの名誉を守るチャンスなんだよ」などと励ましている。一方で「清坂さんなに偉そうなこと言ってるんだろう? 立村好きすぎてどうかしちゃったんだよね」「あとで後悔するよ絶対」とかささやく声も女子でちらほら聞こえる。

 玉城は頬の涙を押さえるようにして立ち上がった。

「具体的にって言われると、私も何も言えない。ただ、加奈子ちゃんを追っかけて話をしようとしてたとこは結構見た、と思う」

「それいつ?」

「覚えてない、けど、なんとなく」

「なんとなくってことは、その時本当に立村くんが張り付いてて加奈子ちゃんを口説いていたなんてとこ、見てないんだよね? 他のみんなにも聞きたいんだけど、加奈子ちゃんを立村くんが追いかけて、変なこと言ってたとこ見た人ここにいる? 私が覚えている限り、立村くんあの頃女子と話すことってほとんどなくて、あえていえば私とこずえ、あと評議の人たちだけ。まだ杉本さんも入学してなかったし!」

 美里は何度も問いかけている。玉城が悔しげに俯いている。

「そうだよね。誰も立村くんがそういうことしていたってこと証明する人いないんだよね。あくまっでも雰囲気、だけだよね? 男子たちはどうなの?」

 男子連中はみな同様に首を振っている。南雲だけが動かない。

「そっか、そうだよね。私もあの時変だなって思ってたの。女子たちだけでなんで立村くんが悪者にされてるんだろうって思ったから。その後もっとわけがわからないのは、菱本先生!」

 突然美里の矛先は、パイプ椅子で悩み切っていた菱本先生に向いた。

「先生も、その頃立村くんを呼び出してお説教してませんでしたか? 私が直接聞いたわけじゃないですけど、他のクラスの男子たちがみんな心配してましたよ。立村くん、誤解されてるみたいだって」

「誤解、か、ああ」

 歯切れ悪く菱本先生も俯いた。みな顔を上げようとしないのはなぜだ。

「確かに一度、清坂の話していた一件で立村と膝を付き合わせたことはあったが、あいつは素直に謝っていたな」

「それ、信じたんですか? 立村くんがごめんなさいしたってことだけで! 立村くんの性格知ってますよね先生。面倒なことはみんな自分が悪いことにして、『ごめん、俺が悪かった』の一言で片付けるんです! いっつも私たちもそうされてきたからだいたい読めてますよあの人の行動パターンって! ね、貴史、そうだよね!」

 いきなり振られた。頷くしかない。事実だから。

「逃げの一手ではあるわな」

「でしょでしょ? 今、確認している限り立村くんが加奈子ちゃんに言い寄ったって事実は探しようがないんです。あとは加奈子ちゃん自身がどう思っているかであって、その内容によっては考え直さなくちゃならないこともあるかもしれません。だけど、あの時、立村くんを先生が誤解して呼び出したことによって、その出来事が事実だって認められることになっちゃったんです。もしかしたら加奈子ちゃんにだけ告白かなにかしてたかもしれないし、それは私の知ったことじゃないです。でも、少なくとも、人前で大騒ぎになるようなことは立村くん全然してないってことはみんなが認めているんじゃないでしょうか?」

 ここまで美里は息もつかせず言い切った。超特急お見事だ。


 ──美里、こうきたか。

 天晴れだ。ほめて遣わす。

 てっきり貴史は美里が杉浦加奈子の彼氏……今はどうだか知らないが……の浜野についてだらだらしゃべりまくり、さらに立村の姑息な「裏・班ノート」の秘密まで暴露して、その上で叩きのめすつもりだと読んでいた。それじゃ勝ち目ないし後から戻ってきた立村に即刻縁を切られるだろう。負ける戦をしない美里のポリシーを捨てられるのかとひやひやもんだった。

 いや違う。美里はここでとことん立村の無実を打ち出す作戦に出たということか。

 杉浦加奈子が男子連中に無視されるようになったきっかけのひとつが、いわゆる「立村に横恋慕野郎の濡れ衣をかけた」ことへの反発だった。貴史自身も立村をとっくり観察してきたが、美里のことをやたらと意識していたり、その他はこずえ以外の女子に話しかけることなどほとんどなかったりとか、そういうところばかり見ている。美里の言う通り二年に上がってからは例の杉本梨南登場により別の方面でおっかけ疑惑が生じてきたが、そちらは事実なのでしょうがない。美里も何度も杉本の名を出している。苗字が似ていて紛らわしいがもし相手が杉本だったら、貴史も当然かばえないだろう。立村にこれこそ、首根っこ捕まえて反省させるしかないと言い切るだろう。「本」と「浦」の違い。これは想像以上にでかいのだ。

 もちろん、貴史も立村の言動を二十四時間監視していたわけではないので、百パーセント無実と言い切れないところもなくはない。ただ、ふつうに友達づきあいしていて杉本の話は出てくるけれども杉浦のネタは……例の裏・班ノートの件を除いて……特段情報はない。確かに裏・班ノートの時期に立村が杉浦を意識しているのではという噂が流れたことはある。しかしそれは美里が最初に説明した通り、「杉浦の恋人に立村が詫びを入れること」を要求していたに過ぎず、杉浦と立村との間に色恋沙汰が発生するものではない。むしろ拒絶した後に、立村が横恋慕して杉浦加奈子を口説こうとしたのだったらもっと派手に目撃情報が流れてもいいはずだ。

 今までは美里も、立村に関する噂についてはさらりと流していた。杉浦加奈子の件については「無視」で通してきたはずだ。たとえ自分が「出来損ない評議委員長の彼女でかわいそう、趣味が悪いわね」と笑われたとしても立村一筋を貫いてきた。しかし、ここで美里は賭けに出ている。立村が百パーセント無実であることを証明するチャンスを最大限に生かそうとしている。三年間のくそめんどうくさい出来事をすべてまっさらにしようとしている。

 ──わかった美里、とことん暴れろ突っ走れ!

 セコンドとして、貴史も腹が座った。


「しつもーん!」

 また後ろで挙手する奴がいる。再びざわめく。波が打つ。

「なんだ南雲」

 美里が答える前に貴史が先手を打って指した。

「申し訳ないんですが、ひとつ聞いていいっすか? 杉浦さん」

 はっとした風に杉浦加奈子が南雲に振り返った。身体を両手で抱きしめるような格好で、恐る恐る見上げている。南雲もきりりと顔を引き締めつつ、片手を腰に当て、もう片手は握りこぶしを作り小さく振りながら、

「結局、立村に告白かなんか、されたの? それをはっきりこの場で言っちまえば一瞬のうちにこの話は片付くような気がするんですが」

 またきざったらしく首を回し、目線を貴史に向けた。どこかで見たようないらただしげな眼差しだった。美里相手ではなかった。

「もし、それが事実だったら俺がA級戦犯なんで謝ります。清坂さんよか前に」

「南雲くん、なんで?」

 また毒を抜かれた顔で美里が問い返す。なぜ南雲に対してだけ、そうなんだろう。

「野郎連中に杉浦さんを無視するよう呼びかけたの、実は俺だから」

 南雲はさらりと答えた。

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