第二部 57
「じゃあ、まずだ。玉城」
貴史はまず、教卓に両方の肘から下をぺたんとつけて玉城に問いかけた。自然と腰が曲がる格好になる。
「あやまりたいことって何、から説明してもらえねえ?」
「うん」
大きく息を吸い込み、貴史に頷くと玉城はじっとそれぞれの連中を見渡した。やじ飛ばし禁止令も瞬時に行き渡ったようだ。不機嫌そうな南雲を除いては。そんな見たくないものが見えてしまうのが教壇のめんどうくささでもある。
「一年のちょうど今くらいのこと、みんな覚えてますか。私、詳しいことはよくわからなかったんだけど加奈子ちゃんが元気なくしてて、同時になんとなくクラスの一部から無視されてたこと。じゃなくって、主に男子たちからいきなりシカトされ始めたこと、みんな気づいてましたか。てか、みんなやってたことすら気づいてなかったかもしれないけど」
──やっぱそのことだな。
貴史は頷いた。玉城に向けた腰に無理かかるポーズは変えなかった。
「同時にあの、今いないからまずいかもしれないけど、立村くんが」
ここで一応「くん」をつけたことが玉城なりの気遣いなのだろう。言葉をここでいったん切った。つばを飲み込むようにして、
「いろいろ原因だったんじゃないかって話聞いてて、でもなんでかわからないけど表に出てこなくって、みんなどうしていいかわからなくって」
「玉城、ちょい待て」
貴史はここでいったん声をかけた。本能だ。
「言い方変えたほういいんでないか? みんなじゃねくてさ、『自分』って』言い直したほうがいいんじゃあねえ?」
はっとした風に玉城が貴史を覗き込んだ。
「いや、くちばし挟んで悪いけどな。誤解されちまうだろ。今ここにいる奴らはお前の話をまず聞こうとしているわけだし、文句言いたいこと我慢しているかもしれないだろ。でも、お前の話、ってことだったらまずは聞きたいと思うんじゃねえかなあ」
「ええ?」
クラスメートたちに貴史から呼びかけた。
「な、お前らをののしっているわけじゃあねえんだ。玉城は。玉城なりにまず杉浦のことを思いやっているあまり口走ってるだけだから、まず、ここで落ちついて聞こうな」
もう一度「な?」と玉城に言い聞かせ、貴史は先を促した。細かく頷き直した。玉城もうつむくようにして微かに笑みを浮かべた。意外だった。文句言われるかと思った。菱本先生の方にちらと視線をやると、こぶしを軽く握って穏やかなグーサインを送ってきた。
「ごめんなさい。私、みんなを責めるつもりじゃなくって」
玉城はもう一度深呼吸して続けた。
「私が言いたいのは、加奈子ちゃんがなんで三年間、辛い思いをしてきたのに助けてあげられなかったんだろうってことなんです。私だって友達として、いろいろ話をしたかったけど、ええとなんってっか、あえてしゃべらないようにしてたとこもあって」
そこまで玉城は後ろでうつむいている杉浦を見つめて声をかけた。声を詰まらせたように聞こえた。
「加奈子ちゃん、いきなりこんなこと言っちゃってごめん。びっくりしてるよね。私、今の今まで何にも言わなかったからね」
すっと杉浦加奈子が顔を上げ、肩をすぼめたまま見つめた。頬が赤らみ涙ぐんでいるように遠めには見受けられた。周囲の連中も男子は興味ありげに、女子は心配そうに観察しているのみ。美里は表情を一切変えずに玉城と貴史だけに目線を向けていた。
「私、この組が好き。大好きなんです。三年間このクラスにいられて本当によかったと思ってるし、菱本先生も面白いし。だから嫌いな奴は本当はいないと思って卒業したかったんです。けど、そういうことがどうしても言えないことあって、どうしても許せなくって」
どうもまどろっこしい言い方で貴史も進行に悩む。女子が時折訳わからないことを言い出すのはわかるのだが、それ以上に玉城という奴の行き着きたい先がまったく見えない。覚悟は伝わってくるし、杉浦をかばいたいというのも理解できる。ただ、まっすぐ走ればいいのに寄り道ばかりしているというか、舗装されている道を右の木に衝突し、左の鹿に激突するようなしゃべりかたばかりしているように聞こえる。話によれば女子たちには根回ししているらしいのだが、男子からしたら寝耳に水だ。ただでさえ立村がらみの問題で頭がいっぱいだというのに、他のネタが混じりこんでくるとなると反発以前に、みな寝るに決まっている。
──しゃあねえ。ちょいと口挟むか。
ここも本能で勝負することにした。
「悪い、玉城、何度も口出しするようだけどな」
できるだけ穏やかに、ある意味立村を見習うような口調を使ってみた。
「やっぱ、お前の話し方だと誤解の嵐になっちまうわ。責めてるんじゃねえよ。だからまず、俺にまるごとしゃべってもらえねえかな」
「私これでも一生懸命話してるよ」
当然言い返されるのは承知だ。声を低め、腰にきわめてやさしくないポーズを取り直した。教卓の後ろは思い切りへっぴり腰だ。
「うん、よっくそれはわかってるんだ。だから、妙な話に持っていきたかねえんだよ。だからこうしねえ? まず、俺に一対一で話すようなしかたにして、それを俺が鸚鵡返しするように伝える。それなら、まず、いいんでないかなと思うんだ」
「怜巳ちゃんそうしたほういいよ」
いきなり同意の声が飛んだ。予想はしていた。奈良岡だった。同時に男子連中もざわめき始める。こずえの声も入る。
「そうだよ玉城さん、ここは羽飛を信じようよ。極端な話もうこういうチャンスめったにないんだしさ。羽飛が思いっきり仕切るなんて、うちのクラスじゃあめったに見られないじゃん? 立村帰ってきたらこういうこともうないんだよ。ここはさ、私の羽飛愛に免じて、ね、お願い!」
全く質の異なる空気で思わずむせた。爆笑、手を打つ奴もいる。ただ後ろで黙っている南雲だけはにこりともしなかった。足を組み直そうともしなかった。
「古川、お前の羽飛愛は本物だなあ」
よせばいいのに菱本先生も茶々を入れる。あれだけ今朝は大真面目に語っていたくせにいったいなんなんだろうこの差は。まず話を進める前に、お笑い展開を始末しないとならなくなった。
「みな、少し黙れっての。あのなあ、普段なら俺も乗るけどな。こんな時にそんなことできねえだろ? 古川、後で責任取れよ。それはそうとして、まず玉城、さっきの話の続きだけどな」
無理やり軌道に戻した。まだなごみの空気が残った中、玉城は貴史に立ったまま向かい合い、少しずつ語り始めた。
「最初に変だなって思ったのが二年の六月頃なんだ」
自然な口調に戻っていた。やはりこいつはクラスメートのまん前で演説するのに向いていない。妙にパニック起こしてしまうくせがあるようだ。
「それまで普通に話しかけていた男子たちがいきなり加奈子ちゃんがいないような感じで流そうとしてて、女子からみても、えっと私から見ても、だよね、変だなって思ったんだ」
どうやら玉城は敬語が苦手なんだろう。読みは当たった。頷きながら促す。
「たとえばどんなだ」
「ううんと、例えば班でみんなで理科の実験したりするじゃん? その時とかみんなでアルコールランプに火をつけたり、ビーカーに水入れたりするじゃん? その時に男子が誰も加奈子ちゃんに声かけないっていうか」
「それが変か? 実験の時にひとりひとりに聞くもんか?」
「今のはたとえだよ! 加奈子ちゃんが答えても『あっそ』で終わらせちゃって、他の女子に対しては『なーに言ってるんだよばーか』とか返すんだ。最初は加奈子ちゃんがおとなし過ぎるからかなって思ってたんだけどね。毎日、毎日続くんだよそれが!」
クラスメート席から「何だよそりゃ」「ざけんな」と、予想通りのささやきが響く。静かなので特定は可能だ。貴史はすぐにそいつらをにらんで首を振り黙らせた。立村がよくやっていたように、だった。
「玉城、それでクラスの男子が、杉浦をいじめているって結論に達したっつうわけ?」
「うまく言えないんだけど、いっぱい、ほんといっぱいあったんだよ! いじめって雰囲気じゃあないよ。確かにね。物を隠すとか悪口言うとかそういうことはないんだけどね。ただ違うんだよ。なんとなく加奈子ちゃんだけ人間として存在しないような扱いしているって感じなんだよ。男子たちだけだったし、私たち女子はそんなこと関係ないと思ってきたけど、ずうっと変わらないんだよ。クラスの男子たちの態度が全くね」
紅潮した頬を膨らませ、貴史に訴える玉城。
ただじっと貴史は話に聞き入るだけだった。
それしかこの瞬間を乗り切ることができなさそうだった。
──二年の六月、二年の六月。
──立村と美里が付き合い始めたころじゃねえかよ!
立村と美里のなり染めもクラスではかなりの大事件として扱われたけれど、女子たちのクールな視線は後見役の貴史も感じていた。その前に例の杉浦加奈子を巡るガセネタが飛び交っていたこともあり、貴史なりに火消しを勤めたつもりではいた。しかし、立村が最初から美里以外意識していない……実際は下級生の杉本梨南が優勢だったらしいが……ことを証明するまでは男子連中も半信半疑だったのではないだろうか。「ほーらな、俺の言った通りだろうが!」とばかり、貴史はD組評議カップル誕生に周囲を巻き込み応援する方向に動いた。
──立村のどこが女たらしなんだか。あいつはな、最初から美里しか目がないんだよ。ほらわかったか! 目覚めろってのお前ら。
男子らは素直に納得してくれたし、立村本人があっけなく白状してくれたのでその時は滞りなく計画成功した。もっともその後の立村は別の意味でいろいろやらかしてくれたので、なんとも言えないところは確かにある。たとえばいわゆる宿泊研修のあれとか、杉本梨南関係のあれとか。
ただ、玉城の言う杉浦加奈子との一件とは直結しないはずだ。貴史にはそう見える。
──じゃあどうするか。
やっぱり本能に任せて進むことにする。誘導だ。
「玉城、つまり俺たち二年の六月頃からなんとなーく、杉浦をシカトする動きが見えてきたってことだよな? そうだろ? けど女子連中はうまくその辺フォローしてきたけれど、んでなんだ?」
「そうだよ、それでずっと今まで来たんだ。加奈子ちゃんもまじめだし、何かあったわけじゃないし、突き飛ばしたり怪我させたりってことしたわけじゃないし。そのまま私たちも気にせずに過ごしていけばいいよねって思ってた。けどね」
ここでちらっと斜め左奥の席に目を走らせた。
「最近になって、その考え方が、変わっちゃったんだ。きっかけは去年のあれ」
「あれってなんだ?」
いきなり「初体験?」などとアホな声がかかる。こずえではなく水口だ。あいつを黙らせろ奈良岡と叫びたいが無視した。
「その」
今度は同じく斜め左前方を見やった。
「生徒会役員改選」
玉城は顔をまっすぐ上げ、貴史ではなく席についた全員に向かい言い放った。
「去年の十一月。あれから、山が動いたの」
「十一月ってあれかよ」
「まじか、やっぱりそうかよ!」
「おい、まさかあの」
男子連中ははっきりと名詞を発しない。ただわやわやささやくだけだ。
「そうよね」
「そうこなくっちゃ!」
「言っちゃいな怜巳ちゃん!」
女子連中は一部を除き歓声を挙げる。
なんなんだろうこの差は。
──ちょっと待てよ、この展開なんだよ?
貴史も仕切りを忘れた。美里の顔を思わず捜した。すでに美里はきっとした眼差しで貴史をにらみつけている。下手に声かけたらぶっ殺される。その隙を突いて玉城は貴史からクラスのみなを見渡して両手を握り締め、太い声で語り出した。とめどもなくその言葉は溢れ、教室中を満たす。女子たちの顔にはそれぞれはっきりした言葉が書いてあるようで、意味もなく居眠りしている奴はひとりもいない。男子のぽかんとしたまぬけ面とは大違いだった。現状を理解していないのか、それともこれが玉城の「仕込み」なのか。
「そうなんだよ、だから今こうやってしゃべってるんだ。私ね、今までずっと、加奈子ちゃんかわいそうだと思ってた。何にも悪くないのに無視されてひどいなって思ってた。けど女子たちが仲良くしていればそれでいいと思ってたんだ。けど、それって逃げだよね? 私たち女子だって加奈子ちゃんの気持ちを全く考えないで無視してきたこととおんなじだよね? 私、気づかなかったんだずっとあの時まで。去年の十一月の、生徒会役員選挙の立会演説会で、ほら、あの今の二年の女子が立候補するまではね」
──そういうことか!
くるくる巻き戻しテープが頭の中でまき戻る。忘れていなかった。確かあの生徒会役員改選では立村の大暴走劇でかすんでいたけれども、女子が青大附中生徒会開闢以来の女子生徒会長という快挙を成し遂げた。その生徒会長は二年評議の新井林が溺愛している女子で、立村とは折り合いがあまりよくないらしいとも聞いている。生徒会には全く興味がないから貴史も深く考えたことはない。ただ立会演説会の時にその女子……佐賀はるみが……語った言葉は、わけわからぬなりに心に残ってはいた。
「私ね、みんな」
玉城は止まらなかった。パーマが軽くかかったようなウルフカットを何度も縦に振るようにして続けた。
「それまであの、佐賀さんって子がただのぶりっ子だとしか思ってなかったんだ。一緒にいる、ほら、杉本さんっていうE組送りになった子いるよね。立村がやたらとかわいがっている子。あの子の方が正しいと思ってたんだ。けど、違ったんだよ。いろいろ嫌がらせされてて、我慢して、それでも絶対めげない、負けないって立ち上がって、今度はもっと大きいことしようって決めて立候補したんだよ? これってすごいよ。私、生徒会なんて全然興味なかったけど、あの演説聴いた時何かが変わったんだ。女子だから、いじめられてたから、きらわれてたから、誰も助けてくれなくたってめげないで周りの人たちを変えていけるんだって、やっと今頃になって気づいたんだよ!」
声が詰まっている様子だ。貴史は再度腰を痛めるポーズで教壇に両腕を乗せ促した。
「けど私ひとりで感動してたってしょうがないよね。あの直後はそうだった。けどその後、A組の天羽が評議委員長になったじゃん? 先輩に指名された評議委員長は絶対に引きずりおろせないって決まってたのに、実際ちゃんと公平な選挙で決まったって聞いた時、佐賀さんの動かした山はどんどんドミノになってってるんだって、ほんとに、私、思ったんだ! ひとりが立ち上がったことが、今まで絶対だって思ってたことをどんどん変えていってるんだよ。生徒会長は男子でなくちゃいけないとか、クラスで絶対評議委員を変えたらいけないなんてこと、全然なかったんだよね? みんな、わかるよね? これ、男子も女子も関係ないよね?」
貴史の杞憂もなんのその、玉城はいつのまにか男子にも、女子にも、同じ魂でもって語りかけていた。その声は決して澄んでいないしそれどころか言葉もとつとつだけど、ただ伝えたいものは隣の貴史にはっきり届いている。それでも男子たちはぴんとこない表情で「何かっこつけてんの」「熱いなあ玉城」などとからかう言葉をかすかにつぶやいている。やじ禁止令に触れない程度の声でしかないけれども。
杉浦加奈子の様子を伺った。
顔を覆い、ふたたびふわふわした髪の毛の一束ぶんを押さえるようにして身動きひとつしないでいた。
美里の姿を黙視した。
全く変わらない。他の女子たちに見られる頬の赤らみもなくただ唇を噛んでいるだけ。
──立村のこと言われてるもんなあ。頭来るよなそりゃ。けど今は、玉城の言いたいように言わせてやれよな。
テレパシーがあればそう伝えたいが、やはり超能力保有者でない貴史には無理だった。
「私、ずーっと考えてきてて、でも馬鹿だからまとまらなくて、それで彰子ちゃんやこずえちゃんたちにもいろいろ相談してきたんだよ。菱本先生にも話したりしてたけど、なんかちくってるみたいでほんとはいやだった。このクラスは、最初にも言ったけど大好きだし、それ男子も女子もおんなじだよ。大嫌いな奴もいるけどそれとは別だよ。みんな仲良く卒業したいって彰子ちゃんたちも応援してくれた。だから、ずっと今日までいい方法ないかなって考えてたら、昨日」
また言葉を切った。今度はいきなり貴史に向き直った。思わず貴史もきょうつけの姿勢で迎えた。
「なんだよいきなり」
「羽飛には悪いけど、やっぱし言わなくちゃ話、進まないんだよね」
次に菱本先生に、回れ右した。先生もやはり貴史と同じくきょうつけのポーズを取った。自然と笑いが教室に漏れすぐに消えた。
「先生、これからどうしても個人批判みたいなこと、言っちゃうことになるけど、許してください。そうしないと絶対にこの話、終わらないんです」
「個人批判か?」
「はい、許可、ください」
頭を掻きながら菱本先生は首を振った。
「個人批判はまずいぞ。玉城が熱くクラスのことを思ってくれているのはよっくわかったし、これから杉浦のことも含めて話し合いたい気持ちはあるんだ。ただ、なんでここでまた槍玉に挙げないとならないんだ? ええと」
「立村くんのことです」
ここで玉城は「くん」付けで立村を呼んだ。
──おい、なんだと? 立村だと?
五時間目始まって初の「喧騒」だった。寝ていたとしか言えない男子たちがそれぞれに「ちょい待て、なんであいつを」
「昨日の今日だぞ?」「しかもいねえぞ」
「欠席裁判じゃんかよ、まじかよ」
「こんなことされたらどうするんだ自殺されちまうぞ」
「てか目的間違えてるだろ絶対玉城」
「いい加減やめろよこんなの」
完全に目覚めてしまった。騒ぎ出したのは水口だけではない、国枝や近衛、東堂など立村とは学校内でしかしゃべらないような奴らも含めてだった。唯一、南雲だけが黙って足を組み直しただけだった。
貴史も言葉がすぐには出てこなかった。むしろ女子たちの生き生きした瞳と、
「待ってました!」
「怜巳ちゃんにすべては任せた!」
「これが代表よね!」
どう考えてもいじめに加担するのを楽しんでいるとしか思えない言動にひいてしまった。
どう考えても止めるしかないだろう。玉城には悪いが水入りさせていただく。
「玉城、あのな、お前が」
言葉を挟もうとしたとたん、菱本先生が手で制した。首を貴史に振って、中腰で両膝に手をやった。自然と玉城を見上げるような格好になる。
「今日、たまたま立村くんは休んでますけど、もしここにいても私は全部しゃべるつもりでした。そこで全部決着つけるつもりでした。けど、欠席裁判みたくなっちゃうのでたぶん、個人批判になっちゃうかもしれません。それに羽飛くんにもひどいこと言っちゃうかもしれません。私、きっと嫌われると思います」
「立村か」
菱本先生は黙ったまま拳固で手の平をばしばし叩いた。
「お前も知っているだろうが、立村の立場は今非常にデリケートなんだ。俺としては賛成しない。羽飛にとってもほら、あいつは親友だ。親友を叩かれるのは気持ちいいことじゃない」
玉城はうつむいたまま小声で、また響く声で訴えた。
「それはわかってます。でも、もともとの発端が立村くんであった以上、私は決して許すことができません。それと、羽飛くんにもずっと言いたいことがあるんです。これは責めるんじゃないんです。ただ伝えたいことだけなんです。その流れで話すと、どうしても立村くんを責めることになります。加奈子ちゃんのことも含めて、文句言うしかなくなります」
「なら、責任は取れるか?」
短く尋ね、菱本先生は背を伸ばし腰に手をやった。
「もし立村がこの場でつるし上げにかかったことを知ったら、たぶん、死ぬほどショックを受けるだろうな。まあ俺もあいつに言いたいことがあるのはわからなくないが、ただ今ではないだろ? また別の時に時間をとって、できればいったん少人数で話し合いするとかして」
言いかけた菱本先生を玉城はつまり声でさえぎった。
「そんなことしてられないんです! 今こうやっている間にも加奈子ちゃんが無視されっぱなしの状況は変わらないし、私たちに残されてる時間だってもうほとんどないんです。もしこのままで卒業したら、私はこのクラスをどうしても好きになれなくなります。だからこそなんとか、ほんとになんとかしたいんです」
「いや、悪いが俺は反対だ。先走るな玉城。まず今離したことを材料にして少しみんなと相談してみないか? 俺も杉浦がこのまま辛い思いをしたままで卒業させたくはない。もちろんそれはわかっているんだ、だがな」
堂々巡りが続く。その間にも限られた「五時間目歴史」の時間は切り刻まれていく。
「なんだ、結局立村叩きしたいだけかよ!」
「杉浦かばうくせに立村をぼこぼこにするのは平気かよ。け、どっちがいじめなんだか」
「杉浦、なんとか言ってみろよ、立村に濡れ衣かけたのお前のほうだろうが!」
まずい、感情制御できないくせに声変わりしちまった水口が杉浦にすごんでいる。あわてて奈良岡が止めに入っているが無駄だ。うつむく杉浦はもう顔など上げられず、とうとう机に突っ伏してしまった。女子のほとんどが杉浦の席に駆け寄ってしゃがみこみ、水口に対して「何よ、中学生の癖におねしょ直らなかったくせに!」などとののしりあっている。
──やべえ、これは俺の出番だ!
司会者としての意識をなんとか取り戻し、貴史は両手を叩いた。
「おい、お前ら少し黙れ、シャラップ!」
効果なし。今度は国枝が立ち上がった。怒鳴った。
「羽飛、お前知ってるだろ? 立村がどれだけ俺たちを助けてくれたかってこと覚えてねえなんて言わせねえぞ!」
近衛も座ったまま頷いた。のほほん顔を崩さずに、
「そうだよな。あいつ責任感強い奴だよ。なんで女子たちが露骨に嫌うのか俺、全然わかんね」
東堂が南雲に話しかけているのも聞こえる。
「なあ、なんかクラスの弾劾裁判やってどうすんだよなあ、南雲」
南雲がどう反応しているかは聞くつもりもなかった。貴史が叫べどもいったん火のついてしまった三年D組を押さえることなどできはしない。いや、こんなに燃え盛ったことなんて今まで一度もない。いろいろあったD組だけど、担任の目の前で大議論に発展したことは貴史の記憶する限り全くなかった。
──どうするんだよ、おい、立村……。
いたらいたで対処のしようがないだろう。貴史はただ空に向かって怒鳴るだけ。それしかできない。玉城はとにかく立村に文句を言いたくてならない。その気持ちは前の日に貴史がたんまり抱えてきたものだ。それをぶつけていまだ傷が癒えないというのに、また二段目のびんたを食らわせようとする玉城をどうなだめればいいのだろう。
いきなり立ち上がったのは美里だった。他の女子たちが杉浦の側に固まっていたが美里だけは自分の席に座ったままだった。こずえが水口の頭を拳固でぐりぐりやりながら冗談に持っていこうとしている。取り残されていた美里がいた。
「清坂、お前の彼氏だろ、かばえよ、今ならのろけても許す!」
水口がアホな発言をして、ふたたびこずえに叩かれている。美里も当然無視した。そのまま菱本先生の側に近づき、ちらっと玉城を見据えた。貴史には目をやらずに菱本先生へ話しかけた。
「玉城さんに言いたいことすべて言わせてあげてください。私、それが一番いい方法だと思います。それと、これから私も司会に入っていいですか? たぶん私が今日話したかったこととものすごく関係していることだと思うんです」
「清坂、でもな」
戸惑う菱本先生に首を振り制した。
「杉浦さんと立村くんとのこともそうです。昨日羽飛くんとのことも、私が関係してます。評議のことも、生徒会のことも、私は全部わかってるつもりです」
「だが個人批判はまずいだろう」
「いえ、立村くんがここにいたら絶対に傷ついて立ち直れなくなります。友達として三年間付き合ってきましたからわかってます」
──じゃねえだろ、彼女だろ。
突っ込めない。ただ我慢するだけ。
「玉城さんにひとつだけお願いがあります。それとクラスのみんなにも」
菱本先生と貴史にはさまれる格好で美里は玉城に向き直った。ぶっこわれた眼差しのままだった。
「今日この場で決着がついたら、他の組の人たちに死んでも絶対言わないで。それと、今の立村くんにも、現段階では言わないで。その代わり、今だけは私も、何言われてもいい。聞かれたことは全部話す覚悟はあるよ。立村くんに文句あるってことは、私にも言いたいこと、いっぱいあるよね?」
玉城の返事を待たずに美里は教壇に昇り、貴史の尻を思い切り引っぱたいた。小声でささやいた。
「何やってんの! これからだからね!」
「あいってえ! 今まで黙ってたくせに何考えてんだ」
「今から私とあんたは」
まだ静まらない教室だからこそ口にできる言葉。美里はさらっと言い切った。
「運命共同体だからね、覚悟して」