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第二部 53

 見ものだったのは立村だけではない。貴史と美里の母ちゃんズの視線たるやもうすごかった。隣にいる母がまずじっと様子を伺うようにして見上げ、美里の母も礼儀なんかどうでもいいといった風にまずは「観察」している。まるで動物園の珍獣公開状態だ。立村自身はただぶっきらぼうに突っ立っているだけなのだが。

 ──まじ、大丈夫そうだな。

 母ちゃんズの様子に目が行く、ということは、立村も特段怪我をしているというわけではなさそうだった。初めてさっき飲んだジュースの味が蘇ってきた。甘い。

「ほら、貴史」

 つついてくる母。何度か立村も貴史の家へ遊びに来たことがあるし、全く面識がないわけではない。ただ中学二年以降は奴の委員会関連にかこつけてご無沙汰しているのも事実だった。見た目は大して変わっていないと思うのだが、母ちゃんズからしたらそうでもないのだろう。

 立村はしばらく立ちすくみ、まず自分の親を見据えた。ガンつけたという感じだ。その後表情を少し緩めて……もちろん自分の母親比でだが……美里と貴史の母をそれぞれ見つめた。さすがに立村観察会もまずいと思ったのか、母ちゃんズはそれぞれ静かに礼をした。ただ座ったままというのはいかなるものか。しかも目を逸らさないというのは。

 ──あーあ、やばいぞやばいぞ、どうしよう俺。

 歩いてこれてしかも後遺症もなさそう、安心したとたんチャンネルが切り替わり、貴史の頭は今後の友達付き合い対処法を考えることに専念していた。

 まずはやるべきことをやるしかない。けじめだけじめ。先頭切るのは自分の役目。

 立ち上がった。きょうつけのポーズで、直角に頭を下げた。最敬礼。

「たあちゃん」

 美里の母が何かを言っているが無視だ。

「立村、さっきはごめん!」

 顔を見ることはできなかった。とたん、頭の上を誰かがぎゅっと押さえ込んだ。誰かはわかっている。母の手だ。

「うちの貴史が、もう、ごめんなさいね」

 やめろと言いたいがもうスイッチの入った母を抑えることは無理だ。一応加害者側の親なのだから。貴史は身動きせずにいた。いきなり今度は美里の母が割り込んでくる。こういう場だと母ちゃんズの団結力たるやすごい。母の手を握り締めているじゃないか。これがクラスの女子同士ならまだよくあることだと流せるが、自分の親となるとどうしようもなくこっぱずかしい。

「なんで由布子まで……由布子、ほら、落ち着いて、そんなあんた」

 どうやら美里も業を煮やしたらしく、今度は自分の親に張り付いて引っぺがしを計っている。

「黙っててよ! 貴史が真剣に謝ってるのになんで母さんたちがじゃまするのよ。こっちにもどってよ!」

「あんたの方がうるさいのよ!」

 ──あややもう、手に負えねえぞ美里。

 心ではあきれつつ、やはり目の前の立村の様子を伺うのが正直怖かった。奴がどんな顔をして貴史を見下ろしているのか想像がつかない。あの氷の眼差しは一切溶けていないのか。少しは元に戻ったのか。

「あ、僕は大丈夫です」

 はっと身を起こした。立村の声が確かに聞こえた。黙って顔を見上げると立村はとまどったように母ちゃんズおよび美里を含めた三人に声をかけている。怒っているわけでもなさそうだ、ただ、どうしていいかわからないという風にちらりと貴史に目をやりすぐに逸らした。よく美里に攻撃されて硬直しきった時、立村は貴史に救いを求めるような瞳でこちらを見ることがある。当然無理だ。

 しばらく貴史以外の面々を様子伺いしていたようだが、立村は下を向いたままソファーの後ろを通り、自分の母親が腰掛けている最奥の席へと向かった。ちょうどその脇が空いていたのと、それぞれが親とペアで座っているので自然と判断したのだろう。つったったまま貴史はその様子を伺っていた。

 ──こっち向けよ。

 念を送ってみるが反応なし。ちなみに立村は自分の母親にも目を向けなかった。菱本先生だけがいたわるように「立村、大丈夫か」と声をかけているものの、そっちも見事に無視なのはいつものパターンだ。

 突然、立村の母親がさっと顔を貴史に向けた。 

「羽飛くん、もう頭を挙げてちょうだいな」

 同時に手を差し出して、そっと椅子をたたくようなそぶりをした。

 ──え、何? 何言いたいんだ?

 思いっきり戸惑う。母もぽかんとしている。めったに遭遇しないタイプの女性だとは認識しているらしい。少なくとも今まで父母会で顔をあわせて帰り道ぴーちくぱーちくおしゃべりするタイプの相手じゃなさそうだ。

 えらくべっぴんな立村の母親は背をぴっと伸ばし、威圧するかのように菱本先生に視線を合わせた。稲妻走ったかのように菱本先生も両手を膝に乗せる。

「本日私が参りましたのは、うちの馬鹿息子に謝っていただきたいということではないのですから、先ほど申し上げましたように……羽飛くん、利き腕どちら?」

 突然話を振られた。反射的に答えるしかなかった。拳の握りやすい方を答えた。

「右です」

「ありがとう」

 何でお礼を言われるかわからない。立村に問いかけてみたかった。見てみるが無視こいてやがる。その一方で親に呼びかけられている。

「それと上総」

 それだけだった。次の瞬間、鋭い音と一緒に立村がソファーにひっくり返っているのを貴史は見た。

 向かって左の頬をやられたようだ。

 ──左手でひっぱたくのかよ、あいつのおっかさん……。


「立村、おい大丈夫か!」

「立村くん!」

 菱本先生、美里、当然親ふたりもぽかんと口を開けたまま、身動きひとつできないままでいた。母ちゃんズは立村親子を見やりつつも「どうしよう……」とささやきあうばかり。美里は立村に呼びかけた後、ただ凍りついている。当然だ。全く想像できない展開だった。

 手を出した貴史が立村の母に罵倒され土下座させられることは覚悟していた。

 あっさり許されて、立村自身と握手無理やりさせられるかもしれないとも思っていた。

 奴が無視したら頭をこづくくらいはするかもしれない。せいぜいこのくらいだった。

 ──立村、どうすんだ、いったい。

 菱本先生のまん前での屈辱をそのまま許すような立村ではない。たとえ親であろうがここでぶっちぎれてわめき散らしても不思議はない。なのに、すぐに身を起こして自分の母親を睨みすえるだけだった。同時にべっぴんさん……立村の母親も奇襲作戦を切り替えて真正面からマシンガントークをぶちかまし始めた。

 貴史には未知の言葉がてんこ盛りすぎて、ただ聞き流すしかなかったけれども。

 

「あんた、うちにセールス電話がかかってきた時、くどい話をそのまま聞いて、受け入れてあげる? それともさっさと切る? 普通は切るわよね。時間がもったいないし、迷惑だし、話を聞いてあげる義務なんてないものね。もしそのセールスマンが、電話切られたからといって傷ついた、悲しい、お前のせいだとか言ってあんたを訴えたらどうする? 自業自得って言うわよね、普通。上総、あんたがしてほしがってるのはね、そのセールスマンと同じことよ。断られて当然なのに、断った相手が悪いって逆恨みして、無理やり自分の売り物を押し売りしようとしているだけの、勘違い野郎よ。いいかげん気付きなさい」

「あの、お母さん、今ここでは」

 教師の義務か、菱本先生は必死に割り込もうとしている。隣の立村を引き寄せて、肩を抱こうとしている。無理だって言ってやりたいが気持ちはわかる。当然ぴしゃっとはねつけられた。立村本人からも、同時に母親からも。

「少し黙っていていただけますか。見苦しいところをお見せするようですけれども、これも母親の義務ですから」

 さっきまでの穏やかさは蒸発してしまったのか、厳しくはねつけた。

「今、こちらで全部聞かせていただいたけれども、ここで間違っている人間はあんただけだってことがよくわかったわよ。もちろんそれはあんたを育てた私と和也くんの責任でもあるし、あんた自身にもどうしようもなかったところがあるのは理解しているつもりよ」

 ──和也って誰だよ?

 父親のことを「和也君」と呼んでいるのか、この人は。つっこみしないで立村もただ頬を真っ赤にしたっまま睨み続けている。ってことは、慣れっこか。

 美里の様子を伺うと、何か言葉を発しようとタイミングを探しているようだ。ちらちら貴史に視線を送ってきている。こりゃまずい。ウインク一発送ってやる。日本人なんで下手だが意味くらいはわかるだろう。

「でもね。上総、あんたはいつも、周りが何もしてくれない、理解してくれない、だから当然こういうことをしているんだってことばかり言ってるでしょう。菱本先生に対してもそう、羽飛くんや美里ちゃんに対してもそう、すべて出会う人に。あんたがいわゆる普通の同年代の子とは違って、神経質だってところは重々承知しているし、有る意味それは仕方ないことだわ。でも、それを他の全く関係ない人に押し付けたり要求したりする権利は、上総、あんたには一切ないのよ。他の人たちにとっては、あんたの繊細な感受性ってのはね、どうだっていいわけよ。いい? 上総、あんたは自分をもっと尊重してほしい、こんな傷つきやすいぼくちゃんを真綿で包むように扱ってほしい、高級品なんだとばかりに威張りくさっているように見えるわけよ。親である私にもそれはびんびんと伝わるわ。その証明をするために、『いじめられっこ』だとか『運の悪い評議委員長』だとかいろいろな肩書を集めて、『こんなに努力しているのにどうして周りはわかってくれないんだ』って一生懸命アピールしようとしているのが丸見えなわけ。わかる? だけど周りの人たちからしたら、そんなのちゃんちゃらおかしくて相手にする暇なんてないのよ。いい? 他の人たちはあんたに普通以上の関心を払う義務なんてないわけだし、迷惑を掛けられる筋合いもない。あんたの一方的にやらかす迷惑行為から身を守る権利だってあるわけよ。そうでしょう、羽飛くん」

 ──なんでいきなりここで振るんだよ。

 とにかく、立村の母親が自分の息子の言動に普段からむかっ腹立てていたことは理解した。ある意味、貴史も共感しないとは言い切れない。ただ、まあこれをこの面々の前で並べられたてたら立ち直れないことも貴史なりに承知している。そういう「繊細な感受性」の持ち主である立村が今この状態で机持ち上げて投げ出すことくらい考えてもいいんじゃないかと思う。二次災害起こったらどう責任取るつもりなんだろうこの人は。

 とりあえずダッシュで首を振った。ささいなこと。すぐに立村の母が送る壮絶な息子罵倒劇場は再開された。もう、誰も止められない。


「『どうして自分を受け入れてくれないんだ、それは親が、社会が、学校が』とかなんとか一方的に叫んでいるようだけど、あんた以外の誰もはあんた以上に大切にしたいなんて思ってないわよ。いいえ、そうね、少なくともここにいる人たちは精一杯上総のことを、尊重しよう、理解しよう、なんとか受け入れようと努力しているわけよ。わがままいっぱいのお坊ちゃまを、なんとかして仲間に入れよう、受け入れようとね。あんたはそれを、白々しいお仕着せだと思い込んでるでしょうね。そう感じる自分が正しいとか思い込んでいるでしょうね」

 時々菱本先生が貴史をちらと見て反応を伺っている。あれはまずいと誰もが思っているはずだ。母ちゃんズもまたはらはらしながら見守っているのがよくわかる。

 ──ものすっごくいいこと、言ってもらってるのはわかるんだけどよ。

 何もこんなところでやらかすことはないだろう。

「そうやって上総、あんたはたくさんの人を傷つけてきたわけよ。羽飛くんの立場にもし私が立っていたとしたら、たぶんあんたを半殺しにしていたでしょうね。友だちとして精一杯の善意を仇で返されたようなものだものね」

 半殺し、ときた。美里と目が合った。いや、ぶん殴った自分が言うのも変だがそこまでひどいことを考えてはいないつもりだ。今ここにいるのは、立村にとどめを刺すためではなく、とにかく話し合いのテーブルについてもう一度さしで語り合いたいだけだ。その前に仲直りもできたらしたい、ただそれだけのはずだ。

 美里はどう思っているのだろう。観察するがうつむいているだけだ。まじめに聞き入っているところ見ると何か思うところでもあるのだろうか。将来のお姑さんになる可能性も全くないわけではないだろうし、別の心配をしているかもしれない。

「上総、でもそれをあんたは絶対に認めようとしない。あんたがね精一杯自分が自分がと訴えていれば、ずっと被害者でいられるからね。傷つけた羽飛くんが悪い、理解しようとしない菱本先生が悪い、ずかずかと心の中に入り込んでこようとする他の人間たちがすべて悪い。繊細で傷つきやすいぼくちゃんをきちんと取り扱ってくれない社会が悪いってね」

 ここでいったん、立村の母親は一呼吸置いた。舌打ち程度の空気あり。

「上総、あんたがずっと前、なんで『きらわれて』いたのかわかる? そうよ、あんたは『いじめられて』いたんじゃないの。『きらわれて』いたのよ」

 思わず立村の顔を見つめた。親にひっぱたかれた瞬間からその表情は変わっていない。反応したのはたぶん貴史ひとりだけだ。

 ──きらわれて、いた? あいつが?

 アキレス腱はそこだ。ただどこがひっかかったのかがわからない。初めて貴史は本気で耳を傾けた。

 ──いじめられたんじゃなくて、きらわれた、かよ?


「まずそこから考え直しなさい。あんたはねずっと、周りから迷惑がられてきたわけよ。自分を誰も面倒みてくれない、わかってくれないってすねて、他の子たちが一生懸命なじませようとしても殻から出てこなかった。ずっと殻に篭っているもんだから、他の子たちもどう接していいかわからなくてばたばたしている間にあんたは『いじめられた』と思い込んで恨みがましい目で見つづけたってわけ。あんたはひとりで被害者ぶっていたようだけど、他の子たちがどのくらい傷ついたか一度でも考えたことがある? どうすればいいんだろう、どうすれば上総を仲間に入れて仲良くやっていけるんだろうって考えていた子たちの気持ちを、あんたは真剣に考えたことがある? 自分のことばかり考えて、一瞬でも他の子たちの気持ちを受け入れようと努力したことがないから、何もうまくいかないわけよ」


 確かに立村はクラスの女子受けが異常なほど悪い。

 男子たちとはふつうにやり取りしているし、本条先輩を代表とする評議委員関係者にはとことんかわいがられている。それでありながらなぜか、女子に嫌悪されるその理由が貴史にはつかめていなかった。ただ自分にとっていい奴だから、それだけだから、そう流してきた。わからんちんな女子など無視すりゃあいい、そう思っていた。

 いや違う、そう声がする。

 ──女子連中も、そう思ってたってことかよ。

 美里、こずえ、このふたり以外の立村に対する感じ方は、まさかこの鬼母がぶつけまくる弾丸と同じものなのか?


「あんたが普通の子よりも何倍もハンデがあるのはわかっているしそれは私と和也くんができる限りのことをするわ。それが親の勤めだから。でもね、ここにいる菱本先生も羽飛くんも美里ちゃんもその他の子たちも、あんたにそれ以上のことをしなくてはならない義務なんて全くないの。そうよ、理解する義務なんてさらさらないのよ。理解しなくたっていいし、本当だったら無視したっていい。それを上総、あんたは『理解することがあんたらの義務だ』とばかりに要求を吊り上げていったのね。ここだったら自分がしてほしいこと全部してくれるものだと思い込んでね。だから菱本先生に嫌がらせして、他の子たちの気持ちをずたずたに傷つけて、『もっと自分を丁重に扱ってくれ!』とか言ってるわけよ。そんなことずっとされつづけて、怒らないですむとしたらそれは神さまよね。上総、あんたは何様のつもり?」


 目の前でわめき散らしているべっぴんさんこと立村の母親。この人の言葉を思いっきり無視して加勢してやりたい気持ちももちろんある。立村が許してくれればの話だが。

 その一方で、思いっきり頷きたいところも多分に含まれている。

 今まで貴史が立村に向けて放った言葉を、あっさりと跳ね除けられたことが多々ある以上、怒らないですむわけがない。神様じゃない、人間だ。だから殴ったそれだけだ。

 でも三年間培ってきた親友という絆を、そんなことだけで断ち切る気なんてさらさらない。美里だって、菱本先生だってそれは同じだろう。怒っても、それでもつながりたい、その気持ちを伝えたい、本当にそれだけなのになぜこの人は延々といやみを言い放つのだろう。

「『理解してほしい』ってのはね、最大のわがままなのよ。あんたのすべきことはね、その人たちと同じくらいのレベルで理解をするよう努力することなのよ」

 ──そりゃそうだけどな、今のあいつにそれ求めるって酷だぜ。

 なんとかせねばならない。最悪のシナリオが完成しそうだ。完全に母ふたりは観劇客として同化していて行動何一つしようとしない。美里は唇をかみ締めて立村を見つめている。貴史も本来なら何か言ってやりたい、どんな言葉を用意すればいいのかそれがどうしても見つからない。

 いきなり立村が顔を上げた。横目で再度にらみなおすと母親に対峙した。

「これ以上なにしろって言うんだよ!」

 ──よっし、立村いけ、このまま反撃だ! ストレートパンチ食らわせてやれ!

 拳を握り締めた。もちろん右手だ。

 ──さすがにこりゃお前、親に反抗してもいい内容だぞ、俺もいざとなったら手伝うぞ、さあ行っちまえ行っちまえ叩きのめしちまえ!

 

 完全なるスポーツ試合の観客と化した貴史の心中応援もむなしく、さらにパワーアップした立村の美しき母親はさらに弾丸を詰め直して一斉発砲し始めた。もう無駄だ。


「さっき言ったでしょ。あんたのしていることは、失礼千番なセールスマンが、断られた人たちを逆恨みしているのと一緒だって。あんたには、水掛けられたって電話をがちゃりと切られたって相手を恨む権利なんてないのよ。でもね、そういうセールスマンにだってちゃんと逃げ場はあるのよ。理解してくれる場所はあるの。たとえば電話セールスだったらコールセンターという場所があってそこの上司や同僚たちが『なぜ断られたのか』とか『今度はいいお客さんに会えるといいね』とか言い合って、支えあうものなのよ。彼ら彼女らは断られた痛みを知っているし、さらにセールスの方法をレベルアップしていこうと応援することもできるのよ。それは彼ら彼女らが互いを受け入れあっているからなの。決して、断ったお客さんをうらむのではなくて、『どうして嫌われたのか』その理由を自分の中から見つけ出すためなのよ」

「正当な恨みも許されないってわけか」

「正当? 勘違いするのもいいかげんになさい。上総、あんたはね、いつも自分のことしか見ていないし、自分自身を変えようなんて一度も思ってないわけ。どうしてあんたは自分自身に目を向けようとしないわけ? 理解できないって言うのなら、どうして彼ら彼女らがそういうことを訴えようとするか、考えようとしないわけ?」

「考えてるさ、だからって」

「あんたの都合のいいように考えてるってことよね。あんたの考えていることはだいたい手に取るようにわかるわ。『人のことを深く考えようとしない勘違いした人たちが、僕たちみたいな繊細で傷つきやすくてけなげな奴を勝手に決め付けようとしているんだから、当然相手が悪い』ってことでしょう。あんたは一度も、『自分ひとりを被害者に仕立て上げて、相手の精一杯の好意をつっぱねて、相手を傷つけてもそれから目をそらしっぱなし』って思ったことないのよね。そりゃあ、みんなあんたが百パーセント満足できることをしてあげられるとは限らないわ。親である私だってあんたがしてほしがってることを理解できるわけじゃないし、してやることだってできないわよ。でもそれはお互い様。理解できないからこそ、いい方法を考えようとするわけよ。さっきのセールスマンと同じ。大クレームの後どうやってこれから自分のセールストークをレベルアップしていけばいいのか、どういう風にアプローチしていけばいいのかを、自分自身の中で考えていくだけのことよ」

 ちらりと立村の母上……もう話の後半からは敬意を持ってそう呼びたくなった……は美里を見つめた。美里も落ち着いた表情で見返した。嫁姑の訓練だろうか。

「上総、あんたは人が受け入れてくれることを当然のように要求しているわけだけど、要求する権利なんてもともとないの。あんたを受け入れられるのは、上総、あんたひとりだけだってこと、いいかげん元服の歳を過ぎてるんだから気付きなさい!」

 元服、と来た。やっと話の突っ込みができそうと見たのか隣の母が美里の母に

「十五歳だともう、そうなのよね」

「そうよねえ、この前元服式町内会でやったけどねえ」

 全く関係ない話題で話を和らげようとする。もちろん効果はない。

 

 ──あーあ、もう立村、立ち直れねえぞあいつ。こんな生活ずっとしてきたのかよ。

 親の教育方針など知ったことじゃあない。なによりも三年間同じクラスで過ごしてきた貴史にとって、どう考えたって立村が穴ごもりして永遠に出てきそうにない言葉の羅列としか思えない。菱本先生も熱血でかなりぶちかましてきたけれど、全くのれんに腕押し状態。まさか十五歳の息子にその効果がないということを気づいて、それでもぶつけてきたということだろうか。立村が反抗したくなるのもよくわかる。菱本先生も手を出しようないだろう。

 言うことは正論なのだ。立村が自分の内気さ不器用さを隠したくて懸命に努力してきて、それを貴史をはじめとする連中が受け入れようとする。ただそれは立村の求めてきた方法ではなく、再度心を閉ざしてしまう。それにぶちぎれてつい貴史が全力でパンチを食らわせてしまう。もしくは菱本先生に説教かまされる。再度それでまた穴倉にこもってしまう。その繰り返しに憤った母がぶちかました。よくあるパターンと言えばそれまでだ。

 ただ貴史はその穴倉から立村を引っ張り出したい。その方法が母上殿……もう「殿」までつけたくなる……の一方的な罵倒では効果ないんじゃないかという気もしている。その別の方法を貴史はこれから探りたい。そのために今、土下座準備万端に整えて待っていたわけなのだが。

 ──頼む、美里、なんとか黙らせろ。悪いが俺加害者だしやっぱ無理だわ。 

 望みの綱は美里だけだ。片手で小さく、手をひらひらさせてみた。下から上へあおるように何度か動かした。ちらと美里は目を走らせたが、即、無視しやがった。

 ありがたいことに言葉の弾丸がそろそろ底を尽きかけてきたようだった。言葉の流れがゆったりと、品よく落ち着いてきた。貴史だけではなく、隣の母も腰を浮かせて座りなおし、いただいた菓子の手提げを足元に近づけて置いた。

「上総、理解されないからいじけるくせをいいかげん直せってことよ。人間、親子であっても夫婦であっても理解できないのが当然なの。百パーセント受け入れられるなんてそれはわがまま。七十パーセントでも五十パーセントでも、受け入れられるところを探して自分でその器をこしらえていくそれが大切なの。あんたは自分が傷つきやすいからといって百パーセント受け入れろって叫んでいるけど、そんなのとんだ迷惑なの。一割でも二割でも受け入れてもらえたことを感謝する以外、あんたは他人に何も要求できないということを知りなさい。自分の面倒は自分でみなさい。あんたに言いたいのはそれだけよ、上総」

 最後は静かに息子の名を呼び、同時にその腕をねじり挙げた、もとい、引っ張り挙げた。振り払おうとする立村だが母上殿は一切その手を離そうとしない。すぐにあきらめたのか横を向いて片手でコートとかばんを抱えている。

 すっくと立ち上がり、立村の母上殿は菱本先生に対しまず軽く一礼を、次に貴史の母、美里の母、それぞれに頭を下げた。全員起立せざるを得なかった。

「本日はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

 あの強烈なマシンガントークはどこへやら、薬の切れ方がはんぱじゃない。穏やかに微笑んで、次に貴史を見た。自分の息子を片腕で抑えているのはそのままに、

「羽飛くん」

 と呼びかけた。

「さっき言ったように、君が罪悪感を感じる必要は全くないの。この馬鹿息子はね、実際そこまでされないと理解できないの。辛い思いさせて、ごめんなさいね」

「あ、いやその」

 完全に立場が逆転している。もうどちらが加害者なのかわからなくなってくる。とにかく頭を振って立村の顔を覗こうとするが、当然こちらを見ようとするわけがない。

 次に母上殿は貴史の母に向かい、申し訳なさそうな口調で続けた。

「子ども同士のいさかいに親が口を出す格好になってしまいましたが、本来は私が加害者の母として謝るべきところです。申し訳ございません」

「いえ、こちらこそ、うちの息子が、あの」

 貴史の頭を押さえ込もうとしたが母もすっかり動揺している。その質は貴史が同級生に怪我をさせたこととは別の意味に摩り替わっているはずだ。いつのまにか「助けようとしたにもかかわらずやり返されてしまい傷ついたかわいそうな男の子」扱いされている。貴史も絶対本意じゃあない。

 さらに挨拶は清坂親子に向かった。親同士丁寧に頭を下げた後、最後に美里へ真正面に向いた。やはり未来の嫁、姑対決なるのか。ゴングが鳴ったような気がした。もちろん気のせいだ。スポーツモードに切り替わる頭。美里が救いを求めるような目でちらっと見たが、相手がどう出るか読めない以上手は出せない。あきらめろ美里、とりあえず一番勝負として受けて立て。


「美里ちゃん」

「あ、はい、私」

「あれの親としてではなく、女性として一言伝えておくわ」

「じょ、せい?」

 どもりっぷりがいつもの美里ではない。初対面なのか、完全に押されっぱなしだ。しかも「ちゃん」付けで呼んでいる。立村の性格上どう考えても積極的に「俺の彼女よろしく」的な紹介をするとは思えない。なんで知っているのだろう。付き合っていることは菱本先生あたりから聞いたのだろうか。いや、とすぐに貴史は打ち消した。あの「母上殿」だ。普通のやり方をする人じゃあなさそうだ。手ごわいぞあの人は。

 予想通り、奇奇怪怪なその言葉。誰もが凍り付いていた。

「上総みたいな優柔不断な男に惚れたら、美里ちゃん、あなたの本当のよさが見えなくなるわよ。親としてではないの、女の先輩として。早い段階で見切りをつけたほうがいいわ」

 ──おい、もうどうするんだよ、ったく、知らねえぞ!

 哀れすぎて立村の様子を伺うのも気が引ける。奴は顔を真っ赤にしたまま、それでも美里の様子を伺っている。貴史とも目が合った。とたん乱暴に自分の母親の腕を引っ張り小声で怒鳴った。同時に扉まで引っ張っていこうとした。

「いいかげんにしろよ!」

「お黙り」

 一緒に数歩歩き、扉の前で立ち止まった。扉を片手で開けようとした。本人からの挨拶はなしだった。頭に血が昇っているのは予想がつくので貴史も腹は立たない。菱本先生がすぐに立ち上がり、最後の挨拶をしようとした。

「あの、お言葉ですが」

「先生には本当にいつもご迷惑をおかけしております。このことはどうぞ決して、大事になさいませんようよろしくお願いいたします。本当に、この件は上総以外の誰も悪い人などいないのですから。まかり間違っても貴史くんが悪者になるような扱いはなさいませんようよろしくお願いいたします」

「いえ、それとこれとはまた別です、上総くんは」

 ──先生、早く解放してやれよ。もうありゃあ家庭内リンチだぞ。これから俺がなんとかするけどな、けど立村もう立ち直れないかもしれねえぞ。あーあどうするんだこりゃあ。立村、待ってろよ。もうお前のこと責める気ねえよ。俺がなんとかするから、学校明日平気な顔して来い。そんときに改めてきっちり詫び入れるからな。場合によってはあの怖い母ちゃん対策も練ってやってもいいんだからな、明日、絶対来いよ、来てくれよ!

 扉しまりかけの言葉がかすかに聞こえた。

「女の目から見てあんたがタイプじゃないとしてもね、上総、いやおうなしに一番愛しい男になるのが、自分の息子というものなのよ」

 ──嘘こけ、自家用サンドパックだろうが。アーメン。

 今はただ、ぼろぼろに朽ち果てたであろう立村に対し、祈るのみだった。

 

 席に着きなおし、しばらく菱本先生から今後の処置について説明を受けていた。

「立村くんのお母様があのようにおっしゃいますので」 

 暴力沙汰はなかったことにすること、怪我もないので子ども同士のちょっとした小競り合いに過ぎないといった扱いにすること、貴史も今回はお咎めなしということ、当然停学や附属高校への内定取り消しもないといった事務的な案内がなされた。

「ただ、お母様にはどうしてもお伝えしたいことがありまして。まず今回の件を問わず、貴史くんは入学当初から懸命に立村くんのよい友達であろうとしてきました。それは三年間同じだったのですが、たまたまお互いの価値観がぶつかってしまいあわや怪我かといった話になりましたが、立村くんのお母様はあの通り非常に貴史くんのことを理解していただいてます。お母様がご心配されてらしたのは、今回の件をきっかけに遠慮が出てしまい、友情にひびがはいってしまうのではという点でした」

「あ、それない。大丈夫」

 即、答えた。

「お前は今黙ってろ!」

 素に戻った菱本先生は笑いをかみ殺しつつ、すぐに母への言葉を続けた。

「もちろん暴力沙汰であったことは事実ですし、その点については貴史くんにも反省してもらうところはあります。ですが今ご覧いただいた通り立村くんという生徒は非常に内気で、繊細な部分があり、貴史くんをはじめとする思いやりのある生徒たちに支えられているところが、担任の目からみても強く感じられるものがあります。そこで、お母様にはどうか、このふたりの友情を今までどおり暖かく見守っていただきたいんです」

 ──先生、たまにはまっとうなこと言うじゃん。

 思わず照れくささで笑みが漏れる。美里が黙って貴史を見つめている。拳を握り締めている。

「あのう、ひとつお伺いしてもよろしいですか?」

 遠慮がちに、美里の母が問いかけた。

「立村くんのお母さま、ですけれども、品山の方でいらっしゃいますか?」

 美里が自分の母親をすごい勢いで睨み返した。菱本先生も一瞬戸惑ったようだがすぐに、

「仰るとおりです」

 無難な受け答えをした。すぐに美里の母は質問を続けた。

「私も不案内でよくわからないのですけれど、品山方面にお住まいの方ですと、お子様に独特の教育を行ってらっしゃると伺ったことがございます。やはり、あのお母様もそのようでございますか? いえ、うちの娘とも親しくさせていただいていると伺っておりますが、かえってその、私どもで失礼なことをしてしまっているのではと心配だったものですから。貴史くんのお母さんとは私も子どもの頃から親しくさせておりまして、その、気兼ねなくいろいろ相談しあえるところもあるのですが、うっかりその調子で私や娘が何かしてしまっているのではと思いますと、心配なところもございますので」

「その心配はありませんよ、清坂さんのお母さん」

 すぐに言葉の裏を感じ取ったのか、菱本先生は安心させるような口調で返事をした。

「家庭ごとに教育方針が異なるのはよくあることですし、何も立村くんの自宅が品山だからといって極端に常識が違うということはないかと思われます。子ども同士の性格の違いとか、むしろその辺でいろいろぶつかり合うこともあるでしょうが、むしろ中学時代にいろいろな個性の持ち主と触れ合って視野を広げていくというのも、大切なことではないかと僕は思います。むしろ美里さんも貴史くんも、クラスでは立村くんを含むよい友達に恵まれ、一歩ずつ大人に近づいているといった印象を持っています。その点については大丈夫ですよ。立村くんのお母さんも、三人がよい友達でいることに、心から感謝していると何度もおっしゃってましたからね」

 ──たぶんほんとだろうな。

 強烈な母親ではあるが、裏表はなさそうな人だとは感じた。立村には悪いが、貴史はあの「母上殿」が今だに嫌いになれない。一回腹かちわって立村上総論について、奴を追っ払った場所で語ってみたい気が正直する。

「ただ、今ご覧いただいたように、立村さんのお子さんに対する教育方針については独特なものをお持ちですので戸惑われるのも無理はないかと思います。もし今後、ご不安などお持ちであれば僕のできる限り協力させていただきます。僕としては、美里さん貴史くんふたりの友達思いの気持ちを信じたい気持ちでいっぱいです。きっと今回の一件も、立村くんを含め友情を深めるための試金石だったと、僕は考えています」

 ──なんじゃその試金石って。

 相変わらず熱い情熱の滾るお言葉で締めた。全員菱本先生に職員玄関まで見送られ、羽飛家清坂家ともに一礼し、本日の幕は下りた。靴を生徒玄関から持ってきて美里と一緒に外へ出た時、スパイクの足跡やら車の跳ね返しやらで汚れた雪が積もっていた。


「貴史、これからどうする?」

 外に出るや否やぺちゃくちゃしゃべり始める母ちゃんズを前に、美里は思いつめた風に問いかけた。すっかり唇が荒れている。

「帰るっきゃあねえだろ。もう五時過ぎだぞ。俺確実に今夜父ちゃんに殴られる予定入ってるんだからな」

「そういうんじゃなくて、これからだよ、これから」

 寄り道誘ったわけではなさそうだった。貴史はポケットに手を突っ込み、だいぶ軽くなったかばんを片手で振った。

「文集の編集とか、評議委員会とか、それから」

「奴が学校に来るか、だよなあ」

 最初に思いついたことをつぶやいた。美里が口を覆って貴史に頷き返した。

「そこ、だよね。ほんと、どうしよう。文集作るの中止できないかな」

「あいつが来ねえと先、進めねえよ」

 青みが消えた夜空から雪がまた縦の点線を描くように降り注いだ。踏めば踏むほど靴底が沈む。二メートル前でけたたましく母たちの笑い声が響いた。

 ──絶対来いよ、立村。

 親たちに邪魔されない場所でなくては、謝ることも怒鳴ることも助けることもできやしない。

 


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